第九話 束の間の休息 《其の二》
「セラスさん、こちらもお願いできますか?」
「ええ、いいですよ。ちょっと待って下さい。・・・・よいしょっと!」
別の本棚から職員の呼ぶ声がする。その声にセラスは返事を返しながら足元に積み上げられた本を持ち上げた。見渡す限り本棚が整然と立ち並ぶ空間で、彼女は今、数十人の職員と共に蔵書の運搬作業を手伝っている。
大政院。元はオルガナ島の経済活動や外交などを担っていた場所である。しかし、数年前にダスカニアとの戦争が始まってからは活動を停止し、今では数多くの蔵書を解放した図書館として住民の間で利用されていた。
「すまんのう。こんなことに手を煩わせてしまって。いきなりじゃったから人手が足りず難儀しとったんじゃよ。いやはや、セラスちゃんに手伝ってもらって大助かりじゃ。本当に感謝してますでの。」
男性職員に混じり、女性では苦労しそうな本の束をものともせず運んでいるセラス。彼女自身の労力と、彼女が参入したことによる男性職員の士気上昇により明らかに作業効率は上がっていた。そんな中、セラスに声をかけたのはしわの入った顔に白い口ひげを生やした老年の男性だった。
「よして下さい。感謝だなんて。私も母もレイバックさんにはずいぶんお世話になっているんです。このぐらいのこと恩返しにもなりません。」
レイバックと呼ばれる男性に謙虚な態度をとるセラス。彼女の家庭は母子家庭である。女手一つで大変だった母親が大政院に幼いセラスを連れて勤めていた頃、仕事で忙しい母親に代わりセラスの面倒を見ていてくれたのが蔵書管理人のレイバックであった。彼はセラスの母親とは旧知の間柄で、母親と共に大政院に訪れていたセラスを我が子のように可愛がり、一緒にいる間はよく面白い話や不思議な話を聞かせてくれたものである。
「ほっほっほっ、そう言われると照れますの。じゃが、そのことについてはあまり気にせんでよろしい。わしもセラスちゃんが居ったおかげで楽しかったからの。良い思い出じゃわい。」
白い口ひげを震わせながら笑うレイバック。セラスもにこやかな表情でレイバックに私も良い思い出ですと答えると、まだ仕事がありますからと一礼し、本の束を持ち上げて再び作業に戻っていった。
レイバックはセラスの歩き去る姿が見えなくなるまでその場に佇んでいたが、やがて一人になると
「それに・・・・もう十分すぎるほど恩は返してもらっとるよ。」
と誰に言いかけるでもなく呟いてた。
「それにしても、この島を爆破するなんてよくそんなことが思いついたな、あのジジイ。」
軍事施設を出て町に向かうこと一時間あまり。ガナックと呼ばれる乗り物を操縦している修一の脇にはすでに自然の織り成す景色から人工的な建物が立ち並ぶ景色へと変わろうとしていた。
石畳で舗装された道の両側に並ぶは温かさをイメージしたような橙色の鉱石で作られた家屋や商店。町の中心部から噴水が噴出し、それに繋がるように東西南北には装飾が施された青銅の橋が架かっている。心が弾むような活気と水のせせらぎによる静けさが協和するこの町を島もろとも爆破するなど修一には思いも付かないことだろう。
「こんなところで何をしているのですか。千夜少尉?」
しばらく町の景色に見とれていた修一に声をかけたのは、脇に数冊の本を抱えて立っているセラスだった。ただし、いつものような軍服姿ではない。刺繍の施された赤と白の民族衣装を身にまとい、胸元のラインがセラスの豊かな胸を際立たせている。衣装が違えばここまで見違えるものなのかを思えるぐらい華やかで美しく、周囲の男達の視線を釘付けにしているほどだ。
「・・・ああ、セラスか。いや、別に何かをしているわけじゃない。ただこの町を眺めてたんだよ。今のうちにな。」
修一もセラスの変わりように驚いていたが、なんとか落ち着きを取り戻すとこの町に来た用件を話す。
マーコットの命令によれば今このときにも方々に散らばった下級兵士たちが爆弾を設置しているはずだ。移住が完了し、敵が侵攻してきた場合に確実にこの島を爆破できるように。その時には何もかもが粉々に吹っ飛んでしまうだろう。だから、時間があるうちにこの町を見ておきたいのだと。
修一の言葉を聞いたセラスもその様子を想像したのだろう。その顔が幾分沈んだ表情に変わる。彼女もまた戦略のためとはいえ、この島を爆破することに反対なのだ。しかし、軍人である彼女は率先して事に当たらなければならない立場にいる。住み慣れた町を、思い出のある町を守りたい。しかし、命令には従わなければならずその二律背反によって人知れず苦しんでいた。
「そんな顔をするなセラス。せっかくの美人が台無しだぞ?俺だって島を爆破することには反対だ。来たばかりでこの町や町に住む人々のことをよくは知らないが、セラス達の様子を見ればここが本当に大切な場所だって事が良く分かるからな。・・・・・・・・でもな、俺達がいくらこの島を爆破したくないと反対したところで軍の上層部は決断を翻すことはないだろうし、敵が侵攻してきたらこの町もいずれは破壊される。」
ありのままの現状をセラスに突きつける修一。それに対して何か言い返そうとするセラスだが
「セラスはこの町がどうしてこんなに美しいのか考えたことはあるか?」
といきなり見当違いな質問をされ、言いよどんでしまった。
「・・・・・この町に住んでいる皆さんが大切にしてきたからだと思います。」
「そうだな・・・・・。」
しばらくしてから口を開いたセラスの答えに肯定するもそのまま何も言わない修一。セラスは戸惑いながらも修一が話を切り出すまで待っている。
「・・・俺はなセラス。軍人になってからまだ日は浅いから飛空船の操縦ぐらいしか出来ないけれど、町の人たちに比べればずっと今の状況を変えられる立場に立っていると思ってる。軍人だから時には嫌な命令に従わなければならないこともあるだろうさ。けれど、それが結果的には人々の命を救うことに繋がるのなら例え恨まれても俺はやるよ。後悔なんてのはこの戦争が終わった後でいくらでも出来るけれど、何に対して後悔するか、それを決めるのは自分だけだからな。そうじゃないか?セラス。」
修一の諭すような言葉に顔を伏せて黙り込むセラス。自分はいったいどうすれば良いのか、何をすればより後悔しなくてすむのか考えているのだろう。やがて考えがまとまったのか修一の顔を見据えて自分の決意を言葉に乗せる。
「私は・・・・私は町の人を、今までお世話になった人たちを助けたいです。この町を失うことはつらいですが、千夜少尉の言うように、例え恨まれても私は軍人です。私の力で出来ることがあるのなら、それが人々のためになるのならどんなことにでも耐えてみせます!」
「良い覚悟だ。」
さきほどまで苦しんでいたのが嘘のようにセラスの心の中は軽くなっていた。それは一つの信念を守り通そうとする修一の志が、彼女を前へと押し進めたのかもしれない。
「・・・ところで、セラスこそ何をやっているんだ?」
セラスの決意を聞いた後、今度は修一が尋ねる。
「私ですか?先ほどまで大政院で蔵書を運ぶのを手伝っていまして、今はその帰りです。」
「大政院ってあのでっかくて白い建物のことだよな。中に入ったことはないが数千冊の本が置いてあるって聞いたぜ?大変じゃなかったのか?」
「いえ、職員の皆さんが朝早くから運んでくれていたみたいで私なんてあまり役に立っていません。」
あくまでそこは謙虚に答えるセラス。だが、彼女が役に立たないなんてことは万が一にもありえない。その軍隊で鍛えられたしなやかな体つきから発せられる力はそこらへんの野郎どもには足元にも及ばないし、知識に関してはレイバックの影響を受けてか軍内部でも優秀の部類に入るからである。
それに加えてこの謙虚でまじめな性格だから、彼女もまたニーフェと同じく人気があるのは当然だろう。ファンクラブの人数はニーフェの方が圧倒的に多いけれど。そんな美人の上司を部下二人(アリアも人気があるのだ。あれはあれで一様に)を持つ修一はまったくもって幸せな男である・・・・・・・作者的には世の男達のためにも一発殴っておきたい気分なのだが。ここでは我慢することにしておく。理由はのちほど。
「ん?なにか聞こえたような気がするんだが・・・・まぁ、いいか。それでセラスはこれからどうするんだ?俺は多少ぶらついてから、海岸に行こうかなと思っているんだが。」
「海岸というと砲撃訓練ですか?」
「ああ、そうだ。」
「そうですか・・・しかし、千夜少尉ほどの方が今更砲撃訓練を受けることはないと思うのですが。」
「おいおい、あまり俺を過大評価するなよ?俺だって訓練を積まなきゃ、ここまでの力を身に付けることなんて出来なかったさ。慢心や油断は戦場では命とりだからな。時間があるのなら努力することに越したことはないよ。」
「す、すみません!昨日の戦闘であまりにも信じられない光景を見たのでつい失礼なことを!本当にすみません!!」
自分のうかつな発言にいきなり頭を下げ謝るセラス。セラスの言わんとすることも良くわかるが修一にはそれどころではない。なぜならここは仮にも往来の場であるのだから。セラスほどの美人が頭を下げて謝っているのがどういうことか、ニーフェのファンクラブの連中で痛いほど分かっている修一としては容易に想像できる。慌てて、謝るセラスを止めようとするがすでに遅かった。修一の周囲から殺気がこもった視線が容赦なく突き刺さる。
冷や汗を掻きながらゆっくりと周りに視線を向ける修一。そこには移住作業で忙しい手を止めこちらを睨んでいる町の皆さんが勢ぞろいしていた。特にセラスと幼い頃からの友達や知り合いの人たちなどは憤怒の形相で今にも襲い掛かろうとしている。
「そ、そうだ!セラス、この間、砲撃訓練に付き合う約束をしてたよなっ?!」
「え、ええ。しかし、私などが一緒に行っても千夜少尉のお邪魔になるのでは・・・・・」
「ううん、全然っそんなことないからっ!!むしろセラスが一緒に居てくれるだけで心強いし!!だから一緒に行こうっ!!!」
修一は慌ててそう言うとその場から逃げるようにセラスの手を握り(あっ墓穴)、駆け出した。よほど町の人の視線が怖かったのかもしれない。修一が手を握ったことで更に強まったが。セラスの方はいきなり修一に手を握られたことでびっくりした様子だったが、修一の力強くそれでいて暖かい手のぬくもりに頬を赤く染めていた・・・・。
慌ただしく走る足音が静寂に包まれていた廊下に響きわたる。壁には「廊下は静かに!」と書かれた張り紙があるにもかかわらず、誰もその足を止めてわざわざ注視することはない。一歩出れば喧噪とともに薬品の匂いが漂ってくる。いつもとは違う異様な雰囲気に心なしか身を強張らせながら、アリア・シェルはそっとドアを閉めた。
203号室と掲げられた病室の一角には彼女の弟であるカイン・シェルが眠っていた。まだ幼い体をベッドに横たえながら、外の様子などまるで感知していないとでもいうかのようにすやすやと眠っている。顔を見ればいかにも幸せそうな寝顔である。シーツからはみ出した腕に痛々しく刺さっている点滴針を除けばだが。
「不治の病」。医者にそう言われたのはアリアが十六歳のときだった。両親を事故で失い、それまでを弟と二人で支え合いながら懸命に生きてきたアリアにとっては、唯一の肉親であるカインを失うことはあまりにも残酷な運命に思えた。
(どうして、どうして!どうしてっ!!)
医者の言葉を聞いたアリアは、溢れる涙を拭うこともせずただひたすら自問する。けれど、いくら自問しようとも答えは見つからない。原因も病名もまったく分からないこの病気を憎み、そんな病気に罹った弟を悲しむことしかアリアには出来なかった。
しかし、医者は続けてこう説明する。この病気の治療法はまだ発見されていないが、少なくともこの病気は患者に痛みや苦しみを与えるものではない。脳波を見る限り、患者は昏睡状態になっており、外部の刺激に反応しないだけで生き続けることが出来ると。
その言葉はアリアにとってもまたカインにとっても不幸中の幸いだったのかもしれない。一日に必要な栄養と水分、適度な筋肉刺激を与えれば、健康状態のままで生きながらえることができるのだから。例えそのまま老いて死ぬまで目を覚ますことはなくとも・・・・。
「おはよう、カイン。今日も元気にしてたかな?昨日はごめんね、寂しい思いをさせちゃって。ちょっとお姉さん用事があって来れなかったんだ。でも、今日は時間がたっぷりあるからずっと側にいてあげられるよ?これならカインも寂しくないよね。」
ほとんど毎日欠かさず繰り返される会話がそこにはあった。どんなに忙しくともカインのために時間を作り会いに来るアリア。しかし、決して軍の仕事を疎かにする訳ではない。なぜなら彼女が当時十六歳という若さで軍隊に入ったのは、軍事特別手当に記載されている
『軍関係者並びにその肉親にあたる者は公共施設の利用を条件に基づき無料または一部のみとする』
という言葉に惹かれたため。その条件には様々な規則があったが、弟の医療費を払い続けることが難しかったアリアにとってはまさに願ってもないことだった。だから、彼女はつらく厳しい訓練にも命を削り合う戦場の恐怖にも逃げずに耐え、頑張れることが出来る。全ては弟に生きていてほしいという一心で。
「・・・・・・・・・」
そんな思いを胸に秘めて声をかけるアリアだがカインからは反応の一つさえ返ってはこない。いつものようにベッドの上で横たわり規則正しい呼吸音を奏でるだけ。それでも、アリアは気にすることなくカインを見つめながら話し続ける。
カインと別れてからまたカインに会うまでの色々なことを。それは朝の一コマだったり、友達との何気ない会話の内容だったり、仕事の話や買い物の話だったり、ご飯の献立についてだったりと他人が聞いていたら呆れるぐらい細かく話す。まるで自分の体験をカインに共有させるかのように。
「・・・・でね、修一ったら顔を真っ赤にして転げ回ってたんだよ〜。セラスも見ていただけで助けに入らなかったんだ。いい気味だよね〜。」
最近はどうやら修一の話が多いらしく、アリアは笑っていた。話の内容からは泥酔したニーフェを運んだ後の修一の顛末が語られている。なんでもニーフェを運んだ後、ファンクラブの連中から逃れた修一が向かった先は食堂だった。そこでテーブルに座ろうとしていたアリアとセラスにばったりと出会い、そのまま三人で食事を取ることになったらしいのだが・・・。
急にアリアが何かを思い出したように立ち上がると、いきなり三人分の食券を買いに行くと言い出したのだ。修一は別にいいよと遠慮したのだがアリアは聞かずに立ち去って行く。
そして数分後。戻ってきたアリアの手元には、シェリジェア(フライした魚)が三つ香ばしい匂いを放ちながら収まっていた。その匂いに食欲を刺激された修一はさっそく食べようとするが、ここでアリアが待ったをかける。修一が抗議の目線を向けるもアリア曰く、シェリジェアには正しい食べ方があり、備え付けのホワイトソースをたっぷりとかけることが礼儀なのだと説明する。なるほどと思い修一は何の疑問も持ず、シェリジェアにホワイトソースをこれでもかとぶっかけた。
もしここで修一が冷静な判断が出来ていたなら、セラスの驚愕に見開かれた目と、アリアの作為的な笑みに気づいただろう。
しかし、ニーフェと酒を飲みかわしていたことが仇となった。いくら修一が酒に強いとは言ってもアルコールによって思考は鈍くなる。鈍くなると当然隙が出来るのだ。
そして運命の瞬間・・・・・・・・・・
パクっ!
沈黙が三人の間に舞い降りる。
そして・・・・・・・・・・・・・
ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
絶叫が食堂に響きわたる。あまりの辛さに修一は床を転げ回った。体内に蓄積されたアルコールもどこかに吹っ飛んでしまい、緩衝剤にさえならない。
実はこのホワイトソース、パプオという実を大量にすりつぶして作られたものなのだが、その味は唐辛子の十倍の辛さを誇る、超激辛調味料なのだ。普通は少量のホワイトソースを別のソースと混ぜ合わせて自分好みの辛さに調節するのが一般的なのだが、修一の叫び声からもわかるようにホワイトソースだけで、それもたっぷりとかけて食べる人はこのカルストイナ中を探してもまずいない。この辛さに対抗出来るのはひたすら水を飲むことなのだが、床に転げ回る修一に誰も水を差し出そうとはしなかった。コップに並々と注がれた水を片手に持っているセラスでさえ、見ているだけで差し出す気配はない。戦闘時の「覚えておいて下さいね?」というのはこういうことだったのかもしれない。
修一は薄れ行く意識の中で、あざ笑う声を聞いたそうだ。それが誰の声だったのかは分からないが・・・・・。
コンコンコン。病室のドアを軽く叩く音が聞こえる。失礼しますと言いながらドアを開けて入ってきたのはまだ若い看護婦だった。
「アリアさん。もうそろそろ退室のお時間ですよ。」
病室の窓からはもう夕日が沈みかけている。
「はい。分かりました。」
看護婦の声に返事を返しながら、アリアはカインに顔を近づけると額に軽くお別れのキスをして病室から立ち去る。
別れ際、閉じられていくドアの隙間から見えたのは夕日に顔を照らされてながら、微笑んでいるように見えるカインの寝顔だった。
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