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魚という複数のメタファー
作:佐屋彌夜


「屋根の上の魚」という短編小説を読んだことがある。



 とある病弱な少年が、虹色の綺麗な魚が、屋根の上に備え付けられたタンクの中を泳いでいるのを見、そのことを友人に話す。

友人も最初はその話を信じるのだが、何処からか引っ越してきた勝気な少年がその話を「嘘だ」と否定してから、病弱な彼は独りになってしまった。

しかし日照りが暫く続いたとある日、勝気な少年がタンクを覗くと、その底には死んでも尚美しい魚が横たわっていた。

勝気な少年が、病弱な少年の家に謝りに出かけると、その姉が彼は死んだのだと、泣き腫らした目で告げる。という話。



 仕事から帰って来て、スーツのままベッドに寝転がり、ふとこの小説のことを思い出したのには理由がある。

わたしの頭を今悩ませている檜山慶太が、小説の登場人物と似て、虹色の鱗持つ魚を見る為に、文字通り朝から晩まで川端に座り、川を眺めている少年だからである。

事実、はじめて檜山慶太について、彼の両親から相談を受けた時、真っ先に私の頭に浮かんだのがこのことだった。



 2ヵ月程前の日曜日。灰色の空に粉雪がちらつく午後2時頃、具合の悪そうな顔をした女性と、その夫が、息子に関して相談があるのだと、わたしの勤務する児童相談所を訪れた。

わたしは、彼らに珈琲を出しながら、息子が突然暴れだすようになったとか、虐めにあって引篭もりがちであるとか、その手の相談だろうと予測した。

実際、この相談所にはよくそういった問題を抱えた夫婦、若しくはそのどちらかがやって来る。

彼らは一様に、やつれた顔をして、目の下に隈を浮かべて、疲れ切っている。

ご多聞に漏れないこの夫婦の外見を見て、わたしは後者のほうだろうとぼんやり考えた。



 しかし、この夫婦、檜山夫妻の相談内容は、虐めによる引篭もりについてではなかった。

息子の檜山慶太が、川で虹色の魚を見たと言った。それ以来、もう一度その魚を見るのだと、学校にも行かず一日中川を眺めている。これがもう暫く続いている。どうしたらいいだろう。

「今まで慶太は、一回も学校を休んだことが無かったのに」

檜山慶太の母も、父も口々にそう言うが、正直、檜山夫妻には申し訳無いことに、馬鹿げた相談だとはじめは思った。

虹色に輝く魚など、まったく馬鹿げた話である。

檜山慶太がそのような行動を起こしているのには、他に何か別の理由がある為に違いなく、「虹色の魚を見る為」などというオブラートで、彼は真の理由を隠しているのだと。

「息子さんと話してみましょう」

心配そうな彼らの顔を前に、2ヵ月と少し前のわたしは自信を込めて言った。

「きっと、息子さんの行動の、本当の原因が分かると思います」



 しかし、今まで檜山慶太と話してきたが、わたしは彼に何の問題も発見することが出来ないでいる。

何かしら、自分の欲求を別のものに置き換えることはよくある話だが、それが檜山慶太に当て嵌まるだろうとも思えない。

今現在、檜山慶太が川端に座っている理由には、単に魚が見たいからというものしか考えられないのである。

しかし、「慶太君が川端に座っているのは、矢張り魚が見たいからのようです」などと、檜山夫妻に言える筈が無いというのも又事実だ。

それでは何の解決にもならない。どうしようもなく苛々し、暫く音信不通だった恋人が、以前の喧嘩のことを誤ろうと電話してきたのに、今更遅いと大声で怒鳴ってしまった。

電話が切れた後、かけ直そうかと一瞬思ったが、この調子では今の二の舞になって、更に状況を悪化させるだけだと思って、やめた。



 頭が締め付けるように痛く、ベッドに寝転がりながらテレビを見ることも、定時ニュース開始と同時にやめた。

時計の針が時を刻む音しか聞こえない。自分以外誰もいない、静寂に包まれた室内。

白のキャビネットの上には、少し前まで小さな植木を飾っていたが、水遣りを怠っていた所為で枯れてしまった。

綺麗なそのキャビネットの上を眺めていると居た堪れなくなり、わたしは友人のひとりに電話した。

友人は3回目のコールで受話器を取り、わたしが「今から家に来ない?」と訊ねると、うんざりした調子で言った。

「今何時か分かってる」

「……10時28分。だけど、ひとりだと何だか、気が狂いそうなの」

友人はしょうがないなあ、と言い、御飯は何か食べた、と訊いてきた。わたしが食べていない、と答えると、

「1時間ぐらいでそっちに着くと思う。それまで待ってて」

1時間と7分後、わたしの家のインターホンは鳴った。友人はわたしの顔と格好を見て溜息を吐き、

「帰って来たら、着替えぐらいしなさいよ。スーツ、皺がよってる」

そして左手に持っていたビニール袋を持ち上げる。

「そこのスーパーで色々と買って来たの。今調理してあげる。まるで犬に餌を与えるような気分だけど」



そうして友人はキッチンに立つと、手際よく料理を作っていった。

彼女はとあるレストランのシェフとして働いているのだ。

その間、わたしは自室でスーツから部屋着に着替える。化粧も落とした。

1時間程して、友人はお待たせしました、とテーブルの上に皿を置いた。鮭のムニエルと、コンソメスープ。それからコールスローだった。

「ビールは奢りなさいよ」

そう言って、友人は冷蔵庫から勝手にビールを出した。わたしは黙ってムニエルを睨み、

「申し訳無いけど、ムニエルは食べたくない」

「何それ。人に作らせといて」

友人が不興げに言う。

「理由はちゃんとあるの。今から話すけど」

「ふうん。とにかく、それはいいから、食べなさい。人が作ったものを残すなんて、失礼にも程があるでしょう」



 はじめは嫌々、しかし段々とそれを征服するような勢いでムニエルやコールスローを食べながら、わたしは友人に檜山慶太の問題を捲し立てた。

虹色の魚に関しての件、彼にとって魚が別の欲求の変化となっている可能性も考えたが、結果として檜山慶太は純粋に魚を見ようとしているだけであって、精神的に何の問題は無いらしいということ。

そして、このことについて考え過ぎて、近頃偏頭痛が悪化していることや、恋人と仲直りするきっかけを失ってしまったことなどについてを。

友人はビール、それからスナック菓子をつまみながらそれを聞いていたが、わたしの口の動きが止まると、

「つまり、その虹色の魚が諸悪の根源な訳ね」

そう言った。そして、

「わたしは精神がどうのこうの、そういうことはまったく分からないけど、話を聞いてて思ったことがひとつ」

わたしはビールでコールスローを喉に流し込み、何、と言った。

「自分の欲求を、別のものに置き換えるって話、あったでしょ」

わたしは頷いた。友人はわたしを見て、

「とすると、あんたにとって、その鮭のムニエルは何だったんだろうね」

次に、もう一口分しか残っていないそれを指差して、言った。














最後までお読みくださり、ありがとうございました。
作者の佐屋彌夜です。



このお話は、個人的には気に入っておりますー

去年の冬、小説冒頭にありますが、「屋根の上の魚」という小説を読んだ後、突然閃いてばばばばと書きました(何



「屋根の上の魚」はリチャード=ミドルトン短編集「幽霊船」に収録されているので、そちらも是非。
オチが少し暗いですが、このお話は好きなのです。
別に出版社の回し者ではありません(何


ではー













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