千キロ先も、そのまたずっと先の彼方まで
「さて、どうしたものか……」
ガソリンメーターが赤く点灯し始めたところで、俺は車を路肩に寄せて停車させた。
これ以上ガソリンを無駄には出来ないので、エンジンも止める。
「ライガ、もうガソリンが無くなっちゃった?」
ピンクのツナギを着たパトナが心配そうに俺の顔を見る。ここは聖都・ヒースブリューンヘイムから東に百キロほど進んだ所だ。
「赤い残量警告ランプが点灯したんだよ。残りはあと5リットルぐらいかな。まぁ、上手く走れば60キロぐらいは進めそうだけど……」
下手に進んで完全なガス欠になるのはマズい。
補修部品の望めないこの世界では、エンジンが壊れたらそれこそ終わりだ。
ここは日本車の品質と耐久性を信じるしかない。昔テレビで、日本の中古車が中東の砂漠やシベリアの極寒の地で元気に走っているのを見たことがある。
俺たちが乗ってきたこの社用車……いや、大切な相棒であるこの車だってかなり丈夫なはずだ。
「ライガ兄ぃ、車が動けなくなったニー?」
「ス、スマホの充電が出来なくなるのだけは許さないからね!?」
ミィアが心配そうにネコ耳を垂らし、炎の魔女ヘルナスティアがちょっと本気で動揺している。
「うーむ。そう言われてもなぁ……。ガソリンが手に入る次の街は、あと150キロも先なんだ。今の残量じゃ半分も行かないうちにガス欠。そこが砂漠のど真ん中だったり、人食い狼のいる場所ならアウトだろ?」
「そ、そんなー!? なんとかならないニー?」
「ライガ、アンタはリーダーだろうさね!」
後ろからギシギシと運転席を揺らされる。
「……車をここに置いて、ガソリンを買いに行くしかないか」
150キロ先にあるという砂漠の街、オイリーサンダーでは「燃える油」が地面から湧いているという。
そこまで歩いて行き、壺か何かに詰めて持ち帰る。往復300キロの行程は気が遠くなる……というか、現実的ではない。
「あ、それならわたし留守番するね!」
「……ミィも」
「歩くのなんてゴメンだよ」
パトナが後ろ向きに手を挙げる。ミィアもヘルナスティアもそれに倣う。
「だーっ!? おまえらなぁ!?」
ワナワナとハンドルを握り締めるが、これ以上車内にいても良い考えは浮かびそうにない。
とりあえず外に出て、一休みすることにする。
俺が運転席から外に出ると、パトナもミィアも、ヘルナスティアもドアを開けて外に出てきた、背伸びをしたり、後ろの荷物室から水や食べ物を出しての小休止だ。
「気持ちいい場所だニー!」
「あ、小さな村が見える……」
「あそこで食べ物でも恵んでもらうのがいいかもねぇ、ライガ」
「俺かよ!?」
ったく。と嘆息しつつ、周囲をあらためて見渡すと、実に気持ちのいい場所だ。小さな農村と、それに続く麦畑や牧場、ゆるやかな丘陵が続く緑豊かな土地らしい。
道は俺たちが聖都・ヒースブリューンヘイムから進んできた道と、村に向かう分かれ道があり、小さな木の立て札がある。
――まぁ一服してから考えよう。
もう、急ぐ理由も無い。
世界に「歪み」を生んでいた存在は死んだ。平和になった世界は、その事を知ってか知らずか、明るい日差しで俺たちを包んでくれている。
見上げると空は果てしなく広くて、青い。
夏を思わせる大きな雲が地平線の向こうに湧き上がっていて、草原を渡る風が土と草のどこか懐かしい香りを運んでくる。
鳥たちのさえずりを聞きながら、ミィアは車の屋根によじ登ると、にょーんとネコのように背伸びをして昼寝の体勢になる。
「屋根をヘコませるなよ」
「ニー」
「平気だよライガ」
「そうだな」
風に揺れて頬にかかる髪を、指先でかきあげながらパトナが笑う。パトナは何者にも縛られない、本当に普通の「人間」になった。
いつの間にか放送が再開していた『女神ラジオ』を聞いたときは驚いたが、どうやら女神様はちゃんと別に存在していたらしい。
質の悪い車のスピーカーからは、明るくて朗らかな、女神フォルトゥーナの声が聞こえてきた。
どうやら六枚の翼の偽者――有翼の魔女フォルトゥーナ――とはまったくの別に、ちゃんと本物の女神フォルトゥーナがこの世界にはいると思うと少し救われた気がする。
でなければ、列車事故でバラバラになった俺がこうして異世界を旅している筈などないのだから。
世界に歪みを生み続ける「宇宙人」を倒して欲しくて、女神様は俺を召喚したのだろう、と考える事にする。
つまり、社用車に宇宙人の持つテクノロジーを移植したのも、実は本物の女神様の仕業だったということになる。
そう考えれば、あの戦いの最中に、車自体の制御が奪われなかった事も合点もゆく。
――ま、いいか。問題はこれからどうするか、だよなぁ。
車の横の草原に寝転んで空を見上げる。
聖都・ヒースブリューンヘイムでの戦いを終えた俺たちは、共に死線を潜り抜けた仲間達との別れを惜しみつつ、旅を続けることにした。
ロシア兵は、ライ麦パンが美味くてウオッカ並みのアルコール度数の酒がある理想郷、を求めて旅立っていった。勿論、銀髪のパートナー少女を肩車しながら。
アメリカン・ポリスは西部劇風の酒場を求め、ギターとショットガンを背負って旅立っていった。金髪のソバカス娘も一緒に。
ネイティブ・アメリカンの戦士も、中世の騎士も、大切な相棒の手を引きながら、安住の地を求めて旅立っていった。
そしてジャスティス男ヴァル・ヴァリーは、といえば……。
「ライガ兄ィ! この音……車の音だニー!」
耳のいいミィアが屋根の上で起き上がり、俺たちが進んできた道の向こう側に目を凝らす。俺やパトナにはまだ何も聞こえないが、きっと俺たちのような異世界からの旅人がいるのだろう。
「よ、よーしガソリンを分けてもらえるかも!」
「ヒッヒッヒ、鴨ネギとはこの事だね、逃がしゃしないよ……」
魔女ヘルナスティアが舌なめずりをして眼光を鋭くする。ていうか、なんで鴨ネギなんて言葉を知っているんだ。
「ライガも私もトゲトゲのジャケット着たほうがいいよ!?」
パトナも何を勘違いしたのか、悪い方向でノリノリだ。
「おまえらやめろぉおお!?」
人は困窮すると途端に、醜い本性を曝け出すのだろうか。
「あ、来たニー!」
ミィアが屋根に立ち上がって指差す。見ると道の向こうから一台の車……正確には三輪の東南アジア風のタクシーが、トコトコ走ってくる。
ヒャッハーな荒くれ盗賊団になりかねない魔女ヘルナスティアとパトナを押し留め、俺は両手を振りながら笑顔で行く手を遮る。
「おぉーい! 頼みます、止まってくださーい!」
三輪タクシーはすぐに減速してくれた。と、見慣れた顔だった。
「ジャスティス! ようやく追いついたぞ……ライガ!」
「え? ヴァル・ヴァリー?」
「ミー?」
「ヴァルさんだ!」
ミィアとパトナが顔を見合わせる。
「なら話が早いねぇ、イヒヒ」
「だから待てと言ってるだろうが!?」
ビシ、と魔女にツッコミを入れたところで、三輪タクシーが完全に停車する。ヴァル・ヴァリーはリーゼントを気にしながら運転席から降りると、二人乗りの客室を親指で指差した。
「どうしても、お前に会いたいという人物をつれて来た。ジャスティス!」
正義の男ヴァル・ヴァリーが指差す客席から姿を見せたのは、水の魔女ネルネップル人間体そして、意外な人物だった。
「あ、会いたいのは、私じゃないアルよ!」
「……再会、ようやく再会、嬉しいのです」
一瞬、誰だか分からなかった。銀色の髪の美女の背中には、二枚の翼が生えていた。その顔は、よく見ると見覚えがあった。
「有翼の魔女……フォルトゥーナ!?」
◇
「私の本当の名は、シルフィーナ。洗脳されて、女神様のフリをさせられていたのです」
妙にテンションの低い、沈んだ声。
今までに無いキャラクターは、とても俺たちをギリギリまで追い詰めた空を飛ぶ魔女とは思えない感じだ。
美しかった金髪はすっかり色あせて、銀髪に変わっている。まぁこれはこれで悪くは無い。もともと綺麗な顔をしているのだが、今のシルフィーナはなんというか、幸が薄いというか暗いどんよりとしたオーラを放っている。
「あ、あぁ、その……。終わったことだし……お互いに水に流そうよ」
ハハハと日本人ならではの、過去は水に流す精神を発揮する。
「そうも行かないアルね!」
そこで水の魔女ネルネップルが割り込んできた。少し背が小さい気がするが、仮の姿なのでどうにでも変化出来るのだろう。
水の羽衣で全身を覆ってはいるが、太陽の下では身体が透けて見えていて、なんとも……セクシーチャーミィで目のやり場に困る。
パトナが俺を横からジィと睨んでいるので慌てて話を続ける。
「なっ、何か問題でも?」
「ジャスティス! 貴様に……正義はあるか?」
「は? 何いってるの!?」
「責任とるアル!」
ヴァル・ヴァリーとネルネップルが俺に詰め寄ってきた。どうも事情が飲み込めない。銀髪の有翼の魔女シルフィーナを見ると、もじもじと顔を赤らめたまま俯いて、何も言わない。
「だ、だから何の!? 一体何がなんだって?」
俺はバッ! と跳ねて距離をとった。このまま車で逃げようか?
「なら説明するアル! 有翼人族……つまりこのシルフィーナは、翼を切り取られたアル!」
「あ……! そ、それはその、仕方なかったんだよ」
生きるか死ぬかの戦いの中、俺は確かにワイパー・カッターで、空飛ぶ魔女の背中に生えていた六枚の羽のうち、四枚をズッパリと切断した。
「翼を切る、それは……求婚の証……、操を奪われたも同じなのです」
ボソボソとシルフィーナが人差し指の先端同士をぶつけながら言う。
「は? 今……なんて?」
操、と?
背中の二枚の翼を恥ずかしそうにモジモジさせながら、シルフィーナは顔を真っ赤に染めて俺をチラチラと見ている。おまけに、アクアマリンのような瞳は熱を帯びたように潤んでいる。
「私の一族は、翼を奪った殿方と……む、結ばれる決まりが……」
もう、嫌な予感しかしない。震え声で聞き返す。
「翼を奪う……って俺が?」
「はい」
「む、結ばれるって、つまりその俺と?」
ヴァル・ヴァリーやネルネップルに助けを求めるような視線を向けると、静かに首を横に振っている。
「はい、婚姻して……子を儲けることに……」
きゃっ! と赤らんだ頬を押さえて顔を背けてしまうシルフィーナ。
「んなぁあああああああああッ!?」
俺が絶叫すると、ブフゥ! とお茶を飲んでいた魔女ヘルナスティアが噴いた。ていうか俺も同じ気持ちだ。
何よりも横でパトナが「……ッ」と絶句したまま白目を剥いている。
「い、いやいやいや!? まってくれ、だってあれはその、成り行きというか事故とゆーか!?」
「事故で、遊びで、私の操を奪ったのですか……」
ズゥム、と更にダウナーな様子で崩れ落ちるシルフィーナ。ぺたんこ座りでヨヨヨと泣く様は、俺が「悪い男」の構図そのものだ。
「……ライガ、最低」
「酷いニー」
「わぁあ!? 違う! 違うだろ!? なんでお前らまで」
パトナとミィアまでもが敵に回る。いかん、どうしてこうなった!?
「この子の一族は、生まれた時は翼が二枚、成熟するにつれて四枚になり、成熟して結婚適齢期になると六枚になるアルね!」
「……くすん、そうなのです」
メソメソと泣く有翼の少女、いや成人女性か。
「慣わしでは『オレの嫁』『何処にも行かせないぞ』という意味を籠めて、4枚の翼を切って婚礼の儀とするらしいアル。まぁ、全然痛くないらしいアルけど」
「知りたくもない情報をありがとう!?」
「ライガ、責任とるアル!」
「ライガ……」
「ライガ兄ぃ」
「ったく酷い男だねぇ」
「うぐぐ!?」
ここでラブコメなら「勘弁してくれぇええ!?」と、逃亡したシーンで終わり――で良いのだろう。
だが、逃亡するにしても、草原の真ん中では何処にも逃げられない。
そもそもガソリンが無い問題を解決しなければならないのだ。
「そ、そうだ! その……俺たちはここから150キロ先の街まで行かなきゃないんだ、けれどもうガソリンが無くて立ち往生……。このままじゃ結婚とか婚姻とかそれどころじゃないんだ、な? わかってくれ」
かなり強引だがこれで誤魔化して、切り抜けるしかない。
「……ガソ……? 無い?」
うるうるとした瞳の涙を拭くと、シルフィーナは小首をかしげた。
「そう! ガソリンが無いと車は進めない。だから街へは行けない、従って、キミとの結婚とか、ちょっと難しいかなー……というか、そもそも君たちの慣わしを俺は知らないわけだし……ね? だから無かったことに……」
周りの視線が痛い。ていうかなぜに俺はこんな目にあっているのだ?
と、シルフィーナが立ち上がり、瞳にパッと光を宿す。躁鬱の落差が激しい。
「……街に行ければ、私を受け入れて、くれるのですね?」
「い、いやその、受け入れるっているか……そういうわけでも」
「わかりましたのです!」
しゅたっ! と、シルフィーナは立ち上がると、ヴァル・ヴァリーと共に乗ってきた三輪タクシーの後部座席からゴソゴソと何かを引っ張り出しはじめた。
取り出した物。それは、切断された四枚の羽だった。
「な、何を?」
「はい! 飛翔の魔法、私の翼を触媒に、その『車』に魔法をかけますのです」
ニコッと気丈な笑みを見せるシルフィーナ。銀色の髪にも艶が戻り、背中の羽もピンと伸びている。どうやら元気が出てきたようだ。
呆気に取られる俺たちを尻目に、社用車の屋根に二枚の羽を取り付ける。そして、ヴァル・ヴァリーの三輪タクシーの屋根にも同様にとりつけた。
接着剤も溶接も無いのに、まるで魔法のように屋根に付いた羽根は、パタパタとまるで意志を持っているかのように羽ばたきだした。
フォンッ……! と、車の周囲、円形の土煙が吹き上がる。
「おぉ!?」
「地面に縛り付ける引力を軽減し、空に浮かびます。あとは進め、と命じれば、何処までも飛べます」
「でも、シルフィーナの魔力が切れると落ちるアルよ!」
「何で知ってるんだよ?」
「途中で落ちたアル」
「……ジャスティス」
嫌な思い出があるようで、ネルネップルとジャスティス男ヴァル・ヴァリーは目を細めて口を一文字にした。
「では、行きましょう! 婚姻の翼に乗って!」
「何それ!?」
テンションの上昇した有翼の魔女シルフィーナが両手を広げるのを合図に、俺たちは慌てて社用車へと乗り込んだ。
運転席のドアを閉めてシートベルトを確認する。
「こ、今度は空を飛ぶニー!?」
「まったく、ライガと居ると退屈しないねぇ」
ため息混じりに苦笑するミィアとヘルナスティア。
「なんだかとんでもない事になっちゃったね! ライガ」
「パトナは何故にそんなに嬉しそうな顔してるんだよ!?」
今までに無いピンチだと思うのだが。いろんな意味で。
「えへへ、だって――」
パトナが俺の頬に顔を近づけると、ちゅっとキスをした。
「パトナ……」
「私達の冒険は、いま始まったばかりなんだもん! まだまだ楽しいこと、凄い事が起こりそうで、嬉しくて」
「……あぁ!」
「それに、ライガとは何処までも一緒だから」
「もちろん、ずっとだ」
俺は、ぎゅっとパトナの温かい手を握り返した。
やがて俺たちの車は、空高く舞い上がった。
遥か彼方まで見渡せる事に全員が感嘆し、その光景に目を奪われた。地平線は薄く霞み、空と雲と曖昧に溶け合っている。
世界は何処までも果てしなく広がっていた。
千キロ先も、そのまた先の彼方まで――。
<おしまい>
【作者よりの御礼】
【今日の冒険記録】
・同行者:ナビゲータ少女パトナ、炎の魔女ヘルナスティア
猫耳少女ミィア
:足つきの壷×2(ガソくんとリンちゃん、空腹)
・魔法の羽、装備
・走行距離:飛行距離もあわせて1000キロ!
・ガソリン残量: 5リットル(予備、無し)
――と、いうわけで!
ライガとパトナたちの冒険はまだまだ続きそうですが、ここで物語は終わりとなります。
読んで頂き、ほんとうにありがとうございました!
そして毎回、応援してくださった読者の皆々様にはひたすら感謝です。
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最後になりますが、最終回のワンシーンのイメージイラストとなります。
ライガやパトナ、ミィアにヘルナスティア。
そして相棒の「社用車」です♪
↓
では、ありがとうございましたっ!