【10】完結
それが、彼女との別れだった。
一応、週に一度くらいはあの公園に行って彼女を待ってみた。でも、彼女はやってこなかった。きっと、本当に引っ越したんだろう。
雨の降りしきる季節の間、僕はずっと彼女のことを考えた。彼女は、新天地で、ブランコを漕いでいるのだろうか、と。
だとしたら哀しすぎる。
ブランコは、いくら漕いでも前には進めない。ただ、律動に合わせて同じ場所を行ったりきたりするだけだ。もしかしたら、彼女に必要なのはブランコではなく、自転車なのかもしれない。漕げば漕ぐだけ前に進む、そんな道具が、彼女には必要なのかもしれない。
でも、彼女には自転車のペダルは重いのだろう。だから、ブランコを漕ぐしかない。そして、ブランコが、かりそめにも前に出たときに祈るんだ。「自分が変われますように」と。
そして彼女は、僕にその願いを託した。
でも、僕は彼女に何も出来なかった。
あの子に自転車を与える事もできなかったし、かといってあの子にブランコから下りるように言うことも出来なかった。
結局、僕は見ているしかなかった。
でも、僕はどうすればよかったんだろう。
僕は、彼女から何を求められてたんだろう。
そして、僕は、彼女の求めたものを、理解できていたのだろうか。
「やっぱり、僕は普通の世界で生きてる人間だから、彼女の気持ちは理解できないんじゃないか」とも思った。でも、それじゃいけない気がした。
僕はあの子を知りたかった。あの子の全てを。
でも、結局理解できなかった。
「そんな顔して、失恋かな?」
歴史の先生に、授業中こう訊かれた。よっぽど浮かない顔してたんだろう。
「かも、知れないですね」
僕は素っ気無く答えた。するとその先生は、教科書に目を遣ってから言った。
「忘れたほうがいいぞ。恋愛なんて一時のことだ。今は、勉強勉強」
でも、先生、忘れたほうがいいの?普通のレールから外れた人を切り捨てて、自分だけ普通のレールに乗り続けるほうが賢明なの?
それが、「普通」なの?
喉まで出掛かって、僕はまた、これらの言葉を飲み込んだ。
僕は、忘れない事にした。
彼女のこと。彼女と過ごした公園のこと。あの、出会った日の、印象の悪い受け答えをした彼女の事を。最後に会った日の、彼女との甘い抱擁を。
「そんなもの、心に刻み込んで何になる」って言う人もいると思うし、頭の悪い僕にだって何の意味もないことだってことくらい、わかってる。
でも、僕にはそれしか出来ない。せめて、彼女との思い出だけは、僕の心に刻みたい。
そして、彼女に言いたい。
「君は、一人じゃない。少なくとも、僕がいる」
そんな言葉、彼女は要らないかもしれない。でも、僕にはこんな言葉しか紡げない。
今は七月。もう、雨の季節は去り、太陽がさんさんと地面を焼く季節になった。僕は、首を陽光に焼かれながら、自転車に乗って通学する。
人々が、暑い暑いと口々に言いながら、陽炎の舞うアスファルトの上を歩く。その人たちの横を、僕は自転車でゴキゲンにすり抜ける。
そして熱風が、僕の頬をすり抜ける。
そんな、むせ返るような暑さの中で、僕は考える。
きっと、あの子は、犬の散歩を口実に、こんなむせ返るような暑い街を歩くんだ。自分の弱さを隠すために、季節外れの長袖のシャツをまとって。
そして、鬱蒼とした公園で、一人、ブランコに乗って、祈るんだ。
僕は、ため息を吐いた。
そして、僕はペダルをガシガシ漕いで、祈った。
あの子が、ブランコから降りる勇気を持てますように、と。
僕の自転車は、長い下り坂に差しかかった。僕は、ペダルを踏む足を緩めない。自転車は僕を乗せて、長い長い下り坂を、シャーっと滑り落りていく。
そのまま、彼女に会いに行けたらいいのに。
僕は空を見た。すると、目に、何かが当たった。雨かな?僕はそう思った。でも、こんな晴れた日に?
水滴は、僕の視界を、魚眼レンズみたいにキレイに歪めた。
何も見えないや。
僕はブレーキをかけ自転車から降り、あの子の顔を思い出そうとした。だけど、僕の記憶の中で佇むあの子の顔は、霞がかかったようにおぼろげだった。
そんな僕をあざ笑うかのように、僕の目の前に続く長い坂道は、まっすぐ、どこまでも続いていた。
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