愛され少女の受難
目が覚めたら異世界だった――。
これがいかにもな神殿の奥とか、王宮とか、せめて人がいる場所だったらまだ、漫画みたい! って浮かれていられた。
現実は森の中だった。三日間さまよったあと、倒れているところを薬草摘みに訪れた老夫婦に保護された。
「大丈夫かい? 気にしなくていいんだよ。私達には女の子がいなかったから、親と思ってくれていい」
涙が出るほど嬉しかった。一人でいても死ぬしかないと思った私は老夫婦の言葉に甘えることを即決した。ただ問題は、その老夫婦には確かに女の子供はいないが、男の子供がいた。
「父さん母さん、今帰ったよ、今日の賃金……って誰、その子」
今日からここで生きていかなくちゃ、と悲壮な決意に浸る間もなく、突然扉が開いて男の子が現れた。小柄な老夫婦に似ない、浅黒でたくましい男の子だった。
「ああエルク、お帰り。この子はお前と同じように親に捨てられた可哀相な子だよ。優しくしておあげ」
同年代の男の子がいたんですね、と思ってすぐ衝撃的なことをさらっと言う老夫婦。ってことは、このエルクさんも捨て子……?
「……本当にお人好しだな、父さん達は。いいよ、好きにすれば。今さら一人増えても同じだし。で、そこのアンタ、名前は?」
「え、あ、朔良、です」
「……よろしく」
◇◇◇
最初は異世界で身寄りもなくて人もいなくて死ぬかと思ったけど、なんやかんやで衣食住を手に入れた。私は幸運だと思う。
「やーい、流れ人!」
「流れ人が何でここにいるんだよー、帰れ! 帰れ!」
……だから近所の子供達が、時折こうやって囃し立ててくるのなんて何でもない。最初の苦労を思えばなんでもない。あんな小学生みたいなからかいに真面目になるほど、私は子供じゃない。背を向けて、数日後のお祭に備えたおつかいを終えて自宅へ帰る。量があるから老夫婦にやらせられない。
「何無視してるんだよ! 知ってるぞ、お前んちの親は子供を拾って食うんだろ! そうじゃなきゃ他人の子供を育てるなんておかしいってかーちゃん言ってたんだからな!」
訂正。私は子供だった。私が聞き捨てならないと思うものには、怒らずにいられない子供だった。怒りの形相で振り向き、引っぱたこうとする。子供達は何か「来たぞ!」 って顔で笑っていた。ここまで計算だったのかな。何だかんだで老夫婦は裕福だから妬まれてもいた。でも侮辱されてそのままなんて許せない。
「ふぎゃっ!」
「ぃでっ!」
その前に、誰かが後ろから子供達を叩いた。日に焼けたごつい体つき……エルクだ。
「謝れ」
エルクは私以上に怒った顔つきで、子供達に説教し始めた。
「な、何だよ」
「謝れ」
「うるせーな! 事実言われて切れてるんだろ!」
「謝れ! お前が両親を大事に思うように、俺も両親が大事だ。大切な両親を侮辱されて、平気でいられる人間は無い。お前の両親はそんなことも教えなかったのか! 他人の両親を傷つける人間が、自分の両親を大事に出来ると思うな!」
その迫力に、子供達は顔色を失って小さく「ごめんなさい……」 と呟いた。自分の両親が同じ事を言われたら、と考えたのかもしれない。そんな子供達を前に、エルクはまだ納得していない様子だった。
「俺と両親だけじゃない、サクラにもだ」
「え、でもあいつはこの世界の人間でも……」
「血の繋がらない人間のために怒るだけの感情がある。それで充分だ。謝れ」
「ごめん、なさい……」
謝る子供達に「同じ事はしないように」 とだけ注意して、私達はその場を離れた。子供達に絡まれて思った以上に時間を食ってしまった。
「あの、ありがとう」
帰り道、小さく感謝の言葉を口にする。この数日で、老夫婦とエルク以外の異世界人の認識については、だいぶ学んだつもりだ。あんまり、よくはないと。だから、私個人を評価してくれるエルク、両親孝行なエルクは私の中で……かけがえのない存在になりつつあった。
「礼なんていらない」
エルクはそっぽを向いてそう言った。けど、耳まで真っ赤だった。
「そう言わないで。私、嬉しかった」
「よせ。下心もあるんだ」
「下心……?」
はて? 異世界人だからって神子様とか勇者とかない世界っぽいのに。
「大体、好きな女がからかわれて何もしない男は男じゃないだろ」
今度は、私の耳が真っ赤になった。
◇◇◇
その地方で行われる祭は盛大なものだ。この地方独特の神の生誕日を祝うという名目で、数日間社会機能が停止する。事前準備は昔の日本の正月みたいなもので、当日は某トマト祭を思い出したと朔良は感じた。そんな異世界人、朔良は人一倍この祭を楽しんでいた。何故なら。
「準備、出来た?」
「うん!」
恋人のエルクが部屋をノックする。返事をして入ってもらう。朔良を見たエルクは言葉を失った。
「なんか、サクラじゃないみたいだ」
この祭には規則があり、十八歳以下の女子のいる家庭は広場に集まり、神を祝う踊りを踊るのだ。今の朔良はいつもの地味な服でなく、老夫婦が数日寝ないで作ったふわふわのドレスに身を包んでいた。
「んん? 化粧はそんなしてないつもりだけど」
「いやそうじゃない。……すごく、綺麗だから」
「! えへへ、ありがと!」
祭の日ということで、テンションの高い朔良は物怖じせず返事する。盆踊りや学校のダンス授業、イベントでのチアガールなど踊るのが技術はともかく大好きな朔良には、楽しみで楽しみな一大イベントだった。
「じゃあ、行ってくるね! 絶対見てね!」
「もちろん! 最前列で見るよ」
可愛い恋人達の可愛い会話そのものだった。
◇◇◇
その時、東の方向に、一見地味だが、よく見ると細かな部分が並の細工ではないような、いかにも貴人が庶民を装ってますという感じの馬車がこの祭に向けて走っていた。
「……田舎の祭りなんか興味ない。土人のやることを見学なんて何の意味があるんだか……」
その馬車の中では、いかにもお坊っちゃんといった風情の少年が、気だるげに向かいに座る中年の男相手にぼやいていた。お坊っちゃんな少年は、右目が青と左目が緑のオッドアイの容姿が特徴的だった。
「ルルコーレ様、これも父上のご命令ですよ。後継者となったルルコーレ様が最近余りにも根をつめてらっしゃるのが心配なのでしょう。そしてこの件については……護衛の私の提案でもあります」
ルルコーレという少年の護衛らしい男は、頬杖をついてむくれる少年相手に、そう下手に出ながら丁寧に言った。ルルコーレという少年がただならぬ身分であるのが窺えた。
「やめろ、僕の本名を口にするな。ここはもう王都じゃないんだ。庶民風のルルでいい。いらん騒ぎを起こしたくないんだ。お前はそれでも護衛か?」
ルルはそう言って、はるか年上の護衛を叱責する。
「失礼を致しました……ルル様」
「まあいい。……心配、ね。その気持ちはありがたいが、どうせだったら部屋に閉じ込められていたほうが気楽だったな。いくら珍しいからって田舎の祭なんか、疲れに行くだけだ」
ルルはそう言って再びむくれる。それに対してひたすら沈痛な面持ちの護衛に、ルルはふとかまをかけた。
「それにしても護衛一人で一国の王子が遠出ねえ……それだけ今の王宮が危険ってこと?」
「……」
かすかに顔色が変わっただけの護衛に、ルルは全てを察した。
「ああそう。ま、よくあることだ。だったら帰るころには全て終わってるんだろう?」
ルルは感じていた。王都にいたころ、いつも何者かの不気味な視線を感じていたことに。大方長男か次男か。末っ子のルルには敵が多すぎる。とはいえ、王や家臣が上手くやるだろう。兄達はしょせん、妾の子だ。
◇◇◇
ルルはいつのまにか、馬車で眠っていた。起きたら、とっくに祭りが始まっているという。だから興味はないと言っているのに。叶うなら、食料や寝具、勉強道具を積み込んだこの馬車から出たくない。田舎の土人なんか見る価値もないだろうに。
「ああルル様、今ちょうど、最も華やかなイベントみたいです。少女達が集団で舞を奉じる催しだそうで。上手く舞台が見える場所が取れました」
護衛のその言葉に、ルルは手元の本から目を離して、馬車の窓のほうに目を移した。興味を持った訳ではない。ただ、むさい男達メインの催しよりかは見る価値があるかと思っただけだ。何も見ないで帰るのもなんだし。
「……」
ルルはその中の一人に目を奪われた。色とりどりの少女達の中に、一人だけ黒目黒髪の少女がいる。周りが派手だから余計目立った。もっと言えば、ドレスが古臭いセンスなのも相まって浮いてるようにも感じた。なのに、その少女は誰よりも楽しそうに踊っている。
花が咲いたみたいだ、とルルは思った。満開の花はそれだけで気分を良くさせる。あの花を、もっと近くで見たいと思った。しかし目の前の人の海を見て断念した。自分を知ってる人間がいないとも限らない。仕方なく、馬車から少女を見続けた。そうしていると、少女の見目かドレスを指差して笑ってる人間どもが視界に入る。何故かそいつらを殺してやりたいと思った。
長いイベントだった。ルルはひたすら黒い少女を見続けた。やがて少女達がお辞儀をして帰るとき、少女が誰かに手を振っていた。――男?
気がつけば、護衛に『命の次に大事』 と言った手元の本を握りつぶしていた。
◇◇◇
王都に帰ると、全ての問題は無くなっていた。王から正式に後継者と告げられた。この日を楽しみにしていたルルだが、今はそれが大したことに思えなくなっている。
目を瞑ると、あの少女が踊っている姿が浮かぶ。そして、男に笑顔で手を振る少女――サクラ。
素性は全て調べてある。流れ人とも落ち人とも言われる異世界の人間、朔良。世話になっている家は、かつての家臣。隠居してのんびり余生を送っていると聞いていたが……。そしてあの男は元家臣の養子エルク。子が出来ない故に捨て子を養子にしたのだとか。生まれが卑しいというのに、両親に頼ることをよしとせず自分で生活費を稼いでいる好青年という評判が、何故かルルの神経を逆撫でする。
同じ男なら、僕のほうがよっぽど――。そう思った瞬間、最も卑しいと思っていた流れ人に懸想しているのだと自覚し、しばらく心が修羅場だった。しかし王家の系図を調べていて、何の問題もないことに気づく。過去に側室になった流れがいた。そういう前例があるなら、僕がサクラを娶っても何の問題もない。いや結婚する。サクラはきっとそのために呼ばれ、出会ったのだ。神の祭で出会うなんてなんてロマンチックなのだろう。
ただ――エルクのことだけが問題だった。
どうする? 恋する者の直感で、サクラとエルクが相思相愛なのは間違いない。二人を引き剥がすには――。
サクラを脅す? とんでもない。そんな可哀相なことできない。
エルクを脅す? 駄目だ。サクラに知られたら軽蔑されてしまう。
元家臣を脅す? いや二人は所詮養子だ。逃げることだって出来る。それにあの二人は権力争いに嫌気が差して自分から地位を捨てた変人達だ。何をするか分かったものじゃない。
じゃあどうする?
……理想なのは、エルクが自滅してサクラと別れることだ。男の自滅と言ったら……。
◇◇◇
数日前、エルクが王宮から呼ばれた。神のお告げがどうたらで一ヶ月だけでいいから滞在しなさいとのこと。もう三ヶ月になるけど、まあこれくらいなら、天候が悪いとよくあることらしいし。
『あんまり気乗りはしないけど、行って来る。戻ってきたら、結婚しよう』
そう言ってエルクは旅立った。私はあの祭りの写真――精霊の力で出来るんだって。ちなみにいじったり偽造したりは大魔法使いでも絶対出来ないとのこと――を見ながらエルクの帰りを待った。写真の中で、私とエルクは並んで笑ってる。
「本当にエルクが好きねえ。早く孫が見たいわ」
写真をずっと見ていたら、お義母さんに冷やかされる。き、気が早いって!
「ごめんください」
「あ、はーい」
その時、突然誰かが訪ねてきた。お義父さん達には知り合いが多いみたいだから、今回もそういう人かな? そう思って扉を開けると、若い同じ年くらいの少年が立っていた。どう見てもお義父さん達関係じゃないよね。それにしても、色の違う目が綺麗な人……。
「……サクラ?」
「あ、はい」
「……」
「あの?」
何かぼーっとしてるけど、具合でも悪いんだろうか? 心配して近寄ると、彼はハッとした顔でゴホン! と姿勢を正して、私に必要以上に近寄ってきた。……怪しいセールスの人? 男手がいない時にもう!
「突然訪問してごめん。でも、君が真っ先に出てくれてよかった」
「はぁ……」
「僕はルル。王都の者だよ。エルクのことで、ちょっと」
振り込め詐欺だって孫の名前調べてからかける詐欺師もいるわけだし、油断できない。
「あれ警戒されてる? まあ当然か。じゃあそこのベンチでいいよ。この家は近所と距離があっていいね」
何がいいんだろう? と思いつつ、エルクが心配で話だけならとついて行く。
「これ……」
ルルと名乗った男性は、信じられない物を差し出した。
……エルクが、色んな女の人達と、裸で抱き合ってる、写真が、何枚も、何十枚も……。
「王都で知り合ってね。彼はその時、婚約者がいるって言ってたんだけど。でも毎日夜に出歩いてて、気になって悪いと思いながらつけたんだ。そしたら……」
悪夢だと思いたい。でも、写真は絶対に偽造は出来ない。ならこれは。浮気……裏切り……色んな悪い想像が駆け巡る。
「酷いよね……。僕、本当に婚約者がいるなら可哀相だと思うと、いてもたってもいられなくて。たまたまこの地方に用事があったから、知らせられるなら早いほうがいいと思って……」
ルルさんは本当に義侠心からしてくれたんだと思う。エルクの、浮気……。
……されても、もしかしたら仕方ないのかもしれない。正直、私より可愛い女の子はいっぱいいるし、老いた両親を安心させたかったと言われたら納得してしまう。同じ家に血の繋がらない年頃の男女ってだけで、そういう噂も立てられたし、もしかしたら責任感じて、苦痛だったのかも……。どっちみち浮気が事実なら、私のすることは一つ。
「知らせてくれてありがとう。それで、エルクは今どこです? 彼に会わなくちゃ」
すると、ルルさんがさっと顔色を変えた。……? 何だろう。
「どうして、会うの?」
「え、だって、どっちにしろ両親に破談を報告しないと。それもなるべく両親を傷つけないような言い方で」
「あのクズを育てた両親に? そんな義理ないと思うけど」
「え、え……?」
私が彼に異常を感じ始めた時だった。
「見つけたぞ! この腐れ野朗が!」
目の前のルルが吹っ飛んだ。誰かが彼を殴ったのだ。殴ったのは……。
「エルク……?」
「サクラ! 違う誤解なんだ! 全部、この下衆野朗が……」
旅に出る前よりも随分やつれたエルクがいる。そしエルクの後ろに儚げな美人さんが涙を流して立っている。
「ルルコーレ様、もうお止め下さい!」
美人さんはルルをルルコーレと呼んだ。何が何だか、正直もう分からない。エルクは浮気した人間にしってはやつれすぎだし、ルルは怪しいし、この美人は何なの? だし。
「ココリカ? お前、契約違反じゃないのか? 王子――いや王に楯突く気か?」
殴られたルルは口元の血を手の甲でぬぐって、ノロノロと起き上がる。その際にエルクといる美人さんと知り合いのような台詞をはいた。美人さんは一体……。
「ですが、あまりにもあんまりです! こんな方法で彼女に振り向いてもらおうなんて間違ってます!」
美人さんはココリカというらしい。そしてルルは王子様らしい。……何がどうなってるのか……。動揺する私に美人さんはつかつかと歩み寄り、蒼白な顔で事態の説明を始めた。
「サクラ様ですね? よく聞いてください。この王子、ルルコーレ様は貴方様を得るために、婚約者が不義をしたと捏造しようとしたのですが、彼が応じないものですから、薬を使って、女達と無理矢理……恥ずかしながら、私のその一人でした」
そういえば、そんな写真もあったような……乱れてる最中だからちょっと同一人物だとは咄嗟に分からなかったけど。
「俺は抵抗した。だかこいつは護衛や傭兵や、夜の女達、危険な薬を使ってまで……だからその写真の記憶なんてない。俺は被害者だ!」
その薬の影響なのか、エルクがふらふらになりながらもルルを睨んで指差す。渦中のルルは、不敵に笑っていた。
「笑わせるなよ。それに嘘はやめろ。意識まで失う薬じゃないだろ。間違いなくお前が選んだ行為だよ」
「……そう、だな。だが心はずっとサクラを思っていた!」
「なら、何で薬が切れるまで何十人とやれたんだよ。お前には罪悪感がないのか? 操を立てる気持ちがあるなら、最初に舌噛み切って死んどけよ。責任転嫁はやめろ、お前だって楽しんで最後までしたんだ!」
「お前がサクラに何かすると知って先に死ねるか! 大体、あの薬が、元凶はお前が……!!!」
「どっちにしろ、お前が不貞行為をしたのは事実だよ。……ねえサクラ」
矛先が、私に向いた。
「こんな、たらい回しで使いまわしの中古男がいい? 本当に?」
答えられない私に決断をさせたのは、ココリカだった。
「もうやめてください! こんな人の道に外れた……ぅっ……」
突然吐いて、そのあとお腹を押さえて呆然とするココリカ。その時、私は最後までした、の意味を唐突に理解した。そして彼女に語りかけた。
「……お腹の子、どうするの?」
牽制とかじゃなく、王子を敵に回してまで警告しにきた彼女の考えが単純に気になった。
「堕胎します。不義の子を産むわけにはいきません」
彼女は凛としてそう言った。その言葉がエルクやルルの言葉よりも心に響くのが私だった。
「……やめなよ。おじさん、おばさんはエルクの孫を見たがってるんだから……」
私もまだな行為をしたことは、無理矢理ということで許せる。けど、赤ちゃんに罪はない。まして彼女も被害者なら……。王子様に楯突くなら老夫婦もどうなるか分からない。私さえ我慢すれば、幸せになれなくても不幸にはならないような気がした。
◇◇◇
異世界人の少女朔良と王子ルルコーレの結婚式は盛大に行われた。彼女を拾った家は調べると先王の家臣という繋がりから、呼ばれた記者はやたらと「運命」 とか「宿命」 とかいう言葉を使った。流れ人の扱いは急激によくなった。
だから当然結婚式にも招かれた。しかし、時の一族にも関わらず、彼らの顔は沈んでいる。その理由を知るのは当人だけ。
「こんな結果になって……あの時、私が余計なことをしなければ……」
「いいの、ココリカ義姉さん」
朔良はずっとココリカと話していた。エルクとは目を合わそうともしない。エルクも分かっているのか、朔良のほうを見ようとしない。
「時間ね。行って来る、義姉さん」
「……ええ」
そう言って二人はお互いの夫のところに戻っていった。ココリカがふと後ろを振り向くと、ルルがこちらを――呆れた目でココリカを見ている。
ブイサインを送った。
……すげえ女。『私は貴方みたいな優男はタイプじゃないの。けど、あのエルクって人は超好み! ねえ、主導権は私に握らせて!』 と言って、独断で色々と実行し、結果予想以上の成果を上げた。そのために他にもいたエルクの子を身ごもっていた女達は、強制的に排除していた。
まあ、利害が一致してるんだ。彼女が漏らすことは生涯あるまい。こちらもこちらで……。ちらりと死んだ目をした花嫁を見る。
言質をとって、こうやって自分のものに出来るのだから。
「過去は忘れよう。二人で幸せになるんだ」
僕がそう言うと、目の前の少女は口元だけで笑った。
◇◇◇
結婚してくれたのに、サクラは許してはいなかった。結婚式の直後から、まったく喋らなくなった。それどころか表情も変えない。
抵抗か反抗か。どちらにせよ、あの男が原因なのかと思うと胸がむかついて仕方なかった。だから何だよ、忘れさせてやる。僕はそれだけのことが出来る。
「ほらサクラ、南で取れる真珠や宝石」
もの言わぬサクラにあらゆるものを持ってきて歓心を買おうとした。それが浅はかだなんて言うのは、他人くらいだ。
「……」
「あ……サクラは宝石より綺麗だから不用だよね。じゃあこれは、東のお化粧品」
「……」
「こんなの肌を痛めるだけだよね! ほら、これは? 職人に作らせた最高級のドレス」
「……」
何を持ってきても、彼女は遠くを見ていた。
やけになって初めの身体を手酷く暴いても、彼女は呻き声ひとつあげなかった。
「せめて……憎いと言ってくれよ。あんまりじゃないか。僕はただ、君が好きなだけなんだ……」
「……」
そんな彼女だが、子供が出来たら少しだけ変わった。相変わらず喋りはしないが、子供には微笑む。ベッドの上で産まれて間もない子供をあやす彼女。これからは変わってくれるんだろうか?
「子供だけは……可愛い?」
その時、サクラが結婚後初めて口を開いた。
「袖ぬるる露のゆかりと思うにも、なお疎まれぬ大和撫子……」
彼女の国の言葉なのか、僕にはさっぱり意味が分からなかった。ただその言葉は……結婚してから、彼女の最初で最後の言葉になった。産後の肥立ちが悪くて、彼女はあっさり死んだ。
無能な医者は処分した。それでも気が治まらない。治まらないが、これ以上の当たり所を知らない。せめて、同士と紛らわせることくらいだろうか。使者を出してココリカを呼ぶ。ほどなく王宮にやってきたココリカは、前よりもやつれていた。そして自分ほどの不幸者はいないと思っているのか、開口一番愚痴を零す。
「聞いてよルルコーレ! エルクったら酷かったのよ! 結婚直後から誰とも一言も話そうとしなくなっちゃって! 親とも、私ともよ!? それで、それで、先日親が寝込んでいるからって、雨なのに薬草を摘みにいって、危険な場所で足を滑らせて……もうバカあ!!!」
背筋に冷たいものが走った。
「それ、いつの話だ?」
「え? 確か……」
それは偶然なのか、もしかしたら示し合わせていたのか、あの二人は同じ日に亡くなっていた。それを知ってココリカも呆然とする。権力を使っても金を使っても、ただの愛情ですらも、あの二人は結局引き裂けなかった?
ふらふらと、最後の希望である我が子のもとに訪れる。ゆりかごで眠る赤ん坊は。指に手をあてると、小さな力で握ってきた。たまらず掻き抱く。
この子だけは、せめて二人のものだと信じていたかった。