どうも。お早うと言うか、こんにちはと言うか、こんばんはと言うか。初めまして、城山香月です。いつもカゲツじゃなくてカヅキと呼ばれます。
で、オカルト研究会の部員です。ちなみに、クラスは二年C組。冴えない公立高校に通っています。オカルト研究会の部室は豪華です。大きな執務机と椅子がワンセット、大きな応接セットにキッチンまでついています。なので毎日ずっとこの部屋にいます。ちなみに完全防音なのです。
目の前にいるのが部長です。長嶺唯と言います。生物学的には女性に入ります。と言うよりも、すっごい美人です。スタイルも抜群で、見るだけである部分が緊張しそうです。まあ、それはともかくとして、性格は最悪です。傲慢で理不尽で粗野なんです。僕しか知らない事ですが。なぜかと言うと、猫を被っているからです。土地の名家のご令嬢だけあって、そうした表面を取り繕う技に長けています。その腹いせに僕を殴ったり蹴ったりします。なのでいつも逃げる事にしています。そろそろ機嫌が悪くなったようですので、これで失礼。
「・・・ちょっと、カゲツ。どこに行くのよ。行き先と戻る時間を言いなさい」
ちなみに、睨まれると怖いですが、僕を本名で呼ぶのはこの人だけです。少しきつい顔立ちなんですが、すっごく綺麗で、僕は好みです。優しければ押し倒して既成事実を作っているところですが。
「良いよ、押し倒しても」
「えー・・・、・・・えっと、・・・何かと、お間違え、では?」
パッコォォーンッ!
「いったぁぁぁぁぁーっ!」
痛いんだよ、これがまた。何の恨みがあるんだよっ。
「好きなんでしょ? 押し倒したいんでしょ? ほら、良いよ? 既成事実を作って、アタシの夫になるんでしょ? ほら、早くぅ。んもぅ・・・、見る? ほら、スカート、少し、捲るよ・・・?」
おおっ。全校男子生徒垂涎の長嶺唯の生足っ、それに、太腿だっ、おおっ、み、見えそう・・・。
パッコォォォーン!
「いってぇぇっぇ!」
「スケベッ、変態っ、粗チンっ! アタシのおパンツ様を見ようなんざ、百年早いっ! バカな事をしていないでっ、お茶くらい入れなさいよっ」
凄く凶暴なんだよ。他に誰もいないからさ、わがまま放題なんだ。困ったものだ。こういうときは、大人しく言う事を聞くしか無い。
でも、今日の僕は一味違う。秘密兵器がある。これからこの女に思い知らせてやる。
「はい、お待たせ」
「うん、ありがとう。優しいね、カゲツは」
うにゃぁぁん・・・、いや、いかんぞ、騙されては、いかん。美味しそうにお茶を飲む彼女を綺麗だと思ってはダメなのです。積年の恨みをここで晴らすのです!
「・・・恨みを、晴らす?」
「誰、が?」
「カゲツが、アタシに・・・」
「い、いえ、滅相も、ない」
睨み付けているぞ? チャァァンス。
「・・・唯、はい、これ」
「ん、ありがと。・・・何? 退部届け? これが、どうしたの?」
「辞める、から。今日で」
ズベビシィィィィッ!
「ウッギャァァァッ!」
「許さないわよ。絶対に許さないからねっ、あんたは永遠にアタシの奴隷っ!」
とうとう奴隷呼ばわりか。しかも、永遠に、だって。
泣けてくるね。いや、本当にさ。中を読もうともしないで破り捨てているし、本当に奴隷と同じでしか、見てないんだな。
さて、時間だから帰るか。
「どっ、どこに行くのよっ! あんたはアタシの鞄持ちなんだからねっ、待っていなさいよっ」
「いや、そういう、時間も、無いんだ、よね。荷造り、するから、さ」
「え・・・?」
鞄を持って立ち上がって、最後に挨拶です。
「じゃあ、今まで、ありがと。・・・さよなら」
「ちょ、ちょっと・・・、どうしたの・・・? な、何で、いきなり、そんな事を言うの・・・?」
「んーと、その、あれ、口下手、だから、紙に、書いた、んだ・・・」
実は、言葉が上手く喋れないんですよ。途中で途切れちゃうんですよね。思考は普通だと思うんだけど。この女もそれは良く知っているはずなんだけどさ、呆然としたままだ。
「ええと、その・・・、叔父さん、たち、ロンドン、に、行く、んだ」
「え・・・? いなくなっちゃうの? 嘘・・・、嘘でしょ?」
「ほ、本当、だよ。えと、転勤、するん、だ。それで、皆で、荷造り、する」
顔が歪んだのを無理やり直したぞ? 百面相って言う奴だな。
「そっ、そう! いなくなるのっ、それは良かったわっ! ドジでノロマでグズでおバカな部員がっ、いっ、いなくなるのならっ、こっ、こちらとしてもっ、良い事だわっ」
口は上手くないけど、そこまで酷くないぞ。まあ、そんなものだろうね。
「じゃ、さよなら」
あっさりとしたものですねぇ。泣きそうですよ。
叔父さんの家で荷造りを手伝っていますよ。家具は売り払うそうです。ロンドンに用意した家には家具が全部揃っているのだとか。何年で帰国できるか分からないので、家も売ってしまったそうです。おかげで住む場所がなくなってしまいました。
僕は両親を早くに亡くしてしまったため、叔父さん一家に引き取られたのです。我が子同様に育ててくれました。従妹のゆりちゃんとも、もうすぐお別れです。ちなみに、ゆりちゃんはまだ小学六年生ですが、何がどうなっているのやら、高校生以上に色っぽいです。胸も大きいし、腰もくびれています。大それた考えを起こさなくて済むようになるので、今回のロンドン行きは、ありがたいと言えばありがたい。だって、毎晩一緒に寝るんですよ。習慣だからとか言って、抱きついてくるんです。困った女の子です。小学生に男にされたなんて、口が避けても言えません。と言うか、そんな事はしていませんが。
出発は今度の木曜日です。今日は月曜日なので、あと数日しかありません。もっとも、持っていくものは少ないのです。僕だけがずるずると先送りしていただけなのです。叔父さんが用意してくれたアパートは、凄く遠いんです。え? 僕もロンドンに行くのでは無いのか? 最初はその予定だったんですが、途中で叔父さんが方針を転換しました。
「カヅキ、お前は日本に残って良いぞ。来年は三年生で受験もある。向こうに二年くらい住んでも何にもならないからな。そこで、既にアパートは用意した。叔父さんの古い友人が経営するアパートだ。ここからかなり遠くなるが、バイクで通えばすぐだ。家賃も払わなくて良いし、一人暮らしで気楽だぞ? 女の子も連れ込み放題だ。あはははは」
彼はそう言って笑ったんですが、叔母さんは激怒しました。
「女の子をとっかえひっかえするようなら、すぐにロンドンから帰ってきて折檻するからねっ!」
この女性は気性が荒いのです。僕が女性に人気のあるタイプだと思っているのでしょうか? 見かけは普通で背もそんなに高くなくて、取り立てて勉強ができるわけでもなく、スポーツ万能と言うわけでもないのです。言ってみれば、何にも取り得のないぼんやりとした屑人間のようなものです。そんな男がモテると思っているのでしょうか。まあ、ゆりちゃんにはモテモテですが。
「カヅキぃ、エッチしようよぉ。当分会えないんだからさぁ」
不規則発言が多いのです。ですが叔母さんはゆりちゃんに甘いのです。何も言いません。叔父さんもですが。
「ゆりぃっ! するならゴムを着けさせるのよぉぉっ!」
「言ってみただけだからぁ、平気ぃー。当分は処女でいるからぁーっ!」
近所中に聞こえるように二階と一階で大声を出し合っているのが不気味です。叔父さんは何も言いません。
「はっはっは、カヅキもかわいそうにな、あっはっは」
おかしな一家です。
「そうだ、カヅキ。最後に一勝負するか。ロンドンでも稽古するとは言え、水月流古武術を学んでいる人間はいないからな。ほれ、組討だ」
叔父さんは優しい顔をして凶暴です。すぐにそう言って殴ってきます。いつも避けますが。
叔父さんの右足が半歩下がるのと同時に左足を前に出して、左半身になります。左拳を突き上げる振りをして、叔父さんが出してくる左拳を右手で掴んで投げます。そのまま膝で上体を押さえ込んで鼻柱を左拳で狙うんです。
「・・・参った」
叔父さんが降参してくれました。彼曰く、僕は強いそうです。信じてはいませんが。調子の良い人なのです。
「いやぁ、カヅキは本当に強くなった。私が一本も取れないんだからな、あっはっは」
ほら、調子が良いでしょう? 次に言う台詞は、これです。
「そこで、誰よりも強いカヅキ君。弱い叔父さんに千円貸してくれ」
パチンコ代だそうです。帰ってきたことは数回しかありません。当分できなくなるので良い薬です。
「カヅキぃ、あんたは今日から向こうに住みなさい! ちゃんと挨拶するのよっ」
叔母さんは叔父さんよりも凶暴です。ちなみに、悪口に敏感に反応して瞬間移動します。
「なぁぁんですってぇっぇ?」
ほらね、いつの間にか目の前にいるんです。言い訳を上手くしないと殺されます。
「い、いえ、綺麗、で、優しい、って・・・」
「ん、良く分かっているわね、早く行きなさい。ほら、手土産も用意したから」
「ありがと、じゃあ、行って、くる、ね」
ホンダ・スーパー・カブ90カスタムの荷台に荷物を括りつけて、出発です。
「あぁぁんっ! カヅキぃ、おやすみのちゅぅぅっ! はい、・・・んー、ちゅっ」
ゆりが飛び出てきてキスしてくれました。頬じゃないところが苦しいです。罪悪感があります。ファースト・キスはゆりちゃんに奪われました。随分と幼い頃の事ですが。
気を取り直して出発です。ちなみに、僕のカブはなぜか五速リターン式のミッションが積んであります。普通は三段ロータリー式で、ペダルを踏み込むとギヤが変わるタイプです。僕のは普通のオートバイと同じです。つまり、改造車なのです。スピードが出ます。叔父さんのお下がりです。
アパートに行く前に、明日から世話になるアルバイト先に顔を出しました。喫茶店です。マスターは地主さんです。趣味で喫茶店をやっているそうです。お客はほとんど来ません。そんな店になぜ採用されたのかと言うと、マスターと叔父さんは同級生なのです。そう、この人が大屋さんなのです。部屋代は無料で、バイト代をくれると言う太っ腹な人です。見た目も太っ腹ですが。
「こん、ばん、は」
「やあ、カヅキ君。いらっしゃい。今日から住むんだね?」
「ええ、よろしく、お願い、しま、す。・・・これ、どう、ぞ」
手土産を渡した。軽さから言うと煎餅らしいが。マスターは箱を振った。煎餅好きな人らしい。不気味に笑ったよ。
「篠目屋の鮎煎餅・・・。早速今日はこれで一杯・・・」
喜んでいるらしい。何よりです。
「あの、明日、は、何時、に、来れば、良い、です、か?」
「んー、適当で良いよ。小遣いが欲しければ早めにおいで。焦らずに授業をきちんと受けなさい」
「はい、分かり、ました。よろしく、お願い、します」
頭を下げて挨拶終了。喫茶店を出て部屋へと向かう。
鍵を開けて入るのです。荷物が少しだけですが、あります。小さな箪笥と小さな本棚、それに卓袱台だけですが。布団は押入れです。
残っている荷物は調理器具くらいです。電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、鍋、やかん、食器その他。それも明日で終わりです。叔父さん一家は、明日からホテルに泊まるそうです。空港の近くだそうで、見送りに来なくて良いと言われました。空港は遠いし、平日に出発するので、助かりました。
ここから学校までは、バイクで一時間くらい掛かります。なぜそんなにかかるのかと言えば、途中に山があるからなのです。くねくね曲がった道を登って降りないといけないのです。直線で行ければ二十分少々でしょう。
通学に一時間、アルバイトもある。だからオカルト研究会を退部したのです。奴隷のようにこき使われるのも嫌になりましたし、ちょうど良い機会なのです。
おや、携帯電話が鳴っています。
「もし、もし」
「いよぅっ! 俺様だ」
ぷつっ、つー、つー、つー。
僕には俺様と言う知り合いはいないのです。また鳴っていますね。
「んだよぉ、大親友の博也様からの電話を無言で切りやがって。友達甲斐のない奴だ」
「まあ、そう、言うな、よ」
「でよぉ、お前、ロンドンに行くんだって?」
はて、おかしいですね。誰にも話していないんですが。
「行か、ない」
「え? んー・・・、そか、ゆりちゃんたちが行くのか。うぅぅ・・・、ゆりちゃぁぁん! 僕を置いていくなんて! 酷すぎるぅぅぅ!」
このペドフィリアは、貝塚博也と言うのです。残念な事に同級生なのです。しかも、比較的仲が良かったりします。いつゆりちゃんを襲うか心配でなりません。こいつの部屋に行くと、一発で逮捕されて性犯罪者の烙印を押されるのに充分すぎるほどの特殊な書物とDVDで溢れているので、その心配が募ります。根っからのロリコン、いや、幼児偏愛の危険人物です。これがこの国を代表する金融機関の大株主の息子だとは信じられません。
「おい、黙って聴いていれば、何を言う。俺様はゆりちゃんを真剣に愛しているんだぞっ! あの魅惑的なバディッ! 俺様を誘い続けるあの眼差しっ、フォーッ!」
警察に電話したほうが良さそうですね。いや、叔母さんに電話したほうが早いか。
「まっ、待てっ! 話せば、分かるっ。落ち着いて話し合おうっ、なっ、カヅキ」
「まあ、木曜、には、いなく、なる、から、良い、けど」
「おお、そうだったのかぁ・・・。チャンスはまだ、あるな」
ちなみに、ゆりちゃんも水月流を叔父さんに仕込まれているんだよね。勘が良いのか、親譲りなのか、凄いんだ。痴漢するなら死ぬ覚悟でないと、ダメかもね。
「俺様は痴漢ではないっ! 告白するだけだっ!」
「した、じゃ、ないか。それ、で、叔母さん、に、折檻、されて」
「そうそう、玉が潰れたと思ったぞ。あの人が将来、義理の母親になると思うとぞっとするな」
伝えておくよ。しっかりと、誇張して。
「・・・人でなしぃ、鬼ぃ。ま、冗談はさて置き、お前は残るんだな?」
「引越、した」
「ほう、それで、アパートに一人暮らしか? 女を連れ込んでウハウハじゃん」
発想と言うよりも、その言葉の選び方が不思議だ。何だ、その、ウハウハじゃんって。
「ゴホンッ。・・・それで、場所はどこだ?」
「遠坂、町」
「げっ・・・。その名の通りに遠いなぁ。お前、学校に通えないじゃんか。折角俺様が幼馴染のよしみでちんけな公立高校に通う意味がなくなるだろうが。転校するにしても、そっちには高校はないぞ? どうするんだ?」
「バイク」
博也は納得したように呻いた。
「でもよぉ、一時間近く掛かるだろ? それに、金はあるのか?」
「バイト、する、よ。明日、から。・・・それで、何で、博也、ロンドン、の、事、知って、いる?」
キョキョキョキョキョ。変な音が聞こえたぞ。
「聞いて驚け! お前の愛する唯が、俺様に泣きながら電話してきた! 奴隷のカゲツがアタシから逃げてロンドンに行きやがるっ、殺してやるっ、てよぉ」
奴隷、なんだなぁ、やっぱり。良いように使われていただけなんですよね。
「お前も苦労するなぁ・・・。まあ、あそこから抜けたのは正解かもな。あれは家柄の割に躾が出来ていないから、がさつで意地っ張りで傲慢で素直じゃないからな。あれは見て楽しむもんだぞ、近くに寄るもんじゃない。お前は近くに寄りすぎた。良い薬になんだろ。・・・んで、当分は後ろにも目を付けておけよ? マジで殺されんぞ」
「そう、だね。でも、その、暇、は、ない、かな?」
「それもそうか。授業が終わったらソッコーでバイトだろ? 昼休みくらいしかないもんなぁ。あの猫被りが大勢の前で甚振るとも思えないしな」
そうそう、皆の前では淑やかなお嬢様を気取っているからね。上手くフェイド・アウトできるでしょう。
「幸運を祈るっ! 夏休みはロンドンで過ごすかぁぁっ! ロンドンの、どこだ?」
「直接、聞きな、よ」
「おおっ、ゆりちゃんに聞くぜぇっ! 俺様の」
ぷつっ、つー、つー、つー。電源をオフにして、お休みなさい。
朝なのです。食料がないので空腹です。我慢して愛用のヘルメットを被り、荷台に鞄を括りつけます。ヘルメットは高級品です。シンプソン・スーパー・バンディット9と言います。色は白ですが、ダースベーダーみたいな形です。それで、高いです、非常に。まあ、それはともかくとして、学校へと愛車を走らせます。途中の山道は気持ち良いワインディング・ロードでした。
正門を潜ろうとしたら、教師に止められました。
「おいっ、バイク通学は禁止だぞっ! 職員室に来いっ」
「先生、おは、よう、ござい、ます」
挨拶すれば良いのです。
「何だ、城山か。職員用の駐車場に停めろよ。あと、職員室と事務室に挨拶しておけ」
「はい」
ちなみに、担任なのです。唐草先生と言って、熱血体育教師です。若いんですが、三人の子持ちです。奥さんは四人目を身篭っておられるそうです。
言われた通りにして、挨拶も済ませました。教室に向かう途中で、後ろから殺気を感じて逃げました。お腹が余計に空いてしまいました。
「カヅキ君、外国に行くって、本当?」
教室に入った途端、女の子から聞かれました。
「カヅキ、ロンドンだって? いつ出発だ? 見送りに行くからさ」
なぜか大勢集まってきました。
「なぜ、そんな、事を、言う、の?」
「長嶺さんが言っていたわよ。カヅキ君が遠くに行くから、皆で空港に見送りに行きましょうって」
ええと、それは誤解です。
「えーっ、何だぁ、サボれると思ったのによぉ」
「申し訳、ない、です」
拙い口で説明をしたのです。一人暮らしする事や、アルバイトをする事も、聞かれたので答えました。でも、それは余計な事だったのかも知れません。
昼休みになって、購買で買ったパンを屋上で食べていたのです。同じクラスの連中が周りにいました。もちろん、博也もいました。殺気が向いているので、何をするのか心配になりました。何かが飛んできたのですが、左隣に座っていた博也の後頭部に当たりそうでした。
「・・・ッ!」
手を出したら、何かが刺さりました。錘とノートの切れ端で作った矢羽のようなものがきちんとついた画鋲でした。かなり重くて、深々と刺さりました。痛いです。
「お、おい・・・、大丈夫か・・・?」
博也が気がついて、大騒ぎにならないように小さな声で聞いてくれました。
「ちと、いた、い、な・・・。手の、甲の、血管、に、刺さった・・・」
また飛んできました。今度は僕の頭の上です。それを通り越すと、他人の目に当たりそうでした。受け止める事ができず、手を出して強引に止めるしかできませんでした。それも手の甲です。なぜかいくつも飛んできました。笑い事では済まないので、博也の弁当箱の蓋を取って叩き落しました。
「おいっ、カヅキっ、血が出てんじゃんかっ! どうしたんだよっ。それに、この画鋲、何だよ、これっ!」
周りの連中が騒ぎました。その隙に、犯人は逃げてしまいました。錆びた画鋲が刺さったので、保健室で消毒してもらいました。凄く痛いです。
チクチクと痛むのを我慢して、授業を受けました。全部の授業が終わったので、ヘルメットを持って駐車場に行きました。そうしたら、カブが壊されていました。ミラーが折れて、メーターが割られていました。それと、シートがカッターのようなもので切られていました。パンクまで、していました。仕方ないので、近くのバイク屋に押して行き、直してもらいました。酷い事をするものです。
何とか帰って、初出勤しました。やる事も無くマスターと世間話をして、コーヒーや紅茶の美味しい淹れ方を教わりました。ご飯も食べさせてもらって、何だか申し訳ないです。部屋に戻ってから叔母さんに電話したら、料理も教われと言われてしまいました。もっともな事です。最後にゆりちゃんが電話でディープ・キスしたいと言い出して驚いてしまいました。いやはや、末恐ろしい子供です。
そんなこんながあって、嫌な事も忘れていたのですが、水曜日も木曜日も、もちろん金曜日も、帰るときには必ずカブが壊されていました。バイク屋さんに、犯人を捕まえろと言われてしまいました。段々と壊れ方が酷くなるので、僕も困っています。
週が変わって、月曜日になりました。今日は無事でした。一安心して、山を登り、下り始めたときに、それは起こってしまいました。フロントブレーキのワイヤーが切れたのです。錆びて切れたわけではありません。金曜日に切られて交換したばかりなのです。下りの左カーブでブレーキを握ったら、切れました。運悪く、対向車がいました。スピードはそれほど出ていなかったのですが、フロントブレーキが利かないのは致命的でした。何とかリアブレーキを使って直撃は避けられたのですが、コントロールできずにガードレールに当たってしまいました。
「おいっ、大丈夫かっ! 怪我は無いかっ」
行き過ぎたはずの対向車から、運転手さんが降りてきて声を掛けてくれました。最後に滑ったので、制服はぼろぼろになって、右肩から肘までをガードレールの支柱にぶつけてしまっていました。
「肩、と、肘、打った、みたい、です・・・」
「救急車を呼ぶから、そこで座っていろ。バイクをどかさないとな」
とても親切な運転手さんでした。救急車が来るまで、待っていてくれました。名前と電話を聞いて、改めてお礼に伺う事にしました。親切な人で助かりました。
「んー、右手首、右肘、右肩が見事に折れているね。全治二ヶ月ってところかな」
治療をしてくれたお医者さんは、そうあっさりと言ってくれました。ギプスでがっちりと固められて、苦しいです。マスターに凄く怒られました。犯人を見つけて懲らしめないからこうなるんだと、言われました。
でも、同じ学校の誰かなのです。一人だけバイクで通学しているのを面白く思っていないのだと思います。それは仕方ない事です。
ともかく、学校は休みました。痛くて、動くのが辛かったのです。何時間もかけて遠回りをして電車とバスを乗り継ぐだけの気力が出なかった。いや、この際だから怠けようと思ったのが正しいのですけれど。
一週間休んで、月曜日に学校へ行きました。
「おい、カヅキ、それ、どうしたんだ?」
博也が聞いてきました。
「転ん、だ。下り、坂、で、フロント、ブレーキ、切れた」
「おいおい、交換したばかりじゃなかったか? それって、犯罪だぜ? 殺そうと思わない限り、ブレーキを弄る奴は・・・」
いきなり黙ってしまいました。僕も察しがつきました。僕を殺すと言った人物がいたのです。そう、あの長嶺唯さんです。できれば間違いであって欲しいのですが。
「でもよぉ、カヅキ。リアもやられていたら、対向車に突っ込んで死んでいたんだぜ? それに、全治二ヶ月だろ? バイトもできなくて、一人暮らしでどうするんだよ。まったく、人が好すぎるぞ。今日から家に泊まれ。部屋は余っているから心配すんな。せめてギプスが取れるまでそうしろ」
下駄箱でそんな話を二人でしていたのですが、容疑者が通りかかりました。彼女は一瞬、凄く驚いて足を止めましたが、次の瞬間には硬い表情で言い放ちました。
「あぁら、随分と洒落た格好ですわね。今年の流行かしら?」
「おい、けが人に向かってその言い方は何だ! 一歩間違ったらこいつは死んでいたんだぞ。カヅキの運の良さで骨折だけで済んだんだ! 普通なら棺桶に入っていたんだぞ! ブレーキに細工するのは殺すつもりじゃないと出来ないんだぞ! この学校には人殺しがいるのかよっ! 面白くないからって人を殺そうと思う人間がいるのかよっ! 死ぬ寸前の恐怖を味わった人間に向かって、洒落た格好だと嫌味を言う人間がいるかよっ! けが人を労わる気持ちも無い女が、お高く留まってんじゃねぇっ! 何が長嶺家のお嬢様だよっ! 他人を見下して踏ん反り返ったただの傲慢女じゃねぇかっ!」
博也が顔を真っ赤にして怒っていました。彼女は真っ青な顔をしてぶるぶると震え、博也が息を吸ったときに逃げ出しました。
「てめっ! 逃げんのかよっ! 詫びも言わねぇで逃げんのかっ!」
「博也、良い、よ。ありがと、な」
その場はそれで収まったのですが、あの唐草氏が聞いていたのです。呼び出されてしまいました。
「城山、穏便に済ませたいという気持ちは分かるけどな。大事になりすぎだ。ただの単独事故ならバイク通学を取り消すだけで済むが、ブレーキに細工されたとなるとそうもいかないぞ。バイク屋の店長が俺のところに来たくらいだからな」
「あの、何、を、言われ、たんで、すか?」
「切れたワイヤーを持って警察に行ったほうが良いってな。悪戯にしては度を越しているんだ。どうやら疑われている人間もいるようだしなぁ。まさかとは思うが、職員会議にかけないと拙いだろう。呼び出して聞いてみるしかないだろうしなぁ」
博也が口を挟んできました。
「先生、正直に言う奴なんていませんよ。素直に言う人間なら最初からこんな陰湿なことはしませんって」
「まあ、貝塚の言う通りだけどな。困ったな」
先生は考えると言って、それで打ち切りになりました。
結局、博也の家に厄介になってしまいました。その間も、靴が隠されたり、ロッカーや机にゴミを入れられたりと、小学生の虐めのような事が続きました。
そして、けがも治ってまたカブで通うようになりました。暫くは何もされず、平気だったのですが、六月になって上着を脱いだ頃に事件が起きてしまいました。
そのときも帰りでした。高級外車に煽られながら山道を走っていました。何度も左に寄って先に行かせようとしたのですが、後ろで蛇行するばかりでした。フロントガラスまでスモークになっていて、中の様子は分かりませんでした。
ぴったりと後ろに付かれて、少し焦りました。もう少しで山道が終わるというところで、ちょうどコーナー出口でアクセルを開けるところでした。目の前に砂が浮いていたので、アクセルを開けずにいたら、後ろから衝撃が伝わりました。後ろに転がって、ボンネットから屋根を通って、アスファルトに落ちてしまいました。生憎と、頭から落ちてしまい、ヘルメットが割れてしまいました。シンプソンのようなレース用ではなかったからかも知れません。
急停止した車から誰かが出てくるのが見えたのが最後でした。気を失ってしまったのです。
目を覚ましたら、目の前で彼女が泣いていました。
「カゲツぅぅ、起きてよぉ・・・。虐めたの、謝るからぁ。ごめんね、ごめんね、意地悪したよぉ・・・。けがまでさせて、ごめんね、ごめんね、けがさせたよぉ、謝るから、起きてよぉ・・・」
起きています。と言うより、起きました。
「カゲツ・・・、良かった・・・」
「名前は? 住所は? 年齢は? 何をしていたか分かるか? どうしてここにいるか分かるか?」
白衣の人が矢継ぎ早にあれこれと質問して来ました。僕の目は泣きじゃくる彼女に釘付けです。
何を隠そう、いや、隠してもいないんですが、長嶺唯さんは片思いの相手なのです。あのオカルト研究会で虐げられていましたが、好きだからこそ我慢したのです。マゾヒスティックな傾向を持っているからではありませんので、念のため。
その大好きな人が目の前で泣いているのです。質問に答えながらも彼女の美しい泣き顔を抱きしめたくなってしまいました。
「城山君、運が良いと言うか何と言うか。軽い脳震盪だけだね。どこにも影響は無いようだ。暫く休んだら、帰って良いよ」
そんなもんですか。それは何より。
「あ・・・、バイク、取り、に、いか、なきゃ」
「それは頼んであるから、平気よ。・・・それよりも、ごめんなさい。あの、本当に、ごめんなさい」
さっきの事故を詫びているのでしょうか。確かに、酷い事をされました。
「大事にしているバイクを壊したり、靴を隠したりしたのは、アタシなの・・・。ワイヤーを切ったのも、アタシ・・・。あれが、ブレーキだなんて、分からなかった・・・。でも、そのせいで大けがして、痛そうにしているカゲツに、酷い事、言って・・・。アタシ、最低ね。それでね、さっきカゲツを轢いた車、あの運転手は逮捕されたから。すぐ後ろを走っていて、良かったわ・・・。逃げ出そうとしたのよ、あいつ。慰謝料はがっぽり請求してやるんだからっ。他人がアタシのカゲツに傷つけるなんてっ、許さないわっ!」
状況が上手く理解できないのですが、今までの事を謝って、なおかつ心配しているらしいのは理解しました。
「城山君、だね? 警察だよ。こちらのお嬢さんが通報してくれてね、君を轢いた運転手は逮捕したから。ずっと後ろから煽られていたんだって? 間違いはないよね?」
制服を着た警察のおじさんでした。聞かれた事に答えましたが、何かが変です。
「カゲツ、あのね、謝りたくて、ずっと後についていたの。喫茶店で、謝って、それで、できれば、許してもらおうと、思って・・・。そしたら、あの車が急に割り込んできて、すっごく危ない運転してっ、カゲツを轢いてっ、そのまま逃げようとしたからっ」
なるほど。
マスターが病院に来てくれました。場所を喫茶店に移しても、彼女は僕に謝り続けました。
「カヅキ君、どうするんだ? 許すのかい?」
「条件、を、つけ、たい、です、けど」
マスターの問いにそう答えました。彼女が食いついてきました。
「何でもするわっ。お嫁さんにだって恋人にだって奴隷にだってなるっ! 何でも言ってっ」
マスターと二人で口をあんぐりと開けてしまいました。お嫁さんや恋人にも驚きましたが、奴隷という単語には驚きです。かなり心が揺らぎます。
「で、どうする?」
「素直、に、なって、欲し、い、です、ね。飾ら、ない、自分、を、出し、て、正直、な、気持ち、を、言って、欲しい、です」
そう言ったら、凄かったです。顔を真っ赤にしてもじもじとテーブルに指でのの字を書き出しました。いかにも女の子らしいイメージの仕草で、見とれてしまいました。
「あの、その・・・、あのね、その・・・、素直に、な、なるわ・・・。正直に、アタシの気持ちを、言うわ・・・。あの、その、あの・・・」
彼女はそこまで言って、水を飲んでから深呼吸しました。何を言い出すのでしょう。
「カゲツが大好きで堪らないのっ、恋人になりたいっ、ううん、お嫁さんになりたいのっ。アタシをいつも見ていて欲しいのっ、好きになって欲しいのっ。誰にも取られたくないのっ、取られるくらいなら壊したいくらいに好きなのっ」
暫く二人で驚いて固まってしまいました。
思いが通じたのは良いのですが、交際するに当たっては、要注意です。もし心が離れたら、殺されるのは間違いないでしょう。離れていないのに殺されかけたんだし。
朝っぱらです。起きたばかりです。眠いです。携帯電話がメールを受け取ったみたいです。とりあえず放置して歯を磨いて顔を洗います。不思議な気配がします。
「ふんふんふーん、ふんふふふんふーん・・・。あら、メール。何々・・・。カヅキがいなくて眠れません・・・。ちゅぅだけじゃなくて、えっちもしようね・・・?」
室温が急に下がりました。もうすぐ夏なんですが。
「カゲツぅぅぅ? このメールは、なぁぁぁに? ちゅぅ、えっちぃぃ? 誰よっ、この女ぁぁっ! こんのぉうわきぃぃものぉぉぉぉっ!」
「それ、は、ゆりちゃん、から、メール、だ、から、無視、して。それ、は、とも、かく、なぜ、こんな、時間、に、ここ、に、いる、の?」
あの事故の日から僕等は恋人になりました。予想通り、嫉妬深いです。僕の携帯をチェックするのが趣味になっているらしいです。やましいところは無いので気にしていませんが。
「そっ、そんな細かい事をっ、気にしないのっ! 本当は一緒の布団で寝たいんだからぁっ! ・・・あ」
「あ?」
「あ、あははー。・・・まあ、良いじゃない。大好きなんだから」
意味不明ですね、照れているのは良く分かりますが。
「あ、あのさ・・・、ゆりちゃんとは・・・、その、し、したの・・・?」
「ちゅぅ、は、した、よ。小さい、とき、から、一緒、に、いた、から、ね。従妹、だし」
赤い顔のままホッとしたような嫉妬しているような、不思議な顔をしています。朝っぱらからいけない気分になったのは、その奇妙だけれどそそる表情をする大好きな人のせいです。 しかし、もうすぐ学校に行く時間です。
「ねぇねぇ、ずるいよぉぉ。アタシは恋人なんだからぁぁ、ちゅぅしたいぃぃ。従妹よりも凄い事をしてくれないとぉ、嫌よぉぉぉ」
恥ずかしい事を言われてしまいました。いや、嬉しい事と言ったほうが良いでしょうか。
「何で黙っているのよぉぉ、大好きなのにぃ、愛しているのにぃ。・・・アタシじゃ、嫌なのぉぉ? やっぱり、素直じゃないから・・・? 酷い事をしたから? ごめんなさいぃぃぃぃぃ、謝るから、謝るからぁぁぁぁ。捨てないでよぉぉっぉ」
一人で突っ走る傾向はまだ強く残っているのです。そこが迷惑でもあり可愛くて悶えてしまいそうなのですが。
「嫌じゃ、ない、から。捨て、ない、から・・・」
そう言うと、むふふーと言う表現が適切な不思議な表情をします。それもまた悶えるくらいに僕の心をくすぐります。もちろん、不埒な方向に、ですが。
携帯電話が鳴り出しました。
「もしもぉし、カゲツの携帯よぉ」
そう言って僕の大好きな人は電話に出てしまいました。すぐに切りましたが。
「どう、した、の?」
「んー、いたずらね。『いよぅっ、俺様だっ』ですって」
「朝、から、いたずら、かぁ。嫌な、時代、だなぁ」
「本当にね。これからいちゃいちゃするのに、邪魔だわ」
そういう時間はありません。
また鳴り出しました。今度は僕が出ました。
「もし、もし」
「おいっ、カヅキっ! 何で朝っぱらから一緒にいるんだっ! お前っ、まさかっ、この俺様を差し置いてっ、男になったのかぁぁぁっぁっ!」
ぷつっ、つー、つー。電源も切っておきましょう。
突っ走ったペドフィリアは扱いに困ります。登校途中で小学生や幼稚園児に襲い掛からないようにと祈るばかりです。
梅雨時で今日も雨です。彼女の家の車で送ってもらいます。彼女と手を繋いで並んでいるのはやっぱり照れ臭いです。運転手さんはいつもカーステレオの音楽に合わせて歌っているので、こちらを気にする事はありません。カラオケが好きだそうです。
「カゲツ・・・?」
彼女が口を耳元に寄せてきました。顔がにやけているのが少し怖いです。
「何・・・?」
「バイトが終わったら、一緒にご飯、食べましょう?」
「良い。よ」
習慣になりつつあるのです。放課後は喫茶店で過ごし、終わってから僕の部屋で過ごすのです。もちろん、健全なお付き合いなのです。期待するような事は、まだありません。
「でね? 今日は・・・、その、大丈夫な日だから・・・」
おおお? 何という台詞でしょうか。思わず期待で一部分に血液が集中しかかります。
パチコォォォーンッ!
「いっでぇぇぇぇぇっ!」
「何を変な想像しているのよっ! アタシが欲しいなんてっ、一年早いわよっ! 結婚できる年齢になってから言いなさいっ! でぇもぉぉ、結納してぇぇ、婚約者になったらぁぁ、できるかもよぉぉ?」
それは非常に魅力的なお誘いですが、それまで生きていられるかどうか不安です。
「何ですってぇぇ?」
「いえ、何、も」
当分は生殺しのままのようです。僕も健康な少年なのですが。
「うふふ、でもね? ちゅぅはたくさんして良いからね」
では、喜んで。
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