第9話 文官のフィリップ
今回は、ある意味非常に二次創作らしい話になりました。
過去最多の原作キャラ登場率。
そしてとあるキャラの設定捏造などなど。
テーマは『報酬』それでは、どうぞ。
0
コーウェン家の入り婿であるフェーネルにとって、
夜、寝る前の義父との問答の時間は、日課であった。
「…フェーネルよ、お前はどう思う?」
昔は水同然の、ただ高いと言うだけの酒だったが、最近は専ら冒険者から買い求めた、
余り高級ではないウィスキーに、宮廷魔術師に作らせた氷を浮かべて飲みながら、
義父はいつもの台詞を口にした。
「どう、とは何がですか、義父上?」
いつものように言葉を返す。
そして、義父はその言葉を口にする。
「いやなに…冒険者は、何ゆえ強いのかと思ってな」
その言葉に、フェーネルは苦笑する。
いつもの悪い癖だ。
子供でも分かるような問い掛けでありながら、答えはそれ以上を求める。
「何故強いのかと言えば、冒険者は、何もかもが大地人を上回るからでしょう」
少し捻くれた答えを返した。
それに義父は僅かに眉をひそめ、再度、問う。
「何もかも…とは、具体的になにを言う?」
幽かな苛立ち。フェーネルが凡庸な言葉を返したときの兆候だ。
かかった。そう思いながら、フェーネルは言葉をつむいだ。
「何もかも、ですよ。レベルも、スキルも、武具も、不死身の肉体も、そして…戦術もね」
「…なるほどな」
義父は、笑い出した。正解だ。
フェーネルも微笑みながら、その言葉を口にする。
「ザントリーフ近く、チョウシの町で、100にも満たぬ冒険者が
〈緑小鬼〉と〈水棲緑鬼〉の群れを1000ほど倒した。そう聞きました」
「ほほう?対した戦果だ。だが、驚くことかね?
彼の騎士団〈D.D.D.〉は百人隊で万に及ぶ〈緑小鬼〉を倒したと言うぞ?」
既に答えを知っているくせに、義父はあえて聞いた。
「ええ、それは凄い戦果ですね…流石は、Lv90だ」
そう、それはある意味当然。
圧倒的にレベル、技、武具が全て揃った存在ならば、
数の差をひっくり返す英雄となっても理解できる。だが。
「チョウシの町にいた冒険者は大半がLv30以下…
我ら、マイハマの騎士団の正騎士以下の腕前だったそうです。
特に、あのシロエ殿の弟子である少女の部隊は、
Lv30以下の僅か5人で100を越える戦果を上げたとか」
異常さに置いてはこちらの方が遥かに上だ。そして…
「だが、それは冒険者だからではないか?我らが、大地人が真似できると思うか?」
あえて聞き返す義父に、フェーネルは唇を歪め、聞き返す。
「…義父上はお忘れですかな?20年前の『狐狩り』を」
義父の顔が、歪んだ。その苦い顔に、フェーネルは畳み掛ける。
「我らマイハマの懐刀、マイハマ近衛騎士団。定員24名。入団条件はLv50以上。
…20名失ったのを回復させるのには10年掛かりました」
そしてそれを為したのは。
「…相変わらず痛いところをついてくるな。ああ、そうだ。あれは私の失策だった。
あれだけの精鋭を揃えれば如何に『アイギアの雌狐』といえど、
容易く討てると過信し過ぎた」
密告により存在を暴かれ、ただ1人森の中に逃げ込んだ密偵は、恐ろしく強かった。
腕も立ったがそれ以上に頭が、心が強かった。
森の魔物を騎士団のところまでおびき寄せて不意を打ち、森のあちこちに罠を張り、
寝込みや用足しの瞬間を襲い、森の泉に毒を混ぜる。
卑怯と言う言葉など鼻で笑いながらあらゆる外道の手を駆使して、
精鋭部隊を壊滅に追い込みながら見事に逃げ切って見せた。
「他にも北の『狼王』は2年前に帝国の1000の討伐軍を相手に200の手勢を率い、
半分を討ち取られながらも討伐軍を壊滅させたと聞きます」
そう、大地人と言えど、戦に通じたものたちはいる。だが。
「雌狐は決して群れに加わろうとはしなかった。狼王は、遠すぎた。
…そして、何より騎士の誇りが、彼らに教えを乞うのを認めさせなかった、か…」
彼らは、ヤマトの闇だ。暗き場所でしか生きられぬが故に技と知恵を磨いた。
その闇は陽の当たる場所に居続けねばならぬ騎士団とは決して相容れない。
「しかし今ならば、我らも、学べるかも知れませんね」
そう、イースタルと、マイハマと同じ側…明るい陽の光を浴びる側にいる彼らならば。
「アキバの…冒険者の戦術を」
騎士団とて、認めざるを得まい。
「…分かっているな?」
それにフェーネルは頷きで返す。
「はい。クラスティ殿のお力を借りるのは、悪手かと」
彼らはただでさえアキバ最大最強の騎士団だ。
娘の借りも降り積もっている。
これ以上借りを作れば、マイハマは彼らの犬とみなされる。
今ですら口さがないものは誇りを捨て、娘を冒険者に売ったと言っているのだ。
これ以上は、毒にしかなるまい。
「ならばよし。見つけねばな。出来れば、ごく個人的な願いで済む範囲で」
「はい。既に、信用できるものに命令は出しております」
冒険者は強い。だが、それに甘えてはならない。
男2人が愛してやまぬ、姫君の言葉だった。
ゆえに、強くなる必要があった。
定命にして脆弱な、大地人の身であっても。
『第8話 文官のフィリップ』
1
マイハマからアキバに向かう定期連絡船は、
これから向かう街を象徴するかのように、混沌としていた。
俺は最近マイハマ文官の間で流行している本を読みながら、辺りを観察する。
この船の住人は、実に多彩だった。
まず、最初に目に付くのは、談笑している身なりの良い家族連れ。
マイハマでもそこそこの規模の商家や下級貴族の一族だ。
殆どが人間族。次いでエルフ族と少しだけドワーフ族。
これは、最近マイハマで良く聞く、アキバへの旅を楽しむ観光客だろう。
俺も天秤祭の折には、家族を連れて一緒に行った口だ。
楽しそうにしているが、世のお父さんは一体幾ら散財することになるのかと、
内心は随分と心配していることだろう…気持ちは、分かる。
同じ家族連れでも、もっと貧相で汚い身なりをしているものたちは、移民。
足の踏み場も無いくらい栄光とチャンスが転がっていると噂されるあの街は、
移民が多い。
あらゆる種族がいるが、見ている限りでは狐尾や狼牙、猫人など、
定住すべき街を持たぬ種族がやや多いように思う。
初めて乗る『蒸気船』に興奮して探検する子供達を横目にしながら、彼らの顔には、
一様にこれからの生活に対する不安が強く浮かんでいる。
彼らとて噂を聞き、決断はしたものの半信半疑なのだろう。
世間で鼻つまみ者の自分達が暮らしていけるという街なんてものが本当にあるのかと。
…マイハマから放った貧民上がりの下級密偵の何割がアキバに住み着いて、
そのまま行方をくらましたかを知る俺としては、苦笑するしかないのだが。
もちろん、家族連ればかりではない。
1人で乗り込んでいる客も多く見える。
満杯まで詰めれば人が背負えるギリギリの重さになるであろう大きな背嚢を脇に置き、
席を隣り合わせて盛んに情報を交換している若者達は、駆け出しの行商人。
アキバとマイハマを定期連絡船を使って1日で往復して金を稼ぐ、
マイハマで日帰り商人と呼ばれ始めたものたちだ。
この船には荷馬車を乗せられず、移動だけで金貨200枚掛かるため、
一度に多くを稼ぐことこそ出来ないが、勤勉さでもって数千枚程度の元手を
1ヶ月で3倍にしたなんて話もあるし、なによりそれを補って余りある安全がある。
世の行商人のかなりの割合がロクな護衛も雇えない駆け出しのうちにモンスターに
襲われ命を落とす羽目になることを考えれば、彼らの選択は、正しいと言えるだろう。
同じ巨大な背嚢を持っているものでも、明らかに若い子供は商会の見習いだろう。
時折ずっしりと重そうな財布を不安げに覗き込んでいるものや
主人からの書付を熱心に眺めているものもいる。
そんなことをしては、ゴロツキに狙ってくれといってる様なもんだが、
船やアキバで下手なことをすれば酷い目にあうことになるので、問題ない。
彼らは既に商談をまとめている主人から言い含められているのだ、
どこで、何を、幾らで買ってくればいいかを。
冒険者によって12歳以下の子供は、何故か船の利用料が半分と定められている。
利に聡い商人が金貨100枚もの節約の機会を見逃すはずも無く、
幾つかの商会ではこうして、
読み書きと計算が出来る12歳以下の優秀な小僧を仕入れの使いとして
アキバに送り込んでいる。
最も、読み書き計算が出来る小僧など平民にはそう多くはないはずだが、世
の中良くしたもので、
冒険者の息がかかった孤児院…マイハマの賢者の孤児院では、
大人顔負けなほど読み書きと計算が達者な孤児がゴロゴロいるし、
夏の初めから出回りだした数の秘術(初伝)は今では勉学の友として
そこそこ裕福なマイハマの子供や若者達の定番の読み物だ。
最近は賢者の孤児院で学んだ孤児を引き取り、
未来の使用人として鍛えているなんてのも、これまた良く聞く話だ。
そして、最後。明らかに異彩を放つものこそ、冒険者。
談笑してこそいるが、強力な武具を身に纏い、とてつもなく強いことを感じさせる。
一応は冒険者の中でも騎士ではなく商人に属するものたちのはずだが、
それでもマイハマの誇る近衛騎士団を容易く制圧するほどの力を秘めている。
いざこの船が魔物に襲われることにでもなれば、
瞬く間にこの船を守る護衛となる役であり…
俺が、これから交渉し、教えを請わねばならないものたちだ。
「間もなく、アキバに到着します。皆様、下船の準備をお願いします」
船に備え付けられた伝声管(遠くからの声をここまで送るという、
冒険者の発明だ)から声が響き、辺りが俄かに慌しくなる。
大抵が多くの荷物を抱えているので、準備が大変なのだ。
もっとも、公務で訪れている俺は、身軽なものだ。
灰色の外套を羽織り、同色の帽子を被って、鞄一つ持てばそれで済む。
素早く身支度を整え、パタンと、今まで読んでいた
『数の秘術(秘伝)』を閉じて、立ち上がる。
中々に読み応えがある本だった。
何しろ2つも位階が低い中伝の時点で完全に理解できれば
文官試験を突破できるほどの内容。
秘伝なんて読んでいるのは、マイハマの文官でも俺とフェーネル様くらいだろう。
まあ、学問の街であるツクバには賢者様から頂いた写本が運び込まれて、
魔術師ギルドでかなり熱心に研究されているらしいが。
「さて、仕事の時間か」
俺は気合いを入れた。ここからが、俺の腕の見せ所だ。
2
我らが麗しのレイネシア姫の下へ赴き、預かってきた親書…
サラリヤ様直筆の手紙をエリッサ嬢へと渡し終えると、
俺は弟が待つ船着場へ向かって歩き出した。
レイネシア様のご都合が悪く、直々に謁見賜ることが出来なかったのは残念…でもない。
イースタル一の美姫と会ったなんてばれたら、後が怖いのだ。
―――いいかい?子供達…妻だけは、念入りに選ぶんだよ。じゃないと後悔するから。
万年尻に敷かれっぱなしの隠居した父が、まだ子供だった俺達に対して、
母に隠れて言った言葉だ。もちろんその後すぐにばれて、こっぴどく叱られていた。
我が愛しの実家、マーロウ家の男は、女運が悪いと評判の家系だ。
兄弟揃って、色んな意味でアレな女を妻にした。
歌と喧嘩をこよなく愛し、頭はからきし。
ここ一番の度胸だけは兄弟一である長男のレイモンドは
母が見つけてきた、さる貴族のご令嬢…俺の今の妻を見事に振り倒した。
18のときにうちで雇っていたメイドのセスと手に手を取って、
マイハマから逃亡したのだ。
普通ならすぐにでも捕まるか、モンスターにでも襲われて野垂れ死ぬかなのだが、
イースタル1の吟遊詩人の爺さんが手伝ったらしい。色々と。
生きてるらしいことは旅の吟遊詩人から聞いて分かっていたが、
あちこち渡り歩いていてまるで見つからず、結局見つかるまでには実に3年もかかり…
ようやく帰ってきたときには既にセスは既に2人目を孕んでいたという
見事な種馬っぷりだった。
世間の荒波にもみにもまれ、セスともども世間知らずの坊ちゃんから
いっぱしの吟遊詩人になっていた兄は言い切った。
アンリエットには悪いが俺は何が何でもセスと添い遂げる。
ダメなら3人…否、4人とも2度と戻らない。
脇に身重の妻、背中に次代の当主である男の子を背負いながら
そこまで言い切ったバカ兄に、実家も折れた。
かくして、我がマーロウ家の長男は嫡男の癖に使用人を娶った家と、
嫌な意味で評判になり、実家の宿屋は名誉を手に入れ損ねた。
兄弟一の頭脳派、次男である俺フィリップも、女運で言えばかなり悪い部類だろう。
といっても俺の場合、ほぼ全部バカ兄レイモンドのせいなのだが。
頭脳のキレで文官になり、栄誉を得る。
名家の出ではあるがしがない文官だったところから次期領主の座を
射止めたフェーネル様がいる我がマイハマでは、割と普通の夢である。
平民ながら頭のキレは図抜けていた俺も例外ではなく、
万が一バカ兄が死んでた時も末っ子に家督を譲ると伝え、
10年前に平民ながら16で文官試験を突破し、文官となった。
身が重くなるので妻を取る気はなかった。
少なくとも、30辺りになるまでは。
しかしそんなささやかな願いは敵わなかった。
20の時に結婚することになったのだ。
お願いだから元兄の婚約者である、アンリエットと結婚してくれ。
貴族様の顔に泥を塗り、挙句に大事な娘を年増になるまで待たせた。
そんな失態をなんとか取り繕うため、俺に下った実家からの懇願。
せめて他に婚約者でもいれば断りようもあったのだが、
仕事一筋だった俺にそんなものはなく、受け入れるしかなかった。
アンは、世間一般の基準で言えば、良い妻だろう。
結婚してみれば気は利くし、25を越えた今でも美しい、昼も夜も。
家庭的で、手料理まで作れる。
兄に逃げられてから身に着けた高級家政婦の
Lvが年齢より上という、貴族の娘とは思えない出来た妻だ。
だが、重い。非常に重い。
身が重くなるのを嫌がってた俺には拷問なほど、愛が重い。
どうやら娘だった時代に一途に待ち続けていたレイモンドに
こっぴどく振られたことが、随分と深い心の傷になったらしい。
その分までまとめて俺に愛を注ぐようになった。
家にいる間はぴったりと俺の元を離れず、日に3度はキスを要求してくる。
ちなみに断ると、物凄く傷ついた顔をして謝るので、断れない。
毎食毎食、材料選びから自分で行った、やたら凝った料理を俺に食べさせたがり、
(例の、アキバの手料理が発明された後はさらに顕著になった)
少しでも他の女を見ようものなら後で1人になってさめざめと泣く。
せめて、母のように怒ってくれればまだやりやすいのだが、
妻たるもの貞淑でなくてはならないと言う信念で絶対俺を怒らないのが、さらに重い。
一度など、俺の服から女の香水の匂い(誓って浮気などじゃない。
帰る途中で商売女に絡まれただけだ)がしたと言うだけで、半日寝込んだ。
もし、本気で浮気などしたら、絶望の余り死ぬんじゃなかろうか。
…否定する材料がさっぱり見つからないのが、困る。
そんな妻である。
かくして上の2人が揃ってアレな女を娶ってしまったので、実家のほうも考えた。
末っ子には良い縁談を、と。
貴族は懲りたが、完全な庶民でも困る。
そう考えて方々手を尽くして探し出してきたのが、3年前。
歴史のある有名な宿屋の跡取り娘のところへの入り婿。
家の格もそこそこ。
この際マイハマの家じゃないのは目をつぶろう。
そんな縁談。
とんとん拍子に話は進み、末っ子もとうとう結婚した。
俺も良いんじゃないかと思っていた。
結婚式の時見た成人したての義妹は
若くて綺麗(とうっかり口にしたらアンに泣かれた)だったし。
…いや、まったく知らなかったんだ。
「ねえ。義兄さん。アンタ、今すっごく失礼なこと考えていない?」
宿に入った途端、鋭く睨みつけながら俺の心を見通す、我が義妹。
三男にして年の離れた末っ子、アルフレッドの嫁さんがどれだけ規格外の
14代目女将だったか、なんて。
3
「で?泊まるのはいいけど仕事ってなんなのよ?」
開口一番、これである。
昼下がり。
俺は義妹に会い、仕事で訪れたこと、これからこの宿にしばらく滞在する旨を伝えた。
滞在費は公費なのでリバーサイドでも良かったのだが、メイドが邪魔だった。
上級文官としてそこそこ高給取りで下級貴族扱いのはずの我が家には、メイドがいない。
レイモンドの一件のせいで、アンが異常なほどのメイド嫌いだからだ。
この前アキバを訪れたときも、噂のリバーサイドに泊まったがメイドは断った。
我が家の世話をするうら若きメイドのお嬢さんを見て文句こそ言わないが
明らかに落ち込んでるアンに、我が家の空気が重くなりすぎたのだ。
ただでさえしばらく家を空けることになるかもしれないと言っただけで気絶しかけた
妻が、俺がリバーサイドに泊まってメイドの世話になったと知ったら、どうなるか。
(得てしてそういうのはあっさりばれるものであると父から学んだ)
…嫌な想像しか産まなかった。
そんなわけで、今回は弟の手伝っている宿ではなく、
義妹の宿であるこちらにした。
昔ながらの経営を続けるこの宿は世話係こそつかないが
基本をしっかり押さえているし、義妹は色んな意味で女に見えない。
それはアンも認めている。
「実はな、かなり上の方から命令が下ったんだ。
戦術の指南役をアキバで探してこいとね」
上も上、まさかフェーネル様から直々に命令が下るとは、思ってもみなかった。
どうやら数の秘術(秘伝)を読んでいる仲間ということで目をつけられたらしい。
世の中、何が幸いするか分からないものである。
「戦術の指南役?」
「ああ、そうだ。イースタルの盟主たるマイハマは、
冒険者におんぶにだっこではいかん。
大地人なりに戦い方を身に着けて、ある程度は自力で街を
守れるようにならねばならないという、お考えだそうだ」
考えてみれば無理でもないのだろう。
古い文献によれば、冒険者が現れる前は大地人にも
そこそこ強い戦士はいた。
当然と言えば当然だ。
でなければ亜人の出現から冒険者が現れるまでの100年の間に、
もっと酷いことになっていただろう。
ある意味において代わりに好き好んで戦いに身を投じる冒険者が現れてから、
自ら剣をとって戦うことを捨ててしまった大半の大地人は弱くなったともいえる。
「う~ん。かなり難しいわね」
幸いアキバには冒険者は幾らでもいる。
すぐ見つかると思っていたが、予想に反して義妹は首をかしげた。
「うん、そうなのか?」
俺は素直に教えを請う。
生まれたときから…否、200年を越える間アキバで暮らしてきた
一族の末裔たる義妹だ。
当然冒険者については俺より詳しい。
果たして義妹は、俺に新たな情報をもたらした。
「そ。冒険者ってね、戦いについては強い人とそうでない人の差が激しいらしいのよ。
うちを手伝ってもらってるルーシーも、Lvこそ90だけど戦いは
余り得意じゃないらしいし」
「90なのにか?」
驚いて、思わず聞き返す。
50年の歳月をひたすら剣の研鑽だけに捧げたと言われる、
大地人最強と噂される武士、ムサシ卿でLv70程だと言うのに、
Lv90で戦が苦手だと言うのか?
だが、義妹は非情にも頷いた。
「90なのによ。あの人たち、基本的に腕前とレベルは別物よ。
まあ、基本的な力がアホみたいに強いから、
大抵のものなら力押しでなんとかできちゃうけど」
「…なるほど、それは厄介なことになった」
力押し。それが出来れば苦労は無い。
冒険者と違い根本的に力が足りない大地人では、
その方法は選択できない。
だからこそ、力が足りない分は頭で補わなければならないのだ。
「だが、戦術に優れた冒険者もいるのだろう?」
これでいなかったらいきなり躓くはめになるし、何よりあの東の討伐軍の将、
クラスティ殿でも戦術に優れていないと言われたら、どうしろというんだ。
祈るような気持ちで義妹を見ていると、義妹は…肯定の頷きを返した。
「ええ、いるわ。多分、冒険者の『ハイジン』ならば、教えることも出来ると思う」
聞きなれぬ言葉と共に。
「ハイジン?」
「そ。ハイジンってのは、ヤマト屈指の騎士団の団長とか、商人とか、大魔術師とか…
とにかく、冒険者の中の冒険者と言える人たち。
このアキバにもあんまりいないけどね」
「冒険者の中の冒険者、そんなものがいたのか…」
例えるならば大地人にとっての古来種だろうか。
冒険者の中にも、伝説的な存在はいるらしい。
そう言えばミラルレイクの賢者様は、伝説の大魔術師シロエ殿と話せたと喜んでいた。
思えばエターナルアイスの故宮で場を支配し、ザントリーフの戦の参謀を務めたという
彼も、今思えば『ハイジン』だったのだろう。
続いて義妹の講釈に耳を傾ける。
「義兄さんも分かりそうな人だと…一応円卓会議の評議員の半分以上は、
ハイジンみたい。
特に円卓に名を連ねる戦闘系ギルドならマスター以下の幹部級までは
大体ハイジンと聞いたことがあるわ」
良かった。
円卓会議の評議員直々にお出ましは流石に色んな意味で無理だが、
アキバに幾つかある騎士団の上級騎士ならば、上も文句は言うまい。
内心ほっと胸を撫で下ろしていると、義妹が鋭く突っ込んでくる。
「多分一番いいのは〈D.D.D.〉だけど、義兄さんが来るってことは
〈D.D.D.〉はダメなんでしょ?
あそこに力借りようって思うならまずはレイネシア姫経由で依頼を飛ばすだろうし」
…本当に、惜しい。
多分文官の同僚だったら、実に良い友人兼ライバルになっただろう。
妻にするのは、何が何でもごめんこうむりたいが。
「…義兄さん。アンタ、思ってること意外と顔に出るから、
余計なこと考えないほうが良いわよ?」
おおっと。ばれてる。
4
と言うわけで俺は、翌日、俺は〈D.D.D.〉を訪問していた。
「だ~か~ら、ルドルフ小父さんの方がすごいんだにゃ!
人間族の街を10年で猫人族と人間族が一緒に暮らせる街にして、
更にあんだけでかくしたのは小父さんの勘と嗅覚があってこそにゃ!」
「…それは違う。例え貧しくとも、狼牙の新たな故郷を作る志を
持って、村を作るために街道の魔物を退治している王のほうが凄い」
昼下がり。メイドたちに与えられたつかの間の休憩時間。
アキバ最大の騎士団で、猫人族と狼牙族のメイドが
仲良く互いの種の英雄を誇りあう。
頭の固い貴族文官にでも見せたら目を回しそうな光景が
眼前で繰り広げられている。
流石は、アキバ。常識は通用しない。
そんなことを考えつつも、俺は人間族のメイドに案内され、その部屋の前に立つ。
「どうぞ、こちらです…あ、あの、団長、お客様をお連れしました」
「分かりました。入ってもらってください」
「…ど、どうぞ」
その言葉に従い、中に入る。
「ふむ…てっきりうちには寄らないと思っていたのですが?」
その部屋で待っていた、眼鏡の美丈夫…アキバ最大の騎士団〈D.D.D.〉の団長、
クラスティ殿が興味深げに俺を眺める。
「いやなに。我がマイハマの誇る冬薔薇が日頃からお世話になっていますからね。
マイハマの文官としてはアキバに寄ったならば、
一度ご挨拶に上がるのが筋と言うものでしょう。
…そしてそのついでに、ごく普通に世間話をする。良くある話だと思いませんか?」
「…ええ。良くある話ですね」
この騎士団から連れて来ては不興を買うが、
非公式に助言を求めるのまでは禁止されていない。
そう考えた俺の一手は、どうやら当たりらしい。
目が笑っていない微笑みを浮かべて、クラスティ殿が同意する。
それに目が笑っていない微笑みを浮かべ返しながら、俺は“世間話”を始める。
情報を求める身としては、隠しても仕方が無いので、詳細に。
かくして、話を聞いた後…クラスティ殿は僅かに眉をひそめて言った。
「ふむ。優れた廃人はどこにいるか…ちょっと私の口からは言い出しかねますね。
廃人は、敬称と取る人と蔑称と取る人がいます。
その呼び名を喜ばない人も多いのですよ。
身内ならばともかく、よそ様をとやかく言っては角が立ちますから」
なんと、どうやらハイジンとは冒険者にとっては必ずしも良い言葉ではないらしい。
となると、これからどうするか。そう考えていたときだった。
「…失礼いたします。黒葉茶をお持ちしました」
その言葉と共に、ポットとカップを載せた盆を持ったメイドが入ってくる。
今度は金色の髪の狐尾族。つくづく人材の豊富な騎士団だ。
「ああ、丁度良かった。アルフェさん、彼の相談に乗ってあげては貰えませんか?」
「あら?ご相談ですか?…マイハマの文官様に、
私のようなものが物申しても良いのでしょうか?」
「ええ。構いませんよ。きっと参考になる」
正直半信半疑だが、クラスティ殿が振った以上、収穫がある可能性は高い。
第一、名乗りもしてないのに一発で俺をマイハマの文官と見抜く人だ、
馬鹿ではあるまい。
「では、一応お聞きします」
「ええ。お願いします…実はですね、マイハマで1人、教師を探しているのですよ」
「教師ですか?珍しいですね。マイハマなら優秀な教師もたくさんいるでしょうに」
やはり優秀だ。アンほどではないがよく訓練を受けたエルダー・メイドらしく、
受け答えもしっかりしてるし、頭の回転も速い。
「ええ、少し、教わることが特殊なもんでしてね…実は、戦い方を教わりたいんですよ」
これならば、と確信に触れる部分も語る。
「戦い方ですか?」
「ええ。それも1人や2人ではない。
24人もの騎士に戦の作法を教えられる、素晴らしい腕の講師。
心当たり、ありませんかね?」
そう、我らマイハマの生徒は、24人の騎士…マイハマの誇る精鋭中の精鋭。
団員全員がLv50以上と言うマイハマ近衛騎士団。
彼らに、5人で同レベル以上の力を持った100の亜人の軍勢を打ち破ったと言う、
『冒険者の戦い方』を学ばせたい。
と言うのがフェーネル様…引いては公爵様のお考えだった。
「そうですね。まず、思い浮かぶのはここなのですが…」
そりゃそうだ。それが出来たら苦労はしない。
それが分からぬ人には見えない。
果たしてアルフェ嬢は、続きを語る。
「…私でしたら、黒剣騎士団、あそこを敵に回すのは怖いかしら。
あそこの騎士様は全員が精鋭中の精鋭ですから」
…なるほど、黒剣騎士団か。
納得する。
相手は円卓会議に席を置き、わずか200人で1500人の
〈D.D.D.〉に比肩すると言う騎士団だ。
当然量で負けてる分を補うだけの質のよさがあるということか。
「なるほど。参考になりました」
俺は笑顔でアルフェ嬢に礼を言う。
…さらりと、敵に回すと仮定するメイドなんてものに詳しく触れるのは、
野暮というもの。俺だって命は惜しいのだ。
「あら、こんな程度でもお役に立てました?」
「ええ、本当に。ありがとうございます」
アルフェ嬢に礼を返し、立ち上がる。
「そろそろ失礼しますよ。色々と、お世話になりました」
「ええ。また、御用があったら寄ってください。歓迎しますよ」
そして、俺は城を出て、その足で次の目的地へと向かった。
5
〈D.D.D.〉の城から少し離れた、やや小さな城。
それが黒剣騎士団の宿舎だった。
「で、どうよ?なんか面白いクエストは見つかったか?」
「いや、ダメだな。あんだけ旅をしてる〈H.A.C〉ですらまだ見つけてないらしい」
「この前、肩慣らしに行った大規模も所詮は肩慣らしだったしな。やっぱ新規だよ新規」
「ああ、いいよなあ。新規追加の大規模。
殺して殺されて、あれほど楽しいもんはねえよ」
「噂じゃあ惨殺の小僧が何か知ってるらしいんだが、今はシブヤに移っちまったしなあ」
「ああ、ありゃあダメだ。リアル女なんぞにうつつを抜かした時点で廃人失格だ。
…羨ましくなんかないぞ」
「アイツが知ってるってことはエッゾだろ?
…まずはススキノのゴミ掃除からになっちまうな」
「連携もロクに取れてないトーシロ200じゃ相手にならねえよ。
全員が必殺とか惨殺並ならともかく」
「必殺と惨殺か…あいつらもソロでは強いんだがなあ」
「大規模ならやっぱうちのユーミルだよな。アイツはほんと頼りんなる」
「ま、それに俺らも今じゃアキバの街を守る仕事もあるからな。
昔みてえに騎士団空にしてレギオン部隊大量に作って突撃とかは、難しいよな」
「ああ、ありゃあ楽しかった。大将が黒剣手に入れたときなんて、
ギルメン参加率脅威の9割オーバー、まさに一丸って感じでさ」
「そういう意味では銀剣が羨ましいぜ。
あいつらダンジョン近くにでけえキャンプ張って交代で攻めてるらしいし」
飛び交うのは物騒な会話。
まるで鍛え抜かれた騎士団と言うよりは百戦錬磨の傭兵団といった風情がただよう。
その会話を耳に入れつつ、俺は彼の男の下へと向かう。
「よう。話はクラスティの奴から聞いてるぜ?俺らの力を借りてえとかどうとか」
凄まじい気配を持つ、漆黒の鎧をまとった巨漢が壮絶な笑みを浮かべて、言う。
この男こそ、円卓会議の両翼。
あらゆる意味でクラスティ殿と並ぶと言う騎士の中の騎士。
黒剣騎士団 団長アイザック。
アキバ屈指であろうハイジンが俺の眼前に立っていた。
「で、だ。一体頼みってのは、なんなんだ?」
アイザック殿の言葉は荒い。
そんなところまで、平時は優しげな貴公子と噂されるクラスティ殿とは、
ちょうど対照的に感じられる。
「ええ、実はですね…」
早速とばかりに依頼の話を切り出す。
ここでダメだと、また騎士団の選定から始めなくてはならない。
俺は丁寧に説明した。
「そうさなあ。じゃあ、こうしようぜ?」
ひとしきり説明を聞いた後、ニヤニヤと笑みを浮かべながら、アイザック殿は言う。
「明日、依頼を持って来い。依頼内容と、報酬を書いた奴をな。
そしたら俺が聞いてやるよ。
お前らの中に、この報酬で引き受ける奴はいるか、ってな。
受ける奴がいたら、止めはしねえ。
ただし誰も受けなかったら…縁が無かったと、諦めろ」
なるほど、つまり…
「騎士団の皆様方が喜ぶような報酬を、探して来い、と」
「そういうこった。俺らが、面白いと思うような報酬。用意できたら引き受けてやる」
なるほど…俺の腕の見せ所、と言ったところか。
6
頼れるものには容赦なく頼るのも、文官には必要な技術だ。
夜、宿の仕事がはけて暇が出来た義妹と弟に俺は相談することにした。
「そういうわけでな、報酬次第ということになった。さて、何を渡すか、なのだが…」
義妹の仕事がはけるまで、1人で色々考えてみたが、今ひとつ確信がもてない。
もちろんこれは公務だ。報酬とて俺が直接出すわけじゃない。
「一応報酬の当てはあるんでしょ?
極秘とは言っても、コーウェン家からの正式な依頼なわけだし」
「ああ、ある。あるにはあるんだが…」
言いつつ俺は、懐から報酬として払ってもよいというものを
まとめたリストを取り出す。
「…すごいね。〈鍵の剣〉って言ったら灰姫城の秘宝じゃないか」
その内容にマイハマ育ちの弟、アルフレッドが驚きの声を上げる。
確かに、コーウェン家直々、かつ本気の依頼だけあって、
俺はかなりのものを報酬としてよいと言われている。
マイハマにある宝の中でもかなりの値打ちものがずらりとリストに並んでいる。
普通の傭兵や騎士だったら涎を垂らして頷くであろうもののオンパレードなんだが…
「…微妙ね」
義妹はそれをお気に召さなかったらしい。
「俺もそう思う」
同意なので俺も頷く。
「ええっ!?…そうなの?お金はともかく、剣とか鎧は、喜ぶんじゃない?」
「アンタね。少しは考えて見なさいよ。
並の冒険者ならともかく、相手はアキバの黒剣騎士団よ?
こう言っちゃなんだけど、大地人が使いこなせる程度のもんなら、普通に持ってるわ」
程度のもん、と言う言い方はともかく同意だ。
相手はLv90が普通と言うアキバ冒険者の中で精鋭中の精鋭だと言われる黒剣騎士団。
いかにコーウェン家の家宝といっても、代々の近衛騎士団長…
たかだかLv50で使いこなせる程度の武具をありがたがる相手とは思えない。
そして更に義妹の指摘は続く。
「…う~ん。 とりあえず『グラフェーラ子爵令嬢シルヴィアとの婚約』は
抜いたほうが良いわね」
ずらりと並んだリスト…その中で、最も勝ち目があると睨んでいた報酬に線が引かれた。
「…そうなのか?」
思わず聞き返す。
グラフェーラ子爵の娘、シルヴィアと言えば齢17。
まさに花盛りの非常に美しい才媛であり、マイハマ屈指のご令嬢だ。
その価値はレイネシア姫に次ぐと言われ、婚約を希望する若い騎士が
列を為していると言われるほど。
彼のザントリーフにてアキバに支払われた報酬が
『レイネシア姫の敬意と赴任』だったことから、決められた報酬。
フェーネル様も随分苦労して子爵をくどき落とした、本命と聞いていたのだが。
しかし、無常にも義妹は首を振る。
「円卓会議の法は知ってるでしょ?人身売買はアキバでは最上位の重罪よ。
…そして、当人の意思を無視した結婚は冒険者にとっては人身売買と同じ。
そう、ルーシーが言ってたわ」
…つくづく我らの常識が通用しない方々だ。
自由を愛するとは、恋愛の自由も含まれるらしい。
あのバカ兄がどれだけ苦労したかを知る身としては、少し羨ましい。
「…なるほどな。それでは腹を立てさせるだけか」
正直、一番勝ち目のある報酬だったのだが、そうと分かれば諦める他はない。
「そうすると残るのは…ないよね?これ」
そうなのだ。
話に寄れば、黒剣騎士団の持つ装備は文字通りの意味で伝説級の逸品揃いだと言う。
多分マイハマの持っている宝物では対した物とは思うまい。
そして金。これも冒険者の収入を考えると余り意味が無い。
ましてや相手は冒険者の中の冒険者、ハイジンだ。
並大抵の金ではひきつけられまい。
「とはいえ、出すだけ出して見るしか手はないか…」
依頼内容、およそ1ヶ月の近衛騎士団の教育係。
そう書いたクエスト契約書を複製し、報酬欄に色々と書き込む。
果たして通る依頼はあるのか…そう考えていたときだった。
「…ねぇ、義兄さん」
義妹が話しかけてくる。
「なんだ?」
「一つだけ、何とかなりそうな心当たりがあるから、あたしも書いていい?」
「なんだ?マイハマが払える報酬か?」
「もちろん。と言っても義兄さんくらいね。これを出せるのは」
「それは何だ一体…?」
義妹が言ったのは、まるで謎掛けのような答え。
それに首を傾げながら、とりあえず依頼書を渡す。
「まあ、こんな感じ?」
そう言って義妹はさらさらと報酬欄を埋め…
「…こんなものが?」
なるほど、俺しか出せないという意味ではそうだろうが…
どうしてこれが報酬になるのか?わけが分からん。
「勘だけど、受けてもらえる可能性はあるわ。
ま、うまく行ったらお慰みってとこね」
義妹もそこまでは自信が無いらしい。
一応と言った感じだ。
「…まあ、アイザック殿は冗談の類も好まれるようだからな」
一応入れておこう。そう思い、依頼書の束に入れておく。
どの道婚約権がダメならどれも同じ、少しでも確率を上げる必要があるしな。
7
翌日。
「よぉ。依頼書は見たぜ」
午前中に書き上げたクエスト依頼書を持っていったら昼過ぎにはもう返って来た。
普通こういうのは持って回って3日は待たされる覚悟がいるのだが、
流石はアキバ。何でも早い。
「正直、つまんねー報酬ばっかだと思っていたが…1個だけ、良いのがあった。
野郎どもの間で随分話題になってな。
最終的には、ウチの斬り込み隊長が受けるってことになった」
そう言って取り出したクエスト依頼書は…
「ね?あたしの言ったとおりでしょ?」
見事勝ち残った義妹が勝ち誇る。
クエスト依頼書、報酬欄に書かれているのは義妹の書いた報酬。
『美人人妻の手料理付き、マイハマ下級貴族の生活1ヶ月(世話役なし、お風呂あり)』
冗談だとしか思っていなかった報酬が見事に通った。
我が家には、メイドはいない。
家のことは力仕事以外全部アンがこなしている。
確かにアンは人妻…俺の妻だし、贔屓目抜きで美人だ。
一流の〈高級家政婦〉であるアンならば、手料理もお手の物。
マイハマ伝統料理を右から順に作れる程の腕だし、
一日3回の手料理を一切苦にしない。
風呂は下男が毎日沸かしている。
言い渡せば小1時間で入れるようになる。
つまり、義妹の書いた条件は…俺の家に黒剣騎士団の上級騎士を泊める、となる。
「…ありがとうございます」
予想外の展開に驚きながらも、礼を言う。
ある意味では破格の報酬だ。
いかに我が家が余り大きくない下級貴族扱いと言えど、客間くらいは普通にある。
アンも俺が直々に連れて行けば騎士の1人や2人、
世話をするのを嫌がったりはしないだろう。
(実際懇意にしている騎士を何度か泊めているが、問題なかった)
あの傭兵のような騎士たちは多少礼儀がなっていないかも知れないが、
所詮俺とて庶民上がりの文官。
実家の宿屋で応対したことも1度や2度ではないし、
アンもいずれレイモンドに嫁ぐ気でいたから下世話な人間の世話もできる。
滞在中にかかった費用は全てフェーネル様が出してくれるはずだ。
何しろ相手は近衛騎士団の教官。
すなわちマイハマの賓客になるのだし、
どう考えても報酬として用意していた金に比べれば破格の安さだしな。
「なぁに。気にすんな。やるからにゃあ手は抜かせねえから、
しっかりこき使ってやれ。大丈夫だ。
なりはあんなんだが、ウチでも屈指のやり手だからよ!
…つうわけだ、入って来い!ユーミル!」
そう考えれば、随分と得な気がする。
そして俺はそちらを見て…
「…は?」
顔から血の気が失せる気配を感じつつ、
俺はとっさに引きつった笑顔を浮かべた。
「こんにちは!私は黒剣騎士団で斬り込み役を担当している、
盗剣士のユーミルと言います!
今回の依頼のほうは全力で受けさせていただきますので、よろしくお願いします!」
俺の目の前には、義妹と同い年くらいに見える、可憐な少女。
黒いリボンでまとめられた、手入れの行き届いた明るい茶色の
綺麗な髪、気品を感じさせる整った顔立ち、
はっきりとよく通る甘い美声と、沸き立つような甘い香りを漂わせた、
均整の取れた肢体。
俺は、とてつもない仕事を抱え込んだことを悟った。
これからマイハマへ戻り、フェーネル様と妻を
納得させねばならないのだ。
この少女が黒剣騎士団のハイジンである上級騎士であること…
そして、この美しい少女を我が家に1ヶ月ほど滞在させねばならんと。
「んー?受けるとしたら女の人かもとは思ってたけど…
黒剣騎士団のユーミルって私が子供の頃見た時は物凄い無口な大男だったような…
2代目?」
…先に言ってくれ。おい。
どうやら義妹は紹介されるのが女性騎士である可能性も
普通に見切っていたらしい。
「な、なるほど。ユーミルど…嬢ですね。
私めはマイハマの文官、フィリップと申します。
よろしくお願いしますよ。我が、マイハマの明日のために」
「はい!…あの、顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」
俺は笑顔で柔らかい手を握りながら、キリキリと胃が痛む気配を
感じていた。ああ、ある意味では。
…ここからが、俺の腕の見せ所、なのだろう。
本日はこれまで。
ちなみに義妹の方は以前別の話でも活躍しました。
冒険者の考えがある程度理解できる大地人は便利ですね。