第二話「黄色い煉瓦で造られた交差点の話」−2
PM.3:13
銀色のレバーをサードに入れて、リョウはアクセルを踏み込んだ。
マスタングのメタリックボディが咆哮を上げ、命令に忠実に加速する。血のような深紅の車体は夕陽を浴びて更に毒々しく輝き、マスタングは制限速度も振り切って前を走る標的達に襲いかかる。
「すごーい、カッコイイ!」
交差点に差しかかっていたマスタングが流れるような動きで前を走っていたBMWを追い越したのを見て、後部座席の右側に座っていた女が感嘆の声を上げた。
「本当! さっきのBMW、交差点でおたおたしてるよ。下手なのにあんなの乗り回すからだよね」
「言えてるー! それに見た? 助手席に座ってた女、センス悪かったよねえ。ねえ、リョウもそう思うでしょ?」
左側に座っていた女が相槌を打ち、運転席のリョウに尋ねる。
「……ああ、お前達の方が上だよ」
リョウは少しスピードを落とすと、バックミラーに映った二人の女の姿を見た。
リョウは昨夜と同じ黒いコートを纏い、耳には逆十字のピアスをつけていた。車内が暑いせいかコートの襟元は大きく開かれ、窓の隙間から吹き込む風を受けて銀のピアスと共に揺れている。
後部座席に座っている女達の名前はアリカとアイカと言って、リョウが大学で声をかけた二人だ。あまり大学に行かないリョウが二人に目をつけたのは、二人が大学内でもかなり目立つ存在だったからだ。
ハンドルを軽く叩きながら、リョウは二人に尋ねた。
「……ところでさあ、前から聞こうと思ってたんだけど、どうして二人は同じ格好をしてるんだ?」
二人の服装はまったく同じだった。
二人はまったく同じタイトなTシャツと厚手のジャケット、ピンクのジーンズを身につけ、同じ派手な赤のスニーカーを履いていた。襟元と袖に黒いラインの入っている白のTシャツの胸部にはまったく同じ『A』の文字がプリントされ、胸の形まで……おそらくは最新の下着の効果によって……同じだった。
髪型も二人は同じように髪を括り上げ、同じように染めていた。
元々顔立ちが似ているせいもあるのだろうが、二人の顔は精巧な化粧法によって見分けがつかないほどに似通っていた。
数少ない相違点はアリカが右側の耳にハート型のピアスをつけ、アイカが左の耳にダイヤ型のピアスをつけていることと、アリカの方が若干丸顔なくらいだろうか? 正直、昨夜共に過ごしたリョウにだって二人の違いを五つ以上見分けることは不可能だった。
「それはね、リョウ」
アリカがリョウの質問に答えようとすると、アイカがアリカの頬に自分の頬をすり寄せた。
「「私達が親友だからだよ」」
二人の声が重なり、そして同時に笑い出した。
「私ね、初めてアリカちゃんに大学で会った時、すっごく自分とそっくりで吃驚したの。そうしたらアイカちゃんも同じことを考えてたのね」
「それに二人で話してみるとね、趣味とか好きな物とかも同じだったのよね」
「勿論、男の子の趣味もね」
「そうそう、でね、私達は思ったわけよ。私達は親友になる為に生まれてきて、そして出会ったんだって」
「だから私達は同じ格好をして同じことを体験することにしたの」
「……同じ体験?」
リョウが尋ねると、アイカとアリカは交互に喋り始めた。まるで二羽の鳥がさえずっているようだ。
「そう、同じ体験。私達は同じ服を着て同じ部屋に住むの」
「そして同じ景色を見て同じ物を食べるのよ」
「勿論バイトも一緒、講義も一緒」
「ノートなんか半分書けばいいのよ」
「そう、そして男とつき合う時も一緒よ」
「やっぱりいい男は共有しなきゃ、一人占めは良くないわ」
「そうすれば男を取り合うこともないしね」
「男は困らないのか?」
リョウの問いに二人はクスクス笑って答えた。
「確かに最初はみんな戸惑うみたいね、でも結局みんな嫌な顔はしないわ」
「だって二人の女の子と何の問題もなくつき合うなんて滅多にできることじゃないもの」
「二人の女の子と同時にやれるなんて尚更よ」
「ただしデート代も二倍かかるけどね……あ、でもリョウは別よ」
「そうそう、私達リョウの為なら何でもするからね」
「……それは嬉しいな」
リョウはハンドルで軽くリズムをとりながら笑った。
「でもさあ、まったく同じなんて疲れないか? 幾ら友達でもさ」
「「そんなことないよ〜」」
二人は言った。
「私達は友達なのよ、同じ物を共有するのは当然よ。私達は完全に平等なの、だから他の友達みたいに出し抜かれることも裏切られることも喧嘩することもないわ」
「私達は本当の友達なのよ」
アリカとアイカは手を握り合って顔を寄せている。リョウは二人の様子をバックミラーで眺めていたが、不意に口元を歪ませた。
「……でも俺としてはアイカちゃんの方が好みだな」
リョウの言葉に、アリカは瞬時にアイカの手を突き放した。
しかしアイカはアリカにかまうことなくリョウに問いただしていた。
「ねえリョウ、それ本当?」
「ああ本当だ、アイカちゃんの方が可愛いよ」
「やった〜!」
「アイカ! 貴女私を裏切る気!?」
アリカが悔しそうに叫ぶ。しかしアイカは平然と答えた。
「いいじゃないアリカ、これはリョウが言ってることなのよ。それに私知ってるんだからね、アリカがバイトの客と寝たの。あれ私だって狙ってたんだから!」
「それとこれは話が別よ!」
「それにこの前の試験はアリカの方が成績良かったじゃない!」
「あれは当てずっぽうで書いたものがたまたま正解だったのよ! 同じ答案なんてできるわけないでしょ!?」
「知らないわ、そんなこと。おかげで来年もう一度取らなきゃいけなくなったじゃない。どうしてくれるのよ!」
「友達ねえ……」
リョウは呟き、夕陽に照らされて金色に輝く窓辺の日よけを動かしながら考えた。
「そうか、あっちがアイカだったのか……見分けがつくのはいいことだな」
リョウは後部座席で口論を続ける二人を無視して車を走らせた。洪水のように降り注ぐ西日の中を紅のマスタングが突き抜けてゆく。
「……友達……か……」
リョウはもう一度呟いた。
その瞳は何処か遠くを見つめていた。
PM.3:30
「ねえ、あれ若松じゃない? ……ほら」
信号で停車した時に、突然アイカが窓の外を指差した。
しばらく冷戦状態で黙りこくっていたアリカも、アイカにつられて窓の外を見た。
確かに、道路の向こう側にカナがいる。
「ホントだ、若松だ」
「……若松って、若松加奈か?」
赤信号に苛立っていたリョウは振り返らずに言った。
「そう、体売りまくってる高校生。知ってる? あいつヤクザの愛人だって噂だよ。それでヤクを買う為に金を稼いでるんだって」
「そうそう、でもって病気持ちなんだって」
「へえ、それは凄いな」
リョウはいつの間にか口を合わせてカナの悪口を言ってる二人にうんざりしながら呟いた。実際のところ、リョウは二人よりもカナについてよく知っているし……実は数少ない気に入っている者の一人でもあった。
……確か、あいつと仲が良かったよな?
「若松ってさあ、ちょっと可愛いからって調子に乗り過ぎなんだよね。何かこっちを見下してるような態度とるしさあ」
「そうそう、自分は汚いオヤジ達と寝てるくせにね」
「でも今日は若い人連れてるね。私達と同い年くらいかな。私だったら売春してる奴となんか絶対つき合わないなあ。リョウもそう思うでしょ?」
「あ、でもあれって確かリョウの……」
リョウは何気なくカナの方を見、そしてその隣の人物に気づいた。
「あいつ……」
「あの人、確かリョウの仲間でしょ? 言っといた方がいいよ、あんな女とはつき合わない方がいいって」
「そうよ、あんな性格の女は最悪よ」
「…………お前達のほうがよっぽど最悪だと思うけどな」
「え? リョウ、何て言ったの?」
リョウは前方に顔を戻すと、冷ややかに言った。
「降りろ、お前達」
「降りろって……ここで?」
「嘘でしょ? 今日は一緒にスケアクロウに行くって……」
二人は必死にリョウの機嫌を直そうとしたが、リョウの態度は変わらなかった。
「用事を思い出した。それからお前達はスケアクロウに来るな」
「「な、何で〜!?」」
アリカとアイカが声を揃えて悲鳴を上げる。しかしそれがリョウの神経を逆撫でした。
リョウは振り返ると殺気立った目で二人を睨んだ。
「降りろと言ったら降りるんだ!」
「何なの?」
「どうして?」
道路に取り残された二人は、走り去ってゆくマスタングを見送りながら呆然と立ち尽くした。向こうを見るとカナが男と別れて歩いていく。
「あいつのせいだ」
「そうだよ絶対。だってリョウはあいつの話をしたら急に怒り出したんだもの」
「…………」
「どうしてやろうか?」
アイカの言葉に、アリカは近くに落ちていた空き缶を拾った。
PM.3:36
リョウはアクセルを踏んだ。
更なる力を得たマスタングは加速し続け、街はその形を留めることなく後方へと消え去った。
制限速度の標識も、道路案内の掲示も信号も、周囲の車も全て消えていく。
「……畜生、何処なんだここは……」
PM.4:46
『生物の種と言うと常に不変的な物であるように思われるかもしれないが、実は生物を分類するということはなかなかに難しいことなのである。
第一に生物とは何かと考えると、生物とは自分の固有の情報(例えばDNA,RNAなど)を持ち、それを分裂や生殖などの方法によって永久に残していこうとする物質の化合物であり、この点で他の唯一の元素からなる鉱物などの物質とは異なるのである。
つまり生物とは、どういうわけかは知らないが、地球上に誕生した科学物質の結合したものが自分を永遠の存在としようと思い立ったものなのである。であるから生物の特徴とは動くことでも知能を持つことでもなく、自分の情報を残そうとすることなのである。
この考え方を用いれば、動物、植物、細菌、更にはタンパク質のかけらとRNAしか持たないウイルスでさえ同じ『生物』という仲間と言える。更に地球上の生物は一つの大きな系統樹にそって結びつけることができ、その構造も多少の違い……例えばDNA等の情報物質が核によって包まれていないとか、酸素呼吸をしないとか……はあれ、基本的に自身の情報を伝える器官とその情報に従って体を構築・維持する組織で構成される点では変わりがない。もっともウイルスは情報のみの存在であり、体を作る器官を持たない点で異常だが、これはウイルスがある種の生物のDNA等が他の器官から分離した後に独自に活動し始めた物であると考えればよいだろう』
「あの子……カナちゃんだっけ? 可愛い子だったじゃない。どうして拒絶するの?」
「別にいいだろ、そんなこと……それに、どうして君は踊ってるんだよ?」
カナと別れてから、僕らは近くの本屋に入った。特に理由があったわけじゃないが、僕は目についた生物についての本を読んでいた。
店内には軽快なファンクギターとビートが響いている。暇だったのか、ドロシーはラジオから流れている曲のリズムに合わせて踊っていた。
「いいじゃない、踊りたいから踊ってるのよ。それにパティ・スミスは本屋で踊って親友のレニー・ケイと出会ったのよ。知ってる?」
「……知らないよ(誰だよそれは……)」
「こっちの質問にも答えなさいよ。あの子はいい子じゃない、しかもどういうわけか貴方に好意まで持ってる。アタシが貴方だったら即ホテルに連れ込むわよ? あ、これ全米フェミニスト団体には内緒ね。脱退させられちゃうわ」
「…………(入ってるのか?)」
僕はドロシーの質問を無視して本の続きを読み始めた。
『一般的には生物においての種とは互いに交配可能な生物の集団である。原始の海で誕生して以来、生物は様々な形態(植物、動物、菌類etc...それはつまり生物の情報のバリエーションである)をとってきたが、種とは同じ情報を伝える為の仲間であり、その団結は仲間内から突然変異、もしくは他の要因によって交配不可能な個体が誕生するまで続くことになる。
しかし、ここに別の意味の『種』を持つ動物がいる。それは人間による文化的な『種』である。例を挙げてみると、黒人と白人は肌のメラニン色素量の差に代表されるわずかな差しか違いのない、同一の『ヒト』と言う種である。大袈裟に言っても互いに地方種の一つであり、交配も可能である。しかし長い期間、白人と黒人は同じ人間種であると思われていなかった。これは何故か?
もう一つ例を挙げると、同じ人種であり外見上の違いがまったくない二つのグループでも、例えば一方がキリスト教のグループであり、もう一方がイスラム教のグループである場合、互いをまるで人間でないように扱うことがある。この場合、互いを同じ人間だと思わない理由は内包する情報物質の違いではなく、互いの持つ文化の違いである。
人間は地球上で初めて知能を持ち、文化を持った生物である。そして人間はまた、地球上で初めて遺伝情報以外の要因による種の分類をした極めて珍しい生物なのだ。
その場合の分類要因は個体群の持つ文化や生活習慣であり、つまり異なる文化を持つ個体群は互いをまるで別種の生物のように考えるのである。冷静に考えてみたまえ、頭に羽飾りをしていて色が黒くて生で魚を食べているからと言って殺す必要が何処にある?
最後に私がフリーセックス主義者でもヒッピーでもないことを言っておいてこの章を締めくくりたいと思う』
僕は本を本棚に戻した。
読みながら考えたことがある。人間の分類は宗教や言語などの大きな文化の違いだけではなく、ほんの些細な違いによっても起こるのではないかと。例えば好きな野球チームの違いや服の好みの違いによっても、人はまるで別の生物のように扱われることがある。
特にこの国では、些細な嗜好の違いによって小さなグループが形成される。そしてそのようにして形成されたグループは、残念ながら相容れないことが多いようだ。偏差値の違いによっても人間は分類されるし、運動能力の違いによっても、体格の違いによっても分類は起こる。ファッションの知識、会話の巧みさ、女性におけるほんのわずかな頭部の形や体脂肪率の差……最後のことに関しては僕も反省すべきだ。
当然、僕自身も社会的に分類されてしまっている。さしずめ僕の社会的分類は『浪人生、しかもやる気なし』そして街での分類は『リョウのグループのメンバー』だ。それ以外の何者でもない……その分類からは逃れられない。
いつの間にか、僕の後ろではドロシーが踊りながら歌詞を口ずさんでいた。スタイルの良さと動作の派手さが相まって、まるでシプシーの踊り子のようだ。
「何で無反応なのよ、人がせっかく踊ってるのに」
ドロシーは何故か慌てて拍手を始めた近くのサラリーマンの方に手を振ると、次に流れ始めた曲に合わせてリズムをとりながら僕のそばに来た。
「じゃあ、踊らなくたっていいだろ?」
「それじゃあ生きてて面白くないじゃない。人生は楽しまなきゃ」
「それは嫌味かい?」
「勿論」
僕がため息をついて視線を反らすと、ドロシーはステップを踏みながら呟いた。
「まあ、別にアタシが口出しすることじゃないとは思うけどさあ……何て言うか、貴方は妙なことで心を閉ざしてるような気がするから……あ、気に触ったらごめんね」
相変わらずこの女は嫌なところばかり突いてくる。僕は本棚に額を当てると横目でドロシーを見た。……我ながら情けない目をしていると思う。
「僕は誰かを愛したりなんかしないよ……」
「本当?」
ドロシーは僕の目を見ながら尋ねた。僕は彼女の瞳を避けるように視線をずらした。
「そうだよ、僕には誰かなんて必要ない……僕は一人で生きていける。僕に恋愛なんて必要ないよ」
「……それって本当?」
「しつこいなあ!」
僕は乱暴な動作で向き直るとドロシーを睨みつけた。背にした鞄が反動で本棚に当たる。ドロシーは僕の態度に動じたようには見えなかったが、踊るのをやめて静かに僕を見つめた。
「……そういう視線はやめてくれ……僕のことを変な奴だと思ってるのか?」
「別に。ただ……」
「何だよ」
ドロシーは軽く息を吐くと呟いた。
「……そういうことは泣きそうな目をして言わない方がいいわよ」
僕は全身の血が沸騰したような感覚に襲われた。
その後のことはよく覚えていない。僕の両手がドロシーの首をつかんだと思った瞬間、鳩尾の辺りに衝撃を受けて目の前が真っ暗になった。
最後に見たものは、ルビーのように色鮮やかなサンダルだった。
整理して考えると、僕はドロシーに鳩尾を殴られて気絶したらしい。そして彼女は、一人で僕を本屋から運び出したのだ。これでも五十五キロは体重があるのに。
ちなみにこれは後から聞いた話だが、一連の様子を見ていた本屋の店員は、
「……失礼ですが、店内で大声を上げないでいただけますか?」
と言ったらしい。
テレビの評論家ではないが、僕はそれではこの国はダメだと思う。 |