第YON獣四話 ゆめ
血の臭いで目が覚めた。
体の節々が痛い。悪い夢でも見たのだろうか。忘れてしまった。
眼前に、虚空を見上げるだけの物言わぬ男がいた。
チャンドラセカール。鬼の形相で自身の胸を掻き毟り、いまわの際、死を拒絶し叶わなかった男。俺という悪魔に出会ったのが運の尽きだった。
「ピンチになるどころか、圧倒的に俺の勝利じゃねえか。言っただろ、俺一人で十分だって」
誰に向かって言ったわけでもない。聞こえているのは、辺り一面に広がる骸の山だけ。
夢ではなかった。
刃こぼれだらけの自分の剣を朝日に翳す。べっとりとついた血糊と脂で、光沢の欠片もない。外套の裾でその曇りを乱暴に拭うと、ガタがきはじめた鞘に戻した。
瓦礫の上に立ち、砦の奥を望むと、山奥に繋がる深い森へ続く道があった。
次の獲物はあの奥にいる。
俺は、言うことをきこうとしない自分の足に鞭打った。
森の街道は静かだった。深い闇に閉ざされ、風のざわめく音も、命あるものの囀りも聞こえない。ただ自分が踏みしめる土が啼く音だけだった。多くの魔物が行き来しているはずの街道にも、疎らに行く手を遮る蔦や低木で溢れている。俺はそれらを薙ぎ払いながら、剥き出しの頬にいくつもの擦り傷をつけながら、奥へ進んだ。
声が聞こえてくる。
道が開け、陽の光が差し込んだ。
両側に門のようにそびえ立つ岩場のある、開けた草地に差し掛かった。道は鉄枠の巨大な扉で塞がれ、岩場の中腹にある物見櫓で二人の牛頭男が話し込んでいた。
「魔王の住処はこっちでいいのか?」
二頭は、ぎょっとした顔をこちらに向けた。言葉は話しているが、何を言っているのかわからない。おおかた、昨日壊滅させた砦からの連絡が来ないことを話し合っていたのだろう。
「東の砦は俺が潰した。ここも勝手に通らせてもらうぞ」
牛頭男二頭は、ずどんと大きな音を立てて、物見櫓から飛び降りた。その手には巨大な戦斧が握られていた。低い唸り声と共に、二頭は俺めがけて走り寄ってきた。
呪文を完成させた俺は、何事も無かったようにその場を通り過ぎる。
完全に炭化した二つのモノは、風に晒され、さらさらと崩れ去った。
さらにもう一度、呪文を唱える。
道を塞いでいた鉄の扉が、まるで沸騰する水のような音を立てて蒸発しはじめた。溶けた鉄が赤く光を放って草を焼き、岩肌を塗り固める。
灼熱。
扉の奥に続く道は、地獄だった。俺が放った呪文がすべてを焼き尽くし、溶けかかった岩肌が蚯蚓の巣のごとくなめらかな曲線を描いていた。視線の遙か先には、地平線が見えた。すべてをえぐり去っていた。
「すばらしい《BRAVO》」
拍手の音。そいつは、目の前に浮かんでいた。
「すばらしい《BRAVO》」
宙を舞う仮面の道化師。水平線まで山をえぐる俺の呪文を食らっても、その仮面の微笑と同様に平然としていた。
「その力、是非、我らのために役立てたいと思わないかい?」
「…魔法がダメなら剣ならどうだ」
高速飛翔呪文詠唱、既に、俺の剣は奴を貫いていた。
確かに手応えがあった。
「バカな小僧だねえ」
するりと仮面がはがれ落ちた。その下は見覚えのある顔だった。
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