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あとみっく☆ダーリン 作者:立花招夏
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番外編 秘密②

 陸也と柚葉の新居は相変わらず、旧後見家の離れにある蔵の家だ。新しい住まいは、もう少し生活が落ち着いたらゆっくり探すつもり。結局、翠宮楼がオープンするまでは、ここにいることになりそうだ。
 星霜軒に迎えにきた陸也と一緒に蔵の家に帰る。案の定、柚葉が運転することになった。
「すみません。飲まないわけにはいかなくて……」
 助手席で陸也さんがため息をつく。酔っている彼の声は、少し掠れて色っぽい。
「いえ、そうだろうなと思っていたので、私は飲んでないから問題なしですよ」
 夫婦なんだから、お互い、もっと砕けた言葉遣いにしようと決めたにも関わらず、気がつけば丁寧語で話している。今では、もうどうでもいいかと、柚葉は思い始めていた。指摘しないところをみると、陸也もそうなのかもしれない。
 遅い時間なのでさほど渋滞はなかった。スムーズに翠宮楼にたどり着く。北駐車場に停め、裏木戸から入る。ここから入るのが蔵の家にもっとも近いのだ。母屋である翠宮楼を見やると、すでに事務所の明かりは落ちていた。
「柚葉さん、お水」
 はいはい、と言いつつ、陸也にミネラルウォーターを渡す。ソファに倒れ込むように座った陸也は、片手でコップを受け取りながら、もう片方の手でネクタイをゆるめている。ワイシャツの襟元からのぞく鎖骨。おもわず見とれる。触れたくなって指先がうずうずする。
 やだ、私ってば何考えて……。
「そ、そうだっ、陸也さん、夕食はちゃんと食べましたか? 食べてないなら何か簡単に作りましょうか? お茶漬けでも?」
 いらない、と言いつつも手を伸ばす陸也に、柚葉は首を傾げた。
 ん? お水のおかわりかな?
「お水、おかわりしますか?」
「ちがう。柚葉さん、ここに来て」
 隣に座った柚葉は、ぎゅっと抱きしめられた。
「ユズが足りない。ここ数日ずっと忙しかったから」
 更にぎゅうぎゅうと力を込めて抱きしめられる。
「く、くるし……」
 唇を塞がれて、柚葉の言葉がとぎれた。
「陸也さん、私まだシャワー浴びてない……」
「俺だって浴びてませんよ。でも、柚葉さんが欲しくてたまらないんです。ダメですか? ユズは俺のこと欲しくないの?」
 や、欲しいとか、欲しくないのとか……そんな目で見つめながら訊かないでくださいよぅ。
 動悸がします。私の心臓もちそうにないです。
 答える間もなく、気づけば、すでにソファの上に押し倒されている。指を交差したまま押しつけられた両手。何度も落とされる口づけ。
 身も心も、絡め取られて動けない。
「り……くやさんっ……」
 切なく名を呼び、吐息をもらす。
 ここ最近、陸也さんは確かに忙しかった。今回の物件は、もともとあったスケジュールに割り込むように入れたもので、その分の作業量が増えていた。なのに、私には関わらせないようにしている。関わらせないどころか、契約先の名前も作業場所すら教えてくれない。
 なぜ割り込ませたのか、なぜ私には何も教えてくれないのか、理由は分からない。
 なぜなんだろう。私が関わると困るようなことでもあるのかな。
 体中に落とされる口づけも、敏感な場所を這う指先も、混ざり合う吐息も、彼の愛を疑う余地などないはずなのに、不安になる。私だけが立ち入りを拒まれている、そんな気がして……。
 ソファの上でどんなに強く抱き合っていても、どんなに口づけを重ねても、どんなに不埒な格好で愛し合っていても、それは確かに存在して、私の気を散らす。
 気づいていた。
 互いに何もかもさらけ出しているようにみえても、決して立ち入ることのできない領域、それが陸也さんにはあるってことに。
 私の知らない彼の領域。
 今回の物件は、その領域が突然浮上して、具現化したような、そんな気が、柚葉にはしていた。
 その領域で、陸也さんは何をしているの? どんな顔をしてる?
 陸也さんがただの上司だった時には、こんなことちっとも気にならなかった。なのに……今はこんなことがとても苦しい。この気持ちを、どうしたらいいのかが分からない。やるせない。

 愛し合った後、陸也さんはいつも私をしばらく抱きしめていてくれる。
 汗ばんだ肌に、夜気が心地よい。
 離さないでいてほしい。いつもより強くそう思う。これってわがままなのかな。
 そうだよね。陸也さんはアトミハウジングの社長なんだもの、私だけのものじゃないんだ。こうやって、プライベートを独り占めできるだけでも十分幸せなことなんだから、不安とか不満とか、わがままだよ。大人にならなくちゃ。
 大人になれ、柚葉。
 胸板に頭を預けたままつらつらと、やるせない気持ちの持って行き場所を考えていると、柚葉の髪を優しく梳きあげながら陸也が問う。
「今日は何をしていたんですか?」
 いつもの問いかけ。五年間変わらずに問いかけられてきた私の心の安定剤。
「今日も星霜軒のお手伝いをしてました」
「そうですか。それはお疲れさま」
 自分に関心を持ってくれる人、ねぎらってくれる人がいるってことは、とてもありがたいことだ。たとえ自分の知らない陸也さんが居たとしても、それはそれ、これはこれ。別に私が不安に思うことじゃない。きっと……。
「あ、そうそう、善太郎さんから聞きましたよ。陸也さんは星霜軒の危機を救ってくれた救世主なんだって」
 柚葉の言葉に陸也は小さく吹き出した。
「善太郎さんは大げさだな……」
 善太郎夫妻が真顔で手を合わせていた話をすると、陸也は少し困ったようにこう言った。
「むしろ善太郎さんこそ、私の救世主だったんですよ」
 遺伝子検査によって母への誤解が解けて、母子ともに後見本家に呼び戻されたものの、慣れぬ本家での暮らしは、母親にとっても陸也にとっても居心地のいいものではなかった。
「特に母は居心地が悪かったようです。私は学校にも通っていたし、弟と遊ぶ機会もたくさんありましたから、常に外界とのつながりがあったんですが、母は、十年以上もの間、外界から隔絶されていましたから、多少精神的に病んでいたのだと思います」
 母親は、外界との接触を極端に怖がるようになっていたらしい。今で言う引きこもり状態。しかし婚家で引きこもりなど、居心地のいいものではあるはずがなく、気を病んで寝込みがちになった。
「母は、外界とのつながりを、もっぱら私を介して知ることを好みました。父などは、贖罪の意味からか、何度も母を外に連れ出していたようですが、すぐに気分が悪くなってしまうようで……」
 ここまで話すと、陸也は小さくため息をついた。
「……柚葉さんには正直に言います。私はそんな母が重荷だった。もう自由なのに、何故広い世界を自分の目で見ようとしないのかと、不満でしょうがなかった。私もまだ若かったので、母の立場を頭では理解できても、その気持ちや受けたダメージの深さをおもんばかることができなかったのです」
 父の思いや、継母の立場、それでなくても複雑な家庭の状況にあって、一向に立ち直ろうとしない母。陸也にとって、本家にいることは苦痛でしかなかった。善太郎が後見本家に助力を求めてきたのは、まさにそんな時期だったのだ。
「善太郎さんを助けたいというよりも、むしろ、私は逃げ場がほしかったのだと思います。何か外で夢中になれること、家にいなくてすむ口実になるものを必要としていたんですよ。だから飛びついた。それだけのことなんです。だから、むしろ私にとって善太郎さんが救世主なんです」
「そうだったんですか……」
 中学生だったとはいえ、聡い陸也さんのことだから、自分の出生が原因で家庭の状況が複雑になってしまったことを思えば、居心地の悪さを口にすることなどできなかっただろう。
 幾重にも絡まって彼を縛る感情の鎖。
 また辛い思い出を語らせてしまったと、柚葉がひとりしょげていると、陸也が顔をのぞき込んだ。
「柚葉さん?」
 陸也は苦笑して続ける。
「つまらない話をしてしまったかな……」
 柚葉は慌てて首を振った。
「そうじゃないですよ。そうじゃなくて、陸也さんに辛いことを思い出させちゃったかなって……」
 柚葉の言葉に陸也は緩く笑う。
「今はもう辛くないですよ。あなたがそばに居てくれるから……」
 しんみりした空気を払拭するように、陸也が笑って続けた。
「それに、やっぱりどう考えたって善太郎さんが救世主ですよ。善太郎さんのあの料理の腕前と、困っている人を放っておけない人情の厚さが、星霜軒とアトミフーズの売りですからね。彼なしに再建なんて、ありえませんし」
 それはそうかもしれないけど、と思いつつ柚葉もつられて小さく笑う。
「柚葉さん、そろそろ母屋にお湯を借りに行きましょうか」
 そうなのだ。ここではシャワーを使えない。
 手をつないで二人で母屋へ向かう。
「今の忙しさが一段落したら、すぐにでも風呂付きの家に移りましょう」
 柚葉は陸也に小さく頷いた。
 見上げた夜空には上弦の月。冴えた光が夜陰を濃くしている。

 その日、私は途方に暮れていた。
 視線の先には、陸也さんと見知らぬ女性。清楚な雰囲気の上品そうな女性だ。二人で楽しそうに店員と会話をしている。銀座の大通りに面した宝石店。
 たまにはショッビングにでも行ってみたら? と女将さんに送り出された先でのことだ。たまたま通りかかったその店の前で、私は驚いて立ち止まった。次の瞬間慌てて身を翻すと、物陰に隠れる。
 陸也さん? どうして陸也さんがこんなところに? あの女性は……。
 物陰に隠れたまま、用心深く店の中をのぞき込む。
 満面の笑みで、女性が陸也さんのネクタイにタイピンを当てて首を傾げている。他にもいくつかタイピンを出してもらい、二人であれでもないこれでもないと楽しげに吟味している様子が店の外からでも見て取れた。
 これ……新しい物件のお仕事……じゃない……よね? あの女性はいったい……誰?

 その夜、私は初めて陸也さんに嘘をついた。

「今日もずっと星霜軒を手伝ってました。……変わったことなんて……何もなかったですよ」と。 
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