ハグハグのアオキ
【ぺこりは今日も笑顔です】
フラワーショップぺこりのショーウインドにミチのポップが張られるようになってから、随分経ちますが特に売り上げに影響はありません。
花屋の朝は、水やりから始まります。寒いこの時期は花にとっても水をやる僕にとっても辛い季節です。
しかも、花の言葉が分かる不思議ちゃん女子高生ミチの命令に従い花たちに声をかけながら水をやらないと、いけないのです。
「おはよう、ポインセチア」
「良い人に買って貰えるといいね。シクラメン」
若い男が、笑顔で花に話しかけている図ってどうですか?
「おはよう」そんな僕に、返事をしてくれるのは恵子さんです。
恵子さんは、最近になって近所の小さなスーパーで働き始めたのです。お子さんが学校に行っている間だけの短い時間、決まった曜日に働いています。
僕は規則正しい恵子さんが、ぺこりの前を通る度に今日は木曜日で今は八時半なのだと確認しています。
少し前までは恵子さんが夕方に買い物に行く時間で、そろそろ五時なのだと思っていました。
その頃の恵子さんは、店の前を通っても挨拶どころか花に目を向けることも有りませんでした。
花を買うのは、お彼岸とお正月だけです。
今は、仕事の帰りに小さい鉢物を時々買ってくれます。買わない日にも、良く店先の花を見て帰ります。
そんな人が増えると、僕としても花に水をあげる甲斐があると言うものです。
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今日も規則正しく恵子さんは、帰ってきました。
「こんにちは、この鉢植えは綺麗ね。」そう言って恵子さんは、アオキの鉢を持ち上げました。アオキは一年中蒼い葉をつける植物で垣根によく使われます。雌は紫の小さな花を咲かせ、この時期には赤い実が緑に映える鉢物として良く売れます。
今日の恵子さんは、すごく嬉しそうなので少し冷やかしてみました。
「恵子さん、なんだか楽しそうですね。」
「そう。少しだけ嬉しいことがあったの。」恵子さんは、ウキウキと言いました。
「なんですか?」僕は尋ねました。
「もったいないから、キクちゃんに教えない。」恵子さんは最近になって僕をキクちゃんと呼ぶようになりました。それまでは、「花屋さん」って呼んでいたのですが。
僕は、お客さんに「キクちゃん」と呼ばれるのは嫌いじゃないです。
恵子さんは、楽しそうに笑ってアオキの鉢を置いて帰りました。
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2日後も夕方にぺこりの前を通りましたが、僕に気づかずに通り過ぎてしまいました。
なんだか、考え事をしているようです。
それから、2日後の夕方にもぺこりの前を素通りしようとしていたので、僕の方から挨拶をしてみました。
「こんにちは。恵子さん」僕の声にビックリしたように恵子さんは振り向きました。
「こんにちは、キクちゃん」恵子さんは元気なく、言いました。
「元気ないですね。」僕は恵子さんに尋ねてみました。
「うん。仕事を辞めようかと思ってね。」恵子さんは、店の前で話を始めました。
恵子さんの仕事はスーパーで品物を陳列したり、仕入れた品物を倉庫にしまったりという裏方の仕事です。
少し前までは。
最近、職場が異動になりお客様を案内したり商品の説明をしたりという、仕事に変わったそうです。
人見知りする性格の恵子さんは、お客さんに声をかけられるとドキドキして上手に説明が出来ずにお客様を怒らせることが続いているのです。
店長も主任も、慣れるまでは仕方がないと言って許してくれているのですが、恵子さんには続ける自信がないそうです。出来れば前の裏方に戻して欲しいのですが、恵子さんが裏方に戻れば、誰かが店舗に出なくてはいけないと思うと、それも言い出せません。
それに、辞めてしまったら今の仕事を一生懸命教えてくれる若い社員の女の子にも申し訳ない気がして思い切って辞めることも出来ないそうです。
確かに、花屋でも理不尽なお客様はいますし腹の立つこともあります。でも、忘れっぽい僕は翌日には忘れてしまいます。
恵子さんは、僕に話をすると少しだけ気が晴れたようで「もう少し頑張るか。」そう言って帰って行きました。
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翌日、僕は店で使うコピー用紙が切れてしまったので、お使いに恵子さんの働くスーパーに買い物に行きました。
近くの文房具屋さんでも良かったのですが、恵子さんのことも気になったのと洗濯物を溜めていたせいで明日履くパンツが無くなってしまったのです。実は、今日のパンツも2日目です。
スーパーは、1フロアーに食品から衣類まで全てが整理よく並べられています。
恵子さんは、洗剤売り場の前でお婆さんと話をしています。僕は、そっと傍によって様子を見てみました。
「この洗剤とこの洗剤は、どう違うの?」お婆さんが恵子さんに聞いています。
「えーと。」恵子さんは、洗剤の箱を見比べて困っています。
「少々お待ち下さい。」恵子さんは走って若い女性社員を呼びに行きました。
恵子さんが、女性社員を呼びに行っている間に、お婆ちゃんは他の売り場に行ってしまいました。
恵子さんは、お婆ちゃんを探して店の中をダッシュです。
2周ぐらい回ったところで、食品売り場にいるお婆ちゃんを発見しました。
「お婆ちゃん、洗剤は?」恵子さんは息を切らしながら、お婆ちゃんに尋ねました。
「先に野菜を買おうと思ってね。お爺さんと猫の3人暮らしだから、少ししか買わないんだけどね。それでも、毎日、毎日ご飯を考えるのは面倒よね。」お婆ちゃんは恵子さんに言いました。
「そうですね。毎日のことだから面倒ですよね。」恵子さんはお婆ちゃんに笑顔で同意しました。
「今日は、お姉さんの家は何にするの?」お婆ちゃんが恵子さんに尋ねました。
「う〜ん。何にしましょうか。」特に決めてなかったようで恵子さんは困ってしまいました。
「じゃあ、二人で鯖の味噌煮にでもしましょうかね。」お婆ちゃんは言いました。
「そうですね。鯖の味噌煮にします。子供には、から揚げでも買って帰ればいいから。」恵子さんは笑いながらお婆ちゃんに言いました。
お婆ちゃんと、話をしていると少し離れたところから中年のオバサンが恵子さんを呼んでいます。
「ちょっと、今日のチラシに入っていた特売のテイッシュはどこよ。」少し怒っているようです。
恵子さんは、お婆ちゃんに軽く会釈をしてオバサンの所に小走りで近づいて言いました。
「申し訳ありません。もう売り切れてしまったのです。」
「チラシには、そんなこと書いてないわよ。」オバサンはチラシを恵子さんに見せながら言いました。
「すいません。」恵子さんは、ひたすら謝りました。
「じゃあ、こっちのテイッシュを安くしてよ。わざわざ来たんだから。」オバサンは、なおも食い下がります。
「申し訳ありません。それは出来ないのですよ。」恵子さんは汗をかきながら謝ります。
「なんでよ。アンタじゃダメだわ」オバサンは、そう言ってどこかに行ってしまいました。
落ち込んでいる恵子さんに気がついた女子社員が声をかけてきました。
「どうしたのですか?」
「また、お客さまに怒られちゃいました。」恵子さんは、すっかり沈んだ声で言いました。
「イライラしながら、お店に来る人もいますから。気にしちゃダメですよ。どんなに、頑張っても文句を言う人は居なくならないけど、頑張れば喜んでくれるお客さんもいるんですから。笑顔、笑顔ですよ。」女子社員は変顔で恵子さんを笑わせました。
僕は、なんとなくホッとして恵子さんには声をかけずに、コピー用紙を買って帰りました。
パンツをすっかり忘れて。明日は、ノーパンにします。
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そして、また2日後。
恵子さんは、いつもの時間に息を切らして走って店の中に入って来ました。
「キクちゃん聞いてよ。」恵子さんの顔がホンノリ赤く少し若返った気がします。
「超、嬉しそうですね。」僕は恵子さんに言いました。
「超・超・超嬉しいことよ。」恵子さんはピョンピョンと飛び跳ねながら言いました。
恵子さんの嬉しいことと言うのは、3つありました。
ひとつ目は、夕食の相談をしたお婆ちゃんが、胸の名札を見て「恵子さん。」そう呼んでくれたそうです。
お客さんに名前で呼ばれたのは初めてのことで、とても嬉しくなったそうです。
しかも今日はお爺ちゃんも一緒に買い物に来ていて、「聞いていたとおり若くて綺麗な人だね」って言ってくれたそうです。
お客さんに名前で呼ばれるのって嬉しいものなのですよ。
もう、ひとつは文句ばかり言っては帰るお客さんが、初めて「ありがとう」って言ったそうです。笑顔で、綿棒のところに案内しただけなのに。
笑顔に勝てるものはないんですよね。僕も、ミチに悪態をつかれた後で「ニッ」って笑われると腹が立つのを忘れて笑ってしまいます。
最後のひとつは、帰り際に女子社員に「メリー・クリスマス」って言って抱きつかれたそうです。
恵子さんが、次にスーパーに行くのはクリスマスが終わってからなのを、女子社員は知っていたのです。
「いつも迷惑ばかりかけているオバサンに、抱きついてクリスマスを祝福してくれたのよ。」
恵子さんは、目をウルウルさせながら僕に話してくれました。
きっと、毎日大変だったのだと思います。
一気に話をした恵子さんは、ニヤっと笑って
「メリー・クリスマス!キクちゃん。」そう言って僕に抱きつきました。
とても温かいハグでした。
だから、僕は年上マニアじゃないってば!
アオキを自分の分と若い女性社員のために買って帰る恵子さんに僕は言いました。
「アオキの花言葉を知っていますか?」恵子さんは振り返って首を横に振りました。
「【いつまでも若く】ですよ。」僕の言葉に恵子さんは、スキップで応えました。
店の奥で見ていたミチもニヤっと笑って僕に近づいてきました。
ハグ・ハグ僕は心の中で言いました。
ミチは僕のミゾオチに膝を一発入れて通り過ぎました。
息が・・・・止まります。
ハグ・ハグ・・・・
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