俺はもう終わりだ。いやもうお前がこれを見てる今、俺はもうこの世にいない。俺はあの世を信じない。だからどこにも俺はいない。俺は終わった。神経組織は乱れ、あと数十分も生きていけないことを自覚した。これを書いたら終わるだろう。いや確実に終わる。印象が俺の脳髄に侵入した。未来から時間の風が悪戯をして運んできた印象。空気のように希薄で捉え難いが確かに入ってきた。この手紙を書き終えた瞬間の俺の吐血して死んだ姿が描かれた空気だ。それが俺の脳髄に、未来の記憶として侵入した。おれは終わる。でも終わりじゃない。お前に俺が憑依するから、俺は少しの間だけ蘇る。聞け、虚心にして、その俗に塗れた悩み、その青臭い悩みなど、俺がまだ生きていたら浄化してやりたい、とにかく虚心にしろ、注がれる赤い夢に恋焦がれるワイングラスのように透明な器になれ、男に突かれる無垢な処女のように、俺の器になれ、その処女幕は俺の言葉がぶち抜いてやる、聞け。幕の向こうには全宇宙がある。その聖域をお前が言語化できるように、その暗さにお前の瞼が恐怖しないように、お俺の言葉を注ぎいれて色を少しだけつけてやる。お前は俺の器、そう思え、今から奈落への竪穴の壁に書かれたようなこの落書きを読み終わるまでの間、処女のように無垢になれ。
世界は、お前だ。それ以外にない。お前だけがこの宇宙の中に生を受けた、そう思え。なぜなら、お前は全ての生命だからだ。虚心になれ、そうすれば、マーヤのヴェール、ATフィールドは消えるだろう、その時、お前は、この宇宙そのものになる、いいかよく聞け、俺はイデア界など信じない、でもお前が今まで見ていた「現実」など、腑抜けの人類どもの愚劣な経験が刻印された言語体系に汚されたその不純な神経組織に、邪魔されて、モザイクをかけられ、フィルターされながら、目に写り、耳に入り、さらに、お前の中に映し出されてからもお前が覚えこまされた低劣きわまりない「言葉」によって、さらに歪曲され、ガリレオ・ガリレイ以前の人の天動説が間違いだった以上に、いや、古代の人が地球を円盤状だと勘違いしていた以上に、間違った愚劣きわまりない姿でお前に解釈されている。
五感やその他感覚、言語に邪魔されない純粋な真の世界があるといいたいのではない。感覚が全て、五感だけでなく、内部の感覚も含め、感覚が感じ取る世界が全てだ、真の世界があるとは思えない。断頭台に横になっている死刑囚にとって、数秒後に迎えに来る黒い世界などどうでもいい。彼は今この瞬間を感じているだろう。死んだ後にのこる真の世界など、強力なキリストへの信仰心が無い限り、それを想像したところで慰めにもならない。俺は信仰を嫌う。天国など無い。俺は、天国に慰められる間抜けな死刑囚より、ギロチンが首に掛かろうとするその瞬間を1000倍の克明な意識を以って体験する死刑囚を愛する。聞け、お前は、肌に接触する1秒前にギロチンの軌跡、肉に食い込む感覚、それらを想像し、それに恐怖し、意識が普段の1000倍も克明になる、そういう死刑囚のように、意識を統一しろ。その一瞬には走馬灯が荒れ狂い全ての記憶が凝縮される。あるいは、ある実験によると死刑囚は断頭の直後数秒間瞬きしたというが、その苦痛と恐怖が絶頂に達する数秒間に感情移入しろ。その時、お前は本当の啓示、エクスタシーを体験するだろう。恐怖と恍惚が、過去の地球がS極とN極を反転させたような振幅で、お前の全神経を引き千切ってしまいそうなくらい激しく、上下し、お前は精神のジェットコースターで絶叫を上げるだろう。それが梵我一如の神秘体験だ。ヨガ、グノーシス主義、その他神秘主義を問わず、まさに神秘体験こそが、人類が、あらゆる生命が、その命を宿された刹那の内に体験する意識体験の中で、最も激しい快楽と恐怖を伴い、絶大な意義を秘めた、畏怖と驚嘆に値する、最も偉大な精神的財産である。
神秘体験の時に直覚する世界を俺は真の世界だとは思わない。しかし、この宇宙、全生命にとっての真の「価値」を最も大きく秘めた、最も体験に値すべき世界だと言っておこう。なぜなら一者の歌声がお前の全身を通過する、そしてお前は新しい命のあり方に目覚めるだろう。
預言者、神秘家、詩人の言葉に耳を傾けよ、彼らこそが、宇宙の言葉を語る最も高貴な、人種である。8割の哲学者を信じるな、一部を除き哲学者は詩人には勝てない、あと一歩のところで哲学者は詩人の前でかぶとを脱ぎ、ひれ伏す。詩人は容赦なく哲学者の頭蓋を蹴り飛ばすだろう。だが読むに値しないような愚劣な詩は読むな。優れた詩人を愛せ。詩人はまず既知の言葉や前代の芸術家に血を吹きかけ反逆する。あらゆる既知のものにとらわれた感受性の脆弱な動きなど、己の魂の暴動で揺り動かし、その脆さ加減を暴露し、破壊しなければならない。そしてあらゆる既知のものを徹底的に疑い尽くすことで、未知の感覚を得る。詩人としての完全に未知の恐るべき感受の方法で、自らの肉体のみを媒体として、忌まわしいもの恐るべきものを含めあらゆるものを感じ、そこで得た感覚や感情などを原料として空前のヴィジョンを創る。考えるのではなく本能が感じたままに自動的に筆を動かし、知らぬ間に紙面には文字で溢れている。その叫び声は、彼が発したくて発した叫び声、あるいは詩作を残したくて表現された言葉ではなく、彼の存在の深淵からどうしようもなく湧き上がる奇怪な力が彼を十字架に貼り付ける時、叫ぶほかなかったから叫ばれた、宿命を歌う唄声である。それが真の詩人である。聖人や詩人は全霊を籠めた種をまく。渾然の象徴で表現された言や詩は、いわば種であって、理論のメスで解体しても感動や陶酔は何も得られない。前代の聖人や詩人の種を心の一番奥、命の源泉に植え、本能と感情のみを栄養分として自分の中で熱してはじめて、独自の木が育ち、言葉という葉が生まれる。その葉には血が通う。文体は命の唄を歌うかのように脈動する。その歌手は、前代の偉人の血を受け継いだ新しい預言者でもあり、彼の心の核には、新しい実が成り、そこにはあらゆる現象と心象が混合されて封印された種、妖しくも美しい発芽の予感を秘めた種が出来る。俗離れした苦行や苦悩に耐え続けた人が、様々な観念の何もかもを混同するのは当然であり、混同することによって宝石のような種を造ってくれるのである。種を解剖するのは、学問的研究であって、芸術的感動や宗教的霊感とは、自分の心の中で、その花を咲かせることである。お前の花を咲かせろ!種を試験管にいれてピンセットやら試薬やらで台無しにしてしまう哲学者、種とそれを解剖した残骸だけで頭をいっぱいにする卑俗な哲学者、詩人に軽く頭蓋を砕かれるようよ虚弱な哲学者よりも、俺は、呪わしくもある種を自らの命に植え付け、愛憎の炎で苦しみながらも自らの命を全て新しい象徴の種に移入して自死する狂人を愛する!たとえ彼が同世代の誰に認められなくとも、後の時代の偉大な素質をもった高貴な詩人が彼を心から賛美し、その血を受け継ぐだろう!詩人を病人あつかいするような哲学者は信じるな!偽預言者にも気をつけよ、彼らは愚悪な虚栄心に満ちている、だが文体を見ればお前は見破れるだろう。そのためにはおまえ自身が詩作をし、さらに神秘主義を真面目に勉強し、偉大な神秘家の精神とお前の精神を交感させ、精神的な素地を創っておかなければならい。神智学は偽物だ。いや、偽者というより、パロディといった方がいいだろう。俗臭に塗れた愚劣な神秘主義というべき代物で、役にたたない。本物のヨガを、西洋人向けにアレンジしたような遊びのようなものだ。しかもアストラル体、エーテル体など、天国やイデア界以上にありそうも無い、笑止に値する滑稽な、お遊戯めいた着物でしかなく、現代に雑音を奏でる音楽性がないのにも関わらず派手な衣装だけ御達者な腑抜けたバンドみたいにつまらない。それを着せられると、ヨガという神秘主義の真の王者も、何と白々しいお遊戯に見えてしまうことだろう!西洋人と真の神秘主義を繋ぐには、一体、あのお座興めいた着物しかないのだろうか。もっと他の繋ぎ方がある。真の神秘主義の源泉の力を全身に浴びつつ、本能のままにその感覚を優れた比喩の放熱で、命の色が褪せてしまっせた西洋の文明に対し、暴露したのは、フランス象徴派をはじめとする詩人であり、決して神智学などではない。本能にあのような作り物の陳腐な着物を着せてしまうと、所詮、命の源泉と西洋の陳腐な価値観は真につながれることは無く、神智学の信者以外にとっては、両者は遮られたままでしかない。神智学は畢竟、信者だけで完結している自閉的な連中の集会である。俺は人類全般に価値をもたらす表現を創造するものを心から讃える、そして、中世の錬金術の象徴語、近代の詩人の比喩こそ、命の奔流を西洋に導いた水路である。あとは音楽家。彼らには愚鈍な連中も多い。神経質な連中、無邪気な連中もいる。偉大な神秘家に匹敵する精神的な素質を持ったやつも少しはいる。とにかく色々なやつがいる。このばらつき具合は詩人以上だ。預言者は、真の神秘家と偽預言者に二種類しかいない。詩人は二種類ではなく無限に種類があるが、まだ範疇は狭い。音楽家は、蟻から恐竜までたくさんいる。しかし蟻でも蛆虫でも全て役には立つ。音楽家は、一部の精神的天才を除き、彼らに感情移入する必要は無い。ただ聴いていればいい。音楽にお前の心を溶かし込め。お前の心が溶解してからまた凝固させるとき、お前の精神と感覚は豊かになるだろう。滑稽なメロディなら、少し時間を無駄にしたと思って、他の音楽を聴けばいい。偽預言者の言葉を鵜呑みにするとお前は一生を無駄にするが、音楽にはそういうのはない。聴きたいものを聴き、演奏したいだけ演奏すればいい。音楽は自由だ。詩よりもはるかに自由、なぜなら、詩は「言葉」という愚劣極まりない表現媒体に束縛されざるを得ないからだ、詩人がどれだけ音楽家に憧れることだろう!言葉には概念が対応している。この概念というものがどれだけ人間の精神の自由を縛ろうとするものか、お前は感じたことがあるだろうか!音楽は愚劣でも高貴でも音楽である限り既に自由である。概念を破壊するような優れた比喩法をお前が使った詩を案出したところで、間抜けな音を立てて蠢く俗物、若き生気みなぎる時期に家畜小屋みたいな教育に幽閉されて豚どもの忌むべき押し合いで首筋を捻らせ爛れた脳髄を知識で肥やす以外に能のない俗物、お互い糞を食い合っては腑抜けのような言葉のガラクタを排出してふざけ合う俗物は、詩の言葉にその言葉が一般的に意味するような観念を無様にも混ぜてしまう。純粋な詩の鑑賞者はほんの一部だ。しかし音楽は音楽である限り、みなが純粋な鑑賞者である。ただ、寝言のように耳障りな音楽評論をする奴もいる。奴らは音楽を言葉で縛りつけようとするやつだ。言葉はアクロバティックに翻ってみせたところで、音楽の残滓の一滴さえも滴らせることができない、冷笑に値する表現媒体だ。だが俺は尊敬する、偉大な神秘家、偉大な詩人達を!彼らの言葉を心から愛している!言葉の本当の姿は彼ら以外には知りえない。詩も書けない哲学者、神秘体験をしよともしない俗物など、神聖な詩人達の足元にも及ばない。詩人や神秘家の、足は深海の底深くに立脚し、胴は大地に聳え、胸は雲を纏い、頭は星に囲まれる。詩人は宇宙の印象と接吻する。神秘体験こそ天と地を結ぶ生命の儀式である。
お前がその命を燃料にして思想の幻炎を燃やしたいなら、普通の恋愛などするな。だが一つ以上は恋愛しなければならない、そして失恋して、あるいは適わない恋をして、悲しめ、誰よりも深く地の底でなき続け、天上の彼女に祈り続けろ、お前が宇宙への聖水を流せるまで、ひたすら悲しみをお前の心臓に突き刺せ。聖水はお前の胸の底に張っていた篤い殻を溶かし、宇宙へと達する。その殻に穴が開いたとき、お前の心臓が宇宙と繋がって宇宙が脈動する。お前の命で、血で、この宇宙が染められる。第一級の神秘体験は恍惚の絶頂と恐怖の深淵を上下するあの境地である。そして第二級の体験こそ、失恋による宇宙との性交である。女神を愛するつもりで女に恋をしろ。第二級の体験はもう一つある。淫蕩。幾多の娼婦と罪を犯し、罪悪感に身もだえしろ。お前の骨が疼くまで、女の生殖器が爛れて腐敗するまで、お前の本能を爆発させろ、お前が余りの罪悪感に不能となるまで、ひたすら殺すつもりでやりつづけろ。お前は知るだろう、本能を消費するときの強烈な不安を!お前の命が、魔女の子宮に吸い込まれていく、あの恐怖を!娼婦こそ、真の魔女であり、罪業の獄炎に煮られて呻き苦しむ殉教者である。娼婦の殉教録は涙を誘う。同情し、そしてさらに娼婦を泣かせろ。同情しながら、相手を愛しながら、お前の本能で苦しませ、お前は罪悪感に苦しみ、さらに罪を犯せ。相手を愛しながら殺すつもりで。地獄絵図のような供依存。そのうっとりする悪業が頂点に至るとき、お互いに血を吸いあう陰惨な光景に酔い痴れる時、吸血行為によってお前の血が底をついたとき、お前の罪悪感の本能が絶頂に達するとき、お前は第二級の悟りに至る。
女はあくまで女だ。彼女達は、月の処女神アルテミスに本能の周期を支配されている。満月に照らされた血祭りで、彼女達は生きることを絶望する。アルテミスの冷酷な眼差しに子宮を射抜か、忌むべき血が流れる。お前は男だ。男のみが思想を創造することができる。お前はディオニュソスに支配されてはいない。ディオニュソスの友だ。自由にお前の本能を使え。禁欲も淫蕩もお前の自由。これが偉大な神秘家や詩人が悉く男であった由縁だ。
女が与えてくれる悟りはあくまで第二級の体験であり、真に価値のある、最も偉大なのは神秘体験である。意識が1000倍に凝縮され、今、この瞬間を直観する。しかしこの今は単なる瞬間ではない。ただの点ではない。微分点である。時間という曲線の微分点、音楽が流れるように、動き続ける点である。音楽の一つの音符は、前に連なる全ての音符に影響を受けているのと同じように、今というその瞬間には、過去の全て、お前の意識の全て、いや、お前が学んだ神秘主義者の意識の全て、人類、動物の命の時間、宇宙が誕生してから今にいたるまでの全てが、凝縮されている。そう思え。それが幻想であっても構わない。とにかくその一瞬を普段の1000倍の意識で感じるだけでいい。そうすれば、宇宙の全てが時間的にも空間的にも繋がっていることに気付くだろう。命は全て「一者」であることに気付くだろう。マーヤのヴェールは、恐怖の発作で蜂の巣にされ、恍惚の花火で焼き尽くされる。お前の意識は全てに繋がる。この宇宙の記憶そのものに!お前は普段、お前以外の生命体で生起している意識を意識することはできない。でも第一、その区別自体が単なる幻想に過ぎないと感じるだろう。意識が他と分かれていることなどどうでもいい。問題は「命」が繋がっているかどうかだ。意識というのは精神性の濃度に過ぎない。植物にも末期の精神分裂病患者や植物人間程度の意識はあるだろう。物質性は精神性の反対に過ぎないのである。この宇宙は一つの命である。精神性が強いところ、物質性が強いところ、それはいろいろ在るが、命はもっとも一つであることには変わりない。お前が死ねばお前の肉体の物質性が極限まで強くなるだけのことだ。宇宙の精神性が強かった50センチ四方X180センチくらいの一部分の精神性が減退し、物質的に成るだけのことだ。マーヤのヴェールに包まれたお前が死んだところで、お前の脳の一細胞が死んでもお前の意識は何ら変哲もないように、宇宙は死なないし微動だにしない。しかし全てを見破る神秘体験とともに生きるお前の命は、ほんの数秒間、宇宙の命に繋がる。宇宙は一者とともに誕生し、一者として生きている、一つの命である。神秘体験の時、最大に達する直観によってお前は宇宙の全体を見る。そして命が一つであることをお前の全神経で直覚するだろう。お前は宇宙として生きる。お前は一者になる。
そのためには、若いうちに、音楽を聴き、詩を読んで、感覚と精神を鍛えなければならない。ドラッグはお前の精神力をはるかに超える体験を引き起こし、お前を破壊するだろう、しかもお前がドラッグだけに頼って、感覚と精神の修行を怠るなら、その境地の欠片も表現できないだろう。だが飛躍したいだけ飛躍するがいい。若いうちにしか飛躍は出来ない。詩の魔力を飲み干し、勇み足を点まで暴走させればいい。哲学は単に表現媒体に過ぎない。音と象徴こそが、お前の感覚と精神を豊かにするだろう。卓越した精神を以って、狂いの無い手つきで、感覚の力で、弦を最大まで引き、研ぎ澄まされた直観の矢、命が込められた直観の矢で、宇宙の心臓を射抜け。お前の心臓は宇宙の心臓に合一し、宇宙の血を吸うだろう。その血で、詩や哲学を著せ!
一者の歌声がこの世に響いてほしい。
それが俺の唯一の望みだ。
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