第11話 形見と名前
「何を勘違いしてんだ、ギャアギャア騒ぐな」
シンは母虎の遺体を横向けにし、口を開けさせる。
「牙は虎の誇りかも知れない。だけど、もらうからな」
シンはそう言って、牙に剣を軽く当てた後、勢いよく突き刺した。
すでに母虎が死んでいるためか、先ほどまでの頑丈さはなく、シンが勢いよく剣を鋭い牙に突き刺すと、牙は根元からぽきんと折れた。
シンは黙ったまま、母虎の鋭い牙を4本とも根元から折る。
「一本はお前のだ。いずれ、加工してお守りにでもしてやる。母親の形見だからな。首からでもぶら下げとけ。だが、残り3本は俺のものだからな。母親からの養育費って、言ってもわかんねえだろうけど、これはさすがに譲らねえぞ。毛皮なんていちいち剥ぎ取る余裕はないし、ここに置いていく。魔物に食い荒らされるだろうけど、そこは我慢しろ。いちいちこんなでかいのを埋めるだけの時間の余裕なんてねえし、埋めたところで他の魔物に掘り返される可能性の方が高いだろうからな」
シンは子虎にそう言い聞かせた。
シンとしては、この子虎をシンの物として登録なり手続きをする際に、ギルドに母虎がすでに死亡していることを伝える必要があると考えていた。
そうでなければ、ギルドの上層部も母虎からの報復でボルディアナが襲われるのではないかと危惧するかもしれない。
母虎が死亡している証拠として、牙は必要となるだろう。
そして子虎には毛皮を剥ぎ取る余裕はないと言ったが、それは嘘だ。
やろうと思えば、できないことはない。
今の時間なら大急ぎでやって休憩を挟まずに戻れば、日が沈むころには何とかボルディアナに帰れるだろうし、仮に間に合わずボルディアナに戻る前に日が沈んでも、今日は野営の準備をしている。
日暮れまでに魔生の森を抜けさえすれば、見通しのいい場所で野営で一夜を明かせばいい。
それをするだけの価値がスカイタイガーの毛皮や素材にはある。
だが、これからこの子虎と生活をするうえで、シンは子虎に負い目を感じたくなかった。
自分の母親の遺体を傷つけ、金に換えるような者と誰が一緒に暮らしたいと思うだろう。
少なくともシンが子虎の立場ならそうだ。
そして、それをやってしまえば、いつか子虎のその恨みが自分に返ってくるようにも思えた。
子虎はシンの説明をわかったと言わんばかりにミャアーと一声鳴いた。
ジルにはシンの心が読めるはずなのに、慌てて読むことすらしなかったので、「えへへ、早とちりなのです」と言って、少し気まずそうな顔をしている。
「じゃあ、そろそろ森を出るとしようか」
4本の牙を水でさっと汚れを洗い流すと魔力袋の中に収納した。
そして、片腕で子虎を抱える。
「うーん、こいつの名前を何にしようか。いつまでもこいつとか、子虎呼ばわりするのもなんだしなあ」
「シンさん。名前をつけるのは良いですけど、この子は男の子ですか?女の子ですか?」
「……ジルが確認しろ。俺が確認しようとすると、どうせまたつまらないことを言いだしそうだからな」
ジルはシンの抱える子虎の性別を確認する。
ジルの視線と股間をつんつんと触られたのが気に入らなかったのか、子虎は後ろ足でジルにキックする。
「やめるのです。やめるのです」
子虎から触られない様にすればいいのに、ジルも子虎と触れ合いたかったせいか、顔に蹴りをまともに入れられてしまったジルが子虎に抗議する。
「この子、ついてないのですよ。だから、女の子なのです」
「そうか。じゃあ、女の子の名前を付ける必要があるな」
「はいはい!は~いなのです!」
「ジル、何かいい名前を思いついたのか?」
「ジル2世がいいと思うのです。今日からこの子はジルの子でもあるのです」
「ややこしくなるからダメだ。それにお前みたいにアホで我儘に育ったら俺が困るし」
ジルはシンにブーブーと抗議をするが、シンはそれを無視して考える。
「うーん、空みたいな色してるからな、こいつは。スカイは安直すぎるし、男っぽい。ソラも駄目だな。……そうだ、エンジェにしよう」
子虎の明るく薄い青色の毛並みを見て、シンは思いついた。
「エンジェですか?可愛い名前なのですけど、なぜエンジェなのです?」
「エンジェライトって天然石の名前から取った。こいつの毛並みの色によく似ていると思う。それにいずれ白い翼が生えるみたいだし、天使に由来するこの名前がぴったりだと思う」
それだけではない。
エンジェライトの石言葉は愛と思いやり。
母虎からの愛情を受けた子虎にふさわしい名前だとシンは思った。
それにこれから人里で暮らすのだ。
問題を起こされても困るし、人に対する思いやりも持って成長してもらいたい。
シンのそんな願いが込められている。
気恥ずかしいから、そんなことは口には出さないが。
「おおお、なかなかいい名前なのです。それにシンさんってば、なかなかロマンチストなのです。これはまさに、ふごおぉ!」
シンの心を読み、余計なことを言おうとしたジルはシンに剣の柄で殴られる。
「このDV男!なのです。エンジェ、ジルがエンジェを守るのですよ」
ジルは頭を押さえながら、エンジェに声をかけた。
エンジェもその名前を気に入ったとでも言うかのように「ナアー」と鳴いた。
「じゃあ、そろそろ帰るから、ジルは一度空を飛んで、森を抜ける方角を確認してきてくれ。おそらくあっちっぽいけど、一応な」
シンの言葉を受けて、ジルは空へと舞いあがる。
途中で樹の枝に果実が実っているのを見つけたので、シンにばれない様にこっそりともぎ取ったが、シンはその様子をはっきりと見ていた。
「くそ、あの馬鹿……。おい、エンジェ。ジルの馬鹿はどうせ俺にばれないようにとでも思って、果実を食べ終わるまでは戻ってこないはずだ。もう一度だけ母虎に別れの挨拶をしていいぞ。これが本当に最後の別れだ」
そう言って、シンは抱えていたエンジェを腕から放す。
エンジェは、地面に降りると一瞬母親の方に行こうかと悩んだ素振りを見せたが、結局シンの足下から動かなかった。
すでに別れは済ませたと言わんばかりのその態度から、まだ幼いながらエンジェにもスカイタイガーの虎としての誇り高い魂が宿っているのがシンにもわかった。
「悪いな。野暮だったようだな。だが、忘れるなよ。死ぬまでお前のことだけを思い続けてきた立派な母親だ」
シンの言葉に当然のことを言うなと言うかのようにミャアー、ミャアーと2回だけをエンジェは鳴いた。
ジルは数分後、シンの下へと戻ってきた。
「シンさん、シンさんの言ってた通り、あっちで間違いないですよ」
「そうか、ご苦労さん。あれ?そういや、あそこにあったはずの果実がなくなってるな」
シンはジルがもぎ取った果実のあったあたりを指さす。
「そ、そんなのがあったのですか?ジ、ジルは気づきもしなかったのです。きっと鳥さん達が食べちゃったのです」
「ジル、口の周りに食べかすついてるぞ」
「そんな、さっきお空でちゃんと拭いたのですよ」
「嘘だよ。食べかすなんてついてねえよ。エンジェ、こんな風に食い意地汚く成長するんじゃねえぞ。お前の母ちゃんも恥ずかしがるぞ」
「むう……シンさん、ジルを謀ったのですね」
「摘まみ食いして、時間無駄にするようなやつが言うことか。ほれ、さっさと帰るぞ」
シンはエンジェを抱きかかえ、ジルを左肩に乗せると足早に森を抜けた。
途中で数匹魔物と出くわしたが、採取場所までついてこられることを危惧した行きとは違い、回避できる魔物は回避し、どうしても戦う必要がある魔物とだけ、戦う。
戦う際にはいったんエンジェを放し、ジルにもし他に魔物が来たら、抱きかかえて上空に逃げるように指示を出す。
魔物を4匹斬り殺したが、2人と1匹は無事に魔生の森を抜けた。
魔物を相手することも少なく、ジルに途中で上空から位置の確認をさせることもなかったため、行きよりも帰りの方が早く森を抜けることができた。
おそらく7刻半(15時)になるかならないかといった時刻だろう。
魔生の森を抜け、見晴らしのいいところにやってきたシンは十数分程度休憩を取ることにした。
「ちょっと腹に入れておきたいところだが、エンジェには何を与えればいいんだろ?ミルクとかが良さそうだけど、一応小さいけど歯も生えているようだし、肉も食えるのか?」
そう言って、シンは魔力袋からスモークしたグレイトホーンブルの肉を取り出す。
宿の食堂の料理人に小金を支払うことで作ってもらったものであり、シンも小腹が減った時によく摘まんでいる。
その肉をナイフで薄切りにし、エンジェに渡すと、エンジェは勢いよく食べ始めた。
食べ終わると、もっと、もっとだと言わんばかりにシンの指をペロペロと舐める。
「ジルにも少しくださいなのです」
「エンジェにあげたいのか?」
「えへへ、ジルもおやつが欲しいのですよ」
エンジェを連れてきたときに、シンからおやつ抜き宣言をされたためか、上目遣いでジル的には可愛らしくお願いしているようだ。
「却下。帰るまで我慢しろ。果実の摘まみ食いもしたんだし、ジルはおやつ抜き」
「ふぇぇー、やっぱりシンさんイケずです。……じゃあ、食べないのでジルにもエンジェにあげたいのです」
「本当に食わねえな?」
「……食べないです」
シンはスモークした肉を薄切りに何枚か切り取るとジルにも渡す。
ジルは涎を垂らしそうになるのを我慢して、エンジェに近づき、エンジェの口元に肉を差し出す。
ズイッ
エンジェはジルが差し出した肉をジルに押し付けるような素振りを見せた。
何度ジルが肉を差し出してもエンジェは受け取らない。
最初はジルのことを嫌っているのかと思ったが、どうやらそれはジルが食べろと言っているようだった。
「お前、それはジルにやるって言ってるのか?」
シンの問いかけにエンジェは頷きながら、尻尾をフリフリとしている。
「エンジェ、ママは嬉しいのですよ」
ジルは嬉しくて涙目になりながら、エンジェに飛びつこうとしたが、エンジェはジルをさっと躱す。
どうやら母親として慕っていると言うよりも、出来の悪い妹分だとでも思っているような対応だ。
エンジェはジルを小馬鹿にするかのように「ミャアー」と鳴いた。
「ジル、エンジェがくれるって言ってるからそれだけは食べていいぞ。もう夕飯まではやらないけどな」
シンは二人を呆れたように眺めながら、ジルに食べる許可を出した。
ジルはシンの許可を得て、口いっぱいに肉を頬張る。
そして、シンから肉を受け取り食べているエンジェを眺めているとようやくエンジェがジルのことをどう思っているのかを察した。
「エンジェ、ジルよりも家庭内カーストが上だと思っているのですね。それは許さないのです。どちらが上なのか、ここではっきりわからせてやるのです」
ジルはシャドーボクシングのようなことをしながら、口でシュッシュッと風を切るような音を出すと、「とりゃあ~」とエンジェに飛びかかる
ペシ
機嫌よく肉を食べている最中に、ジルに飛びかかられたエンジェは前足でジルの額に猫パンチを食らわすと、地面に横たわったジルを両前足で押さえつける。
「や、やめるのです。ママに暴力はいけないのですよ~」
ジルはじたばたしながら、抵抗するがエンジェの押さえつけ方が上手いのか、なかなか脱出することができない。
「お前らなあ……」
シンは自分も肉を口にしながら、エンジェのジルへの対応を眺め、少しばかり先行きが不安になった。
休憩を終えると、シンはまたエンジェを抱きかかえて、ボルディアナへの帰路につく。
何度か7級のグレイウルフに襲われたが、シンは衝撃波を片手で繰り出し、大地を赤く染める。
そして、ボルディアナの城壁が目に見えるところまでやって来た頃、シンの耳に9刻(18時)の鐘が聞こえてきたような気がした。
シンは魔力袋から大きめの革袋を取り出すと、ナイフでいくつか空気穴を作ったうえでエンジェを放り込む。
エンジェは最初嫌がったが、シンが「おとなしくしとけ。ちょっとの間だ」と言い聞かせるとやがて身動きをあまりしなくなった。
ギルドでどういった手続きをすれば、魔獣や魔物を自分の物として登録できるかの知識はシンにはない。
だが、登録などを済ませるまでは少なくともエンジェを道行く人などに見せるのは良くないと考えたからだ。
城門にいる衛士もいちいち冒険者が取ってきた素材などの確認まではしない。
商人などが街に入る場合、普段は軽く確認し、時折抜き打ちのようにじっくりと検査を行うことがあるが。
シンは顔見知りの衛士に頭を下げると門をくぐり、街の中へと入る。
そして、そのまま宿にいったん戻ることもなく、薬師の老婆の店まで向かった。
薬師の老婆の店の前に着いた頃、すでに日は沈み、家や店の中から零れる光で路地が照らされる。
薬師の老婆の店も1階の店内からは光が零れており、いまだ営業時間中であることが分かる。
扉にも鍵はいまだかかっておらず、シンは扉を開けて中に入る。
ダリアが店番で少しボーっとしていた。
客が来ずにそろそろ閉店しようとでも思っていたのだろう。
シンが入ってきたことに気づくと声をかける。
「シン、お帰り。お婆ちゃんの依頼終わったの?」
「ああ、終わった。ところで婆さんと話したいんだけど、奥か?」
「うん、さっきまで皆で夕飯作ってたんだけど、今は奥だよ。お婆ちゃん、シンが来たよ」
そう言って、ダリアは奥で薬草のチェックを行っていた老婆に声をかける。
「なんだい、随分と早かったじゃないかい。明日に戻ってくるんじゃないかと思ってたんだけどね」
店の中から老婆が顔を出す。
シンが老婆に呼びかける場合はお姉さん扱いしないと反応しないと言うのにえらい差だ。
「婆さん、言われた通り薬草はどっちも取ってきた。それで一つ、頼みがあるんだが」
「なんだい、シン坊。頼みって」
「悪いけど、今日空いてる部屋にでも泊めてくれねえかな」
シンはそう言って、革袋からエンジェを取り出した。
エンジェはようやく外に出れたと言わんばかりにミャアーと鳴いた。