【2】
ブランコの方からキコキコと音がした場合、「ブランコを誰かが漕いでいる」と考えるのが最も自然だ。
だけど、こんな時間に?僕は首をかしげた。
繰り返すが、午前9時という時間帯は、皆忙しい時間帯なのだ。主婦は皿洗いや洗濯に忙殺されてるだろうし(今日はカンカンに晴れてるんだからなおのことだ)、仕事を持っている人たちはもう出社してなくてはならない。ブランコに一番用があるだろう子供も、もう保育園や幼稚園に行っているし、学生だって、もう授業中なのだ。
この時間にブランコを漕ぐ人間なんて、「授業に遅刻して暇を持て余している学生」くらいのものだ。・・・あ、それって、僕のことだ。と、僕は一人苦笑する。
だが、いたのだ。ブランコを漕いでいる人間が。
今日は暑いというのに、長袖のシャツをまとい、デニム地のスカートをはいた少女。だいたい僕と同年代だろうか。
ショートカットの髪の毛を揺らし、ブランコを懸命に、まるで天に届かんばかりに漕いでいる。ブランコの柵には、足の長いダックスフンドといった感じの犬がつながれている。この娘の犬だろうか。その犬は、“飼い主”のブランコの律動を、ただ目で追って、豪快なあくびをしている。
あの子も授業サボってるのかな。僕は思った。その少女は見た目は僕とほぼ同年代。きっと、高校生だろう。
僕がブランコの方に近づくと、少女はブランコを漕ぐのをやめ、僕の方に視線を向けた。いや、視線、というよりは・・・。
睨みつける、そう、これだ。少女は睨みつけるように、僕の顔をのぞく。
なんだなんだ、僕ってそんなに怪しいかな。彼女の、まるで猛獣を見るような目に、僕の心はちょっと傷つく。
でも、あの目は・・・・・僕は思った。
あの目は、睨みつけてるのとはちょっと違うかな。僕は、彼女の双眸に映し出されている彼女の心を読み解こうとしたが、どうにも上手くいかない。
僕は何も言えず、彼女の顔を眺めているしかなかった。
彼女も、それは同じようだ。・・・・・そして、結果、沈黙。
う〜ん、この沈黙、気まずいなあ。僕は額から汗を流した。
犬だけが、まるでこの沈黙を嫌がるようにクーンクーンと鳴いている。
ん?犬?僕の頭の中で、「!」が踊った。よし、この犬をダシに・・・・・。
僕は自転車を止め、犬の頭を撫でた。
「僕さあ、犬、好きなんだ。」
彼女は視線だけよこして何も言わない。僕は続ける。
「昔ばあちゃんの家で柴犬飼っててさ。そいつが人懐っこくてかわいかったなあ」
またもや無言。僕はめげずに続ける。
「まあ、五年前に死んじゃったけど」
やっぱり無言。それでもめげずに僕は続ける。僕が頭を撫でている犬は、「ワン!」と吼えた。
「このダックス、君の?」
そう問いかけると、彼女はようやく口を開いた。
「あなた、本当に犬好きなの?」
まるで難詰するような口調に、僕はちょっと驚いた。彼女は続ける。
「そもそも、犬を撫でるときはそんなグァシグァシやっちゃダメよ!それに・・・」
彼女の難詰口調にタジタジになりながらも、僕は話を先に促した。
「それに?」
「この犬は、ダックスフンドじゃありません!アメリカンビーグル!犬好きを名乗るんだったらそれくらいは知ってなさいよ!」
あちゃ〜。アメリカンビーグルっていう犬種なのかぁ、お前。僕は“アメリカンビーグル”君をグワシグワシ撫でる。すると、犬は嬉しそうに「ワン!」と吼えた。
「で、何の用よ」
いちいち口調に棘のある女の子に若干辟易しつつ、僕は答えた。
「用がないからって、話しかけちゃいけない、って法はないよね」
「でも」彼女は無表情で言った。「見知らぬ人に話しかけるときには、何がしかの用事があってしかるべきよ」
「そうかな」僕は返した。「別に、“犬の可愛さ”を共有するために、犬好きそうな、見知らぬ人に話しかけるのは普通のことだと思うけど」
「普通、ね」彼女は言った。というか、つぶやいた、というほうが正しい。
彼女は、今度は僕に届くような声で言った。
「その“普通”って言葉、あたしの前で使うの止めてくれない?その言葉って、「普通の枠」に収まらない人を異端扱いにする言葉なのよね」
き、気難しい子だな。僕は思わずのけぞった。
でも、普通っていう言葉は便利な言葉だ。「普通」の食事、「普通」の服、「普通」の家。そんな風に普通のものを選び取っていけば、割と人生楽にいく仕組みになっている。「普通」って、物事を決めたり評価したり、選び取ったりするときには非常にいい尺度だ。
でも、この子はその尺度を、「あたしの前で使うな」と言う。
なんで、そんなことを言うのだろう。
僕は、首をひねった。
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