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あとみっく☆ダーリン 作者:立花招夏
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第二十九話 トンネル事故の真相①

ことわるまでもないと思いますが、本作品はフィクションです。特定の地名や事故が出てきますが、一切関係ありません。東名高速、都夫良野トンネルでこのような悲惨な事故は起こったことがありませんので、ご安心を。
ちなみに、話中のトンネル事故は、1979年7月11日に起きた東名高速日本坂トンネルでの事故を参考にさせていただいております。トンネル内で乗用車2台と油脂を積んだトラック4台が絡む追突事故だったそうです。この事故の後、さまざまな改善がトンネルに施されているそうですので、念のため。
 旧後見家で一番最初に柚葉が掃除をしたのは、外付けになっている浴室だった。(ひのき)の浴槽の露天風呂。最奥の客間から通路を辿って更に奥。それは竹垣で囲まれていた。竹垣の向こうは竹林になっており、早春には筍狩りも楽しめる。浴場の洗い場から見渡す庭には、四季折々を代表する木々が植えられている。
 春の桜、夏の青葉、秋の紅葉、そして冬の柚子。
 冬に黄色い実をつける柚子は、今、花の季節だ。黒っぽい御影石(みかげいし)の洗い場に、白い花がたくさん零れていた。
 きれい~。今年は豊作になりそうだね。でも、いくらきれいでも、花がらは片づけなくっちゃだよ。
 竹ぼうきで掃くと、柚子の花の凛とした清涼な香りがほのかに漂う。
 こんなところでお風呂なんて、贅沢な話だよなぁ。
 蔵には風呂が付いていないので、母屋の風呂を借りることになっているのだけれど、借りられるのはこのお風呂ではない。母屋は将来旅館として使う予定なので、客室にはそれぞれユニットバスがついている。柚葉たちは、こちらを使うことになっているのだ。
 露天風呂は、引き渡しの前にいったんお湯を溜めて最終チェックをすると陸也さんは言っていた。その時にはお祖父様やお祖母様や瑠璃さんたちを呼んだりするんだろうか。
 そうだったら、気持ちよく入ってもらわないとね。
 花がらを掃いた後、床に水をまき、力を入れてデッキブラシでこする。浴槽はヘチマのスポンジで柔らかく磨いた。桧の浴槽は傷を付けるとカビやすくなるし、乾燥させすぎるとひび割れる。とても手の掛かる贅沢な代物だ。
 贅沢だけれど、使いたくなる気持ちはよくわかるよね。だって、ほら、こんなに……。
 柚葉は木肌に鼻を寄せて思いっきり息を吸い込んだ。
 木のいい匂い~。
 浴槽を柔らかい布で拭き上げたところで、スマホがお尻のポケットで振動した。
 ん? 中川さんからだ。
「はい、柚葉です」
『川上様という方がお見えです。柚葉さんのお友達だとおっしゃるのですが……」
 川上って……佳乃かな?
『それが、雑誌社の方もご一緒でして……』
 佳乃だ~。間違いない。
「彼女は私の友人です。こっちはちょうど一段落ついたところですから、そちらへ向かいます。事務室は使えますか?」
 使えるという返事に、柚葉は足早に浴場を後にした。
 事務室には応接用のソファがある。編集長……梶井さんって言ったかな、彼も一緒ならその方がいいだろう。
 事務室につくと、三人掛けのソファに二人は並んで座っていた。仲良く並んだ茶器とお菓子。
 事務室に入ると、中川さんが、用事があるので外してもいいかと問う。
「もちろん構いませんよ。ここは私が居ますから」
 笑顔で中川さんを送り出した。
「お待たせしました」
「柚葉、仕事中なのに、急にごめんね」
 柚葉が声を掛けると、佳乃が申し訳なさそうに立ち上がった。
「ううん、大丈夫だよ。一段落したところだったから」
 梶井も立ち上がり、佳乃と柚葉のやりとりを興味深そうに見つめる。
 薄いグレーのスーツに銀縁めがね。梶井は陸也と同い年か、少し年上に見えた。一通りの挨拶が終わると、梶井は名刺を差し出した。
「初めまして、梶井といいます。川上から北村さんのことを伺って、是非お話を伺いたいとずっと思ってました」
 差し出された名刺には、『梶井哲朗 婦人セゾン編集長』と書かれていた。
 『婦人セゾン』というのは、主にゴシップ記事を扱っている婦人雑誌だ……ったと思う。あまり読まないから詳しくないけど。
「初めまして。えっと……北村柚葉です。佳乃がいつもお世話になっています」
 本当は、北村柚葉というのはもう間違いなんだろうけど、急に切り替えるなんて無理無理。佳乃にだって事情を説明してないし、しかも佳乃は陸也さんの奥様幽閉されてる論者だし……。
「突然おじゃましてすみません。僕は、五年前のトンネル事故の追跡記事を書いていましてね、あの日事故に遭遇した方や、ご遺族からお話を聞いて、あの日実際に何があったのかをまとめているのですよ」
 梶井は数年前から、あのトンネル事故の追跡記事を書くべく話を聞いて回っているらしい。
 東名高速道路、都夫良野つぶらのトンネルは、大井松田インターチェンジから御殿場インターチェンジ間(正確には鮎沢パーキングエリアまで)にある。全長1720メートルにも及ぶ長いトンネルで、東名高速で一番長い日本坂トンネルに次ぐ長さだ。
 五年前に起きたのは、トラック三台と乗用車二台を含む多重玉突き事故。トラックの積み荷が可燃性化学物質だったのが、事故を悲惨なものにした。
 亡くなったのは、事故を起こしたトラックの運転手二名と、乗用車に乗っていた四名、そして煙にまかれて逃げられなかった人が三名の計九名。負傷者は三十五名にものぼる大事故だった。
「いろいろ聞き回っているうちに、僕は、この防炎の布に出会ったんですよ。持っていたのは、もう七十を越えるおばあちゃんなんですが、これを貸してくれた婦人を探してほしいと頼まれてもいましてね……」
 梶井はビニールの袋に入った水色の布を取り出した。濃い青の細いチェック柄。
 差し出された布に、柚葉はガタッと立ち上がった。
 震える指先でビニールの袋を持ち上げる。
「これは……」
「あなたはこの布を知っている。なぜなら、あなたのご両親が持っていたものだから……ですよね?」
 梶井の銀縁めがねがキラリと光を弾く。
「そうです。これは、私が作ったものなんです。両親の結婚記念日に……」
 ドライブ好きな二人のために、車で仮眠をとるときなどに使ってもらえればいいなと思って作ったものだ。いざという時には被って避難できるようにと防炎の素材を使って……。
 だけど、遺留品の中にそのキルトケットは残っていなかった。一枚も。
 二枚とも燃えてしまったのだと思っていた。
 いざという時に、ちっとも役に立たなかったのだと……。
 防炎など名ばかりでと……。
 ずっと、そう思っていた。
「そのお婆さんは、そのキルトケットを貸してくれた婦人を捜しているんですか?」
 貸してくれたということは、そのお婆さんはおそらく、母が最後に会話をした人なのだろう。
「そうです。お礼を言いたいと。そのキルトケットのお陰で自分は生きていられたのだと言って……」
 キルトケットのお陰で……? 両親は死んでしまったのに?
「どうして?」
 柚葉は梶井を遮った。
「どうして、その方はキルトケットのお陰で生き延びられて、母は駄目だったんでしょうか? そのキルトケットは二枚あったはずなんです。父と母と二枚分、私は作ったんですから!」
「柚葉……」
 佳乃が悲しげに名を呼ぶ。
「その方は本当に母から借りたんでしょうか?」
「それは……どういう?」
 梶井は怪訝そうに首を傾げる。
「母から取り上げたのではないですか? だって、父と母の分しかなかったはずなんです。母が自分の分を貸してまでその方を助けたとはとても思えない。思いたくないんです。だって、私、ひとりぼっちになっちゃうんですよ? 両親がそんな簡単に私をひとりにするわけない。するわけがないんですっ」
「柚葉……たぶん、そのキルトケット、おじさんの分だと思う。だって……」
 佳乃が辛そうに声を絞り出す。
「おじさんは、たぶん即死だったはずだから……」
「……どうして? どうして佳乃にそんなことがわかるの?」
「やっぱり、柚葉は覚えてないんだね。一緒に遺体確認したこと。私のせいだ。私が変なことしちゃったから……」
 どういうことかと、詰め寄る柚葉に佳乃は何度も謝ってから、説明をした。
 事故現場に駆けつけたのは、柚葉ひとりではなかったのだ。佳乃も一緒だった。取り乱した柚葉が救急車で病院に運ばれた後、佳乃はひとりで両親の安否の報を待つもりだったのだが、いっこうに火災は収まらず。やむなく、佳乃は一旦帰宅した。結局、佳乃も柚葉の両親の訃報をテレビで聞くことになる。
 火災が収まったのは二日後。病院にいる柚葉と合流し、遺体の確認に付き合った。
 父親の遺体は損傷が激しく、解剖の結果、事故による腹部損傷で即死だったらしいこと、母親は即死こそ免れたものの、逃げる途中に煙にまかれて窒息死したらしいこと、を警察から聞かされた。
 遺体を確認した柚葉は、それはひどく取り乱した。見るに見かねた佳乃は、いけないこととは知りつつ、聞きかじりの催眠術を柚葉に施してしまったのだ。
 遺体確認したことを忘れるようにと。
「ごめんね、私が余計なことをしてしまったばっかりに、あなた、あのころの記憶が曖昧になってしまっているのよね? そうじゃないかって、私、ずっと気になっていて……」
「そんな……」
 柚葉は呆然と宙を見つめる。
 記憶の喪失は、そのせいだったの?
 じゃあ、母は死んでしまった父の分のキルトケットを貸して、そのお婆さんは助かったってことなんだろうか。だったら、なぜ遺留品にもう一枚のキルトケットが残ってなかったの?
「そのおばあさんの話には続きがあるんです。その婦人には、実は、もう一人、男性の連れがいたのですよ」
 男性の連れ?
 あの日、両親は二人で出かけた。ということは、逃げる途中で出会った人だろうか。
 柚葉の母はかなり重度の負傷をしていたようで足下がおぼつかなく、その男性が肩を貸していたのだという。
 それはそうだろう。父は即死したくらいなのだから、母だってそれなりの衝撃は受けていたはずで……。
 借りたキルトケットを被り、一緒に出口を目指して歩き出したものの、その婦人はまもなくして気分が悪くなって動けなくなったらしい。
「男性が婦人を背負い、お婆さんには先に行くように促したそうです。ご婦人はかなり重傷なようだから、先に行って救急隊に知らせてほしいと。そう言われて、お婆さんは一人先に歩き出したんだそうです。そして助かった」
「その男性って……」
「そのお婆さんの話によると、その男性はスーツを着ていたそうですよ。背が高くて、とても上品な感じだったと……」
「……」
「後見陸也。あなたのボスですよね。彼もあの事故の被害者だということをご存じですか? あなたは彼からその時のことを聞きましたか? もし聞いていないのだとしたら、おかしいと思いませんか? 何故、話さないんでしょうね。あなたがトンネル事故の遺族だと言うことを知っているんでしょう? そして、その婦人が、あなたの母親だということも、彼は知っているんじゃないのですか?」
「陸也さんは……」
 彼が私に話さなければならないと言ったこと、って……。
「彼がそれをあなたに話していないのは、あなたのお母さんのキルトケットを奪ったのが彼だから、とは思いませんか?」
「そんな……そんなこと……」
 そんなこと思いもしなかった。
 だけど、じゃあ何故、今まで話してくれなかったんだろう。話すのに勇気が必要って、どうして……。
 突然、開けっ放しになっていた応接室のドアをノックする音がした。つかつかと歩み寄ってくるサングラス。
「陸也さんっ」
 柚葉は悪巧みをしているところを見つかったような気持ちになって、慌てて立ち上がった。
 おそらく中川さんが呼んだのだろう。
「すみません。途中からお話を聞かせてもらいました」
 陸也は柚葉の頭をぽんぽんとたたいて隣に立つと、梶井に名刺を差し出した。
「初めまして、私が後見陸也です」
 互いに挨拶をし合うと、陸也は片手で柚葉の手を握った。
 そうして手を握られて初めて、自分の手がすっかり冷えて震えていることに、柚葉は気づいた。 陸也さんの手、温かい。こんなに落ち着いているんだもの。きっと違う。陸也さんがママからキルトケットを取り上げたなんてきっと違う。梶井さんが誰かと間違えてるんだ。
「梶井さん、五年前の事故についていろいろ調べられたようで、ご苦労はお察しいたしますが、こんな風に不意打ちのように来られて、私の妻にあなたの推測を押しつけるのはいかがなものかと思うのですが……」
「妻?」
 佳乃がガタッと立ち上がった。それを視界の端で捉えながら、陸也は淡々と続ける。
「私は今までずっと分からなかったんですよ。どうしてユズが記憶をなくしてしまったのか。私と結婚の約束をしたことをスッパリ忘れていましたからね」
「は……そういうこと……?」
 佳乃が脱力したようにすとんと腰を下ろした。「しかし、記憶を失った理由を聞いてホッとしました。私はてっきり、何かもっと悪いことに巻き込まれたのか、とか、あるいは私との約束が記憶をなくすほど嫌だったのか、とか、いろいろ悩んでいましたから。理由を聞けて良かった」
「そ、そんなことを悩んでいたんですか?」
 素っ頓狂な声を出して見上げる柚葉を、陸也は憮然と見下ろす。
「他に理由を思いつきませんでしたからね」
 婚約が嫌で記憶なくすとか、いったい、私はどんな人間だと思われていたのやら。
 斜め前の席で、佳乃が首を振りながら大きなため息をついた。
「どうりで存在がつかめないわけだわ。本人が知らなかったんだもの……」
 それって、後見陸也夫人幽閉疑惑論の話ですか?
 柚葉は一人冷や汗をかく。
 ごほん、と梶井さんが咳払いをした。
「話を戻しますが、後見さんは、僕の推測が間違っていると言うわけですね? だったら、本当のことを教えてもらえませんか? あの日あったことを。実際に何があったのかを……」
 陸也は梶井に視線を戻すと頷いた。
「話しましょう。もともと、今夜、ユズに話すつもりでしたしね」
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