人生は、得てしてメリーゴーランドに似ている。
自分の根本的な部分は変わらず、ある一定の部分を歩いていって、周りの風景が変わるのを僕達は成長と言っている。
「なに? それ」
僕が思わず呟いた言葉に北河が反応を示す。長い髪がさらりと音を立てるかのように、流れていくのを僕は見つめる。誰もいない教室で夕日が差し込み、北河の髪を照らす。
「………別に。ずっと昔に僕が思っていたことだよ」
変わろうと思って躍起になって、敷かれたレールから飛び出したくて、でも何からも抜け出す事ができなくて、どうしようもない時に思わず呟いていた言葉だった。
まるでそれはメリーゴーランド。
固定された場所から動くことは出来ずに、ぐるぐると回り、それで移ろい行く景色を眺めては、自分は前に進んでいると言う錯覚に陥る。まさしく無力な人間の人生だ。滑稽な位に憐れだよ全く。
心の中の自嘲から暫らくして僕はいつも通りに“儀式”を始める。右手につけたリストバンドを外す。そこには幾つもの小さな火傷の痕。
「さて、僕は本物の証拠を持っているけど、君はどうかな? 北河睦月さんの偽者かな?」
おどけた様に僕は口を開き、その傷跡を北河に見せる。その後いつもの様に北河はゆっくりと微笑む。
「さぁ? でも、コレを見れば一応は信じてくれるでしょう?」
そう言って北河は長袖の袖を巻くり上げ、左手首を露にする。そこには今でも色あせる事の無い生々しい傷跡が残っていた。
「どう? 本物でしょう?」
「あぁ、どうやら本物みたいだね。良かったよ」
「こっちもよ。いつも以上に変な事を言うから、別の人だと思ったわ」
お互いに軽く笑いあって、お互いの傷跡を合わせる。
まるで恋人が互いを求め合うかのように。
「ねぇ秋月君、この世界に生きる意味なんてあると思う?」
「愚問だね。意味は無い。それが答えだよ」
小さく笑って、北河の手首の傷跡に指を這わせる。ビクリと、小さく反応を北河は示す。
「なら秋月君、なんで私達は生きているの?」
「別に、意味は無いさ。だからいつ死んでもいい、そういう存在。でも死ねば誰かが悲しむだろうから生きている、生き死にさえも自分の思い通りに出来ない憐れな人形だよ」
自嘲気味に僕は呟く。自然に指が自分の首を撫でる。思い出すのは調度二年前の事。脳裏の片隅を過ぎるその事を、僕は追い出し紡がれる言葉に耳を傾ける。
「ならどうして私は此処にいるのかしら? いつもの様に流されて生きて、仮面を被って生きている事に意味があるのかしら?」
一息ついてから、北河は口を開く。
「貴方は私が死んだら悲しんでくれる?」
哀しく微笑むように、北河は呟いた。その言葉は凛としているのに、どこか微風に吹かれただけで揺らいでしまうかのような儚さを持っていた。
僕が知っている北河睦月と言う少女はそういう人物だった。
その容姿を表すかのように凛としていて、どこまでも冷静沈着。あまり他の人に感情と言う物を見せる事がない無感動な人間。なのに時折、非常に淋しげな表情をみせる不思議な人間。
それが僕が北河睦月に抱いた最初の感想だった。
僕が初めて北河睦月と言う人物を見たのは四月の新しいクラスでの自己紹介の時だった。
それぞれが思い思いの事を言い、極少数の者はクラスの雰囲気を盛り上げようと馬鹿をしたり、その他大多数の者は殆んどが当たり障りの無いような事を言っていた。かく言う僕もその内の一人だ。
その中で一人だけ違う雰囲気を纏わせていたのは他ならぬ北河睦月だった。
「出席番号24番、北河睦月。趣味は読書です」
ただ一言そう言って、北河はその場を後にした。今、思い出せばそれはただの当たり障りの無い自己紹介。だけれどもその教壇まで行く立ち姿、そして、凛と放たれたその言葉、そして、颯爽と去って行く姿。全てが僕の網膜に焼きついた。
それが最初に見た北河睦月だった。
「北河は本当に面白いね」
浴びせられる質問の数々に僕は思わず苦笑を漏らしてしまう。
『生きる意味はあるのか』『なぜ生きているのか』『なぜ此処にいるのか』
『死んだら悲しんでくれるか?』
面白い質問のオンパレードだ。そんなどうでもいい様な事を北河は真剣に聞いてくる。答えなんてどこにも無いような事を、だ。
愉快。愉快だよ、本当に。
その質問の真意が何を意図しているのか僕にはわからない。なぜなら僕は他人だから。どうやってもわかり合う事の出来ない別々の生き物同士なのだから。だからこそ面白い。こうやって、時々面白い人間に出会うことが出来るのだから。
ほんと、運命の神様にこの出会いだけは感謝したくなるよ。
「私は、何か変な事を言ったかしら?」
どうかしたのかと北河は聞いてくる。だから僕は口を開く。聞かれた質問にはどんなに難しくても答えるのが……自身の意思を表すのが礼儀だ。なら、表そうじゃないか。
「いや、そう言えば質問の答えを言ってなかったね。答えははい。かな? 僕一人だけ残されるのは哀しいよ」
「そう、うれしいよ。私も私の理解者を一人ぼっちで残しておきたくはないからね」
冗談。理解者なんて存在、僕は欲してなんか無いよ。そんな自分の考えを丸呑みにしてくれる自分と同じ考えを持った人間なんて、一緒にいても面白くも無い。
僕は理解者なんて存在はゴメンだね。
「それはどうも。その言葉だけでもありがたいよ。光栄の極みと言う奴かな」
それでも僕は嘘を吐く。それは僕たちの関係は片方が嘘の存在でなければ成り立たない関係だから。だから、僕は嘘を吐く。
僕が必要なのは異端者。自分が考えないような事を考えている人間。そういう存在に僕は恋焦がれているんだ。折角手に入れた理想の存在。それを僕は手放さない。
「そう言えばさっき人生はメリーゴーランドに似ているって言ったわよね?」
「あぁ、そう言えばそんな事言ったね」
「なら私達は通り過ぎる風景を……アトラクションを周る人の流れを見て、その人達がどんどん移ろい行くのを自身で一歩前に進んだと錯覚するのかしら?」
「ご名答。そして、僕達は一歩たりともその場を動くことは無い。決められた、限定された範囲を決められたように動くことしか出来ない憐れな遊具。ほんっと、人生に似てるね」
どこまで行っても人間は根本的には変わらない。変われない。
どんなに自分を嘘で塗り固めても、いつかは塗装が剥がれる日はやって来る。そうなればそこに見えるのは剥き出しの自分そのものだ。
――なら僕は?
理解者と言う塗装を塗りたくった僕。
――なら北河は?
優等生と言う塗装で塗り潰された北河。
全く、僕達も人の事を言える立場じゃないよ。何かが欲しいからその土台を嘘でしか繕う事が出来ないなんて、本当に愚かで滑稽な存在だ。
愚かと滑稽の象徴とでも言うべきピエロが賢い存在とでも思ってしまえる発見だ。面白い面白い。全く、笑みが零れて狂ってしまいそうだよ。
「本当に北河は僕にとって大切な存在だよ」
思わずそう言ってしまう。その後にもう一度、手首の傷同士をくっつけ合わせる。
友達と呼ぶには余りにも脆い存在で、恋人と呼ぶには余りにも強い関係で、他人と呼ぶには余りにも距離が離れている。
――全く、どう形容すればいいのか悩みに悩むよ。
お互いが望む物の違いを僕は知っている。
僕が望むのは心からの異端者で、北河が望むのは心からの理解者。
180度違う関係を維持するために、僕は敢えて演じようじゃないか。君が望むような存在を。
擦れ違うままで、大きな齟齬が生じたままで、僕たちの関係を築こうじゃないか。
「全く、どうしようもない程滑稽だよね、僕達は」
教室から出て行く北河を見ながら、聞かれないように小さな声で呟く。お互い望むモノは全くもって違うのに、互いを求め合うなんて。
滑稽だ。此処まで道化のように振る舞えるシュチュエーションは中々無いよ。
僕は自身の手首の火傷の痕を見つめる。
「ほんっと、僕達を繋ぐモノで真実はこの傷跡の紲だけだね」
自嘲気味に笑いながら僕は煙草を一本取り出し、火をつける。そこから上る紫煙を見つめて僕は呟く。
『貴方は私が死んだら悲しんでくれる?』
「御生憎様。人様のために流す涙は持ってないんだよね」
おどけたように笑って、紫煙を吸い込み、そして吐き出す。ゆらりと形を歪めるその煙を、僕はいつまでも見つめ続けていた。
本音は、理由なんてどうでも良かった。ただ、一人で雨に打たれているのがどうしようもなく厭になっただけ。
ただ、孤独でその場にいるのが、どうしようもない程厭だった。ただそれだけだよ。
僕達はメリーゴーランド。
同じ場所をクルクルと何度も行き交う事しか出来ないピエロ以下の滑稽な存在。どうしようもない程の滑稽な存在なら、どうしようもない程の滑稽な事を貫き通そうじゃないか。
メランコリックな関係さえも、傍から見れば笑いの道具。ならば僕は演じよう。いつまで続くかわからない理想の関係を。
お互いが求めるモノの違いがわかれば、僕だけが憂鬱に苛まされる事はないというのに。
僕たちの関係は憂鬱で回転木馬。同じ場所を同じ速度で廻るしかないんだよ。その事に不平は感じても、それを表現してはいけない。全く不平等な関係だよ。
喉の奥から競り上がるモノを僕は感じていた。思わず笑みが漏れる。
「さて、明日も僕は演じようかな? 睦月が望む理解者って言う神無をね」
全く、毎日が滑稽で仕方が無いよ。 |