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僕達の惑星へようこそ
作:篠森京夜



第四話「青年と少女が宇宙の旅に出る話」−5


 AM.8:17

 それは不思議な男だった。
 まるで慌ただしい周囲の時間の流れから切り離されたように、彼は静かだった。
 表情も、気配も、瞳の色も……全てが静かだった。

「先輩?」
「……やあ、カナちゃん」
 いつもと同じ少し戸惑ったような沈黙の後に、彼ははにかみ、返事をした。

「先輩、何処に行ってたんですか? 大変だったんですよ、パールさんもカウボーイさんも……リョウさんも……」
「うん……知ってるよ」
 彼は呟き、じっとカナを見つめた。
「腕、大丈夫?」
「えっ……だ、大丈夫ですよ! ほらっ!」
 彼の不思議な雰囲気に呑まれていたカナは、我に返って慌てて腕を振った。
「そう、それは良かった」
 彼は優しく微笑んだ。
 それから彼は備えつけのテレビに目を向けたが、カナは彼を見つめ続けた。
 彼の体からは潮の匂いと……別の女の匂いがした。
 カナは彼が何処か遠くに行ってしまったような気がした。
 胸に大きな穴が開いたようだ。
 ……そんなことには慣れっこだ、とカナは考えようとした。
「ドロシーさんは何処ですか?」
「行っちゃったよ。何処かへね」
 彼は口元に指を当てて小さく笑った。
「ふーん。やっぱりあの人、人間じゃなかったんだ」
 カナはロビーの長椅子に座った彼の隣に腰かけ、わざと強気な口調で呟いた。
「確かに……確かにそうだね」
 楽し気に笑う彼の横顔は綺麗だった。
 元々端正で繊細な顔立ちだったが、怯えや卑屈さといった影がなくなり、目は輝いている。カナはいつの間にか、彼に見惚れている自分に気がついていた。
 彼は変わってしまったのではない。カナは考えた。多分、これが本当の彼なのだ。まだ弱々しくて不安定だが、彼はやっと自分の殻から抜け出して、新たな一歩を歩み出そうとしている。
 ……私がそれを手助けできたら良かったのに。そして、彼にとって特別な存在になれたなら……。
 でも、彼は私の手の届かない所に行ってしまった。
 カナは自分がひどく冷たい所に取り残されたような気がした。

「リョウ……」
 テレビを見いてた彼が、不意に呟いた。
 それは朝のニュース番組で、内容は先程カナが見ていたものと変わらなかったが、カナのいる病院の前から中継が入っていた。
 テレビに映っている建物の中に自分がいるというのは、何となく奇妙な気分がする。
「リョウは無事なのか?」
「怪我は酷いけど、そんなに悪い状態じゃないそうです。この病院の何処かにいるはずですよ」
「そうか……」
 その時、カナは不意にリョウの行動の理由がわかったような気がした。
「先輩」
「何?」
 カナは彼にもたれかかりながら呟いた。
「リョウさんは……先輩のこと……好きだったんでしょうか?」
 彼の体が一瞬緊張するのが感じ取れた。しばらくの沈黙の後、長々と息を吐ききり、呟く。
「……多分、そうだったんだろうね」
「…………愛してたと思います?」
 カナは彼の顔を覗き込むようにして尋ねた。
 彼は落ち着いた目でカナを見た。
「そうかもしれないけど……肉体関係を望んでたとは思えないな。何て言うか……」
 彼は少し考えてから言った。
「何て言うか、リョウは寂しかったんじゃないかな? リョウは誰かを求めてたんだ。でもそれは、愛情とか欲情とかいうものとは少し違うと思う……言いにくいけど、わかる?」
「わかります……とても」
 カナが言うと、彼は少し寂しそうに笑った。
「そう……でも僕は、それを受け止めてあげられなかった」
「そんなことないですよ」
 カナは呟いた。
「あの人は他人を独占することでしか愛情を示せない人です。ただの我侭です」
「でも人は一人では生きられない。誰かと関係しなければ生きていけないんだ。例え、それがどんな方法でもね」
 彼は誰かと似た台詞を言った。その台詞は、カナの頭の中に嫌な記憶を呼び起こした。
「先輩も……そう思いますか?」
「何を?」
「人は誰かと一緒でないと生きていけないって」
「…………ああ」
 彼はカナの体を優しく抱き締め、囁くように言った。
「さっきね。ドロシーと別れてから、ある人に会ったんだ。その人は口では嫌なことばかり言うけど、本当はとても繊細な人なんだ。僕はその人を駅まで送ってあげたんだけど……車の中でずっと泣いてたんだ」
「どうしてですか?」
 彼のカナを抱き締める力が少し強くなった。
「それはよくわからない。ただ、今まで自分が傷つけてきた人に謝りたいって言ってたよ。今まで自分が愛していたのに心を打ち明けられなかった人に……って。それからこんなことを言っていた」
 彼は一息ついてから言った。

「世界中に愛と平和がもたらされることを……人と人とが本当にわかり合える世界が実現することを」
「変な人……」
 カナは吐き捨てた。それとよく似た台詞にも嫌な気分がつきまとっていたからだ。
「そうでもないよ」
 彼は呟いた。
「その人は、ただ他人が恐いだけなんだ。本当は誰かを愛しているのに、素直にそれを伝えることができないんだよ」
「そんなこと……あるんでしょうか?」
 カナは彼の顔をじっと見つめた。彼はカナを見つめ返した。
「僕も人が恐くて仕方がなかった。実を言うと、カナちゃんのことも恐かったんだよ」
「……それ、本当ですか?」
 カナは少し驚き、
「うん、ずっと誰もが恐かった。ずっとね。でも心の中ではわかってたんだ。僕は一人では生きられない。でも誰も僕と共にはいてくれない……愛してなんかくれないと思ってた」
「そんなこと……そんなことないですよ!」
 体を起こして彼の目を見つめた。
「……そうだね。そんなこと、ないんだね」
 彼はゆっくりと目を閉じ、掠れる声で呟いた。
「何を怖がってたんだろう、僕は……誰かに愛されたかったら、自分から愛せばいいだけなのにね」
 そして彼は、何処か遠くの方を見つめるようにして言った。
「カナちゃん、前に君はエンタープライス号に乗りたいって言ってたよね?」
「ええ。でも冗談ですよ?」
 カナが言うと、彼は本気とも冗談ともつかない表情で言った。
「思うんだけど……僕達はもう、スタートレックの世界にいるんだよ」
「??? どういうことですか?」
 カナの疑問の眼差しに微笑みを返し、彼は穏やかな口調で続けた。
「この世界は星の海……一人の人間は一つの星だ。僕は『僕』という星のたった一人の住人で、星と共に宇宙を旅するんだよ。人間は一人一人、宇宙人だ。皆、自分の星に住んでいる。一人が一つの文化や歴史を持っていて、それぞれ別の考えを持っている。同じ星は一つとしてないんだ。星は旅の途中に別の星と巡り会う。星と星は仲良くなって交流したり……うまくいかなくて戦争をしたり……ただすれ違うだけの時もある。ただ、どんなに仲が良くなっても、どれだけの時を共に過ごしても、二つの星は同じになったりはしない。だって、星は一つ一つ違うんだからね」
「悲しい考え方ですね」
 カナは呟いた。
「そうでもないよ」
 彼は言った。
「僕達はスタートレックの世界にいる。僕達は自分の星を動かして宇宙を旅するんだ。ワクワクしない? 宇宙は広いんだ。これからどんな星の住人と出会えるかってね」
 彼の瞳に綺麗な光がともった。
「『宇宙は最後のフロンティア』だよ……僕らの旅は、まだ始まったばかりなんだ」
 カナは少しうつむいて黙っていたが、不意に顔を上げると彼の手を取った。
 そしてそのまま彼の手を自分の胸に押しつけた。
 彼が一瞬動揺し、困惑した表情を見せる。
「いつか……私の星に来て下さい。正式に御招待します」
 彼の手のひらの温もりを感じながら、カナははっきりとした口調で言った。
「そして一緒に旅をしましょう。……宇宙を」

 その時、ロビーの横を賑やかに騒ぎながら、田島親子と桜田が通った。
「あの人は」
 彼が長椅子から立ち上がった。
「いけません、先輩!」
 カナは彼の手をつかんで止めた。
「いけません、先輩。あの人は……」
 彼は振り返り、少し戯けた口調で言った。
「謝ってこなくちゃ。リョウの分もね」
「そんな……」
 彼はカナの手を握り返し、穏やかに微笑んだ。
「さっきの言葉、嬉しかったよ。いつかきっと、カナちゃんも僕の星に来てよ。あんまり居心地のいい所じゃないと思うけどね」
 彼はカナの制止を振り切り、田島の方に歩き出した。

 カナは歩き去る彼の後ろ姿を見つめていた。
 彼からは別の女の匂いがした。多分、心もその女のものだ。今更自分が何をしても無駄かもしれない。カナは自分が交渉の場に出遅れたことを悟った。
 しかし。
 ……しかしだ。
 カナの心の中で、何かがまだ諦めてはいけないと言っていた。例え不利な交渉であろうとも続けるベきだと。そして交渉が成立すれば、きっと大きなものを手に入れられるだろうとも。
 それが何なのか、はっきりとはわからない。
 いや、多分簡単な単語で言い表すこともできるのだろうが……言葉にしてしまうと、きっとつまらなくなってしまうだろう。
 カナは自分のボキャブラリーの中から、その言葉を探すのをやめた。
「あ〜あ、本気で好きになっちゃったかな?」
 カナは大きく伸びをして呟いた。







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