ぼく、ケンタ
ぼくの名前はケンタ。
犬太を書いてそう読むみたい。
ぼくをひろってくれたこの家の翔太くんという人が名前を付けてくれたんだ。
ぼくは雑種という種類の犬という動物なんだって。
たしかに翔太くんとは姿が違う。全身に茶色い毛が生えてるし、大きいしっぽも付いている。でも、物心付いたころには、この家の一員になっていたので、一緒の家族だと思っている。
翔太くんは、小六という名前もあるみたい。お父さんとお母さんとお姉ちゃんという人と一緒に住んでいる。お父さんはサラリーマン。お母さんは主婦。お姉ちゃんは中三っていう人なんだ。そして、翔太くんはお父さんとお母さんとが生んでくれた子供という人なんだって。人っていろいろ名前をもっているんだな。
ぼくのことも、生んでくれたお父さんとお母さんがいるはずと、翔太くんが話してくれたけど、ぼくには生まれたときの記憶はない。だからお父さんとお母さんってどんな存在なのが分からない。でも、翔太くんを見てると、子供を育ててくれるのがお父さんなんだって感じる。それなら、ぼくのお父さんは翔太くんだ。
ぼくが生まれたばかりのころ、寒さで小さく丸まっていたぼくのことを、大事そうにだっこして翔太くんの家まで連れて来てくれたそうだ。お父さんとお母さんはぼくと一緒に暮らすのをいやがってたみたいだけど、翔太くんは泣きながらぼくを家族にしてくれるようにお願いしてくれたと聞いた。
それから、ぼくはいつも翔太くんのそばにいた。
家の中では、お父さんとお母さんとお姉ちゃんと翔太くんで囲むテーブルの、翔太くんの右となりに座るといつも決まっていた。
ごはんを食べるときもみんなと一緒。翔太くんがいつもぼくにごはんをわけてくれた。しっぽを振っておねだりすると、頭をなぜてくれて、おかわりもくれた。ぼくが家族の一員になることをいやがっていたお父さんとお母さんも家族になると決まったときから、一緒にかわいがってくれた。
ぼくをいつも散歩に連れて行ってくれるのは翔太くん。
玄関から外に出ると、表の門から外へ出ないで、いつも裏の柵の隙間から細い路地に出ていった。表の通りは車という大きい乗り物が走っているから危ないみたいだ。たしかに玄関を出たときに見える大きい車は、ぼくを狙って走ってくる猛獣のようで恐い。
裏の道は静かだ。車が通ることはほとんどない。いつもの散歩道。途中石の壁の向こう側から、ぼくと同じ声を出す犬くんの声が聞こえる。「そこにいるのはだれだ」と聞くから、「すぐそこに住んでるケンタだよ。いま散歩中なんだ」と答えると「楽しそうだな」と返事が返ってくる。翔太くんは、ぼくたちが話をしていると「こら!ほえるな!」といって、ぼくの首に巻いたリードを思いっきり引っ張って、その場から離れようとするんだ。もうちょっと話したかったのにと、いつも残念に思う。でも翔太くんと一緒に散歩するのは楽しい。足取りも軽い。翔太くん、たまに走るから、ぼくも一緒に走るんだ。翔太くんも早いけど、ぼくだって負けない。ゆっくり歩くのもいいけど走るのはもっとおもしろい。いつまでだって走り続けられる。そのうち翔太くん、息を切らしてハァーハァーいって止まるから、リードに繋がれたぼくは強制的に止められてしまう。ぼくはもっと走りたいのに。走り足りないなって思いながらも翔太くんのこと大事だから、無理に走ることはしない。だって疲れているのが分かるから。
また、ゆっくり歩き出すと川が見えてくる。町の中に流れている川だからあまり川幅広くないけど、水の流れを見ていると、なんだか気持ちが穏やかになる。川に沿って車が走れる細い道があるけど、いつもぼくたちはその下の土手っていう所の芝の上を歩いている。足裏に伝わる感覚が石の道と違って柔らかくて気持ちいい。よくここでぼくは、うんちしちゃうんだ。翔太くん最初はいやがっていたけど、ぼくのうんちをシャベルでひろって茶色い袋にしまうんだ。いやだったら、ひろわなければいいのに。ぼくはそのままにしておいてくれた方がうれしいのに。
翔太くんはいつも芝生に座ってちょっと休憩。ぼくもさっき走ったから一緒になって休憩。
寒い季節は茶色い色だけど、暑い季節は緑色している。翔太くんは緑の芝が好きみたいだけど、ぼくは茶色が好きだな。ぼくの毛の色に似ているし、緑の芝の季節はとても暑くてきらいなんだ。
翔太くんが不意に立ち上がるから、ぼくも一緒に立ち上がる。翔太くん、ぼくに向かって「また走るか」って言うから、ぼくはしっぽを振って答える。そうすると、頷いて、笑顔をくれて、また走り出すんだ。ぼくもまた一緒に走り出す。「走るのは、ぼくのほうが早いんだからね」そう言って翔太くんの横を走ると「まて、まて」と、怒鳴って速度を落とさせようとする。でも、翔太くんはまだ同じスピードで走り続けている。「そうやってぼくに勝とうと思ってもだめさ」そう言ってぼくも走る速度を落とさない。そのうち翔太くんが先に止まっちゃう。「またぼくの勝ちだね」ぼくはしっぽを誇らしげにふって自慢するんだ。翔太くんは「降参、降参」って言ってまたゆっくり歩きだす。「また、競争しようね」そう、ぼくが話すと、笑ってくれる。
土手の芝をずっと歩いていくと、正面にはまた車が通る大通りにぶつかるから、ぼくたちはいつもその手前の細い道で曲がるんだ。家がいっぱい並んでる道。途中小さな工場があって、今は潰れてしまったみたいだけど、工場の中に見える錆び付いた機械や放置してある鉄のパイプなんかに翔太くん興味あるみたいで、いつも立ち止まって見ている。なにが楽しんだろう? でもいいよ。楽しいんだったら待ってあげる。
たまに聞こえる鳥の声。遠くで聞こえる犬の声。その犬の声に答えてぼくが話すとまた翔太くん怒るかな? ちょっと話してみよう。「だれ~、どこにいるの~」話すとすぐ翔太くんはぼくに振り向き「なんだ。もう飽きたのか? しょうがないな~」と、言って歩きだした。あれ? まだ見ていてもよかったのに。そう思ったけど、まあいいや。止まってるより歩いているほうが楽しい。さっき声を掛けた犬から「おまえこそだれだ」って聞かれたから、「いつもここを通るケンタだよ」と答えると、また翔太くんに「吠えるな」って怒られる。仕様が無いからぼくは「またね~」と一言だけ挨拶してもうそこでは話さないようにした。あの犬はまだ話しかけてくるけどしかたがない。そのままぼくたちはその犬がいるだろうと思う壁の向こうを無視して歩いていった。
家はいっぱいあるのに、散歩していてもすれ違う人は数少ない。みんなどこにいるんだろう。たまに見かけてもぼくのこと無視するし、ぼくがその人に興味をもっても、翔太くんがリードを引っ張って近づかせてくれないし。
そのうちまた、家の裏道に戻ってくる。ぐるっと一周、回ってきた。今日の散歩も終わりだ。今日のご飯は何かな?
あれから、一年位過ぎてぼくの体は大きくなった。
そうしたら、ぼくは家の中に上げてもらえなくなった。大きくて邪魔だとか、毛が抜けて部屋が汚れるとか、お父さんとお母さんに言われる。だって仕様が無いじゃないか。ぼくだって成長するし、犬なんだから毛だって生え替わるんだよ。人だって髪の毛抜けるじゃないか。なにが違うんだよ。でもなにを言っても聞いてくれない。番犬は家の外にいるのが普通だろうという。番犬ってなに? 犬の種類? ぼくは雑種という犬なんだろ? いままでと同じようにみんなのそばで一緒にごはん食べたいよ。
翔太くんはいつもぼくの味方だった。お父さんとお母さんが「上げちゃだめ!」って止めても玄関の中まで入れてくれた。ほんとは部屋に上がってみんなのいるところに行きたいけど、翔太くんは「ごめんね」と言って玄関以上は入れてくれない。翔太くんは優しく頭をなぜてくれる。ぼくはうれしい。
翔太くんは中一と呼ばれるようになった。人って名前が変わるんだ。たしかに翔太くん一年前から比べたらずいぶん大きくなったし、顔を細長くなってきた。翔太くんは大きくなっても家に入れるのに、なぜ、ぼくはダメなんだろう。いいよわかったよ。我慢する。でもみんなの顔が見えるところに居させて。
そして、いつもの散歩。
翔太くん、大きくなって走るのも速くなった。
でもぼくだって、大きくなったんだから、負けないさ。
「わかった、わかった。降参!」って、翔太くん、すぐ立ち止まる。
ほら、またぼくの勝ちだ。ぼくは、ついついしっぽを振って誇らしげな態度を取ってしまう。
別に、翔太くんの上に立つつもりはないから誤解しないでね。
また、川が見えてきた。水の量が多い。芝生も緑色。これからどんどん暑くなってくる。今位の季節がずっと続いてくれればいいのにな。散歩していて気持ちがいい。
あっ、ちょっとごめん……。
「あっ!またうんちした。なんでいつもここでするんだよ!」って、翔太くん。
だって、ここでいつもすることに決めてるんだもん。怒んないでよ。だから、いやなら、ひろわなくっていいから。
散歩の続き。
ぼくのうんちの入った茶色い袋が気になるな。においが鼻に付くけど、まあいいや。
えっ、また立ち止まるの?
ここはいつもに廃工場。
好きだな~。何見てるんだろ。壊れた機械に、錆びた自転車かな? いつもお姉ちゃんが乗っているのに似ている。でも、イスの前に丸い金属と、その下にごちゃごちゃした機械の固まり。お姉ちゃんのとは違うかな? あれに興味あるのかな?
また、いつもの犬の声が聞こえる。「そこのいるのケンタか!? おまえの臭い、いつも強いな!」
「ちがうよ。翔太くんがぼくのしたうんちを持ち歩いてるからさ」
「なんで持ち帰るんだよ。ちゃんと埋めてこい」
「知らないよ。拾ってきちうんだから仕方がないじゃないか」
そんな話をしていると、また、翔太くんはリードを引っ張ってくる。「うるさい。吠えるな。いつもここに来ると吠えるよな」
えっ? だって、翔太くんがぼくのうんちを……。
そして、翔太くんはぼくを引っ張ってその場から離れていく。「ごめん、またね」って、その犬に挨拶。すると、また、リードを引っ張るから、もうなにも話さない。いつもこの繰り返し。
今日も一周、いつもの道を散歩してきた。
玄関入って、翔太くんはぼくの頭をなでてから家の中へ上がっていく。ぼくはここまで。玄関の外に”犬太の家”って書かれた小さな箱が作られている。これがこれからのぼくの家なんだって。お父さんが作ってくれたんだ。最初はおもしろかったけど、みんなと一緒にいられないから寂しい。だから、ぼくの家にリードを繋ぐのは受け入れるけど、玄関までは入れる長さにしておいて。今日もごはんは玄関で食べるから。
それから、また二年が経った。
翔太くんは中学三年生。お姉ちゃんは高校三年生になって、二人とも受験生って呼ばれるようになった。また、名前が変わったんだね。二人ともますます大きくなってきた。でも、ぼくだって大きくなった。お父さんが最近”犬太の家”を新しく作り変えて大きくしてくれたんだ。おかげで寝るのには楽になった。最近は寝てばかりだ。ごはんを食べたらすぐ寝る時間。これじゃ、ますます大きくなっちゃうよ。翔太くん、最近受験に向けて、塾というところに行きだしたから、ぼくを散歩に連れて行ってくれる回数が少なくなってきた。学校から帰ると、すぐまた違う鞄を持って出かけちゃう。だから、ぼくはいつも一人ぼっち。
ぼくが動けるのはリードの長さだけ。散歩も行かない日は、家の前をぐるぐる回っているだけ。つまんない。
家の前を走る車を見ていると、恐いと思うより、あんなに早く走れて楽しそうだなって思っちゃう。
ぼくだって、走るの速いのに。リードでつながっているから思いっきり走れない。
そのうちに空は暗くなってくる。
真っ暗になったころ、翔太くんは帰ってくる。
ぼくは立って、翔太くんを出迎える。翔太くんはぼくの頭をなでて、「ただいま」って挨拶するから、ぼくもしっぽを振って「お帰り!」て話す。翔太くん、にこにこして笑ってくれる。
台所からお母さんが「早く、ごはん食べちゃって」って話すから、翔太くんはすぐに玄関を駆け上がって行っちゃう。ぼくは、とっくにお母さんからごはんをもらって食べちゃった。今はみんながそろってごはんを食べることなんてなくなった。ばらばらだ。お姉ちゃんも大学受験とかで夜遅いし、お父さんも仕事の帰りが遅くなってきているし、ずっと家にいたお母さんはパートとかいう仕事を見つけて、朝から留守にするようになった。翔太くんやお姉ちゃんの学費っていうものが増えるから働かないといけないみたい。だから、朝から、夕方までいつもぼく一人さ。だれもいない家を守るのが番犬なんだって。だから、ぼくは昔から番犬て言われてたんだ。
受験が終われば落ち着くってお父さんが言っていた。
だったら、もうちょっとだね。そうしたらまた、思いっきり散歩できるね。
そして、一年が経った。
翔太くんは無事に、高校生になった。
お姉ちゃんも大学生になった。そうしたら、お姉ちゃんは家を出て行った。学校の近くで一人暮らしをするんだって。
みんながいる家のほうがいいんじゃないの? どうしてわざわざ一人になりたいの? ぼく、一人ぼっちになったらさびしいよ。人がいっぱいいるから楽しいのにお姉ちゃんいなくなったらさびしくなっちゃったよ。
相変わらず、お父さん帰り遅いし、お母さんも受験が終わったらパート止めるのかと思ったら、まだ続けているし。
翔太くんだって……。
家の前に、バイクが止まる。そのバイクにまたがる人が大声を出す。
「翔太君!行くよ!」
そうしたら家の奥から翔太くんが答えるんだ。「分かってる。すぐ行く!」
翔太くん、駆け足で家を飛び出すと、自分のバイクにまたがって、エンジンっていう機械を動かすんだ。
ぼくに「じゃあね!」って声をかけるだけで行っちゃう。
迎えに来た人、ひとみちゃんっていったかな? お姉ちゃんに似て、髪の毛長い女の人なんだ。
翔太くん、ひとみちゃんと散布するのが、楽しいみたい。バイクに乗ってどこまで行くんだろ。バイクじゃなくってゲンチャリって言ってたかな。あれに乗ると翔太くんも早く走れて楽しいみたいだ。だから、いつも帰ってくるのが夜遅い。
ぼくも走りたい。いつもの道を。川の土手の芝生の上を。
それから数週間。
翔太くんは家にいた。いつもひとみちゃんと出かけていたのに、今日は迎えにこないみたいだ。
ぼくは、”犬太の家”で丸くなっていたら、翔太くんに「ケンタ!散歩いくか!?」って話しかけられた。
ぼくはうれしくて跳び上がり、しっぽを思い切りふって返事をした。「いく!いく!」
久しぶりの散歩だ。何ヶ月ぶりなんだろう。朝が来て夜が来るのを、何度”犬太の家”から眺めていただろう。
今日は天気もいい。日差しも穏やか。風もさわやかだ。絶好の散歩日和。
裏の柵の隙間から道に出る。いつもの散歩コースだ。
石の壁の向こう側から久々に聞く声がする。「ケンタか? 久しぶりだな。最近、来ないじゃないか? 散歩のコースを変えたのか?」
「ちがうよ。ずっと、家にいたんだよ。なかなか散歩に出られなくて」
「なんだ? 病気でもしてたのか?」
「違うよ。翔太くんが……」
また、リードを引っ張られる。
痛い。痛い! いいじゃないか。久しぶりなんだから、もう少し話させてよ。
そう、思っても翔太くん、リードを引っ張ってどんどん進んでいっちゃう。
分かったよ。仕様が無い。
「またねー!」そう言って翔太くんの歩みに合わせた。
翔太くん力が強くなったみたいだ。リードの引き方がいつもよりきつい。なにかイライラしているみたいだ。どうしたんだろう? なにかあったのかな?
翔太くんが突然ぼくに話しかけてきた。「なあ、ケンタ? おれって意気地なしか?」
えっ?……。ぼくは意味が分からなくて声が出なかった。
「まあいいや。ケンタ走るぞ!」
「うん!」よく分からなかったけど、でも、翔太くん、また笑顔をぼくにくれた。ぼくもうれしいよ。こうして一緒にいられるのが、もっとうれしい!
ぼくは走った。こんなに思いっきり走るのは久しぶりだ。やっぱり気持ちいい。
「翔太くん。川の見える所まで走ろう!」ぼくは翔太君にそう話すと、翔太くんも「負けねーぞ!」と言って走り出した。翔太君、力だけじゃなく、走るのも速くなっている。それとも、ぼくが運動不足で、走るの遅くなったのかな? でも、まだまだ負けない! 一度だって負けたこと無いんだから!
川の見えるいつもの土手まで走った。ここがゴールかな!? 翔太君は、土手の下の芝生の上に大の字になって転がった。仰向けになって、息を切らしている翔太くん。口は笑っているけど、目はどことなく寂しそうだった。ぼくは側に寄って翔太くんの顔をのぞき込んだ。翔太くん、ハァーハァーいいながらぼくを見つめて言った。
「やっぱり、ケンタには勝てないな」
上体を起こして、ぼくの頭をなでてくれる。
「それはそうさ」ぼくは誇らしげにしっぽを振った。
「行くか」
健太君、そう言って立ち上がる。
「いいよ」ってぼくが話す。
走った後だから今度はゆっくり歩く。足の裏に感じる芝生の弾力。やっぱり気持ちがいい。あっ、今日、うんちしなかった。久しぶりの散歩だったからリズムが違っちゃた。どうしよう……。まっいいか。明日ちゃんとしよう。
芝生の道も終わり。また、いつもの小道。いつもの住宅。いつもの工場。
あれ? 工場の中が空っぽだ。長いクレーンを持った黄色い車が止まっている。工場を壊しているみたいだ。今日は工事をしていない。翔太くん、立ち止まって様子を見ていくのかな?
翔太くん、ちらっと横目で工場の様子を見ただけで足を止めない。
やっぱり、興味なくなっちゃたかな? 興味あったのバイクだったんだよね?
「その臭いはケンタだな。久しぶりじゃないか」
ここを通るといつも話しかけてくる犬くんだ。
「そうだよ。久しぶり!最近、翔太くん忙しくって、散歩に連れて行ってくれなかったんだ」
「そうか、大変だな。おれはいつも朝早く散歩に連れて行ってもらっているぞ。暗くなるとまた散歩行きたくなるが、朝まで我慢すればまた散歩に行けると思って楽しみに待ってるんだ。久しぶりの散歩だなんて、よくケンタは我慢できるな」
「ぼくだって、毎日散歩したいよ。でも、ケンタくん、昔のように時間作れないみたいだし、忙しいんだって」
「そうなのか。おれからすればそんなの関係ないけどな。えらいなケンタは」
「そんなことないよ」本当は辛いけど、強がった。
ぼくたちが話していると、また翔太くんはリードを強く引っ張って邪魔をする。
「吠えるな。近所迷惑になる」
「近所迷惑ってなんだよ。話をしているだけだよ」
でも、翔太くんはぼくの声に耳を貸さないで、早足でその場を離れていく。
「ひっぱらないでよ」って翔太くんに話す。「またね」って犬くんに答える。
どうして、話しちゃいけないの? 翔太くんだって、友だちという人といっぱい話すでしょ。
そのうちにまた家の裏へと戻ってきた。
いいよ、分かったよ。でも、また明日散歩に行こうね。
家裏の柵の隙間から入って玄関まで帰ってきた。
翔太くんはリードを”犬太の家”に繋ぎ、ぼくの頭をなでてくれる。
そのとき、家の中からお母さんの声がした。
「翔太っ、帰ったのかい? 携帯鳴ってたよ! ひとみちゃん!」
その声に翔太くん、ぼくの頭をなでるのをやめて、すぐに家の中へ駆け上がっていった。
次の日。
また、ひとみちゃんがバイクで翔太くんを迎えにきた。
翔太くん、嬉しそうに、自分のバイクにまたがってエンジンをかけた。
ぼくは立ち上がって翔太くんに話しかけた。
「また行っちゃうの? 散歩はしないの?」
でも、翔太くんはぼくのことを気にもしないで、ひとみちゃんと一緒に出かけていった。
落ち着かない。立っては座り、また立って、限られた空間だけを、走ってはリードに引っ張られた。どこにぶつけることもできない心の動揺を抑えられない。
「ぼくは? また、一人で留守番なの? いつ散歩に連れて行ってくれるの? また、何日もリードに縛られてるの? いやだよ。ずっと縛られているなんていやだよ。散歩に行きたいよ。走りたいよ。ぼくは、ぼくは――――」
――――その日、ケンタは四年三ヶ月の生涯を終えた。
死因。ストレスによる急性腫瘍。




