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大好きな季節と、大好きなキミへ_千聖

 また、この街に冬が訪れた。

 昔ほど頻繁に雪は降らなくなったが、それでも急激に下がったこの気温と、ちらほらと日陰に見える雪は“冬”を表すのに十分だ。

 あれから、何度冬を迎えたのだろうか。僕は今、学生服にコートを着込み、マフラーの中に顔半分を埋め、手をポケットに突っ込みながら歩いていた。

 

「三年だから仕方ねえけどさあ、こう勉強漬けってのは辛いよなあ」


 隣を歩いていたクラスメートが、鼻の頭を真っ赤にさせ、白い息を吐きながら呟く。

 そう、僕は今、高校最後の冬を迎えていた。




 フウカちゃん――この年齢になってこの呼び方は少しだけ照れ臭いものがある――のことは、今でも忘れてはいない。いや、細かい仕草とか外見については、所々ぼんやりとしか残っていないのだが、彼女が大切な友人であったこと、自分にとってどれほど大きな存在であったかということは、忘れるわけもなかった。

 あの頃、何日も何日も彼女が来るのを待っていた。しかし、僕の淡い期待は毎日のように散った。どれほど待っていても、もう二度とあの綺麗な雪うさぎをみることも、あの笑顔を見ることも叶わなかった。きっとまたいつか、何の前触れもなくひょっこりと顔を出してくれるんじゃないかって、何年かは思っていた。思い続けて、結局その願いは叶うことないまま、この年齢になった。

 眠りにつく少し前、聞こえてはいたんだ。彼女の最後の言葉が。それでも僕は、信じたくなかったのだ。

 近頃になって、やっと僕は重い腰を上げた。彼女のことを調べようと思った。あまり難しくはなかった。もちろんプライバシーに関わるからと詳細まで漏らす人間など居なかったが、それでも一つ一つの言葉は、それがフウカちゃんであるという確信を得るに足りるものであった。

 ――宇月フウカ。それが彼女の名前である。

 この街一番大きくて、僕も何度か入院していた病院に、嘗て彼女も入院していた。僕よりもずっと長い期間。そして、彼女自身が最後に言ったように、彼女は既に他界していた。僕の家に初めて訪れたあの日よりも前に。

 そう、一つだけはっきりさせておきたいことがある。僕は結局、彼女と初めて出会ったときのことを思い出すことは出来なかった。思い出そうにも何もかもが靄がかっていて、あれから何年も経っている今じゃ、その記憶はより薄ぼんやりとしたものになってしまっていた。フウカちゃんには申し訳ないが、きっと僕はこれからも、あの頃のことを思い出すことは出来ないと思う。

 しかし母曰く、確かに幼い頃の僕は入院中、毎日のようにどこかの部屋に向かっていたらしい。毎日毎日、その部屋に通い詰めて、特に何をするでもなく落胆して戻って来るという生活をしていたそうだ。「約束していることがある」と、そう言って過ごしていたのだという。


「おーい星川、俺の話聞いてる?」

「えっ、ああ、ごめん。全然聞いてなかった」

「ひっでえなおい」


 隣の友人は笑いながら僕の肩を叩く。


「ごめんって。で、何の話?」

「来週末は珍しく休みじゃん? クラスの奴も誘ってスキーでもどうよって」


 スキーか。初めてだな。そう何となく呟くと、友人は声を荒げて驚いた。いや、そんなに驚かなくてもこの年齢でスキー未体験の人だって居るとは思うのだが。

 しかしそんな驚きのすぐ後に、「じゃあ初心者のお前に俺のスキー技術を伝授してやろう」と自信満々に言ってくれるあたり、良い友人なのだと思う。あれ、というかスキーに行くこと自体は決定事項なのか。


「何だよ、行きたくないのか?」

「いいや、行きます。行かせていただきますよ」


 ちょっと冗談っぽく返事をすると、彼はまた満足そうに笑うのだった。

 フウカちゃんが家に来なくなったあのときから、僕は一度か二度、また入院した。でもそれはとても短期的なもので、僕自身の体調もそこまで落ち込んだものではなく、むしろ最後の入院生活を終えた後から、体調は右肩上がりで良くなっていった。

 そして今では、はっきり言ってしまえば、もう何ともない。念のために、もしものときの薬は処方されているけれど、それに頼ったことはなかった。

 そう、冬でも外で遊べる身体になったのである。年齢が年齢だから、あの頃やりたかった雪だるま作りとか、かまくら作りとか、そういうのを体験する機会がそうそう訪れないことが残念だけれど。もうあんな風に、一日中息が詰まりそうなほど暖かな部屋に閉じ込められることもないのだと考えると、とても晴れやかな気分にはなった。母に初めて冬場の外出許可を貰ったときの自分の喜びようは、相当なものだったと思う。

 フウカちゃんに知らせたかった。こんなに元気になったんだよ、と。

 彼女が最後に見せた、泣きそうな笑顔は今でも脳裏に焼き付いている。

 少しだけ大人になって、あの頃の自分の行いを思い返すと、彼女にどれほど我儘を言ってしまっていたのかが改めてよく分かった。僕が外に連れ出してほしいなんてお願いをしなければ、彼女とあんな風に別れることもなかったんじゃないかと、そう思う。


「お、雪だ」


 不意に友人が放つ。

 空を仰ぐと、確かにちらちらと小さな結晶の塊が降り注いでいた。


「今晩辺りは積もるかねえ。今年はそんなに多くないって聞いたけど」

「へえ、そうなんだ」

「別に困りはしないけど寂しいよなあ。昔は小学校の校庭とか雪だるまだらけだったのに」


 友人はそう言いながら、その辺の植え込みに乗っかっていたらしい雪を握り、ボール状にして手の中で弄ぶ。


「星川って昔病弱だったんだろ? そういうことして遊んだ?」

「いや、外には出られなかったよ。でも屋根の雪とかで雪うさぎとか作ってたかな。下手くそだったけどね」

「お前は美術駄目だもんなあ」


 失礼だな。まあ事実なので反論はしない。

 相も変わらず、僕は周囲に驚かれるほど不器用らしい。美術の時間、作品を完成させる度に教師が評価に困っていると聞いたこともあるし、この不器用さは治りはしないだろうと苦笑する。きっとここにフウカちゃんがいたら、また下手っぴだなあと笑われるのだろうな。

 フウカちゃん。キミは今どこに居るんだろう。僕の前から居なくなったということは、ちゃんと、居るべき場所へ行けたのだろうか。

 あんな終わり方になったのは、今でも後悔している。せめて最後に見る顔は、泣きそうな笑顔なんかじゃない、いつもの悪戯っぽい笑顔であってほしかった。僕も、ちゃんと自分の気持ちを話したかった。ありがとうと、言いたかった。

 マフラーを巻いているはずなのに、突然首筋に、痛みにも似た冷たさを感じて素っ頓狂な声を上げてしまう。慌ててマフラーの下に手を突っ込むと、雪の欠片が溢れ出た。


「うわっ!? ちょっ、何するんだよいきなり」


 友人はけらけらと笑って口笛を吹いた。


「なんかお前さ、今日上の空じゃん? 構ってもらえない俺からの報復だ」

「な、何だそれ……」


 よく見ているものだ。

 冬になると、否応なしに彼女のことを思い出す。特に冬の初めはそうだ。部屋の窓が気になって、気になって。もう二度と会うことはないのだろうと分かってはいる。僕も、あの頃のままではいられないし、ちゃんと前を向いて進もうと、そう思う。フウカちゃんが生きられなかった分も僕が生きるとか、そういう決まり文句は敢えて言わないけれど、僕は、生きたいと、そう思う。

 学校の最寄駅まで歩いて来て、友人とはここで別れることになる。


「ああ、この後カラオケ行こうって話してたけど、星川はどうする?」

「え、明日も学校だろ? 僕はお前みたいに夜通し遊ぶ不良じゃないの」

「誰が不良だ! まあいいや、じゃあ明日な!」


 軽く手を挙げ挨拶を交わし、僕は自分の乗る電車のホームへと向かった。

 元気になった。あの頃よりも友人は増え、近い距離間で人と接することができるようになったように思う。好きなように、どこにでも遊びにだって行ける。あの頃できなかったことが、今なら何でもできるはずだ。

 それはとても喜ばしいことだと思う。これ以上ないくらいに、僕が望んでいたことだと思う。それでも、僕にとって、あの頃共に居た、共に居てくれたフウカちゃんは、僕自身にはどうしようもできないくらい大きな存在だったのだ。満たされているはずの心の中に、小さな穴が開いている。そんなむず痒さがいつまでも僕の中に残っていた。

 僕はこのまま大人になって、仕事をして、何れは誰かと結ばれたりもするんだと思う。そしていつかきっと、フウカちゃんのことも忘れてしまう日が来るのかもしれない。確信はないが、そう思う。それでも、いつかやって来るその日まで、僕は彼女のことを覚えていたい。彼女が僕の友人であったことを、ここに確かに存在していたということを、覚えていたいと思うのだ。




 帰宅すると、玄関の扉は鍵がかかっていたので、普段持ち歩いている合鍵を使って中に入った。どうやら買い物に出掛けているらしい。珍しいことではないし、むしろ日常だ。

 二階に上がり、昔と変わらない間取りの自室に入る。屋外も屋内も、寒さは大して変わらないな。鞄を下ろして、マフラーだけを外し、コートは着たままベッドの上に座る。

 窓を開けた。学校を出た頃に降り始めた雪は、屋根の上に白い膜を作っていた。量はさほど多くはないが、明日の朝には多少なりとも積もっていることだろう。

 僕は窓を開け放したまま一階に下り、そのまま玄関も出て小さな庭に出た。何日か前に積もったまま溶けていない日陰の雪に手を伸ばし、幾らかを手に取る。もう随分雪の質も変わっていて、カチカチになった雪で手が切れるかと思ったが、このくらいなら大丈夫だろう。その雪の塊を握り、庭にあるナンテンの実と葉を取って付ける。


「うーん、やっぱ下手だな」


 我ながらそう思う。フウカちゃんの作る雪うさぎはどうしてあんなに綺麗に見えたんだろうか。いや、まずそれ以前に、男子高校生が庭で一人雪うさぎを作るのもどうなんだと思うが、幸いにも周囲に人が居なかったので良しとしよう。

 僕はその不格好な雪うさぎを二階に持ち帰り、開けっ放しの窓の外に置いた。いつもフウカちゃんの挨拶代わりの雪うさぎが置かれていた場所だ。


「今日はやけに思い出すな」


 まだ冬の初めだからか。雪が降っているからか。

 冷たい空気を吸い込んで、ゆっくりゆっくり吐き出す。


 ――フウカちゃん、フウカちゃん。キミはあの頃、幸せだったんだろうか。僕と一緒に居たことで、キミに辛い思いをさせたんじゃないだろうか。なんてね、困らせた自覚はあるんだ。ごめんね。僕に会いに来てくれてありがとう。友達になってくれたこと、ありがとう。本当は忘れたくないけれど、いつかきっと、キミを忘れる日が来てしまうことを、どうか許してほしい。キミに出会えて良かった。ありがとう、大好きだよ、フウカちゃん。

 心の中で、唱えた。彼女に言いたくて、言えなかったことを。

 不格好な雪うさぎの背を指先で撫でる。

 僕は未だ、フウカちゃんがどこに住んでいたのかを知らない。彼女の眠っている場所も、知りはしない。いつかそれを知ることができたら、今度は僕から会いに行こう。僕の大好きな、雪の降る季節になったら。ひょっこり顔を出して、まずこう言ってやるのだ。


「また、冬が来たね」と。

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