第十七話 『ここで冒険しないで』
「ベルトガァ……!」
復讐対象が現れたことで、頭に血が昇りそうになる。
落ち着け。
興奮すれば、殺せなくなるぞ。
殺すために、落ち着くんだ。
「…………」
魔力付与品を身に着けている者の中に、フルフェイスの兜の男も入っていた。
だが、エルフィの魔眼で見て魔力は正常で、何より外見が人間そのモノだったため、気付くことが出来なかったのだ。
それに全身鎧を着込んだゾルキンを警戒し過ぎていた。
クソ、失態だ。
「う……ぐ……」
額からおびただしい量の血を流しながらも、エルフィは生きていた。
どうやらエルフィに守られたらしく、ゾルキンも無事だ。
……良かった。
「マーウィンからテメェの情報は来てたが、実物を見た時は驚いたぜ。適当なこと言いやがってと思っていたが、あいつも中々いい仕事をしてくれたじゃねえか」
まあ連絡がねぇから死んだみてぇだがな? とベルトガが肩を竦める。
……やはり、マーウィンの手紙にあった『ベルトガ』はこいつで間違いなかったようだ。
「すっかり容姿も変わって、弱くなっちまってよぉ。なぁ、おい。元気してたかぁ?」
「てめぇ……」
「ま、元気でも今から殺すんだけどな?」
ベルトガが握っているのは、人一人分の大きさもある金棒だ。
魔力付与品なのか、ベルトガの魔力に反応して炎を纏っている。
「お……おいどういうことだ。お前……なんで」
「鬼……? 一体どういう」
冒険者達は、ベルトガの威容に圧倒されて後退っている。
その様子を見て、ベルトガが嘲笑を浮かべた。
「有象無象が、鈍いこったぁな」
「……俺を殺す為に、わざわざ冒険者に紛れ込んでついてきてたってことかよ」
「いやぁ? 偶然だ、偶然。俺様は元々、連合国の戦力を見にこの街にやってきたんだからなぁ」
「……そういうことか」
ベルトガのその言葉で、冒険者ギルドで聞いた話が思い出される。
『――、一昨日ぐらいだっけか? 迷宮討伐の資料が持ちだされたのって』
大して気にしていなかったが、あれは冒険者に紛れ込んだこいつの仕業だったのだろう。
「そんなつまんねえ任務だと思ってたが、お前のお陰で全てが俺様の思い通りに働きそうだ」
「……なに?」
ベルトガが炎魔将の骸の方へ唾を吐くと、クツクツと笑った。
「前々から、こいつが邪魔だったんだよ。炎魔将には炎鬼の俺様が相応しいってのに、魔力量が多いってだけで選ばれやがった。だから、殺してくれて、ありがとう! 君のお陰で、俺様の昇進決定だ!」
ご機嫌な様子で、ベルトガは金棒をクルクルと弄ぶ。
「だからな? 後は、お前と、あそこの女を殺せばいいって、訳だァ!」
「ぐぅぅッ!?」
巨大な金棒が軽々と振り下ろされる。
後ろに跳んだ瞬間、金棒を覆っていた炎の量が増大し、攻撃範囲が倍になる。
炎に包まれ、視界が赤く染まった。
「なぁ、なんで俺様がこのタイミングで出てきたと思う?」
「ッ――」
「それはぁ、確実に殺せると踏んだからでぇぇす!!」
嵐のように、棍棒が振り回される。
翡翠の太刀で防ぐも、金棒から放出される炎まで手が回らない。
纏っている装備の防御を少しずつ突破し、肉が焼かれて行くのが分かる。
一撃凌ぐ度に、身体強化の維持で魔力がガリガリと削られていく。
怒涛の攻撃に、魔石を取り出す余裕もない。
「どうした? なぁ、反撃しろよ! 伝説の英雄サマなんだろ!? なぁ!?」
攻撃自体はそれ程巧い訳ではない。
だが、一撃一撃の威力と、金棒から吹き出す炎のせいで、反撃に転じる余裕がない。
「辛そうだなァ? 疲れてんだろ? ポーションやろうか?」
「……ッ」
「毒入りだけどな! あ、お前には言ってなかったっけ? だいぶ前だから記憶が曖昧だけど、お前一回俺様に騙されて毒飲んでるんだぜ? そんなに効かなかったけどな!」
「知ってるよ、糞野郎ッ!!」
「あっそ」
叩きつけられる一撃を、柔剣で受け流す。
それと同時、
「がはッ」
咳と共に、血を吐き出した。
クソ、二重加速の消耗が、ここに来て体を蝕んでやがる。
「おらァ!!」
その隙に、金棒が横薙ぎに振られる。
防御するも、
「が……ァああああッ」
メキメキと骨が軋む。
防ぎ切れず、吹き飛ばされた。
その拍子に、左腕の肩がゴッと嫌な音を立てる。
受け身を取ることも出来ず、俺は地面に叩き付けられた。
外れた肩と、打ち付けた背中の痛みで視界が白く染まる。
意識が飛びそうになるのを、唇を噛み切り、踏みとどまる。
何やってんだよ、俺は。
裏切った奴が目の前にいるんだ。
寝てる暇があるのかよ。
翡翠の太刀を杖代わりにして、起き上がると同時。
「おら、よッ!!」
金棒が勢い良く投擲された。
俺に向かって、ではない。
「エルフィ……ッ!!」
地に伏せたエルフィとゾルキンに向かって、投げられたのだ。
全力で走り、翡翠の太刀で受け止める。
「ご……ッがァああああああ」
左肩が焼けるように熱い。
上手く力が入らない。
視界が点滅している。
金棒を受け止めきれず、せめて軌道を逸らそうと構えを変えようとした時だ。
「お疲れだな?」
いつの間にか近づいて来ていたベルトガの拳が、脇腹にめり込んだ。
「は……づ」
呼吸が止まる。
何メートルもノーバウンドで吹き飛ばされ、ゴツゴツした地面に着地する。
ささくれだった岩の上で滑り、肉が削がれるのが分かった。
「なーぁ、三十年間、何してたんだ? 寝てたの?」
本当に寝てしまいたいくらいの激痛が全身を襲っている。
服の中のポーションを口に含むも、気休めにしかならない。
翡翠の太刀のお陰で魔力は回復してきているが、体が動かなくなってきている。
「てめぇみたいな奴を『アマツさん!』なんて呼んでたと思うと、鳥肌が立つぜ」
余裕綽々という表情で、ベルトガが嗤う。
こいつは、強者には媚び、弱者は徹底的に虐げる男だ。
俺とエルフィの疲労具合から、勝てると確信して出てきたのだろう。
忌々しいことに、かなりの劣勢だ。
「私に……背を向けるとは、いい度胸だ」
「……!」
膝立ちになったエルフィが、瞳を紅く染めてベルトガを睨んでいる。
一瞬だけ動揺を浮かべたベルトガだったが、
「エルフィスザーク、だっけか? 魔眼の能力はここまででしっかり見てたさ。あれだろ? 魔力ないと何にも出来ないんだろ?」
「……ッ」
「役立たずはオネンネしときなって。すぐに殺してやるから」
ベルトガの言う通り、これまでの戦闘と、先ほどの一撃を受けてエルフィの魔力は殆ど残っていない。
彼女の手足に、時折ノイズが走っている。
もう、分身体を維持することすら厳しいのだろう。
「お……おい、待てよ!」
冒険者達から、声が上がる。
ようやく状況を飲み込めたのだろう。
「それ以上やるなら、俺達が相手になるぞ!」
「その人は俺達の恩人だ!」
「殺させたりなんか、」
赤い風が吹いた。
「――――は?」
「ひっ」
ベルトガの体から、魔力が噴出する。
それに撫でられた冒険者達が悲鳴を上げた。
鬼族に伝わる魔術、"鬼神の威容"。
対魔力の弱い者の精神状態を、強制的に恐怖に落とす魔術だ。
魔力付与品による防御で俺は効かない。
エルフィもそうだろう。
だが。
「う、うあああ!?」
「ば……化物ッ」
冒険者達はそうじゃない。
ただでさえ体力と魔力を消耗している中で威圧され、彼らはパニックに陥っていた。
ミーシャも、ガクガクと体を震わせて膝を付いている。
「格下共が」
蔑むように唾を吐いてすぐに、ベルトガがニタリと笑った。
「な、お前らよ。こいつは恩人なんだろ? 助けたいんだろ?」
「え……?」
「じゃ、俺様に向かってこいよ。頑張って助けてみろ、な? ま、向かってきたら殺すけど」
ベルトガが冒険者達へ手招きする。
その笑みは、リューザスやマーウィンと同様、醜悪で腐りきっている。
「その代わりさ、こいつとあの女を殺すってんなら、お前らは見逃してやってもいいぜ?」
「……っ」
ゴクリと、誰かが息を呑んだ。
彼らの顔に期待が浮かぶのが見える。
ああ、俺がマーウィン達にやったのと同じ手だ。
ベルトガは冒険者達を逃がすつもりなんてない。
迷宮核を奪えていない以上、まだ迷宮内には魔物がいる。
疲弊しきった彼らでは、逃げられる道理などない。
「…………」
冒険者達の視線が俺とエルフィに向けられる。
あの二人を殺せば……とその目が語っている。
「あ……」
その視線の中には。
ミーシャも混ざっていた。
腰の剣に手を伸ばし、俺の方を見ている。
ポーションを飲んで回復したのか、ゾルキンもこちらを見ていた。
「は……はは」
ああ、やっぱりか。
これが本性なんだ。
どれだけ助けようが、自分の為にだったら人は簡単に人を裏切る。
救おうとするなんて、無意味だったんだ。
可笑しくて、腹が痛い。
「ッ……!」
ふざけるな。
ふざけるんじゃねえ。
殺されてたまるか。
翡翠の太刀を支えに、もう一度起き上がる。
ポーションの効果で、動けるまでにはなっている。
会話の間で魔力は回復した。
ベルトガは殺す。
俺を裏切るんなら、冒険者達も皆殺しだ。
ミーシャも……、ゾルキンも、殺してやる。
「……っ」
冒険者達は固まってまま、こちらを見ている。
怖気づいているのか、何か作戦でもあるのか。
ふん、とベルトガがつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ま、『見殺し』でも良しとしてやるよ。お前らは動くんじゃねえぞ」
グルリと、ベルトガがこちらを向く。
「全く、ルシフィナさんもディオニスさんも、詰めが甘い。俺様がしっかり止めをさして、終わりにしねぇとな」
足音を鳴らして、こちらに近づいてくる。
翡翠の太刀を右手に構え、肩の外れた左腕の指だけで魔石を握る。
エルフィが俺の名を叫んでいる。
「昔のよしみだ。遺言くらいは聞いてやるよ」
「殺――――」
「聞く訳ねぇだろばぁか!!」
ベルトガの金棒が迫る。
バックステップしながら、何とか魔石を投擲、"壊魔"で爆発を起こす。
激しい体の動きに激痛が走り、意識が飛びかける。
「無・駄ッ!」
爆煙から、炎の鎧を纏ったベルトガが飛び出してきた。
大上段から、金棒が振り下ろされる。
片手で使える技で棍棒を受け流そうとするも、呆気無く弾き飛ばされてしまった。
カランと音を立てて、翡翠の太刀が地面へ落ちる。
「地獄に行ってらっしゃぁい!」
ベルトガの金棒が目前に迫る。
武器はない。
魔石に手がとどかない。
魔術の発動も間に合わない。
エルフィは動けない。
金棒を防ぐ手立てが、ない。
「こんな……所で……」
死――――。
◆
鳴り響いたのは、肉の潰れる音ではなかった。
何かと何かがぶつかった、甲高い金属音。
目の前に、一人の猫人種が立っていた。
剣を構え、両腕で振り下ろされた金棒を受け止めている。
炎を喰って髪が焦げ、肉が焼けていた。
それでも、苦悶の表情のまま、必死に金棒を防いでいる。
「は?」
ベルトガが首を傾げると同時。
その背後から、無数の魔術が飛来した。
大した威力もない、下級の魔術だ。
「……お前ら」
ベルトガの意識が背後へ向いた瞬間、ミーシャは素早く動いていた。
剣を収めたかと思うと、俺の体を強引に抱きかかえ、風のように走り出す。
「カスが!」
逃すまいと金棒を振り上げたベルトガに、大剣の一撃が叩きこまれた。
素手で岩を砕きうるベルトガの肌はそれを弾いたが、その威力に後退する。
ゾルキンが、大剣を構えてベルトガの前に立っていた。
「……え?」
ミーシャが部屋の入口付近まで俺を運んできた。
何人かの冒険者が俺に駆け寄り、ポーションを飲ませてくる。
「伊織さん、大丈夫か!? 助けるのが遅れて、ごめん!」
ミーシャが謝ってくる。
どうして。
「……伊織」
「エルフィ……」
いつの間にか、エルフィもこちらに運ばれてきていた。
彼女も同様に、ポーションを飲まされている。
「なんのつもりだ、クソ雑魚ども」
"鬼神の威容"を発動しながら、ベルトガが凄む。
それを受け、冒険者達は体を震わせている。
中には、漏らしている者すらいた。
なのに、その誰もが俺達の前に立ち、ベルトガに向き合っていた。
「すまねえ。今まで怖気づいて、動けなかった」
「情けねえ限りだ」
震えながら、冒険者達が謝ってくる。
なんでだ。
お前らは、俺達を裏切るつもりじゃなかったのか。
「どうして……」
鬼神の威容は、間違いなく働いている。
冒険者達は恐怖を感じているはずだ。
「馬鹿野郎。命の恩人を見捨てていけるかってんだ」
「ここで逃げたって、炎魔将を倒した役者を置いてっちゃ何の意味もねぇからな」
「あの鬼の言いなりになってたまるかよ」
冒険者達が強がって笑みを見せてくる。
「アンタがいなかったら、炎蜥蜴に殺されていた。
だったら、今度は俺がアンタを助ける番だろ?」
ここへ来る途中で助けた内の一人が、そんなことを言ってきた。
助けられたから。
恩があるから。
庇ってくれたから。
だから、裏切らない……?
「なに、そんな驚いた顔してんだ」
いつの間にか、ゾルキンが立っていた。
鎧は大きく凹み、隙間から血が流れている。
「ここにいる全員が、二人に助けられてるんだぜ」
ゾルキンの言葉に、冒険者達が頷く。
「ああ、ようやくその恩が返せるんだ。ラッキーだぜ」
「二人にばっか、格好いい所を持ってかれてたまるかってんだ」
強がりだ。
声も、足も震えている。
カチカチと歯を鳴らしている者もいる。
「それに言ったろ? 俺は子供が戦ってる所を見るのが嫌いだ。そしてそれ以上に、子供を死なせるのが、一番嫌いなんだ。だから、死なせねえよ、お前らはな」
「――――」
冒険者の様子に、ベルトガが苛立ったように金棒を地面に叩きつけた。
「おいおい、てめぇら俺様に勝てねえことぐらい分かるだろ?」
あいつの言う通りだ。
疲弊しきった冒険者では、立ち向かった所で虐殺されるだけだ。
だというのに。
――――誰も逃げない。
「分かるよ。けどな」
立ち上がったミーシャが、ベルトガを睨んで言った。
「――アタシ達は冒険者だ。ここで冒険しねぇで、いつ冒険するってんだよ!!」
その叫びに、冒険者達が奮い立つ。
「炎魔将との戦いで、十分休憩したんだ! ここいらでその分働くぞ!」
「「――――おおッ!!」」
くたびれた体で武器を握り、残り少ない魔力で詠唱を始める。
「……どうして」
冒険者達の、勝ち目のない戦いが始まった。