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第十四話 バーベキュー

 がっくりと肩を落とし、しきりに不手際を詫びるさとみさんに、後見さんは、気にするな、君のせいじゃないと繰り返した。

「君なら年が同じくらいだから、あの奥様の気持ちが分かるだろうと任せたが、逆効果だったようだ。俺の采配ミスだ。君がどれほど苦労してこの物件を探しだしたか、俺がよく知っている。だから気にする必要はない」

 あれ? 後見さんって、さとみさんの前では自分のこと俺って言うんだ。無表情はそのままだけど……。

 でも、仲良さそうだなぁ。

 絵になるし。釣り合いのとれた夫婦だよね。

 なんか……羨ましい……羨ましい?

 そっか。私は羨ましいんだ。

 後見さんの隣にいて、同じ速度で生きているさとみさんが羨ましい。私ってば、何をさせてもトロくてうまく行かないから。いつも。

 自嘲する。

 涙の跡をゴシゴシと手の甲で拭うと、そっと応接室を退出して、車に戻った。使った掃除用具を片づけ、後見さんの上着を脱いで自分のスーツの上着に着替える。巻いてもらったマフラーも畳んで上着の上に置いた。

 こんなの着けてたら、勘違いしちゃうよ。

 マフラーは後見さんの匂いがする。いつも傍にいる時に感じる気配と同じ匂い。それは一瞬で柚葉を安心させてしまう。

 いつの間にか、すっかり後見さんに依存してしまっている自分に、今更ながら気づかされる。

 しっかりしなくちゃ。

 両頬をぺちぺちと叩く。

 胸元の透け具合をサイドミラーで確認した。

 上からのぞき込まなきゃ見えないよね。

 ……悪魔奥様、どうするつもりなんだろう。こんなにきれいなおうちなのに、庭の桜もまだ咲いていないのに、美味しい海の幸も食べないまま、帰っちゃうんだろうか。

 あ、海の幸!

 忘れてた。隼人に連絡しないと!

 あ~、そうだ。

「いいこと思いついちゃったかも~」

 応接室にとって返すと、後見さんに庭でカセットコンロを使っても良いかと問う。

「何をするつもりですか?」

 面食らった顔で見つめる後見夫妻に、良いのか悪いのかと気迫で迫り、別に構いませんが、という返事をもぎ取る。その足で、二階の悪魔奥様の部屋へ乗り込み、じっとりと悲壮な感じで話し合っている夫婦から、残ったオリーブオイルを強奪してきた。

 その際、抜かりなく奥様の食事制限の有無を確認する。

 特にないらしい。よっしゃ。


 三十分後、「海野食堂」と車体にロゴが入った車が玄関口に横付けされた。

「おーいっ、柚葉ーっ。持ってきたぞ!」

 隼人の胴間声どうまごえが玄関に響く。何事かと後見夫妻が出てきたが、隼人が運んできた発泡スチロール箱に入った山盛りの魚介類に目を丸くする。

「サンキュ! ちゃんとカセットコンロも持ってきてくれた?」

「おうよ!」

「柚葉さん、あなた一体何を……」

「後見さん、庭でバーベキューやりましょう! せっかくさとみさんが見つけてきた物件なのに、庭の景色さえ見てもらえないんじゃ、この家が可哀想ですよ。もし契約してもらえないにしても、せめてここの良いところを見てもらいましょう!」

「柚葉さん……こんな食材どうやって……」

 唖然とした様子でさとみさんが呟く。それに笑顔だけ返すと、続けた。

「じゃあ、私は庭で準備します。後見さんは華宮夫妻を誘っておいてくださいね。隼人は、それ持ってきてー」

 隼人が持ってきてくれた牡蠣や蛤を焼く。

 事情を察した隼人は、俺が一番美味しい食べ方を教えてやらぁ、と調理をかって出てくれた。

 牡蠣、海老、ハマグリ、一口鮑と言われる鮑のちっちゃいやつ。ウニもサザエもあるし、名物の干し芋もお母さんが持たせてくれたらしい。

 悪魔奥様は庭に出るのを初めは嫌がっていたが、下りてくればオリーブオイルをかけたことを許してやってもいいわよと柚葉が高飛車に誘ったら、しょうがないわねとか言いながらも、割と嬉しそうな顔で承諾した。

 思うに、悪魔奥様はツンデレなんじゃないかと……。

 追加で今季最終だというアンコウ鍋も用意してもらい、みんなそろって舌鼓をうつ。

 美味しいものってすごいパワーだ。

 あんなにギスギスした空気が一気にほどける。

 もしこのまま契約が頓挫して、悪魔奥様がここに来なくたって、それはそれでいいじゃないって気分になっていた。この土地の美味しい海の幸をみんなで食べたという楽しい記憶が残るなら、そんなに悪くはない。

 華宮のご主人が目指しているところも、結局はそれなんじゃないかと思うから。

 奥様との楽しい時間の共有。思い出の積み重ね。

 過去は変えられないって、よく悪い意味で使うけど、逆に考えれば、変わらないものなのだ。

 楽しく美しい思い出は変わらない。絶対に。

 だから、今日という日が少しでも嫌な感じに終わらないように、希望がもてる終わり方になるように、気をつけられたらいいなぁと思う。

 車椅子を旦那様に押してもらった悪魔奥様が、オリーブオイルとガーリックで牡蠣を炒めている柚葉のところにやってきた。

「あ~、奥様、いいところに。牡蠣のオリーブオイル炒め食べますよねっ」

 有無をいわさず、小皿を手渡す。

「旦那さんもどうぞ~」

「どうです? 美味しいでしょう?」

 やっぱりオリーブオイルは、床の上よりも皿の上の方がいい。

「まぁまぁね」

 こんの~、悪魔奥様め。素直じゃないんだからぁぁ。

 旦那さんが奥様を促すと、奥様は急に改まった表情になって、頭を下げた。

「北村さん、あの、さっきは、ご、ごめんなさい。私がちょっと悪かったわ」

 ちょっとかい。

「本当に済みませんでした。クリーニング代を出しますから」

 と謝るご主人に、気にしないでくださいと笑う。

「あの、今から後見さんにお返事をするつもりなんですが、契約を続行したいと思います」

 え? そうなんですか?

 二人でいろいろ話した結果、お互いたくさんの誤解があったことに気づいたらしい。奥様は、舅と姑に子どもをとられて、自分は放り出されるのだと勘違いしていたのだ。

 顔を輝かせる柚葉に奥様がそっぽを向きながら言った。

「べっ、別に、あなたを喜ばせたいからなんかじゃないからねっ。さ、桜が咲いたところも見たいし、リハビリをして、元気になったら子どもを連れてきてもらって庭で遊びたいしねっ」

 はいはい。

 ご主人が言う転地療法と、奥様が思っていたそれには隔たりがあったらしい。同じ言葉でも受け取る人によっては、意味が異なってしまう場合がある。

 まぁ、よくあることかもな~。

 柚葉は鉄板から程良く焼けた牡蠣を一つ摘んで口に放り込んだ。牡蠣のうまみを吸収したガーリックオイルが口の中に広がる。噛みしめると滋味豊かな牡蠣の風味がじんわりと伝わってきた。

 ん~。最高!

「なんかよく分かんねぇけど、うまく行ったみたいじゃね?」

 隣でアンコウ鍋を〆の雑炊に仕立てながら、隼人が笑う。

「うんっ。隼人のお陰だよ。お母さんにもありがとうって伝えといて。あ、そだ、支払いをしなくちゃだね」

 柚葉がそう言うと、隼人は笑って首を振った。「いや、いいんだ。もう受け取ってる。アンコウ鍋の追加オーダーもらったときに、後見社長が即金でぽーんと払ってくれたんだ。安くて良心的だって感謝された」

 え? そうなの? あちゃー、私が払うつもりだったのに。

「それから、星霜軒? てお店からも連絡来たらしい。母ちゃんからさっき聞いたんだ。産直契約することになりそう。正直助かるわ。市場だと安く買いたたかれて終わりって日もあるからさ」

 星霜軒も直接契約できた方が新鮮な食材を安く購入できるしね。さすが後見さん、抜かりないなぁ。

「そっか、それは良かった。私も星霜軒で美味しいお魚食べられるから嬉しいよ」

 柚葉の言葉に、隼人は口をとがらせた。

「……星霜軒じゃなくて、こっちに食べに来ればいいじゃん」

 え?

「また、こっちに来いよ。うまいもん食わしてやるからさ」

 目を見開いて隣を見上げると、隼人は顔を赤くしてそっぽを向いている。

 んん?

「ってか、おまえ、それなんなんだよ。なんでおまえのシャツ、そんな透き通ってんの? 目のやり場に困るんだが……おまえ、小さいくせに割と胸でけーし……」

「え? あ! ちょっとぉぉ、どこ見てんのよぉぉ」

 隼人の背中をバシバシ叩いていると、急に背後から手首を掴まれた。

 えっ?

 驚いて見上げると、無表情なサングラス。

 掴まれた手首が痛い。

「柚葉さん、ちょっと来てください」

「あの、後見さん?」

 どうしたんだろ……。またトラブルかな?

 ちょっと失礼します、と隼人に断ると、陸也は柚葉の手首を掴んだまま、別荘の中へと引っ張っていった。

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