曇天先生のシクラメン
【ぺこりの花で今日も幸せ】
ミチ。今日のポップはいいぞ。でも、泡の出ているジョッキは、なんか変だ。
今日も疲れたぜ、プハァーって幸せか?
それは違うだろう。
そんなポップを眺めている僕の横で、じっと店先のシクラメンを見つめているオジサンがいます。
「綺麗でしょう?葉の奥に小さい蕾がたくさんありますから、まだまだ咲きますよ」僕はオジサンにシクラメンの説明をします。
「いい匂いだね」オジサンは、きっと大昔に流行った唄のことを言い出すに決まってます。オジサン、オバサンはシクラメンを見ると必ず言います。
「真綿色したシクラメンほど〜♪ホニャララヒャラリラリ〜♪」オジサンが言い出す前にミチが歌いながら登場です。
しかも、園芸用の小さいスコップをマイクにして。
「真綿色、かほり。いい言葉だよね。僕にも言葉を作り出す才能があればね」オジサンは奇妙なミチに驚くことなく呟きました。
僕も突っ込むタイミングを外したので、ミチは
「ホニャララ♪ヒャラリラ〜♪」のまま一番を歌いきりました。
ミチ。ごめん。
「シクラメンは、綺麗で良いかほりで人々を喜ばせ、
歌は、綺麗なメロディーと感受性豊かな詞で感動を与える。
なのに、僕は・・」オジサンはシクラメンの鉢を持ち上げて号泣し始めました。
「どうしました?シクラメンを見て泣かれても何ですから奥にどうぞ、どうぞ」僕は、この不審な行動のオジサンを奥に連れて行き和美さんのお茶を飲ませることにしました。
こんな時は、和美さんに頼るしかありません。
「どうぞ、ジンジャーテイーですけど」和美さんは優しく微笑みながらお茶を出してくれます。
オジサンは、同人誌に小説を掲載する素人小説家でペンネームを曇天と言うそうです。
書いているのは、時代考証のいい加減な江戸人情小説や宇宙を舞台とした惑星間悲恋物語、現代社会を見識無く風刺したコメデイーなど特に得意な物もなく書きなぐっているそうです。
なんとなく、聞いただけで面白いとは思えない内容ばかりです。
「僕の書くものは、詰まらないかもしれないです。枚数ばかり多くて誤字も脱字も多い。でもも・・・・・うう」曇天さんは、机に突っ伏してしまいました。
曇天さんは、同人誌の代表から「これじゃ、同人誌の質を落とすから今回は掲載出来ない」そう言われたそうです。
代表とは創刊の時からの友人で共に文学について熱く語り合った仲だったのです。
「彼は、僕のいつまでも衰えない創作意欲に嫉妬しているんです。
確かに最近の僕が書くものは若い連中の作品に比べれば新鮮さは無いかもしれない。
しかし円熟の渋みと経験に裏打ちされた深い知見があるはずです。
しかも、彼女まで僕の作品を「悩み無き駄文」などと言うんです」曇天さんは二杯目のジンジャーテイーに砂糖を入れながら熱弁をふるいます。
曇天さんの嘆きは、長年の友である代表と彼の小説の一番の理解者であった恋人から評価されないことのようです。
特に恋人の冷たい言葉に深く傷つき、頭の中から全ての物語や言葉が無くなった気がしたそうです。
「彼女とは、僕が同人誌に小説を掲載する前から交際をしていたのです。
僕が、いたずらのように書き始めた物語に感動してくれたのは彼女です。
僕は、彼女に喜んで貰いたくて寝る間も惜しんで物語を書きました。
『液体のビン詰め〜天国から来た恋〜』
『童話 ピヨピヨぴよちゃん空飛んでキュー』
『特売!未完熟信濃リンゴジュース』
次々と書きました。
最新作は、『スポーツクラブ ポロリ』というコメデイーです。」
え?!他のはコメデイーじゃないんだ。どれも変な題名だけど。
しかも、このオジサンが書く恋愛小説ってちょっと・・・・・
僕は、思わず真剣に語るオジサンの顔を見てしまいました。
「きっと、どれも良い小説なんでしょうね。恋人のために書いていた小説。
誰かを想うことって素敵なことだもの」店長が曇天さんの肩をそっと抱きます。
危ない、危なすぎる光景だ。
別にどんな愛の形も否定しないけど、熊のようなオカマがオジサンの肩にもたれる光景は僕には直視出来ない。
いいのか曇天さん。
「でも、なんで小説を書き出したの」店長は曇天さんの耳をかじるぐらいの近さで聞きました。
曇天さんが小説を書き出したのは、恋人の病気が原因です。
突然、目の前に霞がかかる感じがして目医者に行った彼女は、検査のために入院をしたそうです。
不安でイライラする彼女のために初めて書いたのが「ルーのカレーライス」という童話だったそうです。
童話好きの彼女は、大喜びしてくれたそうです。
それから、曇天さんは童話から恋愛小説、SF、コメデイーと彼女が喜びそうな物語を書きまくったそうです。
検査の結果、判明したのは決定的な治療方法のない将来失明の可能性もある厄介な病気だったそうです。
絶望する彼女を慰める言葉もなく物語を書くことも止めてしまったそうです。
そんな彼を見て、同人誌に参加することを勧めてくれたのが彼女です。
自分の目が見えるうちに本になった曇天さんの物語を読みたいと言ってくれたのです。
曇天さんは、何時間も机の前から離れることなく書きまくったそうです。
1作でも多く彼女が自分の目で読めるように書きまくったそうです。
出来なんて考えずに、ただ彼女に喜んでもらいたくて書きまくったそうです。
そんな彼の気持ちに感動した同人誌の代表は、曇天さんの作品を丹念に校正をしてトップに掲載してくれたそうです。
代表の校正してくれた物語は、曇天さんの殴り書きを作品にしてくれました。
友情と愛情によって曇天作品は、読物として生まれることが出来たのです。
彼女の病気は安定し失明の危険性はなくなったそうです。
そうして、いつの間にか曇天さんの作る物語は誰のためでもなく、自己満足の産物になっていったのです。
「小説なんて自己満足でいいじゃないですか。誰かに批判されたって気にすることはないですよ。文章が書けるだけで羨ましい」僕は曇天さんを慰めるつもりで言いました。
「まあ、キクの場合はそうだね。私のポップのようにメッセージ性のあるスルドイ文章は無理だ」
ミチ。君に言われたくないよ。
店長は曇天さんの肩に寄りかかったままシクラメンの話を始めました。
「シクラメンは香りのない花だったのよ。『シクラメンのかほり』という曲が流行ってから品種改良を重ねて今のように香りのある花になったの。
色も白だけじゃなくたくさんの色が作られたの。
あの歌を聴いて感動した人達のために、香りのあるシクラメンを作りたいと思った人がいたから出来た花なの。
「野に咲く花は、美しい。在るがままの美しさ」と言う人がいるわ。
間違っていないと思うけど、私たちが扱うのは栽培された花。
愛情を込めて買ってくれる人のために作られた花。
シクラメンの花言葉は【嫉妬】。
でも、私は野に咲く花にも嫉妬しないぐらい愛情のこもった花が美しいと思っているの」店長は曇天さんの耳に息を吹きかけてます。
「あ!そうです。そうなんです。
僕が書いているのは、野に咲く花のように心のままに書いているでもなく、読んでくれる誰かのためでもない文章。
ただ、自分の奢った虚栄心を満足させるための文章。
文章ではない、文字の羅列だ。
自分の心にも他の人の心にも、何かを伝えようとする意思の無い文字だ。
もう一度、彼女の顔を思い浮かべながら、見たことのない誰かを思いながら、校正をして批判してくれる友の顔を思い浮かべながら書こう。
一文字一文字を大切に書こう」曇天さんは我に帰って店長を振り払い声高々に言いました。
「誰かを笑顔にするのって幸せですよね。どんな小さなことでも。
シクラメンの花言葉には【思いやり】もあるのよ。
人を思いやるのって自分も幸せになれる気がするわよね。」和美さんが3杯目のジンジーテイーを淹れながら言いました。
「そうだ、私は面倒でも得にならなくてもポップを書いているのは人々の笑顔にするためなんだよ。分かってるのキク」ミチは何故か僕の耳を引っ張って言いました。
分かったよミチ。僕もミチのポップは好きだよ。
痛いよ、ミチ。 |