【4】
それからというもの、僕は大体週に一度のペースで彼女に会いに行った。
なんで、って?
正直、わからない。
彼女が言外に「また来い」というのだから、行くのが礼儀というやつだろう。でも、それだけだったら彼女に会いに行く理由にはならない。しかも、わざわざ一時間目を丸々潰して、先生にどやされてまで、足を向ける理由にはなるまい。
僕は、そこらへんの立て込んだ事情をすべて置いといて、新興住宅街を抜けた先にある公園へ向かうのだ。
わからないから。わかりたいから。
公園、といえば、あの公園について誰も知らないことも驚きだった。
中学高校と付き合いのある友達数人に、例の公園のことを訊いてみても「知らない」の一点張り。ほら、あそこらへんだよ、と説明しても、「あそこは以前は工場街で、公園なんてなかった」とみんなが口をそろえて言う。
あんな、鬱蒼と木々が茂る公園だから、最近出来たわけじゃなさそうなのに。僕は首をかしげた。
そういえば、こんなことがあった。
「なんでそんな公園のことを訊くんだ?」とある友人に聞かれ、僕が事情を話すと、その友人はニヤニヤして言った。
「はは〜ん、お前、その娘にホレたか?」
んなワケあるか!と僕は言い返した。
でも、あながち否定が出来ないのが痛い。とはいっても肯定、というわけではなく、「否定する材料がない」ということなんだけど。
もしかすると、僕は材料が欲しかったのかもしれない。
そういう恋愛感情みたいなものを、否定、あるいは肯定するための材料を。
そんな、若干邪まな感情を隠して、僕は彼女に会いに行く。
午前九時ころ、犬を連れて公園にやってきて、犬をブランコの柵にくくりつける。そして、ブランコを漕ぐ。その一連の作業を、彼女は「日課」だと言った。そして、そんな「日課」を消化している彼女に、僕はたまに会いに行くのだ。ブランコの前の柵に腰を預け、彼女の犬を撫でながら、彼女と話すのだ。
そしてその日も、僕は犬の頭を撫でながら言った。
「ねえ、こいつ、随分年がいってるみたいだけど、何歳?」
すると彼女は、五月の暑さで顔を火照らせて答えた。
「ああ、あたしと同い年だから、17歳ね」
じゅ、十七歳!?小型犬としてはすごい長命だ。お前、爺さんなんだな、と話しかけると、犬はワフ、と半分くらいあくびが混じった返事をした。
「人間に換算したら、100歳は優に超えるんじゃない?」思い出したように彼女は言った。
お前、仙人か何かか?僕は、「仙人犬」の下あごをなでる。犬は、クーンと嬉しそうに鳴いた。
ああ、やっぱりただの犬だわ、と僕がつぶやくと、彼女は笑った。
「それにしても」彼女は木々に覆われている空のほうに目をやった。「今日も暑いわね」
それはそうだ。五月っていうのは、意外に暑い。古人たちが「初夏」と呼んだのもむべなるかな。
でも、彼女が暑いのはそれだけが理由ではない。
彼女は、この暑い気候に、厚手の長袖シャツを、きっちりと纏っている。傍目で見ても、相当に暑い格好だ。
そんなに暑かったら、袖をまくしあげたりすればいいのに。
その旨を言うと、彼女は突然怒り出した。
「あなたに何がわかるの!?」
まるで、心の一番奥底からひねり出したような、悲壮で、強い拒絶を秘めた声。まるで彼女が悲鳴を上げてるようにすら感じた。
僕は、そんな彼女に接ぐ言葉を見つけ出せずに口をパクパクするしかなかった。
すると彼女は、伏し目がちにして、言った。
「ごめん。あなたに怒ることじゃない」
今度は一転して力のない声になった。まるで、何かを諦めてしまったように。
え、どういうこと?彼女の感情の急変に僕はついていけていない。混乱した頭をざっと整理する。
彼女は僕の発言に突然怒り出した。そしてすぐそれを引っ込めた。
そうであるからには、「僕の不用意な発言に彼女が怒り、それは大人気ないと考え直して怒りを納めた」といったところだろう。だけど、腑に落ちないものがある。たぶんその「腑に落ちない」という気分は、その場にいた者だけが感じられる「雰囲気」のようなものなのだろう。
理屈で考えればつじつまは合う、だが、腑に落ちない、という僕の精神状態を説明するには、「雰囲気」というあやふやなものを根拠とせねばならない。
それじゃあ、今の君の怒りは、誰に向けたものだったの?純粋に僕はそう聞きたかった。彼女の想いがいまひとつ分からないから。
でも。
僕には、その言葉が出なかった。
いや。正確には。
彼女が僕に、その言葉を口に出すのを許さなかった、と言うほうが正しい。
彼女の醸す、「これ以上この話に踏み込むな」という雰囲気を、僕は感じ取ってしまったのだ。
だから、この話はここで切れてしまった。
彼女の、あの怒りはなんだったんだろう。だれに向けた怒りだったんだろう。僕は必死に考えたが、結局分からずじまいだった。
でも、その答えを、僕はそのうち知ることになる。
そんなことは露知らす、あたふたと当時の僕は話の方向を転換した。
五月の太陽もさんさんと輝いて、木の葉の隙間から、光を公園に投げ入れていた。
その光を、僕らは目を細くして眺めていた。 |