第二話
皇后との茶会の次の日。
朝の朝議において、科挙の事が議題に持ち上がり、朝議は活気付く。
「今年の科挙には、うちの息子が入りましてな」
「おお、それはそれは。さぞ優秀な成績を収められたことでしょう」
「いや、それほどでも。でも内々のご沙汰で、都に配属されることになりまして」
「おや、それはおめでたい」
口々に自分の息のかかった者の話をする貴族達を、冷めた目で見やりながら、翠候は陛下のお出ましを待った。
斎陽帝が入殿し、上座に着くと、さっそく本日の朝議が始まる。
上官がうやうやしく巻物を陛下に捧げた。
「陛下、今年の科挙の結果にございます」
渡された巻物を受け取って、皇帝はうなずいた。
「今年は全国より二百二十名が受験、九十七名が合格となりました」
「そうか」
上官は、更に口元にちらりと笑みを乗せて続ける。
「今年は藍候の妹君のご子息が、たいそう優秀な成績を取られました。本当にめでたいことです」
藍候が膝をつき、陛下に申し述べた。
「身内のわたくしが申すのも何ですが、大変優秀な者でございます。お側に置かれましたなら、きっとお役に立つのではないかと」
おそらく事前に打ち合わせてあったのだろう。
上官と藍候は、上手く身内を皇帝に推挙した。
あまりにも魂胆が見えすぎて、斎陽帝は溜め息をつき、それは良かったな、とつぶやく。
巻物を広げ、帝は目を通した。
やはり主席と副主席が気になるところだ。
藍候の甥は何番目なのかと目を走らせると、なんと五十位であった。
(一番でもないのに、随分な自信だな)
そう思い、また主席の名に目をやる。
(凰 龍焔……凰家か。聞いたことがないな)
都の貴族ではないようだ。
姓があるから平民ではないようだが、地方の貴族では、最初はせいぜい州宮の最下官に配属されることだろう。
(第二位と大差をつけての成績だ。武門の結果も良い……惜しいことだな)
こういう優秀な人材こそ、自分の側に置きたいのに。
揺れる心を押し隠し、それでも興味を持って、斎陽帝はこの名を口にした。
「主席は、なかなか優秀そうだな。 凰 龍焔――どこの者だ」
皇帝の問いに、上官は顔をゆがめて答える。
「なんでもインファン州の貴族だとか。陛下がお心に留めるほどの者ではございません」
田舎の取るに足らない男だろうという口ぶりに、斎陽帝は気分を害した。
「科挙の試験は、国の未来を担う重要な臣を選抜するものだ。国のため、皇帝たるわたしのために尽くそうと日々努力して試験に臨み、主席となった者を心に留めずして何とする! この者の詳細をこちらに持て」
「は、はあ……」
上官は額に汗を浮かべながら、下官に命じ、一枚の調書を探させる。
それは科挙の試験を受けるに当たって、本人の情報を各地方の塾より推薦書として作成し、提出したものだ。
「インファンの凰家――先々代の皇帝に仕えた大将軍の子孫か。なかなかの家柄だな」
「まあ、そうですな。一地方の貴族としてはまずまずでございましょう」
藍候が、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。
「次男か。履歴は、学問所の教師――家族は家長たる父と兄と兄の妻二人……ん?」
斎陽帝は、最後に記された一文に目を通し、驚愕する。
(これは……)
手を震わせ、顔色を変える皇帝に、皆、怪訝そうな目を向けた。
「陛下? いかがなさいましたか」
上官が、気遣って言葉をかける。
斎陽帝は調書から目を離し、自分をじっと見つめる翠候に目線を注いだ。
「彼は、翠候、あなたの娘婿か」
「恐れ入ります」
澄まして一礼する翠候に、その場にいた全員が驚きのまなざしを投げる。
「まさか……今年の主席が翠候の?」
「例の姫の相手だと?」
「では、翠令息となる者だというのか」
ざわざわと朝議の場がざわめいた。
皆、翠候の娘婿のことは噂でいろんな話を聞いている。
しかし、まさか科挙の試験で主席になる程とは思いもしなかったのだ。
斎陽帝は、改めて調書に目をやる。
自分と同じ歳の青年だ。
一体どんな男なのか。
調書にはわずかばかりの情報しか載っていないが、怪しい噂は斎陽帝の耳にも入っていた。
(女装壁を持ち、男色家で、我が侭な男――)
だが調書の中には、そんな事は何一つ記載されていない。
添えられた推薦書きは前インファン州官長のもので、彼は無償で学問所を開き、身分、年齢を問わず、求める者に学を教えていたと書かれてあった。
(これを見る限り、優秀で比の打ち所のない者に思えるが――)
ではあの様々な噂の根拠はなんなのか。
斎陽帝は聞くか聞くまいか、随分迷った。
嫁の貰い手がなかった麗華が渋々入った家であり、よもや彼女がすんなり嫁に行くとは翠家でも思っていなかったと聞いている。
ところが麗華は、予想外にもその相手を気に入ってしまい、結婚を承諾したとか。
自分にも振り向かせる事が出来なかったお転婆姫の心を、どうやってものにしたのか――斎陽帝は気になってしょうがなかった。
(麗華、君が選んだ男は、どんな者なのか)
胸の奥が、じわりと妬かれて熱くなる。
(花嫁修行の期間を終えたら、君はまた都に戻ってくると思っていたのに……)
問いたそうに顔をゆがめる皇帝を、翠候はじっと見た。
その表情の揺れる様を、一片たりとも逃さぬように視線を注ぐ。
本当はその壇上から降りて、翠候の胸倉を掴んで叫びたいことだろう。
変わり果てた娘とはいえ、斎陽帝にとっては永遠に心の中にいる少女である。
それを年頃になったため、しかたなく少々問題のある家に花嫁修業に出したのだ。
誰もが――皇帝でさえ、麗華がそんな相手と一生を共にしようなどとは考えないと思っていた。
しかし麗華は相手に身も心も捧げてしまい、あまつさえその者は、この朝廷に入ってくるという。
想いかなわぬ愛しき姫の心を我がものにした男と、皇帝はこれから手を取って政を行わねばならないのだ。
それには、どれだけ心の痛みが伴うのか。
(陛下、これはあなたが名君となられるかどうかの試練でございます)
翠候は、目で己の主に語りかける。
(貴方ご自身のお心に打ち勝ち、この者の忠誠心を勝ち取るか、それとも感情に負けて、朝廷に悲しみの雨を降らせるか)
己が家と娘の将来を懸けて、皇帝に差し上げる唯一の機会。
おそらくここで、この青年の心を得なければ、斎陽帝の治世は一生孤独に終わるだろう。
まわりにいる貴族たちは皆、皇帝の心を理解することもなく、自分の名声と富、家のことしか頭にない。
だがこの凰 龍焔は違うと、翠候は確信していた。
(民を知り、国に忠義を尽くす力を持っている。更にぼんくらな貴族の子弟と違って、国一の優秀な知識と武技を持っているのだ。こういう者の忠誠を勝ち取れる皇帝でなければ、国がどうして起ち行こう)
翠候の目線に何かを感じたのか、斎陽帝はふっと表情を緩めた。
そして調書を上官に返しながら、言葉をかける。
「頼もしいことだな。わたしの側にこんな優秀な者が来るとは――彼に会う日を楽しみにしているよ」
「お言葉、嬉しく思います」
翠候は微笑んで、一礼した。
他の貴族たちは好奇な目線を投げかけてきたが、皇帝がこれ以上何も言わなかったので、翠候の娘婿の話題は、ここで終了となった。
朝議のあと、翠候は皇帝に謁見を求めた。
すぐに許可がおり、皇帝の宮に参内する。
昨日と同じように茶器が調えられ、皇帝が自分としばらく話をしようと思っていることが感じられ、翠候は頬を緩めた。
彼が居間に膝をつくと、斎陽帝は暖かな笑みをみせる。
「立ってくれ。わたしはあなたを身内同然に思っているのだ。堅苦しい挨拶はなしにして、座ってもらいたい」
「恐れ入ります」
下官が入ってきて、茶を入れ、菓子を添えて翠候の前に出す。
ありがたくそれをいただきながら、翠候は己の主が口を開くのを待った。
斎陽帝は、ふっと溜め息を漏らす。
「翠候、あなたには本当にいつも感謝している」
「陛下」
「足りないわたしの側に仕え、わたしのために動いてくれる。そんなあなたの決断はいつも間違いがなく、常にわたしのためを思ってくれていることは承知している」
「もったいないお言葉です。臣として、わたしは当然の事をしているまで――陛下のような方にお仕え出来て、わたしこそ嬉しく思っております」
頭を下げる翠候に、斎陽帝は悲しげな瞳を向けた。
「でも――正直に言って、今回のあなたの決断は、わたしには少々心苦しいものがある。わかってもらえるか、翠候」
「……はい」
斎陽帝は瞳を揺らし、寂しそうにつぶやく。
「麗華の選んだ相手というだけでも胸が痛い。彼女を思いきれたつもりでいたのにな」
「……」
「わたしは、あきらめたつもりだったのに、やはりまだ彼女を……」
俯き、斎陽帝はまるで自分自身に語りかけるように、ぽつりと言葉を漏らした。
「彼女には、誰よりも幸せになってもらいたいのだ。わたしが幸せに出来ないのなら、せめてわたし以上の男にめぐりあって欲しい。このわたしを完膚なきまでに打ちのめし、かなわないと思わせるような者に」
「陛下」
「彼は――凰 龍焔は、そのような男なのだろうか」
顔をあげ、真剣なまなざしを向けながら、斎陽帝は問うた。
その瞳の奥に潜む辛い心を肌身に感じ、翠候も真摯な瞳で答える。
「陛下。それはどうか陛下ご自身の目で、お確かめくださいませ」
「……」
「もうすぐ彼は陛下の前に参上いたします。その場で、陛下が直接お確かめいただくのが最良かと」
「翠候」
「ただこれだけは申し上げておきます。彼はあの不肖の娘の心を捉え、身も心も捧げさせ、このわたしが翠家を与えるにふさわしいと判断した者です。そして陛下のお側に必要な人材と、わたしが認めた者なのです」
「……」
「陛下のお側には、優秀な臣下が必要です。残念ですが今の朝廷に、そのような資質を持つ若者はおりません」
翠候は、溜め息をついた。
「上流貴族の子弟ばかり――ろくに努力もせず、世間を知らず、財を使うことのみに体を動かす。己の身辺や実績は、金にまかせて優秀な下官を雇って守らせる。そういうことばかりに長けているような者では、この先、国はどうすれば良いのでしょう」
斎陽帝は、睫毛を伏せる。
自分でもそれは思っていた事だったので、鋭い指摘に何も言えなくなった。
「更に陛下のお心に配慮し、側で話し相手になりうるほどの者でなければなりません。わたしが調べた限りでは、彼は州都では大層人望が厚く、どうやら人の心を捉える魅力があるようです。彼を慕う平民たちが多くいると報告を受けました」
「そうか」
「平民だろうと皇族だろうと貴族だろうと、すべて人間なのです。平民にこれだけの人望があるのなら、朝廷において貴族たちの間をうまく立ち回り、融和を計るなどたやすいことでしょう。頭もよく、策に長けるとの報告も受けています。政を行うにしても、良い知恵を出してくれるのではないでしょうか」
「そんな者だとありがたいのだが」
「こんなことを申しあげたら不快に思われるかもしれませんが、わたしは大変彼に興味を持っております。おそらく陛下もそうなられるのではないかと期待しているのですよ」
「期待?」
「陛下に、うちの娘のことなど忘れさせてくれるような魅力的な人物ではないかと」
翠候の言葉に、斎陽帝は少々複雑な顔をする。
「……わたしには、そういう趣味はないぞ、翠候」
憮然として答える斎陽帝に、翠候は微笑んだ。
「もちろん存知あげております。でも色恋抜きにして、魅力的な者というのはおるのですよ、陛下」
「そういうものか」
「はい」
青年らしくどこか納得いかなげな顔の斎陽帝を、翠候は暖かな目で見守った。
(うちの婿は、おそらく陛下の心をも捉えるに違いない)
そしてそれは皇帝にとって吉となるか、凶と出るか。
「彼は陛下の良き理解者、忠臣となることでございましょう。ですがそれには条件がございます」
「条件?」
「はい。彼の心を陛下が得られることです」
「凰 龍焔の心を?」
目をまたたかせ、斎陽帝は翠候を見た。
「そうです。彼の忠誠心を勝ち取らねばなりません。陛下の人徳で」
「……」
「彼はお側に群がる苦労を知らない貴族達と同じではありません。貴族の身分を捨てても、国を捨てても、十分に生きていける実力を持つ者です。そんな力を持つ者を側につなぎとめておこうと思われるのなら、陛下の暖かいお心で彼を感動させ、生涯お側にありたいと思わせねばならないのです」
斎陽帝は沈黙した。
そのようなことは、考えたこともなかったのだ。
「陛下、貴族にとって、陛下にお仕えするのは代々の習慣となっています。こんなことを申し上げてお心を害されるとは思いますが――たとえ玉座に座っているのが物言わぬ石であっても、顔色を変えず、仕えることが出来るのです」
「随分な言葉だな」
斎陽帝は、苦笑しながら答える。
「ですが民は、そういうわけにはいきません。財を持たぬ分、彼らは生きる強い力を持っています。陛下のお側にいることを不快に思うなら、自らどこへでも行って暮らすことが可能だとわかっているのです。だからこそ心を得る必要があります。凰 龍焔は貴族ではありますが、平民と苦労を共にし、生きて来た者――朝廷の中でいかに出世し、甘い言葉で自分を良く見せるか、そんなことばかり考える者たちとはわけが違います」
「そうだろうな」
「そこに価値を持たぬ者ゆえ、陛下のお心に価値を見出させなければなりません。そうでなければ彼はいつでも翠令息の身分を捨て、うちの姫の手を引いて、どこなりと去ってしまうでしょう」
翠候の言葉に、斎陽帝は目を閉じた。
頭の中で、今、言われた言葉を反芻する。
目をあけ、再び翠候を見たとき、斎陽帝の瞳には力が宿っていた。
「翠候、あなたの言いたいことはよくわかった。わたしは一国の皇帝として、彼にふさわしいと認めさせてみせよう。感情に流されることなく、民のために真に尽くす忠臣を手に入れてみせる」
「おわかりいただけて、嬉しく思います、陛下」
翠候は、嬉しそうに笑みを返し、一礼した。
|