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白いしっぽと私の日常 作者:クロサキリク

本編

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14 白い犬と眼鏡の彼女とスーツの男


 大学の講義が終わった放課後。
 図書館の二階で課題用の資料を探しながら、手すり越しに一階を見下ろす。
 カウンターで年輩の女性を相手にパソコンを操作しているのは、眼鏡をかけて緑色のエプロンをつけた女性職員だ。
 本を探しているのだろう、プリントアウトした紙を手に女性職員はカウンターを出る。年輩の女性を連れたって行く後ろ姿を見送っていれば、彼女の足元でうろうろしていた白い大きな犬が顔を上げた。
 青い目がじーっとこちらを見上げてくる。

 どうやら、彼女よりも先に彼の方が気づいてくれたらしい。

 体の陰でこっそりと手を振れば、白くてふさふさのしっぽがぱたぱたと揺れる。
 かと思ったら、犬は床を軽く蹴り、俺に向かって高く跳んできた。

「おわっ…」

 急接近されて思わずのけぞり、小さく声を上げた。最近は慣れてきたものの、やはり自分の顔よりも大きい犬の顔が目の前にくるとびびる。
 二階の手すりの上に降り立った犬は、得意げにしっぽを振った。悪戯が成功したのを喜ぶ子供のようで、ふっふーん、と声が聞こえてきそうだ。

 …へえ、そうくるか。

 それならば、と俺はにっこりと笑ってみせる。

「雪尾さん、面白い映画があるけど一緒に見に行きますか?」

 小声で尋ねれば、白い耳がぴっとはねた。




 逃げだそうとした雪尾さんを「冗談ですって」と引き留める。
 耳を伏せて警戒する青い目がどこか恨めしげに見てくるのは、数週間前に一緒に見たサスペンスホラーの映画が彼のトラウマになっているからだ。

 俺自身もある意味トラウマだ。
 あの日、犬神なのにホラー映画を怖がるなんて、と呆気に取られた後、襲ってきたのは強烈な笑いだった。
 本物の霊を追い払う姿は格好いいのに、偽物のゾンビを超がつくほど怖がる姿はそれはもう悶絶ものだったのだ。
 笑いを堪えるために長い時間腹筋に力を入れていたせいか、翌日の筋肉痛がそれはそれはひどかった。
 だからできれば両成敗にしてほしい。 

「ごめん、雪尾さん」

 謝ると、大きな犬は伏せていた耳を上げてふんと横を向く。しかしそのまま立ち去ろうとしないところを見ると、つれない態度はポーズのようだ。
 その姿も可愛くて笑いそうになるのを堪えていれば、階下に彼女の姿が見えた。
 雪尾さんもいることだし、俺に気づいてくれるかも、と期待しながら手すりに肘をついたときだ。

 カウンターに戻ろうとした彼女の側に、男性が足早に近づいた。
 スーツを着た若い男性だ。
 背が高く、彫りの深いはっきりした顔立ちの男性は、俺よりも年上に見えた。彼女と同じ年くらいのようだ。
 興味を引かれて眺めていると、男性に話しかけられた彼女はしばし固まり、見るからに狼狽えていた。
 変な男にからまれているのかと思い、俺が階下に降りようとした矢先、彼女が上を見た。
 雪尾さんを探していた彼女は、その横にいる俺に気づいて驚いたように目を見開く。とりあえず手を振れば、彼女はわたわたと手を胸の前で動かした後、遠慮がちに手を振った。
 可愛いなあ、と思って見ていれば、隣にいたスーツの男性が彼女に再び話しかける。
 どこか苦い笑みを浮かべた男性の言葉は聞こえなかったが、彼女はぽかんと口を開けた後、一気に顔を赤くする。
 違うよ、そういうのじゃないの、とかすかに聞こえる声に、俺は階下に降りようと身を翻した。雪尾さんはといえば、階段に向かう俺を後目に、一人でさっさと手すりから一階へと飛び降りていた。




 カウンター前にできるだけ急いで向かえば、彼女と男性が話している最中だった。
 割り込むには躊躇する空気だ。どうやら男性は一方的に絡んでいるわけではないようだ。二人とも見知った仲なのだろう。
 いったい何者なのか、と少し離れた位置に佇めば、男性は俺に気づき、「どうも」と気軽に声を掛けてくる。有能な爽やか営業マン、できる男という感じだ。
 イケメンだな、と自分のことを棚に上げて客観的に見ていれば、彼は人当たりのいい笑みを浮かべる。

「君、こいつの知り合い?」

 こいつ、と言って彼が指さすのは、側にいる眼鏡の彼女だ。
 ずいぶんと気安い呼び方をするものだ。ちりっと胸の奥がざわついたが、俺は笑顔で頷いてみせた。

「はい。仲良くしてもらってます」

 雪尾さんを通じて知り合った、喫茶店うちの常連さんであることは言わずに、意味深にぼかした言い方をすれば、男性は少し笑みに陰を見せる。

「…そうか」
「あの、木嶋君。私、もう…」
「ああ。ごめんな、仕事中に。外のコーヒーショップで待ってるから、終わったら声掛けてくれると助かる」
「う、うん」

 頷く彼女は、俺の方にも視線を向ける。
 困ったように伏せられる目。頬がわずかに赤い。気まずそうな彼女に、胸の奥のざわめきが強くなるが、それを顔に出すことはしない。

「…じゃあ、俺は席に戻ります」

 笑顔で言って、俺は二階に戻るために階段の方へと向かった。



*****



「――少しいいかな」

 席に戻ってしばらくした頃だ。
 課題に集中できず、適当に資料を広げて眺めていれば、声を掛けられた。
 横を見れば、先ほどのスーツの男性が立っている。

「…何か用ですか?」

 ていうか、外に出たんじゃなかったのか。

 疑問は視線に含まれていたのだろう。男性は「あいつの働いている所、少し見学しててさ」とさらりと答える。今度は『あいつ』ときたもんだ。

「そしたら君を見つけて、少し話してみたいと思って。時間あるかな?」
「ありますよ」

 これ以上この場でもやもやとしていても、課題が進むとは思えない。むしろ、集中が切れるきっかけとなった男と話した方がすっきりするかもしれない。
 どうせもう少しで閉館時間だし、と俺は机の上に広げていた本を片付けた。




 男性が向かったのは、図書館の隣にあるコーヒーショップだった。
 立春を過ぎたとはいえ、まだ冬の気配を多分に残した暮れの空気は冷たく、煌々と明かりがついた店内へと入る。
 何を飲む?と聞かれて、男性が奢るつもりなのだとわかった。男性はさらりと「課題の邪魔したお詫びと、時間割いてもらうお礼だから」などと言葉を続け、自分で買うという俺の言葉を封じた。
 他人をペースに巻き込むのがなかなか上手い人だ。さりげなく気を遣わせないイケメン。相当女性にモテるだろう。感心しながらも、それならばと開き直ってカフェオレを奢ってもらった。
 窓際の外から見えやすい位置の席に座り、男性は俺を正面から見て自己紹介する。

「俺は木嶋だ。木嶋隼きじま しゅん。よろしくな」
「俺は高階たかしな……めぐむです」

 名前を言うのは、少し苦手だ。
 小さい頃は、女の子のような顔立ちの上に、さらに女の子みたいな名前でよくからかわれていたものだ。恵という名前は、女の子の名前を付けた方が男は丈夫に育つという祖父の一言により決まったらしい。
 案の定、木嶋と名乗った男は、言葉には出さないが俺の方を物珍しそうに見やる。その視線を無視して、俺は話題を切り出した。

「それで木嶋さん、俺に何の話があるんですか?」
「あ、ああ。ええと……君が、あいつと仲良さそうだったから、ちょっと気になって。その……もしかして高階君は、あいつの彼氏?」
「っ…」

 カフェオレに口を付ける前でよかった。口に入れていたら吹き出すか噎せるかしていたな、と思いながら俺は返答に詰まる。

 彼氏ではない。
 でも喫茶店の店員と常連さん、と言うのも淋しい。

 一緒に映画を見に行ったのだから、知人よりは親しい友人…でいいのだろうか。それとも、雪尾さんが見える者同士、か。
 後者はさすがに言えないと考えながら、時間を稼ぐために逆に聞き返した。

「…そう言うあなたは?」
「俺は…あいつの幼なじみだ。小中学校のときの同級生だよ」
「へえ…」

 なるほど。彼女の幼なじみだったのか。てっきり元彼か何かかと思っていたので、ほっとした。

 ……あれ。
 ほっとした?何で俺がほっとするのだろう。

 少しもやもやとしていれば、木嶋さんが訥々と話し始める。

「初対面の人に言うのも何だけど、俺、あいつと喧嘩別れみたいな感じになってて」
「喧嘩、ですか?」
「喧嘩…にもなってないか。俺が一方的に傷つけたみたいなもんだから」

 木嶋さんは苦い笑みと共に肩を落とす。

「この間、友達の結婚式で久しぶりに会って、仲直りできないかと思って。でも、実際会うと上手く話せないな。俺といると、あいつ緊張するみたいだし」
「そうですか…」

 彼はそこで目線を上げて、俺の方を見た。

「少し、変なことを聞いてもいいかい?」

 彼氏かどうか、また聞く気だろうか。
 俺が内心で構えると、木嶋さんは少し躊躇った後、口を開く。

「……君は、あいつの側に犬がいるのを知っているか?」
「……」

 驚いた。
 木嶋さんの言う『犬』は、おそらく雪尾さんのことだろう。
 なら、彼も俺と同じように見えているのだろうか。

 答えは否だ。

 何せ、その犬は今現在――俺の隣に座って大きな欠伸をしているのに、彼はまったく気づいていないのだから。

 木嶋さんがどういうつもりで尋ねているのかは知らない。
 だが、俺は正直に答えた。

「はい、知っています」
「……そう、か」

 木嶋さんの目に陰りが差す。

 君はあいつの言うことを信じたんだな――

 そう呟く声は、どこか羨ましそうで、そして淋しそうだった。

 ……ああ、何となく、彼女と木嶋さんの関係が、わかった気がする。

 信じるも何も俺の目にはその犬が見えているから、とは言えなかった。
 だって木嶋さんは、俺には犬が見えていないと思っている。その上で、彼女の言葉を信じることができる人物だと思っているから。

(…ずるいな、俺)

 最初から優位にいることを知られたくない。知られたら、きっとこの人は彼女を諦めない。
 同じスタートラインに立てば、負けそうな気がした。
 だから、最初から牽制しているのだ。

 狭量で小さい。
 姑息な打算だ。

 反省しながらも結局俺は何も言えず、ただ黙って木嶋さんを見つめた。



*****



 彼女がコーヒーショップの前に現れたのは、それから15分ほど経った頃だった。
 暇そうに天井の梁の上に寝そべっていた雪尾さんがぴんと耳を立てて入り口の方へと向かう。
 木嶋さんも席を立ったので、俺もその後を追った。

 木嶋さんは彼女を連れて、道端で話し込んでいる。
 俺は離れた位置でそれを見守った。俺の足元では、なぜか雪尾さんが待機している。雪尾さんも二人の話に入るのを控えているようだ。
 やがて、「あのときはごめん」「助けてくれてありがとう」と風に乗って声が聞こえた。
 暗くてよく見えないが、彼女は口に手を当てて俯き、小さく首を横に振っている。

 ……泣いているように、見えた。

 俺の足が前に出るよりも、雪尾さんの方が早い。
 一っ跳びで彼女の足元にすり寄り、どうしたの、どうしたの、と言うように上を見上げている。
 それを見て、さらに彼女は顔を覆ってしまった。

 俺は迷わず足を向けて、二人に近寄った。

「どうしたんですか?」
「高階君」

 木嶋さんは眉を八の字にして俺を見やり、やがて小さく息をついた。

「ごめん、こいつを頼んでいいかな」
「……はい」
「本当に悪かった。もう来ないようにするから…」

 後半の台詞は、彼女に向けられたものだ。
 すると、彼女は顔を覆ったまま首を横に振った。

「違うの、木嶋君……私こそ、ごめんなさい。……ちゃんと教えてくれて……信じてくれて、本当に、ありがとう……」
「……」

 涙混じりの声は小さかったが、木嶋さんにも届いたようだ。
 木嶋さんは驚いたように目を見開き、やがてくしゃりと泣き笑いのような表情を浮かべる。

「いや……俺の方こそ、話聞いてくれて、ありがとう」

 彼はそれだけ言うと、じゃあまたな、と手を振って去っていった。






 鼻を啜る彼女の手をゆっくりと引きながら、俺は一番星の輝く空を見上げる。
 胸に抱くのは木嶋さんへの罪悪感と優越感だ。
 俺って小さい男だなぁ、ともう一度反省していれば、俺と彼女の間にぐいぐいと白い犬が大きな体を割り込ませてくる。
 慰めてくれているのか、それともやきもちをやいているのか。
 くすっと笑いをこぼせば、隣でもふっと息をこぼすのが聞こえた。

「…少しは落ち着きましたか?」
「……はい、ごめんなさい」
「あなたが謝ることはないですよ。悪いのは泣かせたあの男です」

 冗談混じりに言うと、彼女はすぐ狼狽えた。

「え、ち、違います、木嶋君は悪くなくて、私が…その……」

 言いづらそうな彼女に、俺は軽い調子で答える。

「無理に話さなくていいですよ。機会があれば、話してくれたら嬉しいです。……ところで、一つ聞いてもいいですか?」
「は、はい」
「図書館で、木嶋さんに何か言われましたか?真っ赤になってましたけど」

 その問いに、彼女は泣き顔をさらに赤くして口を開閉させた後、消え入りそうな声で言った。

 俺と付き合ってるのか、と聞かれたと。

「ご、ごめんね、誤解されて…」
「いいえ、気にしないでください」

 むしろ誤解されたままでいいですよ、と口には出せない。そこまで面の皮を厚くすることはできなかった。
 それに、言ってしまったら彼女との関係が変わってしまいそうだ。

 今はまだ、このままで―― 

 そう願う俺を、青い目が静かに見上げていた。
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