いつもEpisode Myself - Persona3をお読みくださいましてありがとうございます。
長らく更新せず、誠に申し訳ありません。
執筆そのものはしておりますが、投稿しない理由としまして
1 にじふぁんの動向
2 P4Uがペルソナ正史となったことによる影響
があります。特に2のP4Uの影響は大きく、エリザベスやアイギス、桐条先輩や真田先輩との関係が大きく変わりました。
ちょこちょこP4Uをプレイし、ストーリーをおっているのですがなかなか進まず確認しきれていないのが現状です。
もしよろしければアイギスや桐条先輩、真田先輩でP4Uをクリアされた方。情報をいただけますと幸いです。
なるべくはやく更新できるようがんばりたいと思います。
これからもEpisode Myself - Persona3をどうぞよろしくお願いいたします。
そうじ たかひろ
008:聖母の微笑
岳羽ゆかりは有名人だ。月光館学園高等部時代、恐らくゆかりを知らない月高生はいなかっただろう。さすがに高校とは比較にならない多くの学生が在籍する大学ではゆかりを知らない人はいるだろうが、それでもアイギスとの美人二人組として相当目立った存在だ。
明るい栗色の髪に大きな黒い瞳。整った鼻筋に続くのは淡い桃色の唇。化粧は薄めでナチュラルメイクだが、妙な色っぽさも同居している。親しみやすく気取らない性格、けれどどこかミステリアスな雰囲気も併せ持つという相反する存在感は男子のみならず女子からも人気がある。だけどゆかりは決して特定の誰かと付き合う事はなかった。
高校時代は自分が女である事を思い知らされるのを恐れて。
大学生になってからは、どうしても一人の男を忘れる事が出来なくて。
転校を重ねたゆかりが月光館学園にやってきたのは十二才の頃。中等部に在籍と同時に寮生活を始めた。その理由は『母親から離れたい』。
ゆかりの母、岳羽梨沙子は桐条の名士会に名を連ねる良家の出で、夫とゆかりと三人、何不自由なく幸せに暮らしていた。
だが、とある出来事が全ての運命を狂わせる。
二〇〇〇年、辰巳ポートアイランドにあった桐条グループの研究所が謎の大爆発を起こす。その被害は甚大で、数多くの死傷者を出した。子は動かない親にすがりただ泣き続け、さっきまで手をつないでいた人は引き裂かれ、いなくなる。影は飛び散り破片となった。まるで爆撃でもあったかのように街は見渡す限り灰燼と化した。辺りは混乱極まり、救助どころか辿り着く事さえ困難な有様だった。
事故から数日。まだ多数の行方不明者がいる中、テレビや新聞、ラジオはこの悲惨な事故の首謀者として一人の男の名を連呼し始めた。
岳羽詠一朗。事故が起きた研究所の優秀な主任研究員であり、ゆかりが敬愛してやまない父だった。だが、彼が事の顛末を世に伝える機会は無い。なぜなら彼は爆心におり、一番初めに死んだ人物の一人だからだ。
責任は全て岳羽詠一朗にあると報道された。爆発を起こした悲劇の研究所がどんな実験をしていたかも知らないまま、人々はメディアに踊らされ詠一朗とその家族を叩きだす。ゆかりが七才の時だった。
まだ幼いとはいえ、この事故に父親が関係していて、そのせいで世間から責められているのは理解できた。だけど大好きだった父親が悪い事をするなどゆかりにはどうしても信じられなかった。
みんな何か勘違いしている。きっとお父さんは悪くない。そう信じていた。けれど、世間はそう甘くなかった。
学校では虐められ、帰宅途中では心ない住人の視線に晒され、家に帰ったらニュースキャスターが含みを持って岳羽詠一朗の名を口にする。誰一人としてゆかりの味方をする者はなく、ゆかりと母親は来る日も来る日も世間から攻め立てられる。そんな二人に出来たのは、父親との思い出がいっぱい詰まった家から離れる事だけであった。だが移転しても数日もすれば以前と同じ状況になる。母親は耐えきれず、また別の地へと逃げる。もって数ヶ月。短い時はたった数日だけの我が家。二人は何度も何度も引っ越しを繰り返した。
それでもゆかりは必死で耐えた。
お父さんは悪くない。いつかきっと分かってもらえるはず。それに自分にはまだお母さんがいる。毎日が怖くて怖くて仕方ないけれどお母さんがいる。お母さんと一緒にお父さんの誤解が解けるその日まで頑張ろう。
そう懸命に耐えていた。
だが、母親は耐えられなかった。
良家の娘にはこの悪意を持った世間の荒波は激しすぎたのだろう。ゆかりは母親を支えに耐えたが、母親はゆかりを支えに耐える事は出来なかった。
母親は男に支えを求めた。
最初、ゆかりは家の中にいる見た事のない男が何なのか分からなかった。数日後、また見た事のない男が母親と共にいた。意味は分からなかった。だが言いようのない、とてつもなく強烈な嫌悪感を抱いた。大好きだったお父さんを裏切られた気分だった。母親とは一緒にいたくないと思うまで、さほど時間はかからなかった。
中学生になったゆかりのモットーは『一人で生きていく』。誰にも頼らない。当然母親なんて頼らない。男になんて頼らない。私は一人で生きていく。
月光館学園を選んだのは母体が桐条グループだからだ。『父親の身の潔白』を証明する為、なにかしら桐条グループとの繋がりが欲しかった。
『一人で生きていく』『父親の身の潔白』。この二つを原動力にゆかりは必死に頑張った。
そんなゆかりに一つ目の転機が訪れたのは高校生一年生の春休み。とある出来事がきっかけでペルソナ能力に目覚める。しばらくすると桐条グループの一人娘である桐条美鶴から一緒に活動しないか、と声を掛けられる。特別課外活動部への誘いは事件の謎に迫る事が出来る最大のチャンスだった。
二つ目の転機は高校二年生の七月。父親が爆発を起こした張本人であるとの証拠を突きつけられる。ゆかりの中で何かが崩れた。
三つ目の転機は二つ目の十数分後に訪れる。特別課外活動部リーダー、有里 湊はゆかりに「それでも父親を信じ続けたらいい」と静かに言い切った。ゆかりに父親を信じろと初めて言った人だった。
四つ目の転機は高校二年生の十月。いつのまにか湊を好きになっていた事に気が付いた。誰かと付き合う、誰かを好きになるという事は、女であることを否応無く実感してしまう。母親の女としての部分に強烈な嫌悪感を抱いていたゆかりにとって、それはたまらなく嫌な事であるはずだった。だから、湊を好きになっていると自覚した時は相当驚いた。
五つ目の転機は高校二年生の十一月。父親が事件の張本人だと決定づけていた映像が、実は意図的に改竄されたものだと風花が気付き、真実を明らかにした。父親は悪くなかった。むしろ最悪の事態を避ける為、自らの命を犠牲にして世界を救っていた。死の直前、口にしたのはゆかりの事だった。
六つ目の転機は高校二年の三月。湊が死んだ。母親の気持ちがやっと理解できた。だけど他の男を求める事だけはしない、と心に固く誓った。
七つ目の転機を経て深い悲しみからなんとか立ち直り、前を向いて歩きだして数年。訪れた八つ目の転機。
アレーテイアに挑戦すること四回。攻略階層は未だ一階。シャドウが現れては苦戦し、レッサーデーモンが現れては全滅寸前まで追い込まれ、最後はエリザベスに助けてもらうのがパターンになっていた。なかなか結果が出ない。アイギスに「最近ため息が多いですよ」と言われるほど、ゆかりは精神的に追い込まれていた。
梅雨入り宣言の後、毎日のようにしとしとと降っていた雨も昨日から止んでいた。梅雨の中休みなのかもしれない。日差しはまだ夏を思わせるほど強くはなく、外は妙に蒸し暑かった。だが、久しぶりの晴れ間を外で満喫しようと思っているのだろうか。カフェ内はまだまだ空席が目立つがテラス席はほぼ満席だ。ゆかりと二人の友達もテラスに陣取っているグループの一つだった。
「はい」
「あ、ありがと。ちょうど欲しかったんだ」
赤い服を着た女はゆかりからペーパーナプキンを受け取る。隣に座るベージュの服を着た女は足を組み直し、小さく感嘆の声を漏らした。
「流石はゆかり。やっぱモテる女はよく気が利くってね」
「あーはいはい。どうせ私はモテないですよ」
「ペーパーナプキン渡しただけで大げさな」
友人達とのちょっと遅めの昼食。三人が注文したのは今日の日替わりランチであるエビのトマトクリームパスタ。トマトソースの赤にまぶしたパセリの緑がなんとも目に鮮やかだ。エビの数こそ少な目だが一尾一尾がなかなかに立派であり、味、価格を考えると十分お得感がある。以前に別のパスタを食べた時に思ったのが、塩加減がとても絶妙だという事。それ以来ゆかりはここのパスタが好きだった。
「今日アイギスさんは?」
「休み。ちょっと用事」
いつも一緒にいるアイギスがいない事を、友人はやはり不思議に思っているのだろう。そんな彼女らにとっては特に他意の無い一言だっただろうが、ゆかりには昨夜の出来事を思い出すのに十分な一言だ。
かつて伊織の腕に深刻なダメージを与えたレッサーデーモンの一撃。昨日はアイギスに直撃した。とっさに物理耐性の高いペルソナに切り替えたので致命的な損壊には至らなかったが、それでも相当なダメージだった。
けれど収穫が無かった訳でもない。現場リーダーであるアイギスが戦線から離脱。ゆかり達は一時的な混乱状態に陥りかけた。それを瞬時に纏めたのが風花だ。すぐさまゆかりに弾幕代わりの広域疾風スキルを、天田には回復スキルを、そして伊織には天田とアイギスを守るよう矢継ぎ早に指示を出す。戸惑う事なく流れるように動いた三人の連携も実際大したものだったが、やはり評価されるべきは素早く的確な指示を出した風花だ。
レッサーデーモンには今回もアナライズが出来なかった。これの意味する事。それは対レッサーデーモン戦では、風花は何も出来ない。することが無いという事。ただ相手の特性や場の状況を伝えるだけではいけない。いざという時は状況を踏まえた作戦指示を出せるようになる。これがとりあえず風花なりに出した答えなのだろう。
回復を終え、差し当たっての危機を回避した四人は事前のシミュレーション通りに作戦を展開する。天田が切り込み、ゆかりが弓で注意を引き付け援護する。伊織は白銀の大きな剣をどっしり構え、一撃に備えた。
残像が出来るほどに素早く左右に切り返しながら接近する天田。レッサーデーモンが天田を意識した瞬間にはゆかりから飛び立った黄金の矢がレッサーデーモンの紅い眼を射貫く。間合いに入った天田はレッサーデーモンが左に重心を置いているのを確認し、左膝を外から薙ぐ。崩れるように倒れる巨体。そこへ狙い澄ました伊織の重い一撃がレッサーデーモンの腕へと食い込む。刃は弧を描ききるまで止まる事なかった。
第四回アレーテイア挑戦結果。アルカナ戦車 洗礼の砲座二体殲滅。アルカナ女教皇 狂乱のマリア三体殲滅。アルカナ法王 白のシジル四体殲滅。そしてレッサーデーモンは腕二本、右眼、左膝と複数ダメージを与えたものの沈黙に至らず。最後は怒濤の反撃の前に窮地に陥り、結局はエリザベスの一撃で幕を閉じた。
初日に比べれば格段の進歩なのだがいかんせん目標にはほど遠い。知らず、ゆかりはため息をついていた。
「何、そのため息。ひょっとして……恋とか?」
「まじまじ!? ゆかりって好きな人とかいるの?」
「えっ! す、す、好きな人っ!?」
身を乗り出しゆかりに迫る赤い服を着た女。ベージュの服を着た女は予想外の大物が釣れちゃったと目を見開かんばかりに驚いている。にわかに活気づく二人。じめじめした空気を吹き飛ばす勢いだ。
「あらら? 適当に言ったんだけど図星なワケ? ちょっと教えなさいよ」
「そうそう。誰? 私もその人知ってる?」
「誰って……その、二人の知らない人。高校の時の同級生」
「うわー、まじなんだ!!」
「何その恥ずかしそうな顔。すっごいかわいいんですけど?」
なんで私は湊君の事を隠そうとしていたのだろう。ゆかりはふと思った。もちろん、全人類を守る為に世界の果てで囚われている、などと言えるわけがない。けれど助けに行く為に動きだした今、二度と合えないかもしれないと諦めかけていた思い人から、会える可能性がある思い人となった今、もう黙っている必要などない。
私は湊くんを救う。そう、ゆかりは心の中で呟く。そして小さく息を吸い、二人に静かに言った。
「こっちを振り向いてもらえるように頑張ってるの。振り向いてもらえたら……二人にも紹介するね」
石造りの回廊。ほのかに光る壁。鼻につくすえた臭い。初日にエリザベスが砕いたはずの床はもうどこだったか分からない。この迷宮には自己修復能力があるらしく、数日もすれば砕けた箇所は何事もなかったかのように元に戻っている。
寒いか暑いかも分からず、風が流れているのかどうかも分からない。粘り気のある何かが纏わり付く感覚にはいまだ馴染めず、この迷宮にいるだけで何かを吸い取られるような錯覚さえ覚える。
「今日で五回目か。って事はつまり……」
「十日目って事ですね」
天田は伊織に目を合わせず答えた。一ヶ月以内で二十階まで辿り着く。すでに三分の一が過ぎている事に焦りを感じていない者はいない。けれど今日に限っては落胆一色でもなかった。
「でもさ。今日はラッキーなんじゃねぇ?」
にやりと笑う伊織。左手にもつ白銀の剣が光を跳ね返す。
「そうですね。初めてじゃないですか?」
天田は鎗を構えながらくすり笑う。
「千載一遇の好機。油断せずいきましょう」
風花は真剣な表情だった。気負いすら感じる程に。
「はい。私たちなら勝てるはずです」
アイギスも笑みを携えてはいない。彼女の碧い瞳は超高性能カメラのはずなのだが、しかし決意という一つの意志を宿して見える。
獲物を見つけた喜びなのか、いやらしく笑うレッサーデーモンを見据え、五人は口元を引き締める。無傷でのエンカウント。ベストコンディションでの対峙。この十日間一度もなかった絶好のチャンスだ。
「今日は勝つ。絶対勝つ」
ゆかりは声を低く、自分に言い聞かせるように言い切る。左手から黄金色に輝く光の弓サルンガを出して虚空を睨んだ。空気が揺らぐ。風船が割れる瞬間を待つような緊張があたりを締め付ける。伊織は召喚器を右手に持ち、静かに引き金を引いた。
「いっくぜっ! ペルソナァァァァッ!!」
全員の足下からマハラクカジャの紫光が伸び上がる。ゆかりはレッサーデーモンへと駆け出した。
「マハガルダインっ!」
致命とならずとも決して涼風ではない。視界を歪める程の烈風はレッサーデーモンの動きを著しく制限する。駆けるゆかりの右手が弦に触れた。
弓道において、弓を射る動作は八つの節―― 射法八節で構成されている。すなわち「足踏み」「胴造り」「弓構え」「打起し」「引分け」「会」「離れ」「残心」。「足踏み」で的に向かって足を開き、「胴造り」で開いた足の上に体を静か乗せ身を整える。「弓構え」で弦に触れ、矢を番え、「打起し」で両手を上げるように弓を構え「引分け」で弓を引き、完成は「会」となる。「離れ」とは矢が放たれる事。そして「残心」は矢を打ち放った後の姿勢。弓の道を歩む者として一つたりとも飛ばせる過程はない。
走りながら弦に触れる。弓道を通して弓に触れてきたゆかりにとって、これはとても大きな事であり、言いようのない気持ち悪さと分かりやすい罪悪感がゆかりの心を捉える。
絶対勝つ。
心の中でもう一度呟くとゆかりは弦をしっかり掴み、「打起し」へと移行する。ゆかりの右指の先には三本の光の矢が現れた。すでに射程圏内にレッサーデーモンは入っている。後は、機を計るだけだ。そう思った瞬間、レッサーデーモンは空間を削るかのように距離を詰めてくる。慌てて後ろに飛びのくゆかり。レッサーデーモンはいやらしく口角を上げると、それまで全く見ていなかった左側へ雷の矢を打ち放った。
左にいたのがアイギスで良かった。それがゆかりの正直な思いだ。電撃耐性のあるペルソナへと付け替えたアイギスは大きなダメージを受ける事なく事なきを得る。視界の端でアイギスの無事を確認したゆかりはレッサーデーモンのすぐ目の前で弓を引いた。
「これでも喰らえっ!」
迷宮内に響くゆかりの声。迸る殺気。笑うレッサーデーモンはゆかりを睨み、そして右手で天田を払う。
「なっ!!」
ゆかりがレッサーデーモンの意識を引きつけ死角から虚を突くはずだった天田。完全に不意を突く事が出来たと確信した瞬間、レッサーデーモンは文字通り嘲笑いながら天田を払った。冷たい床に叩きつけられた天田。なんとか受身を取ったようだが、息が出来ないのか相当苦しそうだ。
「うおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
その天田を庇うように雄叫びと共に上段から斬りかかった伊織。だが、刃が届くその前に吐き出すように放たれた火炎球が伊織に直撃する。動こうとしたアイギスの足元に十を超える雷の矢が突き刺さる。レッサーデーモンは笑っていた。
「なんで……このレッサーデーモン……強すぎる……」
風花の絞り出すような声。エリザベスの右眉が僅かに動く。そしてエリザベスはカードを一枚指に挟む。
「まだ終わらせないっ!!」
勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。
戦いが終わってしまうという焦り混じりに召喚器を持った瞬間、ゆかりはふとももに熱を感じた。レッサーデーモンから視線を離したのはまばたき程度の時であった。
「え?」
「ゆかりさんっ!!!」
アイギスの声が聞こえた時、ゆかりは自分の太ももに刺さった雷の矢を見た。電光をちりちりと踊らせ、ゆかりの白い肌を焼き焦がす。熱さはやがて鈍い痛みとなり、それは一秒ごとに鋭くなっていった。脈打つ血管に合わせるように刺すような痛みが、これは現実の物なんだと知らしめる。どんどん激しくなっていく痛みに顔を歪めながら、ゆかりは途中まで引きかけた召喚器の引き金を最後まで引いた。
現れたマリアから紡がれる癒しの光はゆかりの太ももを白く美しい肌へと再生させる。いや、再生出来る程度の攻撃だったのだろう。本来雷が刺さったなら、焼き焦げると同時に全身に致命的な電流が流れるはずだ。貫かれた痛みこそあれど、心臓が止まるほどの電流が流れていない事から推測するに、単に痛みを与えたいだけなのだろう。
ちらりとレッサーデーモンの顔を見てゆかりは確信する。ゆかりたちは間違いなく遊ばれていた。
「ふ、ふざけんなっ!!」
再び斬りかかる伊織。槍を繰り出す天田。アイギスは機関銃を撃ち続ける。空を斬る剣。闇を突く槍。銃口から生まれた火線は壁へと続く。最初に光ったのは伊織だった。次にアイギス。しばらくして天田の肩口が光る。薄暗い迷宮を照らしているのは不条理な雷の槍。三人を貫いた雷撃はあたりを煌々と照らしていた。
―― 強すぎる。
アイギスが回復スキルを唱え、三人がなんとかその場から逃げるのを見ながらゆかりは呟いた。
―― どうしたらいいの。
召喚器の引き金を引く。聖母マリアはゆかりの背後にいつもの通り現れる。
―― 助けて欲しい。
その時、これまでずっと背後にいたゆかりのペルソナ、マリアがゆかりの前に立った。
ゆかりを見つめるマリア。次第に繋がる心と意識。ゆかりからマリアへと一方的だった流れは、やがて双方向へと変わっていく。
―― 何?
ゆかりの祈りにも似た問い掛けにマリアは静かに微笑む。明確な意志のやりとりはない。心に届くのは温かさと明るさ。そして鋭さと硬さ。声無き声で、言葉無き言葉で、身振り無き身振りでやりとり。それははわずかな一時。
ゆかりは目を開き、そして虚空を両手で掴んだ。
ばちばちと火花が飛び散る様な音がする。みしみしと何かを破る様な音がする。それらはゆかりの気合いと混じり合い、何かが溢れる瞬間の焦りを彷彿させた。ゆかりの手の先からは時折青い光が走る。その瞬間だけ見えるひび割れている何か。
「ま、まさかっ! こじ開けようというのですか!?」
「何? ゆかりちゃんは一体何をしようとしているの?。」
驚きの表情を張り付かせるエリザベスに問う風花。離れた所から見ていてもゆかりが不可視の何かをこじ開けようとしている事は理解できる。問題は何をこじ開けようとしているかである。
風花はゆかりとその背後に立つマリアから迸る気勢と淡い光を見る。軋む音と共に内側から外へ。はじめは二十センチ程度だった右手甲と左手甲の間隔はいまや五十センチ程度まで広げられていた。
「っ!!」
気合いが溢れたようなうめき声ともなんとも言えない声。何もない空間から聞こえる軋みは極点へと達し、見えない何かが粉々に砕け散る甲高い音が響く。内側から流れる力の奔流は弾けるように辺りに散らばった。
さっきまでの緊張が霧散する。また別の何かが辺りの空気を張り詰めさせる。
ふと、ゆかりはレッサーデーモンの左手を見た。振り上げられようとした手はまもなく力が込められ、血管が浮き出始める。やがて振りかぶりきった左手は一瞬止まり、ゆかりへと一直線に突き進む――ような気がした。
左に飛ぶゆかり。弓を出すと間髪を入れず矢を放つ。レッサーデーモンの左拳が轟音と共に床へと突き立てられた。けれど絶叫を上げたのはレッサーデーモンだった。寸分の違いもなく光り輝く黄金の矢は紅い瞳を貫いた。
目を押さえ叫ぶデッサーデーモンに回復を果たした天田が容赦なく槍を振るう。さらに重ねるように怒りの表情すら張り付かせている伊織の重い一撃。腹を斬られたレッサーデーモンはもう一度叫び、やたらめったら腕を振り回す。余程怒っているのか、さっきまでさんざん苦しめられている狡猾さは消え、愚直とも言えるほど力に訴えた単調な攻撃ばかりになっていた。当たれば大した威力であろう大振りの一撃を天田はひらりひらりと危なげなくかわしている。
レッサーデーモンの意識はほぼ天田に向いていた。そんな大きな隙を見逃すアイギスではない。十指に仕込んだ機関銃はレッサーデーモンへと撃ち込まれていく。伊織もじりじりと間合いを詰めていた。
形勢が逆転し仲間たちが反撃へと転じた中、ゆかりは召喚器のトリガーにかかる指にそっと力を込め、マリアを召喚した。慈愛に満ちた表情とはまさにこのペルソナの為にある言葉なのだろう。マリアの包み込むような温かさと優しさを背中に感じゆかりは呟く。「なるほど、ね。確かに全然違う」と。
力強くなったというよりは洗練されたイメージ。何かが追加されたというよりは余計な物をそぎ落としたというイメージ。ゆかりは目を瞑りながら一つ一つゆっくりと確かめる。それは時間にしたら一瞬だった。
さらにもう一瞬後、これなら大丈夫、と確信めいた物を感じると同時に自身に向けられた咆哮と視線を受けたゆかりは静かに目を開いた。ゆかりの瞳に映ったのはレッサーデーモンの赤く猛る眼。残った紅い眼をいよいよたぎらせ、大きく口を開ける。鋭く黒い歯が並ぶ口内で火炎球がぐるぐると周り始め、高温により周囲の景色が揺らめいた。
そして、ゆかりが動いた。
「今度こそっ!」
火炎球がゆかりに放たれたと同時にマリアはマハガルダインを放つ。轟風にあおられ激しく炎が震え伸びる。けれどそれも瞬きする程度の間の話。強すぎる風に負けた炎は核となる部分を真空で切り裂かれ、螺旋を描くように翻弄される。そのまま風はレッサーデーモンを押し返す。
「そうよ、こんなとこで止まってなんていられない!」
ゆかりはもう一度マリアは召喚する。虚空より現れたマリアは今までにない力強さを辺りに漂わせ両手を組んで目を閉じる。緑の光と共にうねるのは天変地異の咆哮。大自然の驚異というにはあまりにも不自然な猛威。轟音は滞った迷宮の空気を揺るがす。およそ風が巻き起こす事が出来る破壊の限界。疾風系最強スキル『万物流転』。ゆかりの手に召喚器はなかった。
迷宮に再び静寂が訪れる頃、レッサーデーモンは跡形もなく消えていた。
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