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白いしっぽと私の日常 作者:クロサキリク

本編

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48 白いしっぽと夏の影


「白い犬神と青い切子」の途中ですが、息抜きの短編を差し込みます。
 お盆も過ぎて、少しひんやりとした話が書きたくなりました。

 それは、小学四年生の夏の出来事だ。



 軒先に下げた風鈴が、リーン、と涼しげな音を立てている。
 夏休みの宿題を終え、三時のおやつに水饅頭を食べた後、私は縁側で一人ごろごろしていた。うつらうつらとしているうちに、いつの間にか寝入ってしまったのだろう。
 目を覚ますと、お気に入りの水色のふわふわタオルケットがお腹の上に掛けられていた。祖母が掛けてくれたのだろうか。目元を擦りながら起き上がった私の頬を、夕時の風が撫でる。
 お盆を過ぎたばかりであるが、庭の池と緑を抜ける風は涼しく感じられる。袖の無いワンピースだけでは、少し肌寒い。
 タオルケットを肩にかけ、私は縁側に座った。
 午後五時を過ぎてもなお日差しは強いようで、赤味がかった陽の光が、庭の木の下に濃い影を作っている。

 リーン。リりーん。

 風鈴が風に揺れる。
 いつもよりも音が大きく聞こえるのは、家の中が静かなせいだ。
 元気に駆け回る妹の声も、はきはきと注意する姉の声も、結局喧嘩になる姉妹を諌める兄の声も、家の中に響くことは無い。兄妹を見守る寡黙な父の姿も、凛とした母の姿も、見当たらない。
 私と祖父母を除く家族が皆、大神おおがみ本家に行っているからだ。

 犬神筋一の名家であり、本家と呼ばれる大神おおがみ家。
 お盆の時期になれば、犬神筋の一族の大きな集まりがあるらしく、ほとんどの者が参加するらしい。
 しかし、私は一度も大神本家に顔を出したことは無い。それもそうだろう。

 犬神を見る力の無い娘。
 能力無し。

 毎年白瀬の家に顔を出す分家の従兄弟いとこ達から、何度そう言ってからかわれたことか。

 ――お前なんか、大神本家に呼ばれるわけないだろ。

 従兄弟の一人が言った言葉に激怒したのは兄妹の方で、私は実感が湧かずに喧嘩を止めることしかできなかった。
 大神本家の事は聞いたことはある。だけど、犬神も霊もほとんど見えなくて、自分の犬神のしっぽだけしか見ることができないのは事実だ。犬神使いや本家に憧れを抱く前に、そのステージに私は立っていないのだから、羨ましいという気持ちも薄かった。一度も“お呼ばれ”されたことがないことも、悔しいとか腹が立つとかよりも、むしろ淋しかった。
 数県離れた場所にある大神本家に行くには、片道五時間以上かかる。そのため、旅程は一泊二日になり、二日間だけとはいえ、家族と離れ離れになってしまうのだ。
 去年までは幼い妹の莉緒りおも一緒に家に残っていたのだが、今年は小学校に上がったこともあり、初の“お披露目”として大神本家からも声が掛かったようだ。
 しかし莉緒といえば、朝に出かけるときに最後まで『いーやー!おねーちゃんもゆっきーもいっしょにいくのー!!』と駄々をこねていた。ぐずぐずめそめそになって私にしがみ付く莉緒を、姉と兄が苦労して引っぺがしていたものだ。そういう姉と兄も『お土産何がいい?』『たくさん買ってくるからな』と車に乗るまで私に構って、父と母を苦笑させたものだった。

 朝の騒動を思い返して、くす、と笑いが零れてしまう。
 優しくて、大好きな家族。
 だけど――

 チャンネル争いの無いテレビも。
 独り占めできる祖母お手製の水饅頭も。
 一人ぽつんと座る広い縁側も。

「淋しいなぁ……」

 膝を抱えて呟くと、脚に柔らかいものがすり寄ってくる。
 タオルケットよりも毛足の長い、ふさふさの白いしっぽ。
 すりすり、が、ぐいぐい、と強く押してくるのは、自分ぼくがいるよと主張したいからだろうか。

「……そうだね。私には、雪尾がいるもの」

 私の犬神。しっぽだけの、白い犬神。
 いつも側にいるとわかった時から、もう淋しくなくなったのだ。
 贅沢言ってちゃいけないな、と私は雪尾のしっぽをわしゃわしゃと強く撫でる。

「そうだ、明日はおばあちゃんと一緒に牛乳かん作ろうかな」

 ほんのり甘い、優しい味わいの牛乳入りの寒天は、私でも手伝える簡単なおやつだ。
 寒天の中には缶詰の蜜柑を入れて。残った牛乳は練乳で少し甘くして、冷やしてから雪尾にあげよう。
 明日の素敵な予定を浮かべながら、ふふ、と笑いを零したときだった。

 ――りんっ。

 風鈴の音が、短く途切れた。
 同時に、手の下にあった白いしっぽがぴくりと跳ねる。
 さあっ、と頬を冷たい風が撫でて、私は思わず風の吹く方を見やった。
 誰もいない庭。池の水面が、風で揺れて小さな波を作る。
 池の近くの木陰を見れば、木の影の側に何かの影が見えた気がした。
 初めは気のせいかと思ったが、目を凝らせば影の濃さが違うことに気づく。同時に、頬に触れる空気が夏とは思えぬほどに冷たくなっていることにも。

「――お嬢さん」

 声が聞こえる。
 男でも女でもない、ぼやけた響きの声は、妙にはっきりと私の耳に届いた。

「白瀬のお嬢さん。目無しのお嬢さん」

 霊じゃない。
 霊を見る力も無いのに、なぜかそれがわかった。だが、私には霊よりも恐ろしいものに思えた。
 返事をしちゃ駄目だ。これは、よくないものだ。

「こっちにおいでなさいな。お嬢さんにふさわしい場所を、用意していますよ」

 地面に伸びた影が、人の形を取り、手の形を取る。
 ゆらゆらと、招くように手の影が動く。

「アタシらには、お嬢さんが必要なんです。さあ、いらして下さいな」

 伸びた手の影が、蛇のように這って縁側へと近づいてくる。
 嫌だ。怖い。
 逃げたいのに、身体が動いてくれない。

 ぐるる、と傍らで低く唸る声がして、ぱんっ、と弾けるように空気が震えた。
 しかし、手の影は一瞬止まっただけで、じりじりと縁側の影へと潜り込んでくる。見えなくなった手の影に不安と恐怖が募る中、声がまるで耳元で囁くように響く。

「無駄ですよぅ。こっちもそれなりに準備したんですからぁ」
「っ…」

 タオルケット越しに肩を掴まれて、私は悲鳴も出せずに身を強張らせる。

「さぁ、目無しのお嬢さん。アタシと一緒に――」

 まるで氷のように冷たい手。
 ず、と引っ張られる感覚に息を呑んだそのときだ。

わしの孫に触るでないわ!」

 しわがれながらも鋭い一喝が、辺りに響き渡った。

氷雨ひさめ!」

 声と共に、私の周囲に大きな風が巻き起こる。何かが通り過ぎたのだ、と気づいた時には、肩に掛けていたタオルケットが飛ばされて数メートル離れたところに落ちていた。
 茫然とする私の傍らで、ぎっと板が鳴る。膝を付いて私を抱きしめたのは、浴衣を着た祖父だ。白地に紺縞の木綿の生地が目の前にあり、思わずそれにしがみ付く。

「……もう大丈夫じゃ」

 祖父は厳しい声を緩めて、かたかたと震える私の肩を強く抱きしめた後、あやす様に背中を擦ってくれる。
 伝わってくる温かな体温にようやく震えが止まった私の耳に、再び風鈴の音が届く。カナカナカナ、と高く物悲しいヒグラシの鳴き声が、夏の夕暮れを戻してくれる。

 手の影は、もう見当たらない。
 祖父と犬神が追い払ってくれたのだとわかって、ほっと息を零した。

「おじいちゃん……今のって、何…?」
「ふむ……」

 しかし祖父は答えずに、厳しい顔で眉を顰めて何か思案しているようだった。
 ふと、祖父と私の間にぐいぐいと割り込んでくるものがある。雪尾だ。雪尾は心配するように身体の周りをぐるぐると回って白いしっぽを押し付けてきた。

「雪尾…」

 ぎゅっとしっぽに抱き着く私の傍らで、祖父が小さく呟く。

「当主や筆頭犬神が居ない時を狙って来るとはな……小賢しいことをするものよ」
「おじいちゃん?」
「……いや、何でもない。それよりも、雪尾」

 祖父は私の腕の中にいるしっぽを、じろりと睨み下ろす。

「お前は、力の使い方を覚えた方がいい。そのままじゃ、守りきれんぞ」
「え?」

 きょとんとする私の腕の中で、白いしっぽも戸惑ったように揺れた。



 翌日、大神本家から帰ってきた父母や兄妹に散々に心配された。祖父と父は何やら難しい顔で、その晩は夜遅くまで話し合っていたようだ。
 さらにその数日後には、大神本家の方から使いの者が来て、なぜか私にお詫びだと菓子折りを渡してきた。戸惑ったものの、珍しい洋菓子の詰め合わせは単純に嬉しく、兄妹と分けて食べたものだ。


 奇妙な夏の出来事は、お盆が過ぎる度に思い出す。
 そしてふと、足元を見やるのだ。

 あの黒い手の影が無いことを確認して、白いしっぽが側にあることを確認して。
 私は今日もほっと安堵の息を零すのだった。
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