【6】
雨の住宅街を、自転車を引きながら歩く。
ザアザア降る雨で、少し先の家も霞んでいる。足元はちゃぷちゃぷ音がする。
あ〜あ。運動靴にも水が染みこんじゃったよ。僕は、暗い空模様に向かって睨みつけた。
でも、あの子、いるかなあ。僕は、一人で歩く暇を持て余してつぶやく。
僕は腕時計を眺める。今、8:02を指している。この時間じゃ、あの子はまだいないだろう。それに。僕はまた、水滴が後から後から落ちてくる、忌々しい空を眺めた。今日みたいな雨の日だ。あの子も、きっと今日は家でのんびりと過ごすんだろう。
そこまで考えて、そういえば、あの子どこに住んでるのか知らないや、と思い至った。
いや、どこに住んでるのか、というより。僕はさらに考える。
彼女のこと、何も知らないや。僕は思わずつぶやいた。
そう、彼女のことを、僕は何も知らない。そもそも、彼女とはあの公園で会って、話をするだけの関係。彼女がどういう家に育ち、どういう物の考え方をして、どういう食べ物が好きで、どういう男の子が好みで・・・・・最後のは僕が本当に知りたい情報だけど、とにかく、彼女の全てを知らない。
向こうもそうだろう。ただ、ある日話しかけてきた不審な高校生、そのくらいのことしか彼女は僕のことを知らない。
そもそも、僕らの接点なんて、馬鹿馬鹿しいほどに、か細いものなんだ。
いや、それも違うかな。僕は思った。
実は、誰との接点だって、実は馬鹿馬鹿しいほどに、か細いものなのかも知れない。
今いる友達だって、そのうち大学に進んだり就職したりして離れ離れになる。中には、一生ものの付き合いになる奴もいるんだろう。でも、現在のように毎日毎日遊べはしないんだろうし、会うことも稀になるんだろう。それじゃあ、「接点」なんて望めない。
意外に、人って、つながってないんだな。僕は、ふぅとため息を吐いた。
すると、「そんなことないよ」と言わんばかりに、空は大粒の水滴をドバドバ落としてくる。
「慰めてくれるのはありがたいけどさ」 僕は空を、ビニール傘ごしに睨んでつぶやいた。「慰め方、ってやつがあるだろ?」
人の慰め方を高校生に諭された空はその機嫌を損ねたのか、さらに落ちてくる水滴の数が増えた。ビニール傘にぶつかる水音は、まるであの子がコロコロ笑っているように聞こえた。
「なあんだ」僕は言った。「慰めていたんじゃなかったのか。笑ってたんだね」
雨音は、コロコロと笑い続ける。
「そういえば」思い出した。「僕、あの子の名前も知らないや」
雨音は、やっぱりコロコロと笑い転げる。
「そんなに笑うなよ。大変なんだよ。人間ってさ」
17歳のガキが生意気言うなよ、と言わんばかりに、雷鳴が轟いた。
でもなあ。僕は雷鳴に身を少しすくませながら、思った。
なんだか、今日はセンチメンタルな日だなあ。
きっと、「雨季」という憂鬱な季節だから、ポロポロ気持ちが漏れ出て、心を濡らすのだろう、と、僕はなんとなく思った。
そんなこんな考えているうちに、人気のない住宅街を歩ききり、例の公園に辿りついた。いつもは自転車で来ているからそんなには感じなかったけど、けっこう遠かった。
時計を見ると、8:27を指している。つまり、30分くらい歩いていたことになる。
道理で友達がこの公園を知らないわけだ。僕は一人合点がいった。小学校のときの行動半径じゃあ、歩いて30分も掛かるほど遠いところへまでは遊びに行けないし、遊びに行く理由もない。
例の公園は、雨が降っていようがいつもと同じだった。
ひっそりと静まり返った公園。鬱蒼と木々が生い茂り、中の様子は分からない。ただ、外から見ると、雨のせいでその輪郭がぼやけて見える。それくらいが普段との違いだ。
僕は、後ろの方で鳴る雷鳴に背中を押されるようにして、自転車を引いて公園に入った。
あてが外れた。僕は、思わずそう思った。
あれだけやる気満々だった太陽光をさえぎる力がありながら、木の葉たちは水滴を防ぐ力はないらしい。あまり、外の天気と変わらない。でも、考えてみればそうに決まってる。
木の葉が100%水を防いでしまったら、木はどうやって水を得るというんだ。
頭の回転の鈍さに、苦笑いするしかなかったが、考え直し、出来るだけ雨に当たらない箇所で自転車のチェーンをはめ直しはじめた。
チェーンのカバーを壊す勢いで曲げ、外れているチェーンを掴む。手を見ると、油で汚れている。機械油特有の、どす黒い油。
雨くらいでは、流れ落ちそうもない。
手の汚れを気にしながらも、ようやくチェーンをはめなおした。
後輪を上げてペダルを手で回すと、キュルキュルと音を立てて後輪が回りだした。
よし、もういいか。
僕は自転車を立てると、トイレの洗面台に向かった。機械油で汚れた手を洗い流すためだ。この雨足でも落ちない油なんて、果たして水道の蛇口の水程度で落ちるかは疑問だけど。
僕は傘を背負うようにさして、公園内を歩く。頭上のポタポタという水音と、足元のびちゃびちゃという水音が、不協和音を響かせる。
だが、そのうち気づいた。
その不協和音の中に、何か水音とは違う音が混じっているということに。
金属同士がこすれるような音。それが、確かな律動をもって響く。だけど、その音はきわめて微かで、水音にまぎれてしまうくらい小さい。
でも、僕には聞こえる。
キコキコ、という音が。
そしてその音の先には。
五月雨によって霞んではいたが、ブランコが、確かにあった。
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