先生の桔梗
【今宵貴方とぺこりの花を】
ミチ!ちょっとヤバイぞ。なんか色っぽい店と間違えられるぞ。
日本酒のCMっぽくもないか。
うん。
いや、どちらにしても変だ。
冬のぺこりには、夕暮れ時になると目が眩むような夕日が差し込んで来ます。
赤い光線に照らされた花達は、人工的な明かりや昼の太陽と違った雰囲気を見せてくれます。
夕日の中から突如現れたのが、デカイ図体の熊!?
と思いきや店長でした。
店長は、和服姿の30代半ばの女性を連れて店に戻って来ました。
今日は、知人のお葬式の会葬に行っていたのです。
「キクちゃん、この塩をまいてくれる」そう言って店長は、僕に小さな「お清め塩」と書かれた袋を渡しました。
僕は、店長と見知らぬ女性に袋から取り出した塩を軽くまきました。
店長は奥の休憩室に女性を招くと、僕とミチにも休憩して買ってきた銘菓「加賀の菊」を食べるように勧めてくれました。
「いやー店長、気が利きますねー」ミチは僕にお茶を淹れさせて早くも加賀の菊を食べ始めます。
「凛子も昔はミチみたいに元気な女子高生だったけど、今では妖艶な大人の女ね」店長は、女性に向かって言いました。
女性は凛子さんと言う小料理屋を経営する女性で、店長の高校の後輩だそうです。
後輩と言っても店長とは、少し離れていて知り合ったのは、部活の練習に店長がコーチとして短期間教えに言った時のことだそうです。
「何部だったんですか?」僕はきっと柔道部だと思いましたが一応聞きました。
「卓球部よ」店長は卓球の素振りをしながら言いました。
「えー!卓球って、卓球ですか」僕はビックリして聞き返してしまいました。
「何よ、柔道部だと思ってたんでしょう。あんな野蛮なことはしないわよ」
確かに、店長が男と組み合うのはいけない気もします。
「熊田先輩は、インターハイにも出場したんですよ」凛子さんは笑いながら言いました。
「私も卓球上手いよ」何を思ったかミチは超高速で、バックとフォアの素振りをブンブンとします。
ミチ、加賀の菊になんか変な薬でも入っていたか?
白目を向いて髪をかき乱して素振りをする理由がないだろう。
今日のお葬式は、その部活の顧問の先生だった人で定年退職直後に病気で入院したのですが
1年間の治療の甲斐なく一昨日の夜に亡くなってしまったそうです。
「先生が、私の店の開店祝いに来た時にはもう病魔に襲われていたんですね」凛子さんは
しんみりと僕の淹れた煎茶に口をつけました。
「お酒にしようか」店長が机の奥に隠しておいた日本酒の1升瓶を出してきて言いました。
凛子さんは、高校を卒業すると直ぐに結婚をしたのですが3年で離婚してしまったそうです。その後、小料理屋で働きながらお金貯めて今のお店を5年前に開店させたのです。
離婚直後から、先生は何かと心配をしてくれて凛子さんが勤めていた小料理屋に頻繁に夕食を食べに来てくれたそうです。
先生も奥さんを早くに病気で無くし子供たちも独立して一人で食べる夕食が寂しかったせいもあると思います。
先生は、店の中を覗いて空いている時だけ中に入ったそうです。
ビールを1本と簡単な肴を食べてお茶づけを食べるだけの客として、店が忙しい時は遠慮していたそうです。
それは、凛子さんが自分の店を持ってからも変わらず空いている時だけ静かにビールと簡単な食事をして凛子さんの様子を見て帰るそうです。
凛子さんは、店の悩みや母親に預かってもらっている娘のことなどを先生に相談していたそうです。
先生は、どんな相談にも静かな笑顔で最後は「なんとかなるよ」そう言ってくれたそうです。
先生の「なんとかなるよ」は凛子さんの心を軽くする特効薬のように効いたそうです。
「昔から怒鳴るような人じゃなかったけど、生徒のことを本当に心配してくれる良い先生だったわね」店長は、コップに注いだ日本酒をグビリと喉に流し込んで言いました。
「何があっても信頼してくれる先生でした」凛子さんも日本酒を少しずつ喉の奥に流し込んで言いました。
二人は、先生との思い出に浸るように黙って日本酒を味わっています。
僕が大人になった時に、あんな風に哀愁たっぷりにお酒を飲むことがあるのでしょうか。
それまでには、いくつもの悲しみを味あわないといけないのでしょうか。
そんなことを考えている僕の横で、ミチは二つ目の加賀の菊を喉に詰まらせて苦しんでいます。
君には、まだまだ哀愁の日本酒は似合わないね。
「先生の車で娘と3人で旅行に行ったことがあるんですよ。
夏休みに娘をどこかに連れて行きたい相談したら、先生が車で信州に連れて行ってくれたのです。
最初は日帰りの予定だったのだけど、向こうに着いたら娘が「泊まりたい」と言い出して先生は豪華な旅館に泊めてくれたのです。
父親を早くに亡くした私と父親と暮らせない娘にとって、先生は両方の父親みたいな感じなのだと思ってました。
3人で部屋で食事をとって昔話やお店でのことを夜更けまで楽しく話をしました。
お酒も少しだけ飲んでね。
もちろん泊まる部屋は別々ですよ。先生は私に何かしようなんてする人じゃないですから。
先生が「じゃあ寝るよ」そう言って自分の部屋に帰っていく時の後ろ姿を見た時、初めて先生は男なのだと感じました。
何でなのでしょう。
翌朝、娘がまだ寝ている時間に二人で旅館の庭を散歩している時にそっと先生の手を握ぎると
先生は少しだけ力を入れて握り返し、直ぐに掌を開いて私の手を離したんですよ。
そして、離した手で「桔梗が咲いているよ」そう言って朝露に濡れた青紫の花を指差したんです。
二人の見ていた桔梗は、手を握ったような蕾と手を開いたように咲いた花が混ざってました」
少し酔った凛子さんは黒留袖の襟元に付いている紋に目をやって独り言のように話をしました。
僕は、先生と凛子さんの間に流れた時間がぺこりの中に漂っているような不思議な空気に少し耳鳴りのようなものを感じました。
「凛子さん、今日は先生の供養だ。飲みましょう」いつの間にかまた、日本酒を飲んでしまったミチが凛子さんに絡み始めました。
「桔梗の花言葉は【変わらぬ愛】です。さあ飲みましょう」ミチは1升ビンの最後の1杯を自分のコップに注いでます。
「ミチ、ヤバくないか」僕は恐る恐る椅子の上に胡坐をかくミチに言いました。
「キク!お清めだよお清め。」そう言ってそのまま後ろに倒れてしまいました。
店長は、既に酔いつぶれて鼾をかいてます。
「先生が入院した時に「先生のお嫁さんになれば良かった」そう言ったら「家の家紋は桔梗なのだ。凛子には似合わないよ」そんな冗談みたいなことを言ってましたね。
どうですか?この黒留袖に付いた桔梗の家紋、似合わないですか」
凛子さんは、まるでそこに先生が居るかのように鼾をかいて寝ている店長の後ろに視線を向けて言いました。
店の中に差し込んでいた夕日はすっかり落ちて人工の白い灯りが、花たちを妖艶に浮かびあがらせています。 |