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僕達の惑星へようこそ
作:篠森京夜



第二話「黄色い煉瓦で造られた交差点の話」−4


 PM.5:45

 優雅な金属の破片が肌の上を滑っていく。その後を追うように、赤い血の筋が歪な十字を描いた。
「いいか? この世の中で安心して生きていく方法は二つある。一つは誰にも邪魔されない力を得ること。もう一つは力ある者に従うことだ……何も恥ずかしいことじゃない。昔から国家っていうのはそうやってできてきたんだ。お前の親父も俺の親父もそうやって生きてきたんだ。ただ違うのは、その順番くらいだ。俺の親父だって負け犬の一人だよ。だけどお前の親父は更に下の負け犬だ……聞いてるか?」
 リョウはナイフの腹で地面に倒れた男の頬を何度も叩いた。よく詰まった脂肪が金属を弾き、薄っぺらな音をたてる。男は何とか目を開いて反応しようとしているらしいが、意識が混濁しているのだろう、微かに頭を動かすのみだった。この様子では自分の額に逆十字の傷がつけられたことにも気づいていないかもしれない。
 商店街はそろそろ買い物客で混雑し始める頃だが、リョウのいる細い路地に人通りはない。その代わりと言っては不足かもしれないが、地面に敷き詰められた灰色のタイルの上には赤い血が点々と飛び散っていた。
 その時、ジンが戻ってきた。顔を上気させ首筋に汗をかいている。
「あの二人は逃げてったぜ、リョウ、やっぱりすげぇなあ! 何てったって三人相手だぜ?」
 ジンは興奮冷めやらぬ様子で話し続けた。表情が柔らかいせいか、いつもより童顔に見える。
「なあ、そいつはどうするんだ? ……殺すのか?」
 ジンの質問にリョウが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだな、殺すのも悪くない……」
 そう呟くと、リョウは逃走を試みて地面を這っていた男の尻を蹴り上げた。男がやけに高い悲鳴を上げて路上を転げ回る。リョウは蹴った反動で崩れた姿勢を戯けた身振りで立て直すと、地面に這いつくばっている男の前方に回った。
 苦痛に耐える男の眼前、タイルの隙間にナイフを突き立てる。
「男の子だもんねえ、喧嘩もしたくなるよな? 自分が一番強いって思いたくなるよな? ……え? それで女の子にもてたいって?」
 リョウは薄笑いを浮かべて一人で喋り続けた。
「よ〜くわかるよ、その気持ち! だって男の子だもんねえ。強くなって世の中のおいしいところを楽しんで、沢山の女の子を犯すんだ……きっと楽しいよねえ」
 リョウは男の耳元に口を近づけた。男の顔には、明らかに先程までとは異なる汗が流れている。額の逆十字から汗と共に血が流れ、鼻筋を通って地面に落ちた。
「……だが、お前は負けた」
 リョウが甘い声で囁く。
「お前は負け犬だ。負け犬だ、負け犬だ、負け犬だ、負け犬だ、負け犬だ、負けい……」
 執拗に繰り返される嘲りの言葉に、逆上した男が拳を突き出した。しかし一瞬早くリョウが地面のナイフを抜き、男の喉元に突きつけた。
 ナイフは男の喉を突き破る直前で止まり、汗の量が更に増える。このまま顔が萎んでしまうのではないかと思われるほどに。
「……わかったな? お前は負け犬だ」
 リョウの言葉に、男がぎこちなく頷く。喉のナイフを意識しながらの動きだったので、喉の筋肉が必要以上に緊張し、ぶるぶると震えている。
「負け犬に待っているのは服従か死だ。どっちがいい?」
 リョウは男の瞳の中に服従の色を感じ取りながら、ナイフを再びタイルの隙間に刺した。
「ナイフが汚れている……お前達の血だ。汚いと思うよな?」
 男がもう一度頷く。リョウはニッコリと微笑むと、
「舐めろ」
 短く命令した。リョウの目は冷たく……最早人間を見る目をしていなかった。
 一瞬の沈黙の後、男が舌を伸ばしてナイフの刃を舐め始めた。
「情けないなあ、こいつ……」
 ジンはリョウのそばに寄って話しかけた。
 リョウは男の舐めているナイフを足で押さえつけていた。男は舌を傷だらけにしながらもナイフの刃を舐め続けている。
「……何か言ったか?」
 男を見下ろしていたリョウが不意にジンの方を見た。
 ジンは妙な違和感を覚えた。まるで出来の悪いロボットが、いきなり首を動かしたように不自然で急な動きだったのだ。
 リョウの目からはまったく感情が読み取れず、まるでカメラのレンズのようだった。
「……いいや、何でもない」
 ジンは自分が実験用の動物になったような感覚に襲われて言葉を濁した。
「おい、いつまでやっているんだ」
 リョウは抑揚のない声で呟くと、地面からナイフを抜いた。その拍子に唇の端を切られた男が悲鳴を上げて上体を起こす。
「いいか、このことは警察には話すな。もし言ったら殺す……わかったな?」
 リョウの言葉に、既に意識があるのかどうか、虚ろな目をした男が頷く。
 男の口からはジンが気持ち悪くなるほどの血が流れていたが、本人はあまり痛みを感じていないようだ。
「ちっ……却って汚れちまった……」
 短く舌打ちし、男の服でナイフの刃を拭う。
 次の瞬間、リョウは男を蹴り飛ばし、男は頭を地面に打ちつけて気絶した。
「……ジン」
 リョウがジンの名を呼ぶ。ジンが緊張しながら返事をすると、リョウは魔法が解けたようにいつもの雰囲気を取り戻していた。
「パーティーに行こうか? そろそろみんな集まってきているはずだ」
 リョウはナイフをしまうと、男には目もくれずに歩き出した。
 慌てて後を追おうとしたジンは、自分が大量の汗をかいていることに気がついた。

 PM.6:38

 アユミという女がいた。
 彼女は高校二年生で、リョウの仲間の一人だった。
 身長は百五十過ぎ、脱色した髪に日焼けした浅黒い顔をしていた。体つきは全体的に脂肪がつき、かなり逞しかったが……本人はダイエットを生き甲斐にしていたらしい。
 彼女は中学から大学までエレベーター式に進学できる私立学園に通っていたので、浪人生の僕をバカにした態度をとることが多かった。小学生の頃の彼女がどれほど成績優秀で、どんなに苦労して難関の中学に入ったかということを、僕は何度聞かされたことだろう? 実際、僕は彼女が入学試験中三教科目にお腹が痛くなったことだって知っているくらいだ。
 まぁ……確かに当時の彼女は成績が良かったのだろう。学校のレベルから考えると納得のいく話だ。
 しかし、今現在の彼女が小学生時代のボキャブラリーの半分でも持っているかどうかについては甚だ疑問だ。先程紹介したような自慢話を除けば、僕は彼女がテレビドラマと化粧品と男以外のことを話しているのをほとんど聞いたことがない。音楽は聴くようだが、彼女が聴く音楽には頻繁にテレビで放送されるか、最低でもヒットチャートの上位に入るという条件が必要であり、彼女はテレビで名前を見ない、もしくは彼女が興味を持っていないアーティストは全てくだらないものだとの考えを持っているようだった。
 個人的には、彼女の知識と見識の狭さと、自分の考えへの頑固さについては賞賛を贈りたいほどだ。一度、僕が彼女に些細な間違いの指摘……天動説を説いたのはニュートンではなくコペルニクスだということ……をしたら、逆に怒られたことがある。彼女が言うには、そんなことを知っていることの方が変なのだそうだ。
 アユミという女について僕が話すことはこれくらいだ。つけ加えるなら、彼女はリョウに抱かれたがっていた。しかし彼女とリョウとが最終的にどのような関係に至ったのか、僕は知らない。
 ここまで話してきた内容から、僕が彼女に好意を持っていないことはわかってもらえただろう。実際、彼女は僕が苦手とするタイプの女性の一人だっだし、向こうにしても僕のことは異性としての対象外だったはずだ。
 しかし世の中というのは不思議なものだ。
 例を挙げるとすれば、それは僕が彼女と寝たということだろうか。

 PM.6:38

 玄関のベルが鳴った。
 何をするでもなく壁の時計を眺めていた僕は、反射的に椅子から立ち上がると玄関へと急いだ。
 ドアの前に立ち、身なりを整えると、僕は一気にドアを開けた。
 そこには制服姿のアユミが立っていた。アユミはベルを鳴らすことに集中していたが、ドアが開いたのに気づくと手を止めて僕を見た。
 アユミは肩から白い鞄を下げており、鞄には小さな人形が数体ぶら下がっていた。怪我をしたのか右膝に大きな絆創膏を貼って上から医療用のテープでとめている。
「……待ってたよ」
 僕はアユミの機嫌の悪さを感じながらも無理に笑顔を作った。
「今、何時?」
 アユミは僕を押しやるように中に入った。
「六時三十八分だよ……もしかしたら三十九分かもしれないけど」
 アユミは軽く鼻で返事をすると勝手に上がり込んで部屋を眺めた。怪我のせいか右膝を軽く引きずっている。
「変な部屋。何もないんだ」
「……約束は五時のはずだろ? ……何かあったのかい?」
「別に何も。友達とカラオケに行ってただけ。だから喉が乾いちゃったわ、何か飲み物ある?」
 僕が冷蔵庫に牛乳があると言うとアユミは機嫌を悪くした。
「アタシが牛乳嫌いなの知ってるでしょ? 飲むとお腹痛くなるんだから! アンタとは違ってアタシは繊細なの、わかる!?」
 アユミは冷蔵庫を開けて中から飲みかけのウーロン茶のボトルを取り出した。ろくな物がないわね、と呟く。
「……それなら外に食べに行かないか?」
 僕が必死に不快感を抑えながら尋ねると、アユミはいかにも面倒臭そうに断った。
「やりたいんでしょ? だったら、さっさと始めなさいよ」
 アユミが空になったウーロン茶のボトルを捨てる。そして口の周りを拭うとベッドの方に歩き出した。
「誘ったのは君の方じゃないか……」
 僕は服を脱ぎ始めたアユミから目を背けて呟いた。こんな言い方は言い訳っぽくて嫌いだ。自分でも情けないと思う。今にも彼女は怒り出し、帰ってしまうかもしれない。
 しかし次のアユミの言葉は、完全に僕の予想を裏切るものだった。
「アタシだってリョウに言われたんじゃなきゃ、アンタなんか誘わないわよ」
「……何だって? 何て言った?」
 僕は彼女の言ったことが理解できなかった。
 アユミはカッターシャツのボタンを外す途中の手を止めて叫んだ。
「リョウに言われたのよ! アンタと寝たら俺も抱いてやるって! あいつは女を知らないから教えてやれって……そうじゃなきゃ、誰がアンタみたいな浪人男を誘うっていうのよ! どうしてこのアタシが!」
 僕の中で、もしかしたらアユミが僕に好意を持っているのかもという希望が音をたてて崩れた。誘われて以来、僕が今日という日にどれだけの期待と不安を抱いていたか。
 いや、アユミに僕の心情の理解を求めるのは酷というものだ。彼女は常に自分の感覚や価値観のみで物事を考える。そしてそこから導き出される解答、それに続く行動は非常に純粋なものだ。好きな男に抱かれる為に、嫌いな男を誘うくらいに……僕は本当に彼女のことを尊敬すらしている。
 ……しかし、どうしてリョウはアユミにそんなことを言ったんだ?
 椅子に力なく座り込んだ僕の前にアユミが立った。
 彼女は制服を脱ぎ捨て、下着とだぶついた靴下のみを身につけていた。右膝の絆創膏が痛々しい。
「どうするの? するの? ……しないの?」
 アユミの表情は険しく剥き出しの敵意が現れていた。妙な話だが、僕はこの時初めてアユミのことを綺麗だと思った。
 冷静に考えれば答えは一つだろう。アユミとはこのまま何もせず、リョウにはアユミと寝たと嘘をつく。そうすればアユミはリョウと想いを遂げ、僕らの関係にも傷はつかない。もしかしたらアユミは僕に感謝して好意すら持ってくれるかもしれない。
 勿論、寝たりはしないだろうが、いい友達にはなれるかもしれない。
 だがそれは、あくまでも冷静に考えれば……だ。
 その頃の僕は受験に失敗し、浪人生活にも行き詰まっていた。リョウ達の他に特に知り合いと呼べる者もなく、一日に誰とも会話しない日が多かった僕は、人との親密な交流に飢えていた。それが女性とのものであれば尚更だ。
 当時の僕を満たしていたのは果てしない挫折感と孤独感、それに抑えがたい性欲だった。
 僕は人の温もりを必要としていた。
「……約束は守れよ……リョウに言うよ……」
 僕は床に視線を落としたまま呟いた。アユミがあからさまな蔑みのため息をもらす。
「アンタさあ、最低だよね」
 ……僕だってそう思う。

「それで? どうなったの?」
「……別に……やったんだよ」
 微かにドロシーが息を吐くのが聞こえ、ベッドのスプリングが軋んだ。
「よくは覚えていないんだよ……初めてだったし、頭の中が真っ白になって、緊張して……いや、これは違うな。僕の場合そうじゃないんだ。逆に頭は妙に冷静だったよ。緊張はしたけどね。何て言うか、もう一人僕がいて、それが慌てている僕を眺めているような感じだった……そうだ、昔小学校の体育の時にもそんな感じがしたな。僕はクラスで一番運動が苦手だったから、何をやってもうまくいかないんだ。野球とかやってて思うんだよ、どうしてバットを球に当てることくらいできないんだろうってね……あんまり関係ないかな?」
 僕は少し手を伸ばした。ドロシーが近くにいると思ったが、手は何にも触れなかった。
「……まあ、別に慌てたり迷ったりするほど、僕がやらなければならないことはなかったんだ。彼女はもう服を脱いでいたし、ベッドにも寝ていた。少しだけど明かりもついてたから彼女が何処にいるのかもわかった。日焼けしてない部分で、彼女が実は色白だってこともわかったよ。それと彼女が本当に僕のことを嫌悪しているのもわかったね」

 バッターボックスには強い風が吹いていた。さっきまで砂をいじっていたベンチの裏とはかなり違う。
 僕の前にはピッチャーの大柄なクラスメイトがいて、僕をバカにした目で見ていた。ベンチには同じチームの男子と数人の女子、それと担任の女の先生がいて、数人の者が声を出していた。多分、「やればできる」とか「がんばれば打てる」とか言っているのだ。そして僕は、同じベンチに座っている数人の男子が僕の方を諦めたような顔で見ていることに気がついていた。
 運動が得意な彼等はクラスの中心的な存在で、その栄光は教室よりもグラウンドで多く示された。実際、この授業は彼等の栄光を高める為だけにやっていると言ってもそれほど間違いではない。僕は彼等の大半が僕と同じチームにいるので、今日は僕のチームが勝つだろうと考えた。
 彼等は次の打者のことを相談していた。
 その時、僕は自分が打てないということを確信した。
 ……実際にそうなったんだけど。

 アユミはキスをすることを許可しなかった。僕が行為を終えるまでの時間を少しでも引き延ばすことを許可しなかったのだ。
 僕のするべき行為は二つのみとなった。つまり、『入れて』『出す』のだ。例え二人の間に何の愛情も信頼も快楽もなくても、『入れて』『出す』だけで行為は終了を迎える。
 手続きというものは幾らでも簡略化できるものだ。

 初球はストレートだった。ボールは山なりの軌道を描きながら僕の前を通過した。僕はバットを振ったが、かなり振り遅れた。
 ベンチの方から「よく見て打て」と声がかかる。担任の高い声が一番耳に障った。
 僕は自分がやらなければならないことを考えた。ボールを『よく見て』『打つ』のだ。
 二球目は、バットが遥かにボールと違う軌道を通った。
「30cmはずれてたかな?」
 僕はそう判断した。頭の大部分は恥ずかしさとやり場のない怒りで混乱していたが、何故か片隅の方では、そんな自分の醜態を冷静に観察していた。
 ただ残念なことに、この冷静さはボールを『打つ』ことには何も役立たなかった。
 三球目はバットを振る前にボールがミットに到着した。多分、『よく見る』ことに集中し過ぎたのだろう。
 僕はどんな表情でベンチに戻ろうかと考え始めた。

 アユミの体は締まりなく柔らかかったが、包み込むような暖かさがあった。僕は少し安心した。思ったよりもアユミの肌が心地よかったからだ。
 その時、僕はアユミに見つめられていることに気がついた。
 部屋は暗かったので、アユミが本当に目を開けていたのかどうかはわからない。しかし僕には彼女の視線がはっきりと感じられた。そしてその視線には何の感情もこもっておらず、まるで理解の及ばない未知の生物を見つめているようだった。
「目を閉じてくれないか? 見つめられてると何もできない」
「……じゃあ、これでいい?」
 アユミは僕に背を向けると四つん這いになった。
 僕が何も言えずにいると、アユミは急に可笑しそうに笑い出した。声を上げてケタケタと……多分、本当に可笑しかったのだろう。

 野球の試合は、予想通り僕のチームの勝利に終わった。
 お前がいなければ、もっと点が取れてたんだからな、とチームの一人が言った。
 それを聞いていた担任が彼を怒ったが、僕は実際にその通りだと思っていたから別に嬉しくなかった。
 小学校における僕の体育以外の成績は良く、僕は担任のお気に入りだったようだ。しかし僕は担任のことがあまり好きではなかった。彼女は成績で人を判断したし……僕は彼女の丸い顔に張りついたような笑顔が恐かった。

「それでしたわけ? ……どうしてそこまで?」
「知らないよ。DNAに聞いてくれ」
 僕はドロシーの体を探しながら呟いた。
「初めてだったしね……その頃はセックスをすれば何かが変わると思ってたんだ。何かがね」
 確かに気配はあるのに、ドロシーの位置がわからない。その時、僕は彼女が自分のことを魔女だと言っていたのを思い出した。
「……でもね。結局何も変わらなかった……希望がなくなった分、前より酷くなったくらいだ。あっという間に終わったしね。彼女はすぐに帰ったよ。気分が悪くなったって言ってた。本当に何もいいことはなかったんだ。でもね、僕はまだ彼女の体温を覚えているんだ。そして落ち込んだ時にはあの温もりを思い出す……こんなことを言っても彼女は気持ち悪く思うだけだろうけど……それが僕を支えてるんだよ」
 あれからすぐにアユミは学校で問題を起こして退学になり、この町から消えた。聞いた話では地方の親戚の店で働いているらしい。
 彼女は確かに良い生徒とは言えなかっただろうが、問題を起こすような要領の悪い性格でもなかった。何故、彼女がそんなへまをやらかしたのかはわからないが、彼女が幸せに過ごしていればいいと本当に思う。
「笑っちゃう話だよ。リョウなら何て言うかな?」
 その時、僕は不意にドロシーが本当に部屋にいるのか不安になった。
「ドロシー? ……ねえ、聞いてる? 本当にここにいる? ……ドロシー?」
 僕は飛び起きてベッドの上を探した。その時、部屋の窓が開けられた。壁の一部が四角く切り取られ、群青の夜空と入れ代わる。そしてそこには、夜空に背を向けて立つドロシーのシルエットがあった。
「ちゃんと聞いてるよ。アタシはここにいる……心配しないで」
「……そうか、良かった……本当に」
 僕はやわらかな枕に頭を埋めて呟いた。
 その時、何故か涙が自然に零れ出た。
 頬を伝った涙は、自分のものとは思えないほどに暖かかった。







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