第14話 価値観
翌朝、シンは朝早くにジルとエンジェと共にボルディアナを出発した。
今日はエンジェを抱えるのではなく、自分の足で歩かせる。
あまりシンから離れないように指示を出すと、エンジェはシンとの距離を保ちながら、周囲を走り回っている。
慣れない街での生活にストレスが溜まっているのかもしれないとシンは思う。
ランカサスの村に到着するまで体力がもつなら、今後シンはわざわざエンジェを抱える必要はないため、思ったよりも負担は減りそうだ。
だが、10㎞ほど進んだあたりでエンジェがばて始めたように感じられ、シンは腕にエンジェを抱えると口調を強め、言い聞かせた。
「ちゃんと体力は温存しろよ。遊びまわって疲れるようじゃ、母親みたいに立派にはなれないぞ」
シンがエンジェを抱えて、30分くらい経つとエンジェは腕の中でもぞもぞと動き始めた。
どうやら体力が回復したらしい。
シンがエンジェを放すとエンジェはシンの速度に合わせて、ゆっくりと走る。
賢い子虎だ。
言われたことを憶え、それにきちんと従う。
母親のことを出したのが大きいかもしれない。
シンとしては毎回「母親のように」などと言って注意する気は毛頭ないが、どうしてもわかってもらいたいときには母虎のことを出すのもいいかもしれないと考えた。
ちょうどボルディアナとランカサスの中間くらいの地点だろうか。
シンは林の方からねっとりとした視線を感じた。
エンジェもそれに気づいたようで低い唸り声をあげた。
ジルもシンとエンジェの様子から数秒程度遅れたものの、シンが視線を感じた方向を眺める。
「シンさん、なんか胡散臭い連中がいるのですよ」
(そうだな)
シンはジルに返事をする。
エンジェにもジルの方から唸り声を立てないように注意をしてもらう。
(足早に駆ければ振り切れるかな)
そう思ったシンは進む速度を速める。
だが、後ろから感じる視線は相変わらず消えない。
相手は急いでシンのペースに合わせているようだ。
それでも基礎体力、魔力量がシンに比べれば、比べ物にならないほどお粗末だ。
このまま撒いてしまおうと考えたシンだったが、前方からの視線にも気づいた。
シンの進む速度にこのままでは対応できないとでも考えたのだろう。
前方の方から3人組の武装した男達が姿を現す。
後ろはジルに確認させて2人いることはわかっている。
5人組の盗賊だ。
まだ他にもいるかもしれないが、シンの近くにいるのはこの5人だけだ。
こいつらが何を狙っているのかはおおよそ理解ができる。
シンの身ぐるみとエンジェだろう。
「何の用だ。こっちは急いでるんだ。通してくれないか」
シンは前方の3人と後方の2人を確認した後、盗賊たちにそう言った。
「いいぜ。ただし、通行料は払ってもらわなくちゃな。全裸になって、その魔物のガキを置いていくなら、命だけは見逃してやっても良いぜ」
髭面の男はシンにそう言った。
リーダー格の男だろう。
シンより少し体格がいい程度だが、他の4人に比べれば、マシな装備を身に着けている。
箔でもつけようと思っているのか、着ているレザーアーマーは獣の血か人の血か判断はできないものの血痕で薄汚れている。
「兄貴はグランズールで騎士をぶっ殺したこともあるんだぜ!」
短髪で目つきが悪い若い男がシンにそう叫んだ。
どう見ても騙りだ。
いや、髭面の男が周囲の連中にそういった嘘の自慢話を行い、周囲の者がそれを真に受けてしまったのかもしれないが。
シンの見る限り、シラガイの村で大斧を振り回していた男と大差ない。
せいぜい冒険者で言えば、8級か7級に成り立ての一般的な冒険者程度の実力にしか見えなかった。
シラガイの村で見た騎士たちはいずれもこの男と比べ物にならない実力だろう。
いくら弱い騎士でもこの男に殺せるとは思えない。
「そうか、そうか。そりゃ、すげえな。じゃあ5級程度の冒険者なら雑魚扱いってわけだな」
シンは男たちの話を聞いて、皮肉を口にした。
シンはいまだに6級冒険者だが、功徳ポイントを使っていない状態でもガルダからは5級程度の実力はあるとお墨付きをもらっている。
この髭面の男とは違い、騙りではない。
シンの今の地力だ。
5級の冒険者と言う言葉に一瞬男たちは怯んだような素振りを見せた。
だが、シンをまじまじと見て、それを騙りだと判断したようだった。
シンはグレイトホーンブルの皮を鞣したレザーアーマーを身に着け、ゴンザレス、いやクリスティーヌの打った業物の剣を腰にさげているものの、どちらもパッと見では判断がつきにくい。
シンがすでにクリスティーヌの打った剣を抜いていれば、1人くらいはその剣の価値に気づき、信じたかもしれないが、手ぶらでそう言うシンはそんなに強そうには見えない。
相手の実力を見抜くにはそれだけの鍛錬と経験が必要なのだ。
「吹かしてんじゃねえぞ、ガキが!誰がてめえのようなひょろひょろとしたガキの言うことなんて信じるんだ!」
髭面の男は大声でシンを罵倒する。
髭面の男は生存本能として相変わらず飄々としているシンに対する恐怖を抱き始めたが、部下のいる前では怯えるような無様な真似はできない。
「今、俺の前から姿を消すなら、お前らの生き死になんて興味がないから見逃してやってもいいんだぞ。……俺は忠告したからな」
相変わらずシンは盗賊たちに変わらない態度で忠告を行う。
(ジル、何も心配いらないけど、もしあいつらがエンジェに近づいたりしたら、抱えて飛ぶなり何なりしてあいつらから遠ざけろよ)
「わかっているのですよ。問題ないのです。あいつら、よわっちそうなのです」
ジルはシンの考えを理解し、頷いた。
シンがジルと話をしている間に男たちは武器を構え出した。
もうシンとしては躊躇う必要はない。
忠告はした。
相手から武器を構えて、シンに殺意を向けた。
仮にこいつらを殺したところで功徳ポイントは減少しない。
それにシラガイの村とは違い、完全に盗賊に身をやつしたこいつらを殺したところで、誰も気にする者などいないのだ。
いずれ、その死骸は野生動物や魔物が美味しくいただくことになるだろう。
シンは髭面の男が振り下ろしてきた剣に己の剣を当てると、まるで熱したナイフでバターでも切るかのように、髭面の男の剣がすっぱりと切れた。
だが、シンは男を殺さず、剣の柄で男の顎を撃ち抜く。
大して力を込めたわけではないが、顎の骨にヒビは入ったはずだ。
顎を突かれ、首が上下に揺さぶられ、男は脳震盪を起こした。
リーダー格の男を倒され、狼狽する4人の顎や鳩尾にシンは次々と掌底を入れて、気を失わせた。
リーダー格の男だけ剣の柄で殴った理由は単純な話だ。
汚い髭面をわざわざ触りたくなかったからだ。
「シンさん、こいつらどうするのです?」
殺しても功徳ポイントの減少しないケースであるのにわざわざ男たちを気絶させたシンに対して、ジルは首を傾げて尋ねる。
「こんなやつらでも、俺の功徳ポイント源になる可能性があるからな。余裕があるから、とりあえずは殺さなかった。それよりもジル、こいつらの魂の色はどんな感じだ?」
「シラなんたらの連中と同じくばっちい色なのです」
「シラガイな。そうか、よくわかった」
シンとしてはこいつらが悪行を犯していようが、シンの身内などに手を出したわけではないなら、正直あまり興味のない話だった。
それでも一応ジルに尋ねたのは、こいつらを試す上でこいつらがどれだけ罪を重ねたのかをある程度知っておく必要があったからだ。
シンは一か所に固められた男たちの腹や顔に蹴りを入れて、気絶した男たちを起こす。
男たちは意識を取り戻すと口々に喚きだした。
言っている内容は命乞いがほとんどだ。
よほどこれから何をされるか怖いらしい。
「黙れ。動くな、立ち上がるな。守らなければ今すぐ殺す」
だが、シンが声を低くし、剣を向けると静かになった。
「さて、俺はお前らの生き死に興味はないし、お前らがこれまでに誰を襲ったのかも関係ない。俺がお前らに望むことと言えば、更生して、俺に死ぬほど感謝をし続けることだ。襲ってきたお前らを返り討ちにしたのに、お前ら次第で生かしてやるんだから当然の話だよな」
男たちはシンが突然何を言い出したのか、わからなかったが、それでも生き延びる可能性があるならとシンの話に飛びついた。
感謝する。
見逃してくれるなら感謝するし、こんなことはもうやめると5人それぞれが口にする。
「そうか、そうか。じゃあ、俺に嘘をつくんじゃないぞ。……お前ら、今まで何人くらい、行商人や冒険者を襲って殺したんだ?」
シンの質問に対して、男たちは思った。
犯した罪が少なければ、助けてもらえると。
「いや、誰も殺してねえ。行商人の荷物や冒険者の身ぐるみを剥がしたことはあるが、大人しく言うことを聞いたんで見逃してやった」
髭面の男は顎にひびが入っているため、もごもごとしゃべり辛そうにそう答えた。
他の男たちも髭面の男に倣い、異口同音、同じ主張をした。
「そうか、よくわかった。よく答えてくれたな。ありがとうよ」
シンはそう言って、抜身の剣を一旦鞘に納めた。
(へへへ、助かった。まさか、こんな簡単に騙されてくれるとは)
シンが剣を鞘に戻した様子を見て、髭面の男は思った。
これまで10人ほど殺したことがあった。
基本的に男たちがこれまで襲った相手は護衛をつけてないか、つけていてもせいぜい護衛一人だけの荷馬車で移動中の行商人や旅人などだ。
そして時にはソロや二人で行動しているまだ若い冒険者を襲うこともあった。
髭面の男が今回シンを狙ったのは、シンが今日魔物素材を剥ぎ取ったような汚れがついていないため、おそらく村などに配達物を届ける、まだ階級の低い冒険者だと思ったからだ。
腰に魔力袋らしきものをぶら下げているが、おそらく大量の配達物をするために、誰か可愛がってくれている先輩冒険者や商人などに頼み込んで借りた物だと思っていた。
シンを痛めつけても、中にある物は配達物以外には奪えないだろうが、それでも魔力袋そのもの自体の価値がある。
そう考えて、襲ったのだ。
だが、それは間違いだった。
シンが言っていた通り、5級冒険者並みという言葉に嘘はなかった。
シンがここを行き来することを考えれば、数日はおとなしくしておこうとは思うが、いずれ場所を移し、また一人で行動する行商人や旅人を襲おう。
冒険者の方はしばらく縁起が悪そうなのでやめておこうか。
シンに見逃してもらったら今後はどうしようかと考えていると髭面の男は一瞬きらっと光るものを見た。
その直後、シンに向けていたはずの視線が、地面を見ている、いや地面に向かって落ちていくのがわかる。
「えっ?」
それがその男の最後の言葉になった。
シンは地面に転がった5つの首を見つめる。
どの顔も何が起こったのか、よくわからないといった顔をしている。
鞘に戻した後、一呼吸すると、一気に鞘から魔力を込めた剣を引き抜いたのだ。
おそらく痛みも恐怖もほとんど感じなかったはずだ。
これ以上罪を重ねずに早く死んだ方が、シンのように膨大な功徳ポイントの借金を抱えずに済むだろうし、シンとしては感謝してもらいたいくらいだ。
シンは男たちを試した。
命乞いしているのだ。
自分たちの犯した罪を軽く言うのは当然予想できた。
だが、ここで嘘をつくようであれば、シンへの感謝はあまり期待できない。
見逃してやったこの場ではわずかばかりの功徳ポイントが得られるかもしれないが、それ以降は得られないだろう。
そして、更生もせず、いずれまた行商人、旅人、まだ若い冒険者などを襲うようになる可能性が高い。
その中には将来シンと出会い、シンに感謝する相手もいるかも知れない。
未来の功徳ポイント源をこんなやつらに奪われてたまるか。
それに孤児院のアルバートは冒険者志望だ。
シャナルは指先が器用なだけではなく、計算も速い。
シャナルは将来は商人になりたい、そして孤児院をもっと豊かにできるだけの金を稼ぐんだとシンに夢を語ってくれた。
そんなあいつらがこんなやつらの犠牲になるかもしれない。
だから、死ね。
更生するかもしれないが、シンに嘘をついたのならその可能性はあまり高くないとシンは判断する。
それなら、この場で死ね。
シンはそう考えた。
殺す際にはすでに何の躊躇いもない。
それでも、切断した首から溢れる血液を見ると多少の嫌悪感が込み上げる。
初めて人を殺した時のような吐き気や恐怖などは今はもうない。
だが、両手の指では足りない数の人間を殺しても、いまだに殺した後の嫌な気分だけ完全に慣れることはない。
手酷く痛めつけるのとはまた違うものなのだ。
シンは一度だけガルダに相談したことがあった。
村の依頼で村を襲った山賊討伐で数人を斬り殺した後のことだ。
「それでいい。殺しに慣れ過ぎるな」
ガルダはシンの悩みを聞くと笑みを浮かべて、そう言ってくれた。
殺すときに躊躇わないのは必要だが、殺した後でそういった感情を持つのは人として正しいというのが、シンよりもはるかに多くの盗賊達を斬り捨ててきたガルダの考えだ。
殺せば殺すほど、いずれその気持ちは薄れてはいくが、そういった感情を少しでも持つ限り、血に酔わずに、狂わずに済むとガルダは考える。
ガルダは自分よりもさらに年上の冒険者で、魔物よりも恐怖や苦痛にゆがんだ表情を浮かべる人を斬ることに楽しみを覚え、狂ってしまった者を見たことがある。
だからこそ、そういった悩みを抱えるシンのことを好ましく思っていた。
「青臭い。だが、それがいい」
他の冒険者達よりも明らかにシンに目をかけている。
そのわけを尋ねられた時にシンの知らないところでガルダが周囲の者に言った言葉だ。
シンは5つの遺体と首を林の中に投げ入れる。
こうしておけば、通行の邪魔にもならず、道を通る人も驚くことはないだろう。
いずれ、魔物や野生動物が綺麗に処理をしてくれるはずだ。
「シンさん、早くお薬を持って行って、村の人たちから感謝してもらったら、早く帰るのですよ。明日はのんびりしたいのです。エンジェを連れて、孤児院の子どもたちとみんなで一緒に遊んでリラックスしたいのです」
ジルは死体の処理をしたシンに声をかける。
シンが人を殺した後、ジルはこういった提案をする。
ジルなりにシンを気遣っているのかもしれない。
「そうだな。昨日、孤児院の連中もエンジェに関心を示していたし、それがいいかもしれないな」
シンもジルの提案に賛成した。
その後、盗賊たちを相手にしたことで無駄にした時間を取り戻すかのように、シンとジル、そしてエンジェは足早にランカサスの村へと向かうのだった。