教室とは打って変わって静寂に包まれた空間。彼女はそこで分厚い本の文字を追っていく。
チラリと視線を上げれば、時刻は既に6時を回っている。
彼女、神谷 望は息をついて本を閉じる。タイミングをはかったいたのか、彼女の親友である裕子が顔を覗かせた。
「まぁた本読んでるの?しかも、そんなに分厚い本」
「図鑑だよ。全部残さず読むわけないじゃん」
「ふぅん、花言葉?へぇ、珍しい。望が花に興味持つなんて」
ニヤニヤと変な笑いを向ける裕子に望はムッとする。
図鑑を元あった場所に返して、望は鞄をつかんで図書室から出て行く。
「ねぇ、今日は一緒に帰らないの?」
「え?もしかしてヒロのこと?いいのよ。あんな怠け者」
「まぁだ言ってるの?サッカー部途中でやめたこと」
「まだも何も、一年しかやってないのにやめるなんて根性なししか言いようがないじゃん!」
高めに括られた黒髪が言葉に合わせて揺れる。
突然足を止めて、じっと下の方を見つめる。淋しそうに目を細めて、小さく呟いた。
「あいつには自由に走れる足が付いているのに。自分で決めてやったことを最後までやらないなんて、贅沢よ」
彼女の足は生まれつきよくなくて、思いきり走れることは今までも、これからもありはしない。
一瞬、裕子も真剣な瞳をしたが、すぐに笑顔に戻る。バン、といい音をさせて彼女を背中を叩く。
「まぁまぁ、あいつにもそれなりの考えがあるのよ!」
「どういう考えよ!あいつに訳聞いたら面倒だからなんてぬかしたのよ!そんなあいつにどういう訳があるのよ!」
「う、それは」
「あいつはただの怠け者で、無責任で、贅沢者なのよ」
「そこまで言うことないだろう?怠け者は認めるけど」
新たな声音に2人は振り返る。そこに立つのは茶色がかった短髪をした望と同い年くらいの男子だった。彼の名前は中島 広人、望と家がお隣同士の幼なじみだ。
「帰るの?」
「あぁ」
「そう、じゃぁ、またあしたぁ!」
爽やかな笑顔を彼に向けて、手を振る。広人は拍子抜けしたように身体を折って、苦笑した。
どこかへ歩き出そうとした望を彼は慌てて制す。
「おい!何でだよ!一緒に帰ろうぜ」
「何でよ。イヤよ、あんたみたいなヤツと一緒に帰るなんて」
ぶっきらぼうに言われたそれに多少傷つきながらも、彼は諦めない。
隣を歩いて、何とか説得していく。
「そんなこと言わずにさぁ、昔からの仲だろ?」
「関係ないわよ。ってか、ついてこないで!ストーカー!」
「何だと!そりゃぁ、ねぇだろ!」
遠ざかっていく2人を温かい目で見守る裕子は、1人淋しく下校した。
「カラス」
「スイカ」
「カエル」
「ルビー」
「イルカ」
結局2人は一緒に下校して、何故だかしりとりを始めている。
何となく始めたしりとりだったが、いつの間にか子供のようにムキになって互いに熱くなっていた。
「カオス」
「スズメ」
「メダカ」
「カタツムリ」
「リンドウ」
「梅田」
「それって、先生?じゃぁ、ダルマ」
「マラカス」
「よくそんなもの出てくるわね」
「へへん」
「スルメ」
「メット」
「陶器」
そんなこんなで学校から徒歩10分しか離れていない2人の家に着く。
普通ならこのまま別れるのだが、広人はジッと望を見やる。
その視線に気付いて、彼女も立ち止まる。
「俺がサッカー部やめた理由本当は別にあるんだ」
「それ、私が信じると思ってる?」
「思ってない。だから、しりとりの続きな」
「は?意味わかんない」
腕を強く引かれて、体勢を崩す。腰に滑り込んできた腕に身体が不意に反応する。唇が柔らかい何かに塞がれる。思わぬ展開に彼女の頭は真っ白になった。
「俺が、サッカー部やめたのはお前といる時間を増やしたかったからだよ」
しりとりの続きはまた明日な。と、何事もなかったかのように家に入っていく広人を茫然と見つめて、彼女はその場に座り込んだ。
しりとりの『き』でキス。しかも追い討ちに一緒にいる時間を増やしたかった。これはまさしく世でいう告白だろうか。
頭の回転が追いつかず、未だに理解できない。
「何、それ。私のファーストキス返せぇ!!!」
「誰が返すか、これは俺んだ」
聞こえてきた絶叫に小声で返事をして、広人は舌を出す。
ファーストキスと聞いて、何気にほっとしていた。
「どうしたの?ねぇ、望?」
「何でもない」
帰ってすぐに部屋に駆け込む。鏡を見なくても自分の顔が真っ赤だということがわかった。
何で、あんなことした?
何で、こんなに心臓が鳴ってる?
あれは、本当に告白?
尽きない疑問が解決されずに胸に溜まっていく。顔を枕に押し付けて、望は妙はうめき声を上げた。
「いつから?全然気付かなかった」
いつも隣りにいた彼。家は隣りで、幼稚園も小学校も中学校も全て一緒に通ってきた。馬鹿やって、笑ったり、喧嘩したりいつも全力で立ち向かってきた相手。
そう、あの時も一緒に頑張った。今から一年と少し前。中学の成績と睨めっこして、2人で同じ高校を目指したあの時。
「どうしよう!俺、キツイかもって言われた!」
「そんなことで悩んでる暇あるなら勉強しなさい!あの高校入りたいんでしょ!」
「おう!絶対入る!」
教科書を握り締めて、この時期は必死に勉強していた。望は楽に合格できるという高校に広人も入りたいと言ってきて、彼女は必死に勉強を教えた。
「そういえば、どうしてここに入りたいの?」
「え?ちょっと、やりたいことがあったから」
望は枕に押し付けていた顔を上げる。あの時聞き逃していたやりたいこととは何だったのだろうか。髪を縛っていたゴムがずれる。思わず解いて、腕にゴムを通した。ビーズで可愛く飾りをつけてあるピンクのゴム。
「そういえば、このゴム、ヒロがくれたんだっけ」
家にあったとか言って。
だけど、ヒロのお母さん髪長くないし、姉も妹もいないからあるわけがないのに…………。
「下手な嘘だなって、思ってもらったんだっけ」
男を意識したことなんてなかった。
恋を考えたことなんてなかった。
私がそんな女の子になるんだって、思ってもみなかったのに。
「ヒロは私を女だとずっと思ってたんだ」
いつからかはわからないけど、幼稚園、小学校、中学校、高校とずっといた。私が足を動かすのを辛そうにしている時は肩を貸してくれた。鈍そうにしてても、実は気が利くいいヤツ。
私でも1回か2回は告白もされたことあった。だけど、付き合うって言葉が実感できなくて、全部断った。その度に何故かヒロにしつこくそのことを聞かれてたっけ。
何だ、考えてみれば結構思い当たる節あるんだ。
「私、ヒロのことどう思ってるんだろう?」
考えたこともなかった彼の気持ちについて、望は考える。いつも隣りにいて、それが当然だと思っていた。それが変わることなどないと思っていた。だから、自覚などなかった。彼に対する気持ち。彼に感じたもの。全て、気にせずに流してしまっていた。
「好き………?」
胸がくすぐられるような言葉を呟いて、また顔を枕に沈めた。
翌日。広人は望の家の前でそわそわしながら待っていた。いってきまぁすと元気のいい声が聞こえて、身体は一気に強張る。門の前で待つ彼の姿に多少驚きを示しながらも、声はかけない。
無言で瞳を合わせて、望はにこりと微笑んだ。
「珍しいじゃん、私より早いなんて」
「まぁな。でさぁ…………昨日のことなんだけど」
「あぁ、しりとりの続き?確か、『す』だったよね?」
歯切れ悪い口ぶりに、広人は不安を抱える。望は滅多なことでは動じない気の強い女の子だ。だから、懸命に考えて、少しでも自分のことを意識してもらえるようにと、キスをしたのだ。それなのに彼女にとってキスはそれほど重大なものじゃなかったのかと…。
「えっとね、ストック」
「は?」
「だから、ストックだって。花よ花」
思った答えと違い、広人は目を点にする。頭もよくて、自分よりも察しのいい彼女が広人の聞きたいことがわからないわけがない。一種の嫌がらせかと疑いを持ちながらも、もう一度聞く。
「俺が聞いてることわかってるか?」
「昨日のしりとりの続きじゃないの?」
「ある意味そうだけど、そうじゃなくて」
「どっちなのよ?」
少しイラつきを見せた彼女にこれ以上突っ込むことができず、2人は学校へと並んで歩いていった。
昼休み。広人はこれ異常ないほど不機嫌だった。
それはもちろん彼女のあのしりとりの答えだ。
くそ、何が花だよ!俺は真剣に自分の思いを教えたってのに、あいつはまだ俺のこと意識してないのかよ!
小学3年生の時から俺はあいつを女として意識し始めたってのに、未だにあいつは悠々と俺の隣りで笑ってる。
まぁ、怒ってたり、泣いているよりはマシだけど。
俺は、俺にしか向けない笑顔が欲しいのに………。
「ねぇ、あんた望に何したのよ?」
後ろから話しかけられて、広人は低い叫び声を上げた。その様子を呆れながら見ているのは望の親友、裕子。
「あの子、今日変よ。あんたと話すところも見てないし、昨日何かやったんでしょ?」
「そうだ、お前ならあいつの気持ちわかるか!?」
「はぁ?」
広人は昨日と今日の出来事を1つ残らず裕子に告げる。途中、難度か呆れ返る彼女だったが、最後の望の言った花について、少し思い当たるものがあるのか、思案する。
しばらくして、新しい遊びを見つけたような笑みを浮かべた。
「あんた、本当に望が返事くれてないと思ったの?」
「へ?だって、現に」
「図書室の花の図鑑でも調べると何かわかるかもよ」
そう言って立ち去って行く彼女の言葉に動かされて、広人は図書室に走り出した。植物図鑑、花図鑑、季節の花など様々な本を放課後も使って探してみたが、返事となるようなものはなかった。諦めかけた頃、脇の方に置かれた図鑑が目に止まり、それに手を伸ばした。
『花言葉集』
ぱらぱらとサ行の花までめくっていくと、ストックという花はすぐに見つかった。
花言葉 真面目、永遠の美…………
文字を追っていた目が止まる。これ異常ないほど見開いて、一気に顔が赤く染まった。
図鑑に載っているストックの花よりも赤く染まった顔を意識する暇もなく、広人は図鑑を元の場所に戻して図書室から出て行った。
廊下を突っ切り、階段を2段飛ばしで駆け下りて、靴を乱暴に履いて、走る。5分もしないうちに自分の家までたどり着いた。ずっと待っていたのか鞄を持ったままの望が家の門の前で立っていた。
「あれ、返事だと思っていいんだな?」
「それが欲しかったんじゃないの?」
「そうだけど………。じゃぁ、いいのか?」
「ちなみに、どう捕らえてるの?」
広人は彼女のこういう顔を知っている。受験勉強の時、よく見た顔だ。人を試す時の、意地悪な顔。広人は袖で汗をぬぐい取って、まっすぐに彼女の顔を見つめる。
「ストックの花言葉は永遠の美、永遠の恋、真面目、豊かな愛、愛の結合…………求愛」
そこまで言って、望は笑みを深くする。自信のない答え、半分は自分の願望である答えを確信に変えながら、ゆっくりと口を開いた。
「お前も、同じ気持ちか?」
「私、ヒロのちゃんとした気持ち聞いてないよ?」
1歩、彼に近づいて、優しく言った。おねだりをする子供のように純粋な瞳が広人を捉えている。困ったように頬をかいて、一瞬視線を彷徨わせる。行動はできても言葉にできない不器用な彼。それを理解しているからこそ、あえて言葉を要求した。
「俺、小学3年の時からずっとお前を女として意識してきたんだ。お前も、俺を男として意識してくれないか?」
「ちゃんとした名詞で言って」
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!望が好きだ!だから、付き合ってくれ!」
近所迷惑になりそうなほど馬鹿でかい声で広人は言い切る。満足そうに微笑んで、望は背伸びをする。彼女のまつ毛があたるほど、近くにある。柔らかい感触に目を瞠って、身体を硬直させた。
「私もどうやら好きみたい。仕方ないから付き合ってあげるわ」
「な、何だそれ!」
「イヤなの?言っとくけど、一生放す気ないから」
サラリと大胆発言をされて、広人は顔を赤くする。望んでいたはずの彼女の笑顔は予想以上に可愛くて、意地悪だった。
「イヤ、なわけないだろ!俺が何年間お前のことを好きだったと思ってる?」
「3年だからぁ、8年間くらい?本当、ずっと私達一緒なんだね………。だから、今まで気付かなかったんだね」
いつも隣りで
いつも貴方が
笑ってくれるから
「幼馴染って、いいものだね」
「だろ?俺みたいなヤツいつも一緒で幸せだろう?」
「調子乗りすぎ」
目が合って、微笑む。今までとは違う甘みある笑顔。互いが互いだけに向ける特別な笑顔。
近すぎて気付かなかった想いにやっと花を咲かせることができた。
花に込めた私の気持ち
貴方に届け
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