【9】
「結局、あたしは生きてるんだよね、ダメなあたしが」
彼女は、自嘲気味に言った。そして続ける。
「そしたら、リスカが癖になっちゃった。ダメなあたしを殺すために。
でも、ダメなあたしは殺せなかった。そしたら、ダメなあたしを殺せないあたしもイヤになっちゃった」
どういうこと?僕は首をかしげた。
君は、君じゃないの?ありのままの、君じゃないの?
僕の方を見ないで、彼女は言った。
ごしごしと、傷が無数についた左腕で目をこすってから。
「だから、あたしは、ブランコを漕いだ」
彼女は僕の顔を見て、言った。
「神様なんて、あたしは信じない。でも、もし、もしそんなものがいるんだったら、って思って、お願いしてたの。“あたしを助けて”って。ブランコが、一番高いところに触れた瞬間に、そう願うようにした」
あんなにブランコを高く漕いでたのには、そういう意味があったのか。神様に届けたい想い。神様とて、遠くからお願いするよりは、より近いところでお願いしたほうが聞いてくれるかもしれない、と。僕は無責任に思った。
彼女は、続けた。
「そしたら、あなたがここにやってきた。願いは、叶ったの」
雨が、またいっそう強くなった。
「あなたは、あたしを助けてくれるかも、って思った」
でも。
「あなたは、あたしを救い出してはくれなかった。分かってる。そんなのはあたしの幻想。わがまま。でも。
助けて欲しかった。あたしを、元のレールに引き戻してほしかった」
僕に、そんな期待を抱いていたなんて。
「でも」僕は言った。「これからだっていくらでも・・・・・」
僕の言葉をさえぎって、彼女は何かに決別するように言った。
「あたし、引っ越すの」
彼女は続けた。
「パパの仕事の都合らしいわ。でもきっと、それは口実。きっと、パパもママもあたしの周りの環境を変えたいんだと思う。
それで、あたしを元のレールに戻したいんだと思うの。でも」
彼女は、いつからか涙をしゃくり上げていた。
キレイな涙だな、と、僕は無責任に思った。
「戻れるのかな、あたし。元のレールに。環境を変えたくらいで」
彼女は、まるで自問するようにつぶやいた。
「あたし、普通になれるのかな?戻れるのかな」
頑張れ、なんて気休め、言えるはずもなかった。
頑張るだけのふんばりのない人間に「頑張れ」とエールを送ったところで、そのエールは重荷にしかならないだろう。きっと彼女は、「頑張れ」という言葉の重みに押しつぶされてしまったのだろう。家族の、友達の、そして、自分自身の「頑張れ」というエールに、足を取られ、潰されてしまったのだろう。何て世の中はイヤなものなんだろう、そう思った。
善意の言葉、力を与えるはずの言葉のはずなのに、逆に人から力を奪っていく。
「ごめん、あたし、帰る」
彼女は、ブランコから立ち上がる。そして、僕の前に立った。
「いままで、ありがとう」
そう言うと、彼女は僕の体に手を絡ませ、ぎゅっと抱きついてきた。
その拍子に、僕が背負うようにさしていた傘が、ぱさっと落ちた。
「え?え?」
とまどう僕に、彼女は言った。
「ゴメン。こうさせて」
彼女の香りが、彼女の腕が、僕を包んだ。
ここで、彼女を抱きしめてあげるのが僕の役目なんだろう。でも、僕は機械油で汚れた手を、彼女に絡める気にはなれなかった。
どれだけ時間が経っただろうか。彼女は不意に絡めていた腕を僕から離した。
「もう、行かなきゃ」
そう言って、彼女は踵を返して、公園から出て行こうとする。
なにか、彼女にしてあげられないか。僕は思った。なんでもいい。彼女に何か・・・・・。そんな僕に、ふとさっき落ちた傘が目に入った。
「待って!」 僕は半ば叫んだ。彼女は、僕の方を振り返る。
「これ、使って」
僕は、落ちた傘を拾い上げると、彼女に差し出した。僕は、言葉を続ける。
「風邪、引くから」
そう言うと、彼女は笑った。今まで見たことないほどの、まぶしい笑顔だった。でも、こころなしか寂しそうにもみえた。そして、彼女はポツリとつぶやいた。雨にかき消されそうなほどの小声で。
「やっぱり、あなたは、神様が遣わしてくれた人なのかもね」
彼女は、僕の差し出す傘を受け取った。
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