幕間 『鬼が嗤う間で』
レイテシア中央。
そこは大量の魔素が漂い、強力な魔物が闊歩する危険地帯として知られている。
そんな場所に、漆黒の城が当然のように鎮座していた。
たった一人の魔族によって創造された、魔鋼の荘厳な建物。
見るものを圧倒する、禍々しい城。
対魔術、対侵入者用の結界、入り口を塞ぐ強大な魔物。
暗雲に覆われた空には、無数の龍種が飛び回っている。
人間が軍を率いても、近付くことすら困難な難攻不落の魔城。
その禍々しい城の名を"魔王城"。
魔王オルテギア・ヴァン・ザーレフェルドが率いる魔王軍の拠点地である。
魔王城は迷宮の一種だ。
内部には巨大な迷宮核が設置されており、絶えず城の周囲に魔素を放出している。
そのため、城の周囲には大量の魔物が生息していた。
魔王城の一室。
複数の魔族が長い机を囲み、顔を付き合わせていた。
会議室には物々しい空気が漂っている。
数日前、三十年もの間脅かされることのなかった迷宮の一角が陥落した。
その原因究明と対策の為に会議が開かれることが決定したが、その当日。
奈落迷宮に続き、煉獄迷宮が陥落したという情報が届いてしまった。
これ以上迷宮を失う訳にはいかないと、開かれた会議だったが。
「結局さ、土魔将と炎魔将がグズの雑魚だった、って訳なんじゃないの?」
そう口にしたのは、漆黒の軍服に身を包んだ鬼族の男だった。
整えられた藍色の髪に、水色の瞳。
線の細い体付きで、一見優男のような印象を覚える。
だが、その瞳には侮蔑が浮かび、口元は嘲笑で歪められていた。
「僕はあいつらとは違うからね。他の魔族に踏み込まれるのはごめんだよ」
顎を上げ、集まった魔族達を睥睨しながら、鬼族の男は不遜な態度で言葉を続ける。
「……ですが、オルテギア様不在の現状でこれ以上の失態は許容出来ません」
鬼族の男の言葉に言い返したのは、蒼銀の髪と藍色の瞳を持つ魔族だ。
"雨"のレフィーゼ・グレゴリア。
魔王不在の状況で、魔王代行を任されている魔族。
「そもそも、土魔将と炎魔将を任命したのは君でしょぉ? 君の失態でしょ、これはさ」
「…………ッ」
魔王代行を前にしても、鬼族の男――ディオニスは不遜な態度を崩さない。
迷宮が二つも陥落した状況。
他の迷宮を防衛する為、レフィーゼは迷宮の強化を提唱した。
しかし、ディオニスはそれを必要ないと切って捨てたのだ。
「し、しかし、ディオニス様。帝国軍が不穏な動きを見せています。王国で召喚されたという勇者も気になりますし……ここは迷宮を強化した方が良いのではないですか?」
その時、ディオニスの背後に立っていた魔族の少女が口を開いた。
ディオニスの部下で、雑務などを任されている。
人間と魔族の混ざり者の少女だ。
「あ、そうだね」
くるりと振り返り、ディオニスが優しげな笑みを浮かべる。
その直後。
「が――、ばっ!?」
少女の顔が水で構成された球体で覆われた。
酸素を奪われ、少女が目を白黒させながら藻掻く。
だが、どれだけ動こうと少女の顔から球体は消えず、呼吸を封じ続けている。
「あのさ、誰が口答えを許したの? 下賤なカスの分際でさぁ、僕に口答えして許されるとでも思ってるのかな?」
少女が口を開閉させて何かを言おうとするが、水に阻まれて外には聞こえない。
徐々に少女の顔が赤く、やがて青色へと変わっていく。
その様を、ディオニスは心底楽しそうに眺めていた。
「――見るに堪えねえ」
声と同時、何かが煌めき、少女を覆っていた球体を失って地面へ落ちる。
びしょ濡れになった少女が、勢い良く咳き込みながら地面に崩れ落ちた。
「そいつ、てめぇの部下なんじゃねえのかよ?」
ディオニスの横の席に、それまで無言で腰掛けていた青髪の男。
魔王軍四天王"歪曲"と呼ばれる魔族が、少女を助け、ディオニスを睨み付けていた。
「うん、そうだけど? だから僕の自由にしてるんだけど」
「……不快なんだよ。反吐が出る」
「ああ、そりゃごめんね」
謝意のない謝罪を無視し、"歪曲"は崩れ落ちている少女に声を掛けた。
「おい、女。取り敢えず、部屋の外に――――」
「がっ」
"歪曲"が声を掛けると同時、唐突に現れた一本の剣が少女の顔面を貫通していた。
眉間を貫かれ、少女は既に絶命している。
「……てめぇ」
「不快って言ったから、掃除してあげたんだけどね? あっ、ごめん! 君、この子と同じ"混ざり者"だったっけ? 同情しちゃってたのかなぁ?」
「よく言った。それは"殺してください"って意味だな?」
両者の間に一発触発の空気が流れたその時だ。
「――そこまでになさい」
そこへ、レフィーゼが口を挟んだ。
その気迫は、その場にいた全員が部屋の温度が下がったと錯覚する程だ。
ディオニスが不機嫌そうに席に腰を落とし、"歪曲"が黙りこむ。
レフィーゼはそのまま、強引に会議を進行した。
「分かりました。貴方の迷宮には手を加えない。それで決定しましょう。ただし」
「……わかってるよ、言われるまでもなくね」
ニッコリと、無邪気そうに見える笑みを浮かべ、ディオニスが頷く。
それを受けて、レフィーゼは告げた。
「……では、今回の会議は終了とします」
◆
他の魔族が出て行った会議室の中。
女性の笑い声が響いている。
部屋中に反響するように、クスクスと。
「……何がおかしいのさ、"ルシフィナ"」
「いえ、貴方は変わらないな、と思いまして」
それまで、一度も口を開かなかった"ハーフエルフ"の女性。
太陽の光を束にしたかのような艶やかに輝く黄金の髪に、見る者に慈愛を感じさせるような銀色の瞳。
他の魔族とは違い、女性は緩やかなドレスを身に纏っている。
「それで、どうするんですか? 帝国軍はともかく、あのお馬鹿さんと同じ、勇者が動いているそうですよ?」
「どうもしないよ」
ルシフィナの問いに、ディオニスは答えた。
「殺すだけさ」
その答えに、ルシフィナがクスクスと笑う。
帝国に設置された迷宮。
死沼迷宮の守護者――――、
「あの勇者と同じようにね」
"水魔将"ディオニスは、邪悪に微笑んだ。