第12話 騎獣登録
「シン坊、あんた。……また、とんでもないものを連れてきたもんだね」
滅多なことでは驚かない老婆が大きく目を見開き、唸るように呟いた。
一方、ダリアは「シン、何、この子。かわいい!」とエンジェを見てはしゃいでいる。
その後すぐダリアはアイリスにも知らせ、アイリスを2階から連れてきたが、老婆ははしゃぐ二人に静かにするようにと一喝した。
「婆さんにはこいつが何なのかわかったか」
「あんたらより長いこと生きてるからね。それよりも母親はどうしたんだい?」
老婆はまず母虎のことを尋ねた。
シンがそんな馬鹿げたことをするとは思えないが、万が一シンが母虎から攫ってきたというのであれば、金輪際付き合いをやめ、追い出そうと老婆は決意した。
スカイタイガーの報復対象にでもされれば、ダリアやアイリスにも危険が及びかねないと考えたからだ。
またボルディアナにスカイタイガーが襲撃してきて、被害が出れば、シンがお尋ね者にされかねない。
スカイタイガーの子どもを母親から攫うという行為はそういったものだ。
「信じてもらえないかもしれないけど、こいつを、エンジェを俺に託して死んだ。死んだことの証明に牙を取ってきた」
そう言って、シンは魔力袋から大きな牙を4本取り出し、老婆に見せた。
「……いや、信じるよ。スカイタイガーから4本とも牙を取って来るなんて殺しでもしない限りは無理だろうしね。それにシン坊が母親を殺したなら、その子があんたに敵意を向けないはずがないからね」
シン以外の人間を初めて見たエンジェがシンの足下で老婆達に少し警戒を示している様子を見て、老婆はそう言った。
エンジェがシンを自分の庇護者と見ているのが老婆にもわかる。
そしてシンが母虎から牙以外の物はおそらく何も剥ぎ取っていないことも老婆にはわかった。
母虎の遺体を切り開けば、賢いスカイタイガーの子どもはシンを恨むだろう。
だが、そんな素振りは見てとれない。
「相変わらず甘いね。仮にその子と母親の遺体を丸ごと自分のものにすれば、どれだけ稼げたと思ってんだい」
老婆のその言葉を聞き、エンジェはフシャーと怒りを伴った唸り声を上げる。
「おや、もう言葉を理解してんのかい?勘違いすんじゃないよ。……まあ、言い方が悪かったね。あんたは運がいいって言ってるんだ。他の冒険者なら、たぶんそうなってるってことさ」
老婆はエンジェを宥めるように声をかける。
エンジェは警戒しながらも、唸り声を押さえ、首を傾げる。
「この男は口が悪くてもお人よしで馬鹿な男さ。あんたが大きくなったとき、力になってやんな」
「それよりも婆さん、こいつってギルドで登録できんのかな」
老婆の話に照れくさくなってきたシンは老婆の言葉を遮り、話を変える。
「私に聞くんじゃないよ。魔物を連れて歩いているやつなんて、レッドホースを飼育して乗っている騎士たち以外にほとんどお目にかかったことはないし、冒険者でそういったことをしている知り合いは私にはいないからね。今晩は泊まっていって、明日ギルドで上の連中にでも聞いてみりゃわかるだろ」
「って、婆さんいいのか?」
「宿に子どもとはいえ、勝手に魔物を連れ込むわけにはいかないって頭の固いことを考えてんだろ。好きにおし。空いてる部屋があるから、そこを今日だけは貸してやるさ。明日はその子のことと新居探しでもしな」
老婆の提案はシンにとっては好都合だ。
村に薬を届けるのが明日の朝一番ではなく、明後日ならギルドでエンジェを登録し、宿を引き払って、借家などを探す余裕がある。
だが、シンは村の熱病のことが気にかかり、老婆に尋ねた。
「婆さん、熱病の薬を届けなくていいのかよ」
「あんたは私を過労死させる気かい?徹夜でもしなけりゃ、明日の午前中とかにはできないから、どうせあんたが届けに行くのは明後日になる。それにそこまで急がなくても、まだ1週間近くは死人も出ないはずさ。明後日の朝に出発しな」
シンは老婆に礼を言い、魔力袋に牙を戻した後、取ってきた薬草を次々とカウンターに積み上げていく。
老婆も取ってきた薬草に違うものが混ざっていないか確認をし、それが終わると作業場へと持って行った。
代金はシンが村に薬を持って行って帰ってきてから渡すという話になっている。
シンは2階の空室に向かうと共に、ダリアに桶などに水を入れて持ってきてくれるようにお願いする。
ダリアから水の入った桶を受け取ると鎧を脱ぎ、汗を拭いてから、普段着に着替えた。
「シン坊。あんた、何か持ってないかい」
服を着替え終わったシンのいる部屋に老婆がノックもしないで入ってきた。
「婆さん、ノック位しろよ」
「私が家主だよ。細かいこと言うんじゃないよ。それよりもシン坊、あんた大食いなんだろ。その袋に食肉でも入っているならとっとと出しな。おかずに付け加えるから」
「俺も一緒に食っていいのかよ」
「あんただけ除け者にしてちゃ、ダリアもアイリスも気にするだろうからね」
シンは老婆の言葉に従い、グレイトホーンブルの肉を一塊差し出す。
「婆さん、こいつにも食わせるから、生のまま少し切ってくれ。あと、ミルクなんかもあれば、軽めに温めて出してくれないか」
シンはエンジェを指さして、そう言った。
「わかってるよ。あんたも着替えたんなら一緒に来な」
シンは老婆と共に部屋を出るとエンジェとジルも一緒についてくる。
野菜炒め、それに生ハムとパンはすでに用意されていた。
スープはダリアが今温めなおしているところだ。
メインとして、鳥肉をソテーにするつもりだったが、老婆と少女2人の三人分しかなかったため、老婆がシンから肉を要求したのだ。
老婆はシンからも受け取った肉をダリアに渡すと説明する。
「シンからの要望だよ。あの子虎、エンジェにも食べさせるから、生のまま少し切ってほしいそうだ。それとミルクも少し温めて出してやりな」
ダリアは頷き、受け取った肉も簡単に下ごしらえをする。
「お兄ちゃん。ねえねえ、この子にハム食べさせてもいい?」
アイリスはエンジェを見て、目を輝かせながら尋ねる。
シンは今日既にスモークした牛肉をエンジェに食べさせていたため、塩分をあまり摂らせ過ぎてはいけないのではないかと思ったが、一枚の半分くらいなら大丈夫だろうと思い、皿の上に載せられたハムを一枚ちぎるとアイリスに手渡した。
そして、自分もどのくらいの味かを確認する。
塩分控えめの薄味だ。
おそらく老婆も健康には気を遣っているのだろうとシンは思った。
この老婆は殺しても死にそうにないと心の中で思いながら。
エンジェはアイリスに差し出された生ハムをジロジロと見る。
最初はアイリスを警戒していたが、しばらくするとエンジェはアイリスから敵意のようなものは感じられないと判断し、近くに寄り、差し出されたハムを口にした。
数時間前に食べさせてもらってからは何も口にしておらず、お腹が減っていたのだろう。
勢いよくハムを食べるエンジェを見て、アイリスは喜ぶ。
(何とか人に慣れてくれそうだな)
シンはその様子を見て、ホッと息を吐いた。
エンジェが日頃からシン以外の人間に敵意を見せたりするようなことがあれば、危険だと思っていたからだ。
アイリスが生ハムを食べ終わったエンジェの身体をおそるおそる撫でながら、シンにお願いしてもう1枚ハムを与えようかと考える。
そこにダリアがエンジェのために、こまかく切ったグレイトホーンブルの生肉を小皿に入れて持ってきた。
ミルクを入れたお皿も片方の手に持っている。
「アイリス、後はこっちをあげなさい。人間の味付けは動物には良くないかもしれないし」
そう言って、エンジェの前にミルクを差し出すと、エンジェはミルクもペロペロと舐めだす。
その後すぐ、シンはダリア達と食事を摂り始めたが、ダリアやアイリスの関心はエンジェに向けられている。
そのおかげでジルも、酒を飲みながらシンと会話をしている老婆の目以外を気にすることなく、シンの皿に大盛りに盛られたお肉を次々と食べていくことができた。
お昼におやつをほとんどもらえなかったため、お腹が空いており、勢いよく食べていく。
その結果、シンとしてはあまり食べたつもりもないのに、あっという間にシンの皿が空になってしまった。
シンはまだ下ごしらえして残っている肉をダリアに要求すると、老婆はシンの大食いぶりを実感し、シンに呆れた様な視線を向けた。
シンは誤解だと心の中で叫んだ。
翌日、シンは冒険者が少なくなる4刻半(9時)ごろに冒険者ギルドを訪れた。
エンジェの登録を行うためだ。
エンジェは昨日と同じく大きめの革袋に入れて、人目につかないようにしている。
シンが受付嬢に副ギルド長との面会を申し込むと30分ほど経ってから、副ギルド長の部屋に通された。
「シン。内密に話をしたいとのことらしいが、何の用だね?」
仕事が一段落したのだろう。
副ギルド長はお茶をすすりながら、シンに尋ねた。
副ギルド長の隣には長身の若い女性が待機している。
長い赤髪をくくり、背筋をピンと伸ばしている。
視力があまりよくないのか、眼鏡をかけており、表情をほとんど崩さない。
どうやら副ギルド長の秘書のようだ。
「シンさん、ここに本物の社長秘書がいるのですよ。まさにできる女。パッツン、パッツンでシンさんが好きそうなお姉さんですよ」
シンはジルのくだらない冗談を無視し、その女性に一礼する。
その女性が副ギルド長だけでなく、シンにもお茶を入れてくれたからだ。
シンも一口だけお茶を飲むと、副ギルド長に用件を伝える。
「魔物をギルドで登録し、自分が所有者であることを証明する制度があると以前職員の方が言っていたのを憶えているのですが、それについてお聞きしたくて」
「ああ、騎獣登録のことか。あまり利用されていないが、あるにはあるぞ。魔物が懐いたり、魔物の子どもを得られることがないため、それほど利用されていないが、4級や5級の冒険者の中にはレッドホースを騎獣登録している者もいる。ボルディアナにはいないが、騎獣と言っても、ソロの冒険者の中にはグレイウルフを子どものうちから育てて、偵察や警戒役に当たらせている者もいるという話を聞いたことがあるが。なんだ、シンもレッドホースでも飼ってみることにしたのかね?」
「あの、できればその方にも席を外してもらいたいのですが……」
シンは副ギルド長に話をする前に、副ギルド長の隣にいる女性の退室を求める。
誰の口から洩れるか、わからない。
どんな登録、どんな手続きが行われるのかわからないのに、知らない人も交えて、エンジェの話をしたくはなかった。
「シンと会うのは初めてだったかね?アメリアといって、私の秘書をしている。安心しなさい、こやつの口は固い。私が言うなと言えば、誰にも言わんよ」
「いえ、私は退室しておきましょう。扉の前で待機しておりますので、何かありましたら、お声かけください」
アメリアは副ギルド長とシンに一礼すると、部屋から出た。
「我儘を言って、すいません。……俺が登録をしようとしているのはレッドホースではなく、こいつです」
シンはエンジェを革袋から取り出し、副ギルド長に見せる。
エンジェは革袋の中に長々といれられていたため、少しばかり不機嫌だ。
どうも鞣した皮の臭いが気に入らないらしい。
「……シン、誰かにこの子を見られたか?」
副ギルド長は目を細めてエンジェを見つめ、真剣な顔つきになる。
「ボルディアナの中では常にこの革袋に入れてましたから、知らない人には見られていないはずです。ただ、信頼のおける知人には見せました」
「そうか、それは良い判断だったな。アメリアに退出を求めたシンの気持ちもよくわかった。ところで母親はどうした?」
シンは牙を4本取り出すと、老婆にしたのと同じ説明を副ギルド長にも行う。
「にわかに信じがたいが……嘘を言っているようにも思えん。そういうこともあるのか……」
副ギルド長はお茶を口に運び、しばらく考え事をしている。
シンとしては早く続きを聞きたかったために、副ギルド長に尋ねかけた。
「それでどうすれば騎獣登録をできるんですか?」
「そうだった。すまない。少し気が動転していた。シン、悪いが説明の前にアメリアに用事を頼んできてもよいか?」
「別にそれは構いませんが……」
「何、悪いようにはせんよ。シンとその子のためでもある。その子の毛並みは目立ちすぎる。そんな猫など滅多に見んから、見る人によっては気づく。せめて、その子がもう少し大きくなるまではカモフラージュした方がよかろう。そのためにもアメリアに用事を頼んでくるのだ」
「そうですか。わかりました」
副ギルド長は部屋を一度出たが、ほんの1分程度で戻ってきた。
「すまないが、アメリアにもその子のことを話させてもらったぞ。何、しゃべりはせん。もし、アメリアの口から洩れたのであれば、儂もその責任を取ろう」
「わかりました」
シンとしても副ギルド長がそこまで言うのであれば、アメリアにエンジェのことを隠そうとは思わない。
副ギルド長の信頼を得るだけの人物なのだから、不用意なことはしないはずだ。
「さてと、アメリアが戻ってくるまでに騎獣登録について説明するとしようか。何、そんなに難しい手続きなどはありはせん」
「そうなんですか?」
「こちらでほとんどの手続きをしておるからな。こちらとしてはギルドの登録手続きに加え、領主様に報告する必要もあるが。領主様に報告するのも心配はいらん。他の領地の貴族ならいざ知らず、人の物を無理やり奪おうとするような方ではない。まあ、シンがしなければならないことは、登録した証に首輪をつけること。そして一定期間を置いてから、試験を行うことだけだ」
「試験ですか?」
シンが尋ねると、副ギルド長は白い髭をさすりながら、頷いた。
「そうだ。騎獣登録した魔物が人に危害を加えないかを確かめる試験だ。どの程度知らない人間が相手でも敵意を見せたりしないか、そして、どの程度飼い主である主人の指示に従うかを確かめさせてもらう。まだ拾ってきたばかりだったら、ひと月程度は時間を取ろう」
「もし、試験に不合格だったら?」
「残念だが、その場合は殺すことにしておる。飼い主がどうしてもと嫌がるのであれば、その者に魔生の森などへ返すように命じることもあるが。何、その試験の難易度自体はそれほど高くはない」
「……そうですか、わかりました。他に何か?」
試験の難易度はそれほど高くない。
エンジェは賢い子虎だ。
シンがきちんと言い聞かせれば、指示に従うだろう。
そして、知らない人間に敵意を見せるかどうかだが、アイリスから餌を受け取ったりしていたところからして、人間に対する敵意は薄い。
まだ単に警戒しているだけだ。
ひと月ほど時間があるのなら、少しずつ慣れさせることもできるだろう。
仮に人間に母虎が殺されていれば、激しい敵意を持つことになったかもしれないが、その心配はない。
「ああ、その試験の合格前、合格後を問わず、登録した魔物が住人に危害を加えたり、物を棄損すれば、その騎獣だけでなく、飼い主の責任にもなる。財産的な損害を償うだけでは足りず、場合によっては飼い主に刑罰が科されることもある」
「この子に危害を加えようとした者に対して、反撃した場合でも?」
シンとしてはエンジェが自分から誰かに害を与えるとは思えない。
ただ、副ギルド長がカモフラージュを考えてくれているが、それでも翼が生えれば、皆気づくだろう。
その時に馬鹿が出てこないとは限らない。
「安心しなさい。相手の方に問題があるなら処罰はされんよ。ただ、どちらの咎か、判断に困る場合もあるから、なるべく日頃から言い聞かせておきなさい。とりあえず、話をしておかねばならんのはこの程度だ」
「わかりました」
シンと副ギルド長が一通り話を終えたあたりでアメリアは部屋の中に入ってきた。
手には毛染め用の液体とブラシなどを持っている。
そして、先ほどとは違い、表情がだらしなく緩んでおり、頬を紅潮させていた。