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あとみっく☆ダーリン 作者:立花招夏
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第三話 最後の晩餐

少し長いです。お時間のある時にどうぞ。
 終業時間は午後六時だけれど、引き渡し前日は、早めに切り上げることになっている。作業用に使っていた仮宿の荷物を片づけなければならないからだ。持ち込んだ荷物を今日中にまとめてしまわなければならない。使った部屋のハウスクリーニングを明日の午前中に済ませて、午後引き渡し予定。
 まだ作業へやそうじは残っているものの、リフォームが完了した時の達成感は格別だ。
 気分良く帰途につく。
 帰るといっても、一号室だけどね。
 テラスハウスの一室に戻ると、柚葉は作業服を洗濯機につっこんでオートボタンを押した。
 乾燥までやってくれる洗濯機は実に便利だ。もちろん、外干しする方が気持ちよくて好きだけれども。
 帰宅後すぐにシャワーを浴びるのは、就職してから柚葉の習慣になった。何しろ汗だくなのだ。それに、早くシャワーを使っておかないと後見陸也が帰ってきてしまう。
 誤解のないように説明しておかねばならないのだけれど、私は後見陸也と同棲しているわけでは、もちろんない。これは、いわゆるルームシェアというやつなのだ。
 改修作業中、便宜上その部屋のある建物(つまり作業場)で寝泊まりすることは、後見陸也が提示した数少ない雇用条件の一つだった。
 今回のテラスハウスでは、二階にある三部屋のうち、南側の一室を柚葉が使い、西側の一室を後見陸也が使っている。もう一室は荷物置き場だ。柚葉の部屋は、もちろん、内側から施錠できるようになっている。一階のリビングとキッチン、浴室、トイレなどの共用部分は、共同使用する。
 このテラスハウスは世帯用で、トイレと浴室が独立している。だからとても快適だ。一体型のユニットバスでルームシェアはきついもんね。ここは、一間の造りを比較的広めにとってあるし、一階のフローリングは床暖になっているし、自分が借りても良いと思うくらい魅力的な物件に仕上がっている。子どもができれば、多少手狭になるかもしれないが、新婚夫婦にはぴったりな感じ。
 築年数はかなりいってるけど、ハウスクリーニングは完璧だし。優良物件ですぜ、奥さん。
 なんちて。
 上下させるタイプのコックを持ち上げると、シャワーノズルから勢いよくお湯が出てくる。首筋から肩、そして胸へとつたってほとばしり落ちるお湯が気持ちよい。もわもわと立ちこめる湯気の中で、思わず深呼吸をしてしまう。
 マイナスイオン充填~。
 少し熱めのシャワーはいつも柚葉を元気にする。
 我ながら、今日もよく働いたよ。
 よく働くといえば、後見陸也も実によく働く人だ。仮宿に居る時も、しょっちゅう電話を使っていて、何かしら指示を出している様子。どうやら彼は、リフォーム業務のほかにも仕事をしているようなのだ。彼の奥さんは、こんなに忙しくて泊まり込みが多い仕事で不満はないのかな?
 ってか、彼が結婚してるかどうかすら知らないんだけどさ。
 下々の者には計り知れぬことだが、御曹司という人種は、案外忙しくて大変なのかもしれない。
 シャワーでリフレッシュしたところで、柚葉は最後の後片づけに取りかかった。この部屋で暮らしたのは二ヶ月弱だけれど、過ごしているうちに、それなりの荷物が貯まっている。
 柚葉が持参したものは、引き渡し日が近づくにつれ徐々に片づけてはいたが、衣と食に関するものは毎日のことなので、前日まで片付けてしまうわけにもいかない。
 毎回、仮宿に運び込む大物は、前述の洗濯機と冷蔵庫、オーブンレンジ、それから、リビングにある食卓と寝具だ。これらは、すべて後見陸也が用意してくれている。家電は中身を空っぽにし、寝具はまとめておけば、あとは業者が運んでくれる段取りだ。
 キッチンに立つと、柚葉は冷蔵庫からすべての食材を取り出した。ジャガイモが数個、ニンジンとタマネギとトマトがそれぞれ一個。ブロッコリーが一房、スライスチーズが二枚。あと、冷凍庫にはシシャモが一パック。
 やっぱり今回もメインは肉じゃがですかねぇ。 ジャガイモとニンジンはお徳用のを袋ごと買うので、よく余らせてしまう。だから、最後の日に残っている常連さんだ。カレーにするという手もあるけれど、御飯を炊いても全部食べきれる保証がないので、御飯無しでもいける肉じゃがに軍配があがる。
 それに……なんと言っても、甘辛く煮つけたお肉やニンジンやタマネギ、そして、ほくほくのジャガイモは、ビールに合うんだよね~。
 柚葉はにんまりと笑む。
 くつくつと肉じゃがを煮込んでいる隣でシシャモを焼き、ブロッコリーにスライスチーズを乗せてオーブンで焼く。トマトを櫛形に切ったものをガラスの器に盛りつけたところで、後見陸也が帰ってきた。
「お帰りなさい。お疲れさまです~」
「お疲れさまでした、あなたも」
 後見陸也は、テーブルに繰り広げられた、どう見ても飲む気満々だろうよという最後の晩餐メニューを一瞥して、器用に片眉をあげた。
 うわぁ、何か言いたそうな眉の動きだよ。
 柚葉は肩をすくめた。
「あ、後見さんも食べますよね? 冷蔵庫を空っぽにするのに食材を全部使ったので、一人では食べきれないかもですし。あ、私の手料理などお口に合わないかも、しれないかもですが……」
 かも、かもって、なんで私、鴨を行列させてんだか……。
 焦ってくると語尾が変になる柚葉である。
 後見陸也は無言のまま首を幽かに傾げた。
「……あ、そうだ! ビール! ビールも用意していますから! 発泡酒ではないですよ? 今日はちゃーんとビールですからっ。口に合わない場合はそれで流し込めば、なんとかイケますからっ」
 今度は「から」を行進させてしまう。
 反応の薄さに居心地が悪くなって、ついべらべらと余計なことまでしゃべってしまうのは、いつも柚葉の方だ。
「私は今までに……」
 一方の後見陸也は、いつもと何ら変わりない淡々とした口調で続けた。
「あなたの料理をまずいと思ったことは、一度もありません。もしかして、私はあなたに何か誤解させるような態度をとったでしょうか?」
 いえいえ、滅相もない。
 大げさに首をふるふると左右に振って見せる。 明らかに柚葉の自爆なのだから。
「そうですか。良かった。では着替えてきます。先にやっていてください」
 柚葉は無言のままこくこくと頷いた。
 二階に上がっていく黒スーツの背中を、嫌な汗を浮かべながら見送る。
 すごい疲れた。なに? この敗北感……。
 なんか悔しいんですけどぉぉ。

 飲もう。こんな時は呑んで、忘れるに限る。
 気を取り直して冷蔵庫からビールをとりだした。プルタブを押し上げるとぷしゅっと小気味よい音が響く。
 そのまま飲んでもいいのだけれど、最近は信楽焼のビアグラスで飲むのにハマっている。
 このグラスは善太郎さんがプレゼントしてくれたもので、対になっている。
 焼き締めの、白と濃茶のペアグラス。
 渋い濃茶の器に注ぐと、クリーミーな泡がしゅわしゅわ湧き出す。泡立ちの良さと持続性は、他器の追随をゆるさない。このきめ細やかな泡のお陰で、発泡酒でさえ美味しくなってしまうのだ。 なんて素敵なグラスなんでしょう。庶民の味方なのです。
 柚葉は、ごくごくと息をつかずに飲み干した。 くーっ。
 目を閉じたままため息をもらす。
 一口目のビールは神だ。いつもそう思う。
 次に肉じゃがのジャガイモをはふはふと頬張る。ほくほくしたジャガイモと柔らかくほどけた甘辛い肉が絡み合って絶妙だ。二杯目のビールを、今度はゆっくりと味わいながら飲んだ。軽くこげめが付いたししゃもは香ばしく、トマトのくし切りを頬張ると、瑞々しい果汁が口いっぱいに広がる。
 食材は、調理方法がシンプルであればある程、その食材の持つ個性が際だつが、肉じゃがのように、それぞれの個性を組み合わせると、混沌の中から新たな個性が出現して、それもまた楽しい。 楽しく食べたものは、大地に降る慈雨のように、速やかに健やかに吸収され、体を形作る。そんな気がする。
 あっという間に一缶、干してしまった。機嫌良く二缶目のプルタブを開けたところで、部屋着に着替えた後見陸也がリビングにやってきた。
 部屋着でもサングラス。
 鬱陶しくないのかな? まぁ、個人の自由だけどさ。
「ほらほら、後見さんも座って座って。乾杯しましょう」
 いい具合にアルコールが回ってきたので、陸也の無表情もさほど気にならない。
 柚葉は酔うと気が大きくなる性質たちなのだ。
 きめ細やかに泡だった白色のビアグラスを陸也に持たせると、柚葉は強引に縁を合わせた。
「リフォーム完了、おめでとうございまぁーす」 お疲れさまでした、と冷静沈着に言った陸也は、しかしこう続けた。
「陽気になるのは良いですが、あまり飲み過ぎないでくださいよ。この前、飲み過ぎてリビングで眠り込んでいたでしょう?」
 はいはい、そんなこともありましたですかねぇ。しかし、乾杯直後からお小言でございますか? 飲み始めた直後にそんなことを言われてもねぇぇ。
 ちょっぴりムッとした柚葉は、既に一缶干していることは棚に上げ、いつになく反論してみた。「いいじゃないですかぁ。私がリビングで寝ていたところで、後見さんにはなんの害もないでしょお? そーゆーのを余計なお世話と言うんじゃないですか?」
 そのとき、サングラスの縁がきらんと光ったような気はしたのだ。そこでやめておけば良かった。
「大体、御曹司の後見さんが、庶民の私なんかと職場に泊まり込むからややこしくなるんですよ。都内なら通えるのではないですか? ご自宅の方が余程……」
 くつろげると思いますよ、と続けようとした言葉は、陸也の次の行動に遮られた。
 手にしていたグラスを一気に干すと、陸也は、たんと小気味よい音をたててグラスを置いた。そして、その勢いのまま、柚葉の両肩の脇にダンっと両手をついたのだ。
 きゃあ! 何事ですか? これ……って、今流行の壁ドン? ってか、正確には椅子ドン? もっと正確に言えば、背もたれドン?
 瞠目して見上げる柚葉を、陸也は憮然とした様子で見下ろす。
「御曹司だか模造紙だか知りませんが、私がどこに帰ろうと私の勝手だと思いますよ。それこそ余計なお世話です。それに、あなたは、私が男性なのだということをお忘れではありませんか? あなたの部屋に鍵を付けたのは何の為だか、あなた、本当に分かってますか?」
 わわわわ! も、もぞうし? いや、ってか、吐息! 顔が近いです。近すぎです! サングラスで定かじゃないけど、絶対目据わっますよね? もう酔っちゃったんですか? 無口無表情なアトミック陸也が豹変したぁぁ。
 慌てて逃げようともがくが、両腕と背もたれに挟まれて身動きがとれない。
 狼狽えて見上げた先には、通った鼻筋とサングラス。唇は思っていた程薄くないな……なんて、暢気に観察してる場合じゃない!
「あ、あの……後見さ……」
 動揺する柚葉とはうらはらに、余裕綽々な動作で唇を近づけると、陸也は耳元で囁いた。
「問題です。リビングの床で眠っているあなたを私が襲った場合、否、もっと正確に言いましょうか。鍵付きの部屋を用意しているにも関わらず、それを使用せずに無防備な状態で眠っているあなたを私が襲った場合、悪いのは一体どちらでしょうね? あなたか、私か……」
 耳元で囁かれる密やかな低音。ゾクリとする。 な、なな、なんですか? それ。
 そんなの襲う方が悪いに決まってますよね。なのに、なんなの? そうと言えないこの空気は! ……だけど、ちょっと待ってよ? それって、私なんかでも襲いたいと、後見さんが思うってこと……なんだろうか?
 い、いや、そうじゃなくてぇぇぇ。
 何考えてんの柚葉!
 こんなの、痴漢に遭うのはミニスカートを履いているのが悪いと主張するエロオヤジ臭と、反論できるものならしてみろ怪我を覚悟でな、という圧迫面接臭のダブルパンチじゃないの! ドキドキして、息を詰まらせてる場合じゃないっ。
「あ、あの、でも……でも……」
 なのに震えた掠れ声しかでない。
 ビールを一缶あけたはずなのに、喉がカラカラだ。
 無理。無理だよぉ。反論なんてできそうもない。そもそも柳に雪折れなしが信条の私。
 と、とにかく謝ろう。そうしよう。理不尽だけどさ。たぶん今日の後見さんは虫の居所が悪いんだ。そうだよ。今日食べたお昼のハンバーガーに虫でも入ってたんだよ。そうだよ、まさに虫の居所が悪かったんだよ。きっとそうに違いない!
 お昼にハンバーガー食べたかどうかすら知らないけどさ……。
「あ、あのすみませんでした。ご迷惑を掛けたようで、あの、以後気をつけますので……」
 恐怖で潤み始めた目を伏せて謝る。と、ぐいっと顎を掴まれて無理矢理顔を上げさせられた。
 ひぃぃ。
 顎を掴んだ手の熱さと、のぞき込むサングラスの邪悪さと、時折香る湯上がりのシャンプーの匂いに目眩がする。
「分かればよろしいのですよ」
 瞬間、後見陸也の口角が上がった。
 ……今、笑った?
 一瞬だけ鮮やかに弧を描いたその唇を、柚葉は惚けたように見つめた。
 神様、無表情がコワいとか、今まで思っていてごめんなさい。世間知らずでした。彼は、笑った方が数倍コワいです。
 結論、
 壁ドンは コワいだけだよ 現実は
              柚葉、心の句。
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