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恋の狩人 ―1―
寒く厳しい冬が終わり、暖かい春がやって来た。

雪解け水が、川のせせらぎに変わる頃。爽やかな青空に、白い雲が呑気に浮かび、花がほころび、鳥が歌い、暖かい陽気が眠気を誘う。

麗らかな春。



春に芽吹いた薬草採取のために、野山を歩いていたラズの額に汗が光る。

辺境に位置する、小さな村の医者であるラズは、額の汗を拭い、せっせと腹痛に効く薬草を摘む。

(これくらいで、いいかしら?)

ラズは背負い籠に、いっぱいになった薬草を見て、満足そうに微笑んだ。

傷薬、腹痛の薬、腰痛の薬、頭痛の薬。

これだけ薬草を摘めば、村人全てに行き渡る薬が作れる。

大地の神に感謝の言葉をささげ、籠をよいしょっ、と背中に背負い、帰路についた。

「ルンルンルン〜」

暖かい陽気の中を歩いていると、心が浮き立ち、ついつい鼻歌を歌いたくなる。その気持ちは分かる。しかしラズはそれだけで終わらないのである。

小さかった鼻歌は、次第に音量が上がり、即興の歌が始まるのだ。

「春〜、麗らか〜〜な春〜〜、ルンルンぽっか〜ぽ〜か〜〜〜」

救いようのない、音痴でへんてこりんの歌が野山に、こだまする。

その歌声は、山裾に住む村人達の耳にも聞こえてくるのだ。

村人は畑を耕していた手を休め、桑に寄り掛かり「また、歌ってらぁ」と、朗らかに笑い合い、やがてラズの調子っぱずれの歌に合わせて畑を耕し、種をまき、家畜の世話をして、川で洗い物をする。


ラズが村に帰る頃には、たくさんの洗濯物が、太陽の光をサンサンと浴びて、心地良いそよ風にはためき、ふんわりと石鹸の香りが辺りに漂ってくる。

畑仕事をしていた村人達は、ラズの姿を見ると、手を振って、朗らかに挨拶を交わす。

静かで、特産品もなく、若者は街に出稼ぎにいったまま帰らない、過疎化の進む村だが、ラズはこの村が、大好きだ。

しかし、数年前までは、こんなに優しさに溢れた、のどかで穏やかな村ではなかったのだ。



――12年前に勃発した、隣国との戦。


戦は10年にも長きにわたり絶えず続いた。それは辺境の小さな村まで影響を及ぼし、夫や息子は兵士として戦に狩り出され、手足を失い、心を病み、無事に帰って来る者は、ほんの少しの数だった。田畑は荒れ、飢餓に苦しむ女や子供達。荒廃する国土、荒んでいく人々、絶望感が支配する世界。


転機が訪れたのは、5年前。

“英雄クリシナ”の出現である。

牛飼いだったという平民の青年が、負傷した指揮官に代わり軍を指揮し、不利だった戦況を覆し、逆転大勝利を納めた。そこからの快進撃は止まる事なく、ついには国を勝利にまで導いたのだ。

クリシナの英雄譚は各地を旅する吟遊詩人に歌われ、彼の偉業を知らぬ者は、この国には居ない。

敵さえ魅力してしまう美貌。ドラゴンをたった1人で倒した豪傑。実は先王のご落胤。等など、どこまで真実かは分からない(はなし)は、戦で(すさ)んでいた人々の心に夢と希望という潤いをもたらした。


戦が終結して2年、ラズを含め、今の村人達の笑顔は、英雄クリシナのおかげと言っても過言ではない。

まさに、クリシナ様様である――そんな事を考えながら、のんびり畦道(あぜみち)を歩いていると、産み月間近の大きなお腹の女性が手を振っているのが見えた。

「ラズ先生ー!」

「スーリャ、どうしたの? まさか、産気付いたの!?」

スーリャは1年前に、山向こうの村から村長の家に嫁いで来た17歳の娘だ。働き者で、しっかり者の娘は、あっという間に村の人気者になった。

スーリャの懐妊は、村では戦後初めての赤ん坊の誕生となる予定だ。村人の誰もがスーリャの赤ん坊を、平和の象徴として、心待ちにしている。


ラズは血相を変えて、スーリャの元に駆けて行くと、熱を測ったり、脈拍を診たり、大慌て。

「だ、だ、だ、大丈夫よ、スーリャ! 落ち着いて、元気な子が生まれるわ。ま、ま、まずは、お湯を沸かして!」

「アハハ、先生、落ち着つくだべ。赤ちゃんはまだ産まれないけん。赤ちゃんも私も元気だべよ」

スーリャは“母の顔”で、愛おしむように、お腹を撫でた。その様子にラズは、ホッと胸を撫で下ろした。しかし、他の心配事が胸中に沸き起こる。

「村長の調子はどう?」

村長は先だっての冬に、雪に足を滑らせ、腰の骨を折る重傷を負ってしまったのだ。

「お義父様は回復に向かってるだよ。今日お伺いしたのは、旦那様が街から帰る途中で、行き倒れの男の人を拾っただ。その人、全然目を覚まさなくて、心配でね、それで先生に診てもらいたくて、呼んだだよ」

「男の人を拾った?」

スーリャの旦那様であるダトンは、村の女達が織った反物を、近くの交易が盛んな街まで売りに行き、砂糖や塩、スパイスなどを買って帰ってくる。

近い、と言っても、成人男性の足で、まる3日はかかる距離だ。どの辺りで、行き倒れの男を拾ったのだろう。目を覚まさないのは、確かに心配だ。

ラズは、早速、村長の家に向かう事にした。


* * *


――男は汚かった。

擦り切れ、破けたボロボロの服、ボサボサの頭、泥と髭に覆われた顔は、年齢を判別出来ないほどだ。

目立った外傷も無く、穏やかな寝息をたたえ、静かに眠っているように見える。

「ダトン、彼をどこで見つけたの?」

ラズは2メートルはありそうな大男、ダトンに声をかけた。部屋の隅でうろうろする様は、小心者の熊のようだ。

ダトンは少し考えてから、口を開いた。

「嘆きの岩でさぁ」

嘆きの岩とは、岩の隙間に突風が吹き、女性の嘆き声に聞こえる事からついた地名だ。村からは、徒歩で約1日かかる。

「この男は、1度も目を覚ましていないの?」

「んだ、心配になって、帰ってすぐに先生に来てもらっただ」

ダトンは大きく頷いた。

大柄なダトンは心根が優しく。戦場で己の片足を失いながらも、戦友を助け「自分は、身長がありすぎたから、少し短くなったほうがよかったんだ」と、豪快に笑う男だ。

そんなダトンが行き倒れの人を放っておけるはずもない。

「脈は、しっかりしてるわ」

――何故、目を覚まさない?

ラズは考える時の癖で、鼻のそばかすを擦った。

「もしかして……」

ラズは男のボサボサの頭を綿密に調べ始めた。

「やっぱり! ダトンここを見て」

ラズは男の髪を掻き分け、頭皮を露出させた。ダトンは大きな体を屈めて、ラズの手元を覗き込んだ。

そこに見えるのは――。

「……でぇっけぇ“たんこぶ”だべ」

「うん。もう渇いているけど、髪に血がこびりついてるわ、黒髪だから目立ったなかったのね」

おそらく、嘆きの岩の所で、突風に足を取られ、岩肌に頭をしこたま打ち付けたのだろう。

地元の者は、あそこに突然、強風が吹くのを知っているため、足運びも慎重になる。しかし、それを知らない旅人の事故は、少なくはない。

「この人の荷物は、無かった?」

「んだ、周囲を捜してみたけど、何も落ちちょらんかったべ」

ダトンの前に通り掛かった人が荷物を失敬したのか? 風で荷物だけ飛ばされたか? はたまた、この(なり)だ、最初から荷物を持っていなかったのかもしれない。

「ダトン、彼に服を貸してやってくれない?」

「かまわねぇよ。って先生っ! 何しちょるだべ!?」

ラズは男のボロボロで汚い服を脱がせ、ズボンに手をかけていた。

「何をって、着替えさせなきゃ。不衛生にしているのは傷に良くないわ」

慣れた様子で、男のズボンを脱がせ、残るはパンツ一丁だ。純朴なダトンは真っ赤な顔で、慌てふためいている。

「せ、先生っ、先生! 駄目だ、先生は行き遅れで、歳を食っちょっても女だべ!」

行き遅れ、歳を食っちょっる、という単語に、ラズの顔が引きつる。正直にも、ほどがある。

確かに、17、18歳で結婚が主流な時代に、28歳のラズは完全に“行き遅れ”なのだが……頭でわかっていても、面と向かって“歳をとっている”等と言われば腹も立つ。

「ダ〜ト〜ン〜」

歯の間から搾り出した声には、殺気さえ感じる。

「……先生、笑顔が怖い」

ラズの凄みのある笑顔に、ダトンは叱られた子犬のように縮こまる。

能面のような笑顔を張り付けたラズは、さっさっと、服とお湯の入った(たらい)を用意してちょうだい。とダトンを部屋から追い出した。

部屋から脱兎の如く逃げ出したダトンを見送り、ラズは大きく息を吐いた。

「……まったく、悪気がないぶん叱るに叱れないわ」

ましてダトンは、ラズの心配をしてくれたのだ。医者という職業柄、今更男性の裸を診ても、何とも思わない。

ラズはパンツ一丁で横たわる男の身体を、清潔な布で拭いて、垢や泥を落とす。


……傷だらけの身体だ。


男の身体には、あちこちに深い傷痕が残っている。

2年前に終結した戦の傷痕が、身体に残っている者は多い。現にダトンも片足は、膝から下は義足だ。

それでも、この男の傷痕は、他の人より数が多い。長く戦場に居たのだろう。戦士らしく、引き締まった身体をしている。

(均整のとれた奇麗な身体だわ。30代かと思ってたけど、20代ぐらいね)

筋肉が程よくついた、細身の身体は、奇麗に日焼けしている。


ラズは急に、恥ずかしくなった。

男の身体を診るのではなく、見てしまったのだ。

(医者としてあるまじき行為だわ。ダトンが変な事言うから、意識しちゃったじゃない!)

「先生! 服とお湯の入った(たらい)を持って来ただべ」

ダトンの登場に、ラズは心臓が飛び出すほど驚いた。

「あ、ありがとう、ダトン」

ラズは内心の動悸を抑え、無理矢理、優しい笑顔を作った。

「……先生、まだ怒ってるだべか?」

「怒ってないわよ」

ニコニコにっこり。

「優しい先生は、……怖い」

悪かったなっ! とばかりにラズはダトン目掛けて、布を投げ付けた。

「ほら、さっさっ手伝いなさい!」

「んだ! それでこそ先生だべ!」

ラズは、ダトンが湯に浸した布で、男の身体を丹念に拭いているのを眺め、私は村人に、どう思われているんだ? と考えながら、男の髪から泥と血痕を優しく洗い落とした。


その時。

「……ん」

男の目が微かに動いた。

ラズとダトンは顔を見合わせ、同時に頷く。

「もしも〜し、もしも〜し」
「あんさん、大丈夫か!?」

2人がかりで、必死に声をかける。男は眉間にシワを寄せ、微かに目を開いた。焦点の合わない視線が、宙をさ迷う。


「……た……」

男の干からびた唇から、小さな声が聞こえた。

「ん、何? 水が欲しいの? もう1回言って」

よく聞こえるように、顔を近づける。

男は、ラズの顔に焦点を合わせると、舌で唇を湿らせて、再び言葉を紡ぎだす。


「……天使」

「………………」
「………………」

男は“天使”と言う言葉を残すと、再び眠りに入った。

「………………」
「………………」

ラズとダトンは視線を、男からお互いの顔に移した。

天使。それは、美しき、神の使い。


赤茶けた髪で栗鼠(りす)のようなラズ。熊のようなダトン。

2人とも天使なんて柄じゃない。

「アハハ、天使だってさ、笑っちゃうよね」

笑いながらも、内心は嬉しい女心。

「んだ、んだ、こんな歳をとった天使は居ないべ、アハハ……って先生、その(たらい)どないするんだべ?」

スコーンっと、湯の入った(たらい)が、ダトンの額に命中したのは言うまでもない。

* * *


ラズは手際よく、男の頭に包帯を巻き、ダトンのおでこに出来た、大きなたんこぶにも、薬を塗っておいた。

「さて、一段落ついたわ」

「お疲れ様ですだ。あの、これ料金です」

ダトンは、銭の入った小袋をラズに渡そうとしたが、ラズは首を横に振った。

「貰えないわ。この男性は私が家に連れて帰って、介抱するから」

「な、何を言ってるだべか!? オイラが拾ってきた男だ、オイラが最後まで責任を持って面倒をみるだべ」

「犬や猫を拾うのとは、わけが違うのよ。それに、この人がどういった人物かわからないでしょ。あんたは人が良すぎるからそんなこと思いもつかないかも知れないけど……1年前なら私も放っておいた」ラズはそこでいったん言葉を切り、音量を落として続けた。

「だけどね、今はスーリャが居るのよ。しかも、今はとても大事な時期なの、もしスーリャに何かあったら、私は村長に死んでも詫びる事が出来ないわ」

「……で、で、でも、そんな危険な男を、先生と2人きりに出来ない」

やっぱりダトンは底抜けに良い奴だ、とラズは苦笑いを噛み殺した。

良い奴が悪い、というのではない。良い奴を利用する奴らが、この世界には沢山はびこって居るのだ。

この、のどかな村にはそんな人は居ない。しかしこの男はどうだろう? 平気で人を騙す奴かもしれない。

そんな奴にダトンを利用されたくない。

「安心してダトン。私の家にはユンユが居るわ、2人きりじゃないのよ」

ユンユはラズが8年前に引き取った、15歳になる戦争孤児だ。自分の後を継いで、村医者になって欲しいが、ユンユはいつか、王都に出て騎士になる事を夢見ている。

戦場と化した街から、ユンユを助けてくれた騎士に憧れているのだ。しかし、この国の騎士は世襲制。

身元のはっきりしない孤児が騎士になれるはずもない。それでも、牛飼いから英雄にまでのし上がった、クリシナの例もある。

ユンユは諦めきれず、医学の傍ら、懸命に身体を鍛えているのだ。

どちらにせよ、ラズはユンユの夢を応援するつもりだ。

「ユンユもだいぶ男らしくなってきたでしょ。毎日素振りをしたり、腕立て伏せをしたり、頭も良いし。自慢の弟子だわ」

「んだ! あと2、3年したら結婚相手を探しちゃらなな。ユンユは別嬪さんだから、すぐ相手が見つかるべ」

男に、別嬪さんはないだろと思ったものの、ユンユは確かに金髪碧眼の奇麗な顔立ちをしている。

行かず苔のラズにとってユンユは弟子であり、子供である。そのユンユが結婚して、子供が産まれたら……。

「私もあっという間に“おばあちゃん”って呼ばれるのかしら。うわ〜、嫌だな」

お母さんを飛び越えて、おばあちゃん。ダトンに歳を食ってる。と言われたのが、現実味を帯びてきたのだ。

「オイラはもう少しで“お父ちゃん”って呼ばれるだべ」

ダトンは顔の筋肉が緩みきった、幸福満面の笑顔で、でれでれ笑っている。その笑い顔にラズの悩み事は吹き飛んだ。

ラズはニヤリッと笑い、ダトンの脇腹をひじでつんつん軽く突いた。

「息子かな? 娘かな? どっちが良い?」

「オイラ、元気だったらどっちでも良いだべ」

デレデレ笑いは、ラズにまで伝染した。

「娘がさぁ、お父ちゃんだ〜い好きって言ったり。息子がお父ちゃんカッコイイ、とかさ。言っちゃたりするのよ!」

「照れるだべ!」

「一緒に魚つりしたり、川で泳いだり、楽しみだね」

「んだんだ!」

2人はまだ生まれぬ子供達の空想話しで、大いに盛り上がり、娘の想像の結婚式に涙したのである。

隣の部屋では、スーリャが子供用の小さな服を縫いながら、至福の微笑みをたたえていた。



辺境の小さい村は、幸福の詰まった、のどかで平和な村。



――そう、この男が来るまでは。


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