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スノーラプソディ

作者:梶原ちな
企画「場所小説」参加作品です。
テーマは授業中の教室となっています。
キーワードから企画参加されている方々の作品を読むことが出来ますので、ご利用いただければ幸いです。
 


 声にしてまで、つたえたいものなんてない。



 黒板の上で削れるチョークと、小さなざわめき。
 先生の高すぎるくらいの声さえなければ、授業中の教室ほどいとおしいものはない。

 初夏の、まだわずかに涼しい風が窓際の席に座るあたしの髪を揺らして遊ぶ。
 お昼過ぎの授業は、けだるさと眠気をともなって、よりいっそうの静寂を生み出してくれた。

 前を向いて、教科書を開いて。
 ノートに鉛を擦りつけていく。
 必要なのはそれだけ。

 自分の意志を伝えるために必要なものが言語ならば、あたしはそれを不必要だと判断していた。
 言葉が足りないとか、無口とか、おとなしいとか、あたしのこのクラスでの設定はそんなものだろう。
 それで、充分だった。

 しかし。

「じゃあ、川本さん。お願いね」
「……はい」

 これさえなければ。

 あたしが唯一声を発しなければならないのは、この現代文の授業だ。
 何を気に入られてか、はたまた何の策略、陰謀か。
 毎時間、教科書を数ページ読むのが役割になってしまっていた。
 たんに、まったく話さない無口な生徒の見せ場を作ってやろうとした、お優しい先生のお考えなのだろうけれど。

 椅子を引けば、乾いた音が静かな教室に響いた。
 指定されたページに目を落として、軽く口を開いて小さく息を吸った。

 吐き出す瞬間。
 わずかに出た声は、それよりももっと乱暴で大きな音にかき消されてしまった。

「うーっす。……あれ、何でセンセがいるんだよ? 今、現文?」

 黒板の反対側。
 教室の奥の扉を足で開けた彼は、心底驚いたらしくその動きを止めていた。

「授業変更になったの。ほら、早く席につきなさい」
「マジかよ。知らなかった」

 短い、茶色すぎる頭を掻きむしって教室に入った彼は、読むタイミングを失って立ちつくすあたしを目でとらえた。
 その口もとがわずかに緩んだのは、きっと見間違いだろう。

 だって、彼とあたしにはまるで接点がなかった。
 席が前と後ろだという、些細なこと以外は。

「やっぱりね」
「うんうん、さすがだよね」

 小さなざわめきは彼の登場でいまや騒音となりつつあった。
 数名が顔を見合わせて、笑っているのがいやでも目に入る。

「現文だけは、必ず出るよね。やっぱりあれってホントなの?」

 小さいけれど、はっきり聞こえる声。
 あの声たちの言いたいことを、あたしは知っている。

 あたしがこの教室で無口無言、おとなしい子という設定ならば。
 彼は、現文の先生に恋する不良生徒という設定だった。

 遅刻早退無断欠席はいつものことで、生徒指導室にひっきりなしにお呼ばれされている彼は、なぜかこの現代文の授業だけ遅刻もせず真面目に受けていた。

 一部では有名な話だ。
 彼は現代文の先生に恋をしているから、この授業にだけは参加しているのだと。

 恋する不良生徒は、ほぼ空席であるあたしの前の席に腰を下ろした。
 再び小さくなったささやきが耳をくすぐる中、彼はそんなことを物ともせず教科書を開く。

 茶色い短髪が動くたびに揺れる。
 教科書を読むタイミングをすっかり見失ってしまったあたしは、見慣れた後姿を見て小さく息を吐いた。

 いつも、教科書を読むたびに彼の後姿が目に入った。
 それはあたしの中ですっかり見慣れた景色となっていた。
 他の授業なんてまともに出たことがないくせに、恋とはそこまでひとを駆り立てるものなのだろうか。

「じゃあ、川本さん」

 そんなことを考えているうちに名前を呼ばれて、教科書に視線を戻した。
 興味もない文字の羅列を読み上げるために、また小さく口を開いて。




「はい、ありがとう。次は――」

 自分の職務を全うして、ようやく席につくことができた。
 さっきのざわめきはもうすっかりおさまって、これでようやくいとおしい静寂がおとずれる、はずだったのに。

「助かった、間に合って」

 おとずれかけた静寂を破ったのは、ざわめきよりもささやきよりも小さな彼の声。
 わずかに空気を揺らしたその声に、あたしは反応することなく聞かなかった振りをした。

 どうやら、彼が恋する不良少年という設定はあながち間違いでもないらしい。
 そんなにあの先生が好きならそれなりの行動を取ればいいのに。

 そんなことを思いながら、黒板に視線を向ければ。
 目に入ったのは黒板の切れ端と、なぜかこちら向いた彼の顔だった。

「なあ、何でしゃべんねえの? せっかくいい声してんのに」

 静寂を壊す、彼の声。
 それは、あたしに向けられている。

「俺、お前の朗読聞いてると落ち着くんだわ。後ろからきれいな雪が降ってくるみたいな気がしてさ」

 シャーペンが、かろうじて指に引っかかっていた。

 このひとは、何を言っているのだろう。
 朗読? 声? 雪?

「間に合ってよかった。マジで。損するところだった」

 んじゃ、と彼はいいたいことをいって前に向き直ってしまった。
 残されたあたしは、現状を理解するのに時間が必要だった。

 どうやら彼はあたしの声をほめてくれたらしい。
 雪にたとえて。

 どうやら彼は安心したらしい。
 あたしの声を聞くことができたから。

「……っ」

 上りつめていくものが、頬を染めていく。
 初夏の風は涼しいけれど、そんなのはまったくをもって無意味だった。

 つま先から、頭のてっぺんまでおかしな音がする。
 それが静寂に包まれたいとおしい時間を壊していく。

 手に汗をかいている。
 今、教科書はどの辺りまですすんだのだろう。
 耳障りな高い声が不思議なくらい頭に入ってこない。

 それよりもいまは、別のことが頭に浮かんで離れない。

 シャーペンを置いた指先が音もなく動き出す。
 ふるえているのは、夏の風のせいじゃない。

 声にしてまで、つたえたいものなんてなかった。
 だって話すのはメンドウでおっくうだったから。

 だけど、いま。
 教科書を読むときみたいに口が勝手に息を吸い込む。

 いとおしい静寂が、壊れる瞬間。

「ん?」

 指が見慣れた背中を突いていた。
 ふたたび、振り向いた彼の顔。

 頭の中をしめるこの言葉を吐き出さなきゃ、いつまでも静寂はおとずれない。

「あ、りがと」

 そうして、あたしは暑いくらいの教室で、静かに雪を降らせたのだった。





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読んでくださってありがとうございます。
初企画参加作品のため、いつもより微糖です。
書き上げるのも時間がかかってしまいました。
コメントいただければ、とてもうれしいです。

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