社用車と逝く、異世界転生
俺、内藤雷牙は社畜である。
正確には「だった」だろうか。
何故なら俺は今さっき死んだからだ。
23歳独身、彼女なし。趣味はスマホゲーと「なろう小説」を読むこと。そんな俺の人生が今、終わりの時を迎えようとしていた。
目の前には超スローモーション映像のような光景が広がっている。
空中を舞う無数のガラス片がキラキラとした輝きを放ちながら、ゆっくりと目の前を通り過ぎてゆく。それは運転していた社用車の割れたガラス窓の破片だ。他にもバックミラーやハンドル、ひしゃげた鉄製のボンネット、それに……俺の手足らしいものが混じっている。
ネジやプラスチック片など、車の部品と原型の分からない赤黒い「何か」が、まるでアメーバのように宙をゆっくりと飛んでゆく。
無限に引き延ばしたような時間の中で、俺は人生の終焉を見ていた。
――死ぬ瞬間って、こんな風見えるのかぁ……。
自分でも驚くほどに冷静にそんな事を考える。
心は穏やかで落ち着いていた。例えるなら雨上がりの帰り道、夕日に赤く染まる山並みを遠く望むような、どこか物悲しい諦めにも似た気持ち。やがて闇が忍び寄り山や街や人すべてを青黒く塗りつぶして行くだろうという予感……。そんな終りの気配にも似ていた。
身体は吹き飛んでしまったのに、痛くないのは幸いだった。死の瞬間というのは、意外にも静かで客観的なものらしい。
意識を右側に向ける。目の前を胴体が飛んでいるの。どうやら首と離れてしまったようだ。見てるのは、俺という『意識』というわけか。
右側に迫っている黒い壁は、貨物列車の先頭車両。俺の乗っていた愛用の社用車――某有名大手メーカーの白いワゴン車――は、踏み切りで貨物列車に跳ね飛ばされ、文字通り粉微塵になって吹き飛んでいた。
超重量の一撃を受けた俺と社用車は今、鉄と肉と、油と血。それらが入り混じった花火のように中空を散っている。
正面に意識を向けると、線路の踏み切りの遮断機の先で何かを叫ぶ女性が見えた。その腕には小さな女の子が抱かれている。
――よかった、助かったんだな……。
俺は、あの母娘を助けようとして、死んだ。
社用車で郊外の田舎町を移動中だった俺は、単線の線路で立ち往生している一台の軽自動車を見つけた。
単線をまたぐ小さな踏切は道幅が狭く、脱輪でもしたのだろう。
白い軽自動車には助手席に幼い子供が乗っていた。運転席には母親らしき女性がハンドルを握り締めているが、完全にパニックのようだ。
必死の形相でアクセルやハンドルを動かそうとしているが、脱輪しているタイヤからは、キュルキュルと白煙が立ち上るばかりだ。
その時、カンカンと言う音と共に遮断機が下り始めた。
まずい! と思ったとき、見晴らしのいい遥か右側の線路の向こうから貨物列車が迫ってくるのが見えた。
見渡す限り田んぼだらけの田舎道、通行人は誰もいない。車も俺以外は見当たらない。
緊急停止ボタンを押したとことで、かなりの速度で迫ってくる貨物列車を止めることは出来ないかもしれない。
「――くっそ!」
気がつくと俺は、思い切りアクセルを踏み込んで社用車ごと踏み切りに突入していた。グシッ……! と潰れたような音と共に、社用車の鼻先で軽自動車の後ろのバンパーに接触する。
普通ならこれだけで事故だ。
相手の怪我の有無を確かめ、警察を呼び、会社に連絡、事故証明を取ってそれから……。上司が目を吊り上げて怒り狂う姿が脳裏をよぎる。
一瞬、マズイかな、という思いが僅かに俺を躊躇わせた。
怒鳴られたうえに、修理代も自腹だろう。
だが、そんなことを考えている場合ではない。
無我夢中でヴォンヴォンとアクセルを吹かし、母娘の乗る軽自動車の背後から、俺はグイグイと押してゆく。
ドライバーの母親は突然の衝撃に驚き、後ろを振り返った。青ざめてはいたが、俺が何をしようとしているか理解したようで、何度も首を縦に振って礼をいう。
――礼は脱出の後だ!
咄嗟の事で俺は、こうする以外の方法を思いつかなかった。
丈夫さと堅牢さ、飾らない機能美が魅力の大手メーカーのバンは、セダンに荷物室が付いたワゴン車の形をしている。
けれど、足回りには耐久性と走破性に優れた四輪駆動(4WD)を搭載している。
四つのタイヤが同時に地面を蹴る4WDのパワーで押し出すことで、ようやく母娘の軽自動車は脱輪から脱出、踏み切りの外へと勢いよく進んでいった。
遮断機は降りていたが、軽自動車は安全な所まで進んで止まった。
「よしっ!」
グシャリと潰れた後ろのバンパーを見送りながら、俺も後を追おうとアクセルを踏み込んだ瞬間、ブォー! という汽笛が間近で鳴った。
俺の視界はそこでブラックアウト。
そして――ミンチ状態の今に至る。
思い返せば、酷い人生だった。
走馬灯のようにこれまでのことが、頭を駆け巡る。
地方の三流大学を出て就職した会社は、所謂「ブラック企業」だった。
大手電機メーカーの保守部門の下請け会社、カスタマーサポートというオシャレな肩書きだが、要は客の無茶な要求に応える24時間勤務の保守と修理対応を行うところだ。
部長の「サービス業だけに、残業代もサービスな!? ガッハハ」とクッソくだらない上司の一言で、毎日深夜まで続く激務につぐ激務なのに残業代はゼロ。
おまけに社用車のガソリン代も自腹ときた。
過酷な勤務実態を偽装し隠す課長、面倒な仕事を押し付けてくるゲス同僚。そんな胸糞の悪くなる、名実共に最悪のブラック会社で俺は働いていた。
けれど、俺はついに解放された。
死という代償と引き換えに。
「ま、いいか。二人も助けられたんだしな」
俺のクソの毎日と引き換えに、二人の尊い命を救えのたなら充分だ。
これから向かう「あの世」は、せめて地獄のような会社に人生を狂わされる事の無い、安らぎの場所であって欲しいと、願わずにはいられない。
いよいよ意識が薄らいでゆく。
と――。
周囲の景色が突如として輝きだした。
パァアアア! と白い光に満たされて視界がかすむ。
『――運命逆流! 運命の歯車を逆転させましょう……! 勇敢なる貴方に、再生と新たなる命を!』
凛とした、まるで女神のように澄んだ美しい声が響いた。
ピシャァアアと虹色の輝きに包まれる。
「な、なんっ!?」
目のくらむような輝きの渦の中、突如として周囲の破片が、今までとは逆の方向へと動きはじめた。
逆再生の映像のように車の部品や俺の肉体の破片が、次々と空間を逆戻りし一点に吸い寄せられてゆく。それらの破片は次々と接合し元の状態へと再生されてゆく。
俺の身体はもとより、愛車のバンのハンドルにエンジン、ボンネット。すべてが元の姿へと戻ってゆく。
それは、時間を巻き戻しているかのような奇跡の光景だった。
『あなたの良き行いに免じ慈悲を授けます。死というも等しく与えられた因果、宇宙の理を超え、光を。そして――新たなる世界を救うのです』
声が天から響く。言っている意味も半分は理解は出来ない。けれど、どこかの異世界で再度やり直せ、と言っているということは分かった。
「い、いや!? ちょっ……! 」
俺は真っ白い光の空間で、再生した自分の肉体と、着ていたワイシャツのネクタイを信じられない思いで眺めながら、あわあわと目を白黒させるばかりだ。
――異世界転生ってことは……俺にもチート能力が!?
地獄のような日々の仕事合間の、唯一の楽しみ。
それはスマホで小説投稿サイト『小説家になろう』を開き、小説を読むことだった。そこで描かれている数々の異世界転生や冒険にチートハーレム。
俺にもどうやらその役まわりが巡ってきたのだと、そんな風に解釈するより他はなかった。
気がつくと、傍らには虹色の輝きに照らされた相棒、白い社用車の姿もあった。
「おまえも……元に戻ったのか!」
手を伸ばすと、冷たい鉄のボディが確かに存在する。屋根をなぞると、懐かしい安っぽい塗装の手触りが伝わってきた。
良かったという安堵と、嬉しさがこみ上げてくる。
入社以来、顧客サポートとして各地を走り回り、極寒の冬も灼熱の夏も苦楽を共にしてきた相棒、ずっと一緒だった俺専用の社用バン。
初めてこの車と出会ったとき、ボディは傷だらけ、室内もゴミが散乱し汚れきっていた。オイルも汚れきっていた。
大手メーカの地味な社用車だが、こんな会社の過酷で劣悪な使用に耐えながら既に10万キロ以上も走らされていたらしい。
他人とは思えない境遇に、不憫に思った俺は、自腹でオイルを交換し、洗車し車内も綺麗に掃除した。
それからというもの、ずっと一緒の相棒としてあちこちを走り回った。
寒い日も、暑い日も、苦楽を共にしたといっていい。
俺以外の社員が乗った翌日など、まるで彼女が他の男に奪われたかのような嫉妬心を覚えたものだ。
だが、ついに俺と相棒は、新しい世界へと旅立つらしい。
『白き鋼の勇者よ! 燃える心臓と円輪の四肢を持つ聖獣よ!』
今、なんと?
燃える心臓に円輪……ってエンジンとタイヤ?
『人に造られし虚ろな魂に女神の祝福を授けましょう。その力を持って、異界で良き行いを続けなさい……! さすればいつの日か、貴女の願いは叶うでしょう』
ヴォオン! と嬉しそうな、エンジン音が響いた。
「えっ!? ちょっ……?」
俺はそこでようやく気がついた。
天から降り注ぐ虹色の光は、まるでスポットライト。舞台に登場した主人公を照らすように「白いバン」を包んでいる。
ちなみに俺には光は当たっていない。
肉体は再生したけれど、白い世界で色あせたまま立ち尽くしている。
『さぁ、お行きなさい! 超越能力を秘めた鉄の聖獣よ!』
つまり、異世界転生でチートを手に入れたのは……
「社用車かよッ!?」
社用車には誰も乗っていないのに、バカッと運転席のドアが開いた。まるで俺を誘うかのように。勝手にギアが入り、今にも動き出さんとする社用車に慌てて乗り込む。
バタム! と硬いドアの閉まる音と共に、一層まばゆい光に視界が埋め尽くされた。
軽快に回る社用車のエンジン音。ハンドルを握る感触は間違いなく相棒だ。
「まぁ、いいか……おまえと一緒なら、な」
ブラックアウトの次は、ホワイトアウト。
そこで俺は、ようやく意識を失った。
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