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花の繭 ―17―
男装の麗人、エンリルは目を見開いて、ありえない光景を見ていた。

(あの飄々とした、クリシナ様が、慌てている?)

いや、慌てているどころではない。蒼白になり、恐怖におののいている。

不死と言われた禍々しい化け物、金蚕蟲(きんさんこ)に立ち向かう時でさえ、鷹揚(おうよう)な態度だったのだ。
エンリルは英雄クリシナが恐怖に駆られる所など、1度も見たことがなかった。
クリシナには“恐怖”という感情が欠落しているのだと、本気で信じていたのだ。

(祝福のキスを送った花冠の女性、何者だろう?) 

花冠をかぶった女性が倒れた時に見せたクリシナの顔。

エンリルは一生忘れないだろう。

クリシナは祝福のキスを送った花冠の女性が意識を失って倒れるのを目撃すると、ブロンズの顔が血の気を失ったように蒼白になり、エンリルの横をすり抜けて、風のようにその女性の元へ駆けつけたのだった。

(あの女は、クリシナ様の、何?)

エンリルは公爵家に生まれ、父に男のように育てられた。父は男の子が欲しかったのだ。
エンリルも生まれ持った剣術の才能で、父に答えた。男より強くならなければ、父に認められない。エンリルは努力を重ねた。

しかし、年の離れた弟が生まれ、エンリルの世界が音をたてて崩壊した。

破天荒な美貌の公爵令嬢は、女であって女でない。なまじ高い血筋から、周りのものはどう扱えばいいのか分からず、世間から孤立したのだった。

エンリルは戦うことで、自分の存在意義を見出していった。そんな折に出会ったのが、自分より強い男、クリシナだった。
初めて自分を負かした美貌の男に、エンリルは燃えるような恋をした。

クリシナに恋焦がれ、ひたすら彼の後を追った。
隣国との戦いの間も、クリシナに必要とされることが、何よりもの喜びだった。

いつしか“クリシナの銀の剣”とまで言われるようになったが、クリシナは1度として、エンリルを振り向いたことはなかった。

エンリルはそれでも良かった、クリシナの1番近くにいて、1番必要とされている女は、自分だという自負があったから。クリシナは戯れはすれど、誰の物にもならない。だから、安心できたのだ。

クリシナは女性の憧れの的だった。全ての女性がクリシナに恋をしていた。全ての人間がクリシナに憧れていた。

彼は何かに執着することもなく、一箇所にとどめることは出来ない。まるで夏に吹き荒れる、爽快な青嵐のような存在だ。

そんな彼がひとりの人間に、ひとりの女性に執着を持つなど、絶対認めたくない。

(――認めてなるものか!)

エンリルは蝶のように舞い落ちてきた花冠の花びらを、つま先で踏み潰した。


* * *


暗い意識の中でラズの耳に、炎がパチパチと燃える小さな音を届いた。ごつごつとした手が額に乗せられているのが分かる。

目を開けたくない。ラズは大きなごつごつした、暖かい手の感触を存分に楽しんだ。意識は次第に浮上して、全ての事を思い出す。怒涛の1日を振り返ってみても、まだ夢の中にいるようだ。

(夢、だったのだろうか?)

重い瞼を開けると、心配そうなアンの顔が飛び込んできた。

ラズはアンの膝枕で寝ていたのだ。ごつごつした大きな手は、アンのものだった。

「……アンさん?」

「目が覚めたか? どこか痛いところ無いか? お腹すいたか? 水飲むか?」

いきなりの質問攻めにラズは小さく笑ってしまった。ゆっくり起き上がり、周りを見ると、ラズたちは森の中で野宿をしていた。ユンユと大旦那が寝息をたてて寝ている。

空はすでに暗く、森の木々の間から、三日月が見えている。パチパチと焚き火が燃え、どこかでふくろうが鳴いている。

「ナアダ夫妻は、港町に残った。蟲毒師(こどくし)のマーシャルと共に、傀儡になった人々を解毒するそうだ」

アンの声が静かな夜に響く。

「大旦那は店をソーパに任せて、隠居してきた。今回の事件に関わった者たちの処分は、エンリルが全部処理するだろう」

「……エンリル?」

「公爵令嬢エンリル、またの名を破天荒なじゃじゃ馬」

アンはいたずらっ子のように笑った。それは友に見せるような顔だった。

エンリルのもうひとつの通り名が、クリシナの銀の剣。

そう、彼は、アンはあの英雄クリシナだったのだ。ラズはその事実をゆっくり租借した。

(――彼は、雲の上の存在なんだわ)

ラズはきちんと座り直すと、手の平を地面につけて、アンに深々と頭を下げた。額が冷たい大地に着く。

「……この度は、助けていただき、誠にありがとうございました。――また、知らぬことといえ、数々のご無礼を、お許し下さい」

「…………どういう、つもりだ?」

アンの怒気を含んだ上ずった声に、ラズは頭を上げることが出来なかった。ただ涙があふれてくる。

(もう、彼とは、一緒に居られない。あまりにも、身分が違いすぎる)

「ラズ、顔を上げてくれ」

「…………」

「ラズ、頼む」

ラズは涙を隠そうと、数回瞬きを繰り返してから、顔を上げた。その目に映ったのは、月を背景にたたずむ、恐ろしいまでに美しい男だった。なんて、寂しそうで、辛そうな表情をしているのだろう。

そう、彼の名は? 

「――クリシナ様」

「違う! 俺はアンだ」

「それは、仮の名前です」

「ラズ、俺を見ろ、目の前に居る俺を。吟遊詩人に語り継がれる、馬鹿な偶像は、どこの世界を探しても居ない。居るのは俺だ」

アンはラズの手を持つと、自分の心臓に押し付けた。彼の心臓は驚くほど早い。

「ラズ、わかるだろ。俺はひとりの人間だ。血汐が通い、今やラズに嫌われるのではないかと、恐れている。只の男だ」

アンはラズの体を引き寄せて、膝に座らせた。男らしい熱い体が、ラズを包み込み、お互いの血汐を感じるほど密着する。痛いほど、抱きしめられた。

「俺を、見てくれ」

自分を抱きしめているのは、アンなのかクリシナなのか、ラズにはわからなかった。
ただ、彼の切実な思いはラズに届いた。彼はクリシナとして崇めたてまつられる自分を嫌っている。英雄としてではなく、ひとりの男として見て欲しいのだ。

(無理よ、彼にとって、私はあまりにもちっぽけすぎる)

彼の気持ちを受け入れられない。ちっぽけな村医者に、王妃になってくれ、と頼んでいるようなものだ。彼の想いは受け入れられない。

彼にはもっと相応しい人がいるはずだから。

ラズは彼の心臓の上に置いた手を、ゆっくり握り締めた。彼に触れてはいけない。

「……ラズ」

(なんて、悲痛な声で私の名前を、呼ぶのだろう。どうして、捨てられた子供みたいに、震えているの?)

ラズの胸が詰まった。髪を撫でてあげたい。でも、そんなこと恐れ多くて出来ない。

「こうなることが、分かっていた。だから記憶が戻っても、何も打ち明けられなかった」

くぐもったアンの声が聞こえる。

「誰も彼もが、俺にかしずく。共に戦った仲間すら、俺の前では膝を折る。俺は只の牛飼いの男だったんだ。それを神のように崇めたてまつられても、困るだけだ。王になどなりたいわけではない」


王になれ、英雄は毅然(きぜん)としてろ、神にも等しい。いい加減、うんざりなんだ。クリシナは戦が終結してからと言うもの、周りから勝手に神格化され、こうあるべきだ、ああするべきだ、ついには王冠まで差し出された。宮殿で鬱積(うっせき)した生活を送っていたクリシナは、何もかもが嫌になった。そんな時、亡き戦友、ブラフの婚約者、ラズの櫛のことを思い出した。

彼女に会いに行こう。昔のように、そばかすの散る顔で、屈託なく笑ってくれるだろうか?
俺のこと覚えていてくれるだろうか? よく泣いて、花のようにたくさん笑う。花曇のような女性。

クリシナは、思い立ったら即刻に行動に移った。仲間がすぐに追いつけないように、あちこちで問題を起こし、宮殿の執務室に事後処理の書類を山積みにした。
コレで当面は、知将と呼ばれるアイツの足止めをすることが出来る。

クリシナは意気揚々にラズの元へ旅立った。

ラズに会うのは、かしずかれるためにじゃない。笑顔を、昔と変らない笑顔を向けてもらうためだった。


アンは腕の中のラズを、逃がさないように、きつく抱きしめた。

「ラズ、俺はあの村が好きだ。変人の集まりみたいな村だが、皆が自然のままに生きている。肩肘を張る必要がないんだ。肩書きがひとつもない男は嫌いか? ありのままの俺を受け入れて欲しいんだ」

彼の言葉に、ラズは理解した。――彼は孤独なのだ。

(まるで、花守みたい)

仲間からはぐれ、人の里に降りてきた孤高の獣、花守。

(私は、そういう孤独な生き物に、縁があるのかもしれない……)

ラズは握っていた手を、おずおずと開くと、彼の心臓の鼓動を手の平で確かめるように置いた。


「…………あなたのこと、なんて、呼んだら、いいかしら?」

あえて、敬語にならないように、ゆっくり紡いだラズの言葉に、アンの腕が微かに動く。小柄なラズを抱きかかえる力が緩和する。しかし、放す気はないようだ。

「……今まで通り、アンでいい」

アンは、ラズの耳元に顔をすり寄せて、囁いた。

「じゃあ、アンさん、いい加減に離してくれない?」

ラズは気を取り直したように微笑んで、両手を目一杯伸ばして、アンから離れた。

「どうして、この方が暖かいだろう」

ほっとした表情を見せたアンは、にやりと笑うと、再び非力なラズを抱え込むように抱きしめた。

「……ユンユが毒キノコを持って、こっちを見ているのよ」

「…………」

アンが振り向くと、ラズの言葉通り、寝ぼけているのだろうか、ユンユがえげつない色の毒キノコを片手に持ったまま、じーっとラズとアンを見ている。
更にその後ろでは、早く先を続けろ、とはやし立てる大旦那。人間、歳を取ると大胆不敵になるようだ。

明日は私が朝ごはん作った方が無難かも知れない、などと家事音痴のラズはユンユの手に握られている毒キノコを見つめたまま、真剣に考えていた。


* * *


村は何ひとつ、変っていなかった。

いつものように農作業に励む人々。風に揺れる花に蝶がたわむれる、のどかな日々。

大旦那と村長の奥方は、涙を流して感動の再会を果たしたその日に、怒鳴りあいの親子喧嘩していた。今や大旦那はひ孫にでれでれに甘い、村の名物お祖父ちゃんだ。今日もまた、乳飲み子にカリントウを与えないで下さい、と母親であるスーリャの悲鳴が聞こえる。

ラズは夏の訪れを思わせる、爽やかな若葉風を感じながら、花守の繭に寄り添っていた。

時間がのんびり過ぎていく。

花守の繭は、甘くて優しい花の香りがする。繭に詳しい大旦那いわく、順調に育っているそうだ。じきに羽化するだろう。

ゆったりとした時間のなか、ラズたちより、少し遅れて帰ってきたナアダ夫妻の話を思い出していた。


つき物が落ちたように大人しくなった若奥様と蟲毒師(こどくし)は牢獄に投獄され、公開裁判の日を静かに待っているそうだ。
弟子のマーシャルは傀儡(かいらい)たちの解放に駆けずり回ったことが評価され、3年監視付きで、慈善活動を行うことで処罰を間逃れた。
傀儡となっていた若旦那は、ソーパに支えられながら、店を切り盛りしている。
マーシャルも若旦那もソーパも、3人とも毎日のように牢獄に足を運んでいるそうだ。


ラズはその話を聞いたとき、わびしい気持ちになったものだ。
世間に蔑まれてきた若奥様の、世間に復讐したかったという気持ちも、なんとなく分かる。蟲毒師の見せた、弟子を思う気持ち。死んだと思っていたマーシャルが生きていた事を、心から喜んだそうだ。そう、2人とも生まれつきの悪人ではないのだ。

(それなのにどうして……)

世の中、上手くいかないものだ。誰の心にも、金蚕蟲のような、強欲という化け物を飼っているのかもしてない。それが、表へ出てくるか、出てこないかは、どこでどう決まるのだろう?

ラズは花守の繭に寄りかかり、青空を見上げた。昼間の白い月が、いつの間にか、まん丸に近づいてきている。2匹の白い蝶が青空で戯れ、小鳥のさえずり声が心地よい。

「平和だな~……」

ラズは無性に歌が、歌いたくなった。

「ランランラン~花が咲くよ~野に~、とっても~いい匂い~、とっても~いい匂い~、蜂さんおいで~甘い蜜だよ~集めておくれ~、ぶんぶんぶん~眠れよ花~守~ぶんぶんと~甘い香り~」

平和な村にラズの調子っぱずれな歌が響く。花守の繭がごそっと動いた。

山裾で薬草を採っていたユンユの手が止まる。調子っぱずれの歌に、危うくずっこけるところだった。

「…………ラズ先生。花守の胎教に悪いです…………」

平和な村に、胎教には悪い、音痴な子守歌が今日も響いている。


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