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恋の狩人 ―6―
「ククルは足の骨折、オリスは腕の骨折、2人とも今回はいつもより容赦がないわね」

ラズは、惨劇となったククル夫婦の家の中を見渡した。

壁には斧が刺さり、テーブルは真っ二つ、食器は木っ端微塵に壊れている。壊れていないものは、スーの椅子だけだ。この2人はどんなに激しい夫婦喧嘩しようとも、他人を傷つけたことは1度もない。更には翌日にはこちらが、あてられるほど熱々になるのだから。夫婦というものは分からない。

「確かに、少しエキサイトしすぎたべ」

夫のククルが、足に添え木をあてた姿で笑う。

「まったく、スーの服を買い忘れるなんて、大ばか者だよ」

妻のオリスが腕の添え木で、ククルの頭を殴った。ククルはさすがに、ばつの悪そうな顔をして見せた。

7歳になるスーは今年の春の祭りは特別なのだ。7、という数字は特別な数字で、7歳の春の祭りで豊穣の女神に祝福を受けると、将来良い相手にめぐり逢える、といわれている。

その特別な日には、目一杯おしゃれをさせたい、と思うは親心。
子供の多い街なんかでは、コンテストが行われるくらいだ。女の子としては、おしゃれが出来る楽しいイベントなのだ。

ラズにも覚えがある。父は無頓着な人だったから、近所の叔母さんが世話をしてくれて、手作りの可愛い服で春の祭りに参加したのだった。

「そうだ、アルミスさんに縫っていただいたら?」

アルミスさんは、村1番のお裁縫上手。村の外れにヌエという盲目の老女と2人で住んでいる。

ラズの提案に、オリスが顔を輝かせた。

「そうだね、アタイも手がこんなだし、アルミスさんに頼んでみるべ」

「手を負傷して無くても、不器用なお前には服は縫えんべ」

ラズは再び始まろうとした夫婦喧嘩を止めて、一緒にアルミスさんに会いに行くことにした。この2人だけで行動させれば、また喧嘩になる。とりあえず、喧嘩の原因であるスーの服のことを早く解決しなければ。それに目の見えないヌエの調子も気になる。


* * *


「スーちゃんの花衣かい、それは名誉なことじゃわい」

アルミスはククル夫婦の頼みごとを、快く了解してくれた。小柄でぽっちゃりと太目の可愛いらしい老人は、丸眼鏡をかけてうれしそうに微笑んでいる。早速、生地を何枚か出してきて、ククル夫婦と相談を始めた。花衣とは女の子たちが春の祭に着るきらびやかなドレスのことを指す。

窓辺では、盲目のヌエが、椅子に座り、膝に眠る白猫を撫でている。長い白髪を頭の後ろでひとつにまとめ、いつも穏やかな微笑みを絶やさない、田舎には不似合いの凛とした、ろうたけた老人だ。

この2人は姉妹でもなく、親戚でもない。この村に2人の関係を知るものは居ない。ただ、アルミスは盲目の老人を“ヌエ様”と呼ぶ。

「そういえばラズ先生、お宅に記憶を無くした男が居ると、聞いたのですが」

ヌエが静かな声で聞いた。

ヌエの足のマッサージをしていたラズは、アルミスから話しかけてくるなんて、珍しいこともあるものだと思った。ヌエはいつも優しく微笑んでおり、もっぱら話しかけるのはこちら、いつも丁寧な返事が返ってくる。

「はい、いますよ。おばあちゃん達に聞いたのですね」

「その通りです。昨夜、美味しい糖蜜漬けを持っていらしたのよ。その時、とてもうれしそうにお話されていたわ」

またっく、元気のいいおばあちゃん達だ。ラズは苦笑いをもらした。

「ラズさん」

「はい、どうされましたか」

ヌエの声の調子に、ラズは不穏を感じて、マッサージの手を止めて、ヌエの顔を見上げた。ヌエは相変わらず穏やかに微笑んでいる。

「春の祭り、楽しみですね」

「……そうですね」

何故? 今までヌエは物事に執着する事はなかった、何かを楽しみに待っている、他の人が言えば、そうだね、のひと言で済むのだが、流れる水のように、すべてを優しく受け流してきたヌエが、何かに初めて興味を示した。そのことに疑問を感じてしまう。

ラズの胸に、小さな不安が羽ばたいた。


* * *


「春の祭りか……」

ヌエとアルミスの家を後にしたラズは、とぼとぼあぜ道をひとり歩いていた。
ラズは7歳のころの春の祭りを思い出していた。あれは何年も前になる。





「ラズちゃん、どうして泣いているの?」

そう声を掛けてくれたのは、ひとつ年上の男の子。

「大切な花衣、汚しちゃったの」

ラズのフリルのたくさん付いた桃色の可愛らしい服は、見事に泥んこになっていた。膝も擦りむいて血が流れ落ちている。

「転んじゃったんだね、痛い?」

ラズはコクンと頷いた。涙と鼻水でグチャグチャの顔だ。
男の子は手を引いて、父の所まで連れて行ってくれた。ラズはせっかく用意してもらった服をこんなに汚して顔を上げることが出来なかった。

父は何も言わず、傷の手当をしてくれたのだった。その間、男の子はずっと側に居てくれた。

ラズは服を着替えて、ひとりで部屋に閉じこもっていると、その男の子が“花餅”を持ってきてくれて、二人で半分にして食べた。ラズはその時、恋を知ったのだった。




もの思いにふけっていると、山のほうから獣の咆哮が聞こえた。それは山に住む動物たちを震撼させる。ラズも空気の震える様をビリビリと感じた。

「……花守」

山に入るな、という警告の声。
花守はすべての食物連鎖の頂点に立つ獣の王者。けっして人には懐かない孤高の獣。

普段は人里離れた、山奥に住むが、この季節だけ。特定の場所に訪れる。
“恋の狩人”が発情期に発する独特の香りに引き寄せられるのだ。この時期に、山に入る愚か者はいない。

「おや、ラズ先生。こんにちは~」

背後から、間延びした挨拶を掛けられて、ラズが振り向くと。そこには初老の男性が立っていた。薄くなった髪がそよそよと風になびいている。

「こんにちは。ナアダ先生」

ナアダは村の学校の先生だ。村に少ない子供たちに丁寧に勉強を教えて、字の読めない大人にも根気強く教えてくれる、とても熱心な先生だ。

のんびりとした性格で、ナアダが走っているところを見た事がない。いつもぼんやりしているように見えるのだが、勉強をサボると、必ず見つかってしまうのだ。子供たちはこっそり、千里眼のナアダ先生と呼んでいる。

「花守が来たようですね~」

ナアダは鼻に掛けてある眼鏡を中指で押し上げながら、山を見つめた。その目はとても細い。

「そうですね、先日に採れるだけの薬草を採っておいて良かったです」

ラズはしばらく、山に入れなくなるのを見越して、いつもより多めに採取したのだ。

「恋の狩人に花守、彼らが来ると春が来たのだなあ~と感じますよ。そうそう、ラズ先生にも春が訪れたそうですね」

良かったですね~、と微笑むナアダ。情報源はもちろん3人のおばあちゃん達。

「私も、妻と出逢ったのは春の祭りでした。彼女はとても美しくて、私は眠れない日々を過ごしたものです。病気かと思って医者の所に行ったら、馬鹿と恋に付ける薬はない、と言われましたよ~」

ハッハッハと笑うナアダの妻は、初老を迎えた今でも若い娘のように美しい女性だ。どうしてこんな野暮天に天女のように美しい女性が嫁いだのはまったく不思議なことだ。ラズと同世代のひとり娘は、街の大きな学園で教鞭を揮っている。いつかはこの村に帰ってきて、父の後を継ぎ、子供たちや大人にも勉強を教えるのだと、うれしそうにナアダが喋ってくれた。

たぶん、きっと、帰っては来ない。過疎化の進む村には学校が無くなるのだから。そんな複雑な思いを胸にラズは、楽しみですね。と如才ない言葉を返した。



ラズにとって大好きな村だが、悲しきことに、高齢化や過疎化は深刻な問題だ。



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