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第二十一話 瑠璃の王子様

 夕刻の、茜色の光で満たされた部屋の中央。窓から差し込む光は右斜め背後から。影は左斜め前に伸びる。

 薄衣を纏った柚葉は、深いため息をついた。

 お察しの通り、薄衣の下にはショーツ意外身につけていない。

 経緯はこうだ。

 ボタンを付けてあげるからと言われ、シャツを脱いだところで、柚葉は瑠璃に薄衣を纏わされた。

「え? あのぉ、これは……?」

 どこかで見たような薄くて広い布。触感は見た目ほど良くない。ゴワっとした肌触り。

「ボタンを付けている間、何か羽織らないと寒いでしょ?」

 いや、まぁ、そうなんですけど。でも、この布って……。

 その肌触りの悪い薄衣(うすぎぬ)は、しかし床にわだかまり、美しいひだを形作る。この布が求められているのは、美しいドレープを作ることだけだ。

 嫌な予感しかしない。

「あ、柚葉さん、何か温かい飲み物を持ってきてもらいましょうね。紅茶がいいかしら?」

 猫なで声の瑠璃に、嫌な予感ゲージが跳ね上がる。

「あ……の、お構いなく。すぐにおいとましますから……」

「あら? あらららら? 柚葉さんってば、それ素敵なブラねぇ」

 瑠璃が目を輝かせて近づいてくる。

 ひぃぃ、近寄らないでくださいよぉぉ。

「くふふ。白くて柔らかくて美味しそうな首筋。陸也兄様ったら、キスマークの一つも付けていないのねぇ。うけるわ~」

 はいぃ? 美味しそう? ってか、そんなの付けられてたら問題でしょう?

「る、瑠璃さんってば、冗談はやめてくださいよぉ。陸也さんとはそんな仲じゃないし……」

 ぎょっとして後退すると、そこはまさに瑠璃の指していた壇上だったりする。

 もしかして、私乗せられた……の? ヤバい。私、チョロすぎじゃない?

「あら? このブラ、最近流行の小さく見えるブラじゃない? もしかして柚葉さん、胸が大きいのを気にしてるの?」

「だ、だって、ジロジロ見られて嫌だし、肩もこるし、大きくて良かったことなんて今まで一度だって……」

 そう言えば、この前なんてオイルで透けて扇情的だとか言われて、陸也さんに、あんなこともされたし……。

 あ、あんなこと……っ。

 思い出した途端、ボンッと頭が爆発して真っ赤になる。

 そんな柚葉のことなど知らぬげに、瑠璃は大きなため息をついた。

「もったいないわ。私だったらもっと効果的に使うのに……」

 効果的に……使う?

 思わず瑠璃の胸元に目をやってしまう。ブレザータイプの制服の胸元は、ささやかに盛り上がっている。どちらかと言えばスレンダー。

 でも、中学生ならこの程度だよね……。

「あー、柚葉さんってばエッチね。今、私の胸見たでしょ?」

 唐突に指摘されて、柚葉はたじろいだ。

「え? いや、だってそれは、瑠璃さんが……」 あわあわと弁解しているうちに、詰め寄られて更にしっかりと壇上に上がってしまう。

「自分の方が大きいって優越感持っちゃったわけだ~」

「そんなことっ……」

 ないない。優越感なんて、断じてないっ!

「どうせ私なんて、背ばかり高くて女らしいところなんて皆無なのよ。男子なんか私のこと陰でトーテムポールっとか言ってるし」

「いや、それは……」

 男子なんてからかうために、大げさに言うから……。

「柚葉さんだってそう思ってるんでしょ?」

 瑠璃に畳みかけられて、柚葉は慌てて首を振る。

「そんなこと、ぜんっぜん思ってないから。本当よ?」

「嘘つき。柚葉さんなんて大嘘つきよ。私、絶対に許さないんだからぁ」

 そう言うと、瑠璃は顔を覆ってしゃがみこんだ。肩が震えている。

 え~? 泣いてる? ええっと……なにがどうしてこうなったんだっけ?

 なんだかよく分からないんだけど、これは謝罪して(なだ)めなければ……なのか? 私の方が年上なんだし……ね。

「瑠璃さん、ごめんね。なんだか私、瑠璃さんの気にしてることを言っちゃったかな? そんなつもりは全然なかったんだけど……」

 瑠璃は肩を震わせたまま顔を上げようともしない。

 困ったなぁ……。

「ごめんね。許して? どうしたら許してくれる?」

 そう言った途端、瑠璃は顔を上げた。

「じゃあ、そこに座って、私が言ったとおりのポーズをしてよ」

 瑠璃は満面の笑みを浮かべている。泣いていた形跡など皆無だ。

 ヤラレタ……。

 柚葉はがっくりとうなだれる。

 ……やっぱ、私、チョロいわ。


 その後、邪魔だからと髪を結い上げられ、ズボンは脱がされ、必死の抵抗むなしく、ブラも取り上げられた。ショーツだけは死守したものの、隙あらば取り上げる気満々だ。

「布で隠しているんだから下着を取る必要はないですよね?」

 抵抗する柚葉に、瑠璃は体の線が不自然になるからと譲らない。強引に剥がされそうになってもみ合いになった。

「大人のくせに、往生際(おうじょうぎわ)が悪いわよ」

「ぎゃぁぁ、引っ張らないでくださいよぉぉ」

 夢中で抵抗しているうちに、気づけば、いつの間にかブラに絵の具が付いてしまっていた。べっとりと付いた赤い油絵の具。

 里見さんに選んでもらったお気に入りのブラだったのに……。

「あら、大変。すぐに染み抜きをしなくっちゃ」 お芝居の台詞のように聞こえたのは、気のせいじゃないよね?

 泣く泣くブラをはずす。

 ボタン付けも染み抜きも、結局、瑠璃は紅茶を運んできた年輩の女性に押しつけた。持っていた針で彼女がやったことは、薄衣が美しいドレープを作るように仮留めしただけだ。体にぴたりと沿いつつ、美しくうねるドレープが床の上で(わだかま)る。

 ところで、モデルをしていた女の子はどうしたのかというと、彼女は冬休み中に失恋したとかで、激太りしたのだそうだ。同級生なのらしい。「8キロよ? 信じられる? 妊娠したわけじゃあるまいし。あれほど体型はキープしてねって言っておいたのにっ」

 瑠璃は頬を膨らませる。

 私は、むしろ、彼女をふった彼を心から憎むよ。

 柚葉はひとり泣き濡れる。

「心配しないで。この絵、体は柚葉さんだけど、顔は彼女のまま行くつもりだから、柚葉さんだってばれないわよ」

 それは朗報だ。だけど、なんかなぁ……。

 つまり、体だけが目当てだったのね。しくしく。

 というわけで、瑠璃は今、柚葉の周りをぐるぐるしながら何枚もデッサンしている。せわしなく鉛筆を走らせながら、瑠璃はぽつりぽつりと後見家の話をしてくれた。

 海斗が、最近めっきりおっさん臭くなってウザいとか、海斗の嫁が乙女過ぎて困ってるとか、主に二番目のお兄さんに関しての愚痴が多い。

「海斗さんの愚痴ばかりなんですね。瑠璃さんは、り、陸也さんとは仲が良いの?」

 だめだ、気合い入れて呼ばないと噛んじゃう……。

「私ね、陸にい様のお嫁さんになる約束だったの」

 おおっと、出たよ禁断愛~。

「柚葉さんは、陸にい様のこと、どこまで知ってるの? かつて、お義姉さんと婚約していたことは聞いた?」

「それは、この前教えてもらいました。今の奥様と出会う前、結婚寸前になっていた婚約者との縁談を破棄したって。結局、その方と海斗さんが結婚して、海斗さんが後見家を継ぐことになったとか……」

 瑠璃は頷いた。

「陸にい様はね、私の王子様だったの。とっても優しかったし、小さい頃から私の言うことは何でも聞いてくれた。大好きだったわ」

 だった? 過去形ですか?

「だから結婚してほしいって言ったの。小学生低学年の頃よ。陸にい様は、いいよって言ってくれた。でもそれは、特に構わないよ、という意味の『いいよ』だったのよね。悪く言えば、どうでもいい……」

「はぁ……」

 ってか、それ、どうでも良くないですよね。兄妹なんだし……。むしろ、ダメでしょ。

「親が決めた人と婚約した時だって、どうでも良かったんだと思うの。陸にい様はいつものように淡々と受け入れて従った。だから私、何にも心配してなかったの。私の王子様をちょっとだけ貸してあげるくらいにしか思ってなかった」

 レンタル王子……。かわいい。ちょっといいかも。

 脳内に、王冠を乗せたサングラス、黒スーツが浮かんで、思わず失笑する。

 瑠璃は続けた。

「でも五年前、陸にい様は変わった。家督も何もいらない。後見家を出たいって言い出した。親が決めた婚約も勝手に破棄。誰の意見もいっさい聞かなかった。あんな頑なな陸にい様を見たのは、私、初めてだった。その時、私ようやく気づいたの。陸にい様が、家族の誰とも対立せず言いなりになっていたのは、ただ優しいからってわけじゃなかったんだって」

 家族の言いなりの陸也さんねぇ。ぜっんぜん想像がつかないんですが……。

「それまで手がけていたアトミフーズさえ手放すと言い出して、父は陸にい様の決心の固さにようやく気づいたみたいだった。結局、陸にい様は本当にアトミフーズを善太郎さんに譲って、今のアトミハウジングを立ち上げたのよ。それ以来、陸にい様はほとんどこの家に寄りつかなくなった。寝る間も惜しんで働きづめよ。ぜーんぶ、その相手のせい」

 うわー、そのお相手の方、後見家を敵に回してない? 大丈夫なんだろうか?

 なんだか無事で済むとはとても思えない。他人事(ひとごと)ながら心配になる。

「だから私、その人に会ったら身ぐるみ剥がして(こら)らしめてやろうって思ってたの。あなたのせいで陸にい様が変わっちゃったのよって、文句のひとつも言ってやるつもりだった」

 だった? また過去形? 会ってみたら良い人だったとか?

「過去形なんですね。その方にはもう会ったんですか?」

「えぇ。会ったわ。でもね、その人に会う前からもう、私はその人のことを許していたんだって、会った瞬間に分かったの」

 会った瞬間に? そりゃ、ずいぶん早いな。

「ずいぶん早く分かったんですね」

 柚葉は苦笑する。

 一方、瑠璃は鮮やかに微笑んだ。

「本当は自分でも分かっていたのよ。たまに顔を見せる陸にい様が、会うたびに良い表情になっていってること。前はもっと透明で、ふっと消えていなくなりそうな表情をいつもしていた。もっと痩せていたしね。妖精みたいな人だって、陸にい様は、元々そう言う人なんだろうって、私、ずっと思ってたの。でも、違った」

 妖精……。

「その人を見た瞬間に、あぁ、この人が陸にい様にあんな表情をさせてるんだって、一目で分かったの。今の陸にい様は、イライラしていることも多くなった代わりに、笑うことも多くなった。何よりも、あの儚げな雰囲気がいつの間にか消えてた。私ね、嬉しかったの。陸にい様を見るたびに感じていた不安が解消したから。だから、その人を肯定するのに時間なんかかからなかった。一瞬だったわ。そして今、私はむしろ、その人と陸にい様が出会ってくれて良かったって思ってる」

 陸也さんってば、あれで笑うことが多くなったのか。今までどんだけ笑ってなかったんだ?

 唖然とする。

 だけど同時に、瑠璃の言葉にホッとしていた。 陸也さんが溺愛している奥様が、義妹に(うと)まれているのは気の毒だものね。陸也さんにも、奥様にも。

「だから、私ね、その人の具合が一日も早く良くなることを願ってるの」

 え? 奥さん、具合が悪いの?

 驚いて視線を上げると、瑠璃の視線とぶつかる。

「心から願ってるの。本当よ?」

 瑠璃は、柚葉の目をまっすぐ見つめてそう言った。

 その視線の強さにたじろぐ。

 え……えっと……。

「私、奥様がご病気だなんて知りませんでした。早く良くなるといいですね。私も願っておきますね」

 そう言うと、瑠璃は今までにない優しげな笑みを浮かべて頷いた。


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