第二十八話 黒の妖精
大広間に入ったとたんに、お姉ちゃんはこっちに走ってきてフィーに抱きついた。
「フィー! 良かった、会えて。本当に、良かった!」
フィーは始めは驚いて固まっていたけれど、次第にゆっくりと両腕でお姉ちゃんを抱きしめていく。
「コノハさん、良く無事で・・・・・。コノハさんこそ、本当に、良かったです」
フィーの目に涙が見えた。
この半年の間、フィーはずっとお姉ちゃんのことを心配し続けてきたんだ。きっと、クロスの中のお姉ちゃんの情報を確認しようとするたびに「もし消えていたら」という不安に襲われて、毎日毎回フィーはそれを乗り越えてきたはずだ。
「ねぇ、フィー、」
「はい」
お姉ちゃんは抱きしめるのをやめ、フィーの両肩に手を置いて、
「クロス、持ってきてる?」
「え? はい、ありますけど・・・・・・」
フィーがそう言ってコートのポケットをポンと叩くと、お姉ちゃんはフィーの手を引っ張って雪山の上のほうへと歩き出した。
「コノハさん、あの、どこへ?」
フィーの質問に答えずに無言のままお姉ちゃんは歩く。
「お姉ちゃん! どこ行くの? ねえ!」
僕の言葉も無視して、お姉ちゃんは雪のなだらかな傾斜を登り続けた。
お姉ちゃんの様子がおかしい。そう思った瞬間、雪山全体にゴオッと短く強い風が吹き、お姉ちゃんとフィーの頭上に黒い霧に包まれた小さい竜巻が現れた。
お姉ちゃんは黒い竜巻に向かって叫び、
「ルーシー様! ルーシー様! クロスです。これで向こうの世界へ行けます!」
無理やりフィーを押して前へ突き出す。
「コノハさん、どうして・・・・・・」
フィーはお姉ちゃんの言動が理解できず、不安そうに後ろを振り向いた。
やがて黒い霧が消えて、竜巻の中からそれは現れた。
真っ黒な羽根に長い黒髪、鋭くつり上がった眼の中に黒く光る瞳を持つ妖精。それはそこにいるという存在感だけで、周りのものを圧倒した。
僕とジャンが剣を構える。
僕にはまるで、ここにある雪も木も山も、空気でさえも、その存在に怯えているように見えた。
これが、黒の妖精?
これが、ミミと同じ種族だって?
まるで違うじゃないか!
ただそこにいるだけなのに、迫力に圧倒されて体が動かない。緊張でノドが乾いて僕は唾を飲み込んだ。
ジャンも頭の上のミミも、二人とも動かない。二人はどう感じてるんだ?
黒の妖精はフィーの目の前で浮きながら、
「そうか。これが『クロス・ユニバース』というものか・・・・・」
そう言うと、フィーのコートの中から黒い球を飛び出させ、そのまま宙に浮かせる。
「人間ごときがずいぶんとおもしろいものを作る。他の宇宙への扉を開くとは」
黒の妖精を目の前にして、フィーは動けない。
僕の距離でもこの威圧感だ。フィーのように目の前に来られたら、どうなってしまうのか想像できない。しかも、フィーの後ろからはお姉ちゃんがしっかりとフィーの両腕をつかんでいる。
お姉ちゃんはこの世界に来るときにクロスのチカラで身体能力が強化された。そのお姉ちゃんにあんなふうにされたら、フィーは何も抵抗できない。
助けなくちゃ。なんとかして、フィーを、助けなくちゃ!
「これに魔力を注いでいけばいいのだな?」
黙って何も言えないフィーの代わりに、お姉ちゃんが「はい、ルーシー様」と答えた。
黒の妖精の体から黒く細い糸のようなものが何本も出て、クロスの中へと入っていく。すぐに、お姉ちゃんたちの近くの空間に真っ暗で大きい穴が開いた。
「さあ、コノハ。オマエはその巫女と先に行くんだ。私はこの者たちとゆっくり話をしたあと、行くことにしよう」
黒の妖精がクロスを宙に浮かせたまま少しだけこっちを向いた。それだけで、心臓をわしづかみにされたような気がした。
「フィー、行こうよ。私の世界を、フィーにも見てもらいたいんだ」
お姉ちゃんは力尽くでフィーを穴のほうへ押し、いっしょにその穴に入ろうとした。
瞬間、ジャンが飛び出す。
見たこともないスピードでジャンはお姉ちゃんからフィーを奪うと、すぐにその場から離れ、お姉ちゃんから十メートルくらいのところで止まった。ジャンが起こした雪けむりが辺りに舞い上がる。
「ジャン、なんで邪魔するの? 私の世界をフィーに見てもらいたいだけだよ。すぐに戻ってくるよ」
お姉ちゃんはジャンに抗議したけれど、黒の妖精が止めた。
「私がこの者たちにゆっくりと話して聞かせよう。オマエは先に行って準備しておいておくれ。さぁ、すぐに飛び込むんだ!」
黒の妖精にすごまれ、
「はい。分かりました」
お姉ちゃんは素直に従った。
「行ってはダメです!」
ジャンに支えられながらフィーが叫ぶ。黒の妖精から黒い霧が出てお姉ちゃんの体を覆った。お姉ちゃんは気付いていない。
「今はダメです! そこに入っては、まだ・・・・」
フィーが言い終わるよりも先にお姉ちゃんは穴に飛び込み、フィーは悲鳴に近い声で「コノハさん!」と叫んだ。
フィーは見る間に顔色を失いジャンの前でヒザから崩れ落ちる。
僕のところからは穴の中が見えない。何が起きたんだ?
バキッ!
突然両足の骨が音を立てて折れ、僕はその場に倒れる。激痛に声が出るよりも早く、ミミがすぐに治療した。
「ありがとう。なんで急に・・・・」
「まだよ、油断しないで!」
ミミが緊張した声で叫ぶ。
「カイト、メルテにしろ!」
いつの間にかフィーをかかえ戻ってきたジャンに言われ、反射的に剣をメルテにして構えた。
黒の妖精が糸をクロスから放し空間の穴を消して、僕たちのほうを向いた。
「フフ・・・・・・。どうした? コノハがどうなったのか教えてやらないのか?」
フィーがジャンから離れて、
「なんで! なんであんなことをしたんですか! クロスの使い方も知らないのに、あんなチカラ任せにこじ開けた穴に飛び込ませるなんて!」
黒の妖精に向かって泣きながら叫んだ。
「ほう・・・・。使い方を知らないからああなったと思っているのか? 空間を統べるこの私が分からぬ訳があるまい。フフフッ・・・・・」
フィーは驚き、くやしそうな表情のまま何も言えずに、フラフラと後ろによろめいた。
ジャンが両手に短刀を握って構えたまま、
「コノハは死んだ」
黒の妖精をにらみつけて言った。
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