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ある日、魔王を倒したあかつきには、我が国の姫をやろうと国王が言った

作者:ぶちこ

 「申し訳ありません、ソフィア様。私は彼女と出会って真実の愛に目覚めたのです」

 そう言って彼は、ラトレアの聖女だと紹介された少女の腰を抱き寄せる。
 彼女とは、長い旅の最中に出会ったのだとも彼は語った。

 ソフィアは、寄り添い合う二人の姿をただ呆然と見つめていた。

 つい半刻ほど前、魔王を打ち倒した彼に、限りない称賛の言葉を贈ったばかりだった。
 そのあと、私的な話があるからと、再びソフィアの元を訪れた彼は、一人の女性を連れ立っていた。

 そして、先ほどの言葉を浴びせかけられた。

 「ですから、貴女と結婚することはできない」

 ソフィアは呆然としながらも、あることを思い出していた。

 そういえば自分は、魔王討伐の褒美として救世の勇者に与えられるはずだったのだと。



*****



 ある日、魔王を倒したあかつきには、我が国の姫をやろうと国王が言った。

 それは、一国を担う為政者として、正気を疑う発言だった。

 我が国の姫――国王の一人娘ソフィア本人も、前もってそれを聞かされた時は、何を考えているのかと父を詰ったが、よくよく聞いてみれば悪くない話だった。

 この世界には予言がある。

 さる高名な予言者が100年前に予言した、魔物の王たる存在が出現し、世界を滅ぼすすだろうという、世界の終末を謳ったものだった。

 しかし、その予言には、これを打ち倒す救世の勇者も明言され、世界各国は一丸となってその者を捜すよう啓示されていた。

 ほとんどの人が半信半疑だったが、約100年後、予言通り魔王は出現した。
 同じくして世界各地で生息していた魔物が活発化し、瞬く間に人間世界を脅かしていった。

 多くの国で、予言の勇者を捜すための一大事業が行われた。 

 莫大な報奨金を掲げる国を筆頭に、武術大会を行い猛者を競わせる国、そして勇者を称える褒美の品に、王女、もしくは王子を与える国もあった。

 世界各国で、自ら名乗りを上げた勇者が集ったが、さる高名な予言者はとうに亡くなり、誰が本物なのかを見定めることはできなかった。

 よって、各国が用立てた報奨は、魔王討伐後の報酬となり、様々な国から選抜、支援された自称勇者が旅立つことになる。

 ゼリア王国もまた、諸外国への威信と、懸念を強める国民の不安を解消させるために、もはや国の代表と言うべき勇者を選抜し、報奨を用意する必要に迫られたが、自国貨幣も持たない小国には、他国が掲げたような莫大な報奨金に割けるような予算はなかった。

 そのため、姫を与えるという報奨は理に適っていた。この時代に限っては。

 非常時には非常時の判断が必要である。
 いかに突飛な考えであっても、有益ならば平常時の道義など引っ込めて、すみやかな英断を下すべきだった。

 ソフィアには、それなりの見目もあったし、自分の身一つで方々の面目が立つなら、願ってもないことだと、それくらいの心構えなら、王族に生まれた時から、当然のものとして培ってきていた。

 何よりソフィアの父、現国王は我が国の姫を与えるとは言ったが、王位まで与えるとは明言していない。

 王位はいずれソフィアが継ぎ、彼女が女王としてこの国の玉座に就く。

 たとえ、どこの馬の骨とも知れない勇者と婚姻することになっても、女王の王配として婿入りさせるだけだった。

 国王が件の宣言して数ヶ月後、ゼリア王国からある一人の青年が勇者として選ばれる。

 十代後半、ソフィアとさほど変わらぬ年齢の青年だった。
 候補は他にも沢山いたが、彼の実力は頭一つ抜けていたため、抜擢たされのだとソフィアは教えられた。

 ただ、彼の名前がライだと聞いて、自分が可愛がっていた猫と同じ名前だということに少し笑ってしまったが、さすがに失礼だと思い、その考えは頭の中からすぐに追い出した。

 ソフィアは、彼が魔王討伐へと出立する前に、一度だけ顔を合わせた。

 ひと回り以上の年上だろうと夫婦(めおと)になる覚悟を決めていたソフィアは、意外にも小綺麗な顔をした青年にかなり驚いてしまった。

 事実上の婚約を結んだ彼と、旅の安全を祈るといった激励の言葉を一言二言だけ交わしてから数日の内に、彼は討伐の旅へと出立していった。

 それから3年後、魔王は討たれた。
 魔物の王を討ち取ったのは、ライだった。

 その吉報は、各国の魔術師を通して全世界に伝えられ、世界中が喜びに沸き立った。

 救世の勇者、ライがゼリア王国へ帰国する途中、彼の凱旋式が通りがかりのラトレア大国で行われることになった。

 ライが魔王を討伐する際、協力関係にあった他国の勇者一行が、その国の出身だったからだとか、ラトレア大国とゼリア王国が交易関係にあったからとか、色々な事情がからんで、その国で行われることになった。

 その凱旋式には、他国からの賓客も多く招かれ、勇者の輩出国の大使としてソフィアももちろん招待された。

 しかし、その先で彼女を待っていたのは、救世の勇者とラトレアの聖女が結婚するという本人からの報告だった。

 ラトレアの聖女は、もともとラトレア大国から旅立った勇者一行の一員だったが、魔王討伐の折り、傷付いていたところを助けられ、それが二人の馴れ初めなったそうだ。

 ライは、聖女への愛をひととおり並び立てたあと、ソフィアを貰い受けるという話は、国王から宣下だったため断れなかったと語った。

 もとより政略結婚のようなものだった。
 何より、ソフィアとライは正式に婚約をしていない。

 王女であるソフィアとの結婚は魔王討伐が絶対条件で、そのため、生きて帰ってこない可能性のある相手と正式に婚約を結んでしまうのは色々と不都合だったからだ。

 問題があるとすれば、ソフィアとの結婚を蹴ってラトレアの聖女と結婚するという、国内外に対する体裁の悪さだったが、世界を救った勇者様の世紀の大恋愛となると話は変わる。

 もともと政略結婚だったと事実を建前に、ソフィア側から身を引く形を取る方が、むしろ国内外への聞こえは良いように思われた。

 そこまでの政治的判断を冷静に巡らせて、それからソフィアは、自分のことを思った。
 ずっと痛くてたまらない胸を押さえて、自分の小さな恋を思った。

 顔を合わせたことは、たった一度だけ。
 けれど、ソフィアとライは、この3年の間ずっと手紙の遣り取りをしていた。

 できうる限りの支援のためと、夫となるかもしれない人の人物像を知るため、そうした旨をソフィアから言い出した。

 はじめの頃は、何を書いたらいいのか分からないという気持ちがよく伝わってくる内容が、お世辞にも上手いとは言えない文字で綴られていた。

 だからソフィアの方から、困ったことがあれば教えて欲しい、必要なものがあったら言って欲しいと手紙にしたためたが、物資や資金の催促などはほとんどなかった。

 ソフィアはライという人間をすぐには掴めずにいた。その最大の原因は、彼が自分のことをあまり語りたがらなかったためである。

 手紙はしだいに、旅の報告書のような内容ばかりになっていたが、それでも文通を続けていく内に、どうやら己が無知であることを、とても気にしている事が行間から読み取れた。

 無知は罪だという言葉がある。ソフィはその通りだと思っているが、そんな自分を知っていて、それを恥じている彼の人となりに、ソフィアは好感を持った。

 報告書のような手紙をもらう事が続いたが、段々と彼から質問や、疑問に思ったことなどが書かれるようになり、ソフィアはもちろん、ひとつひとつ丁寧に答えていった。

 きっと悪い人ではない。そう思うようになって、いくばくもしない内に、旅の安全を祈っていた気持ちは、いつの間にか淡い恋心へと移り変わっていった。

 ライが魔王を討った報を受け取った時、ソフィアは心臓が止まりそうなほどほど驚いたが、同時に危険な旅をしていた彼を案じる日々から解放されて、その場に崩れ落ちるほど安堵した。

 そして、彼と再び会える日が来たことに、心がときめいた。

 凱旋式に招待された時、ソフィアは一国の王女としてよりも、ただの恋する娘のような気持ちで彼と対面した。

 結果として、その思いは見事に打ち砕かれてしまったわけだが、ソフィアはとっさに王女の仮面を被って乗り切っていた。

 国の恥になるような、見苦しいことにはならなかったのは、彼女にとってなけなしの救いだった。その身に馴染んだ王族の矜恃は、その後に控えた凱旋式や会談でもソフィアを助けた。

 ソフィアは、凱旋式を終えたあと、勇者輩出国の大使として多くの国の大使と会談する予定がつまっていた。

 彼らの目的は、おおよそが勇者ライが今後どういった処遇を受けるのかについてだったが、勇者ライがラトレアの聖女と結ばれることを望むなら、まず間違いなくラトレア大国へ移住することになる。

 しかし、そういうことはソフィアの一存で答えていいことではない。まずゼリアへ帰国してから父王と、ラトレア大国の王との間で国同士の調整をしなければらなくなる。

 そのためにも、ソフィアは他国の大使との会談が済んだあと、早々に帰国しなければならなかった。

 出立する前夜に、ライが挨拶に来てくれたのだが、気まずくなるだけだろうと、ソフィアはそれを断った。

 ゼリア王国へ帰郷したあとは、父王へ事の顛末を報告する仕事をソフィアは淡々と終える。そうして勇者ライの一件は、ソフィアの手を完全に離れた。

 ライとは何の関わりもなくなってしまったとはいえ、いや、だからこそ、ソフィアには他にしなければならないことがある。

 ソフィアは、ゼリア王国ただ一人の王位継承者だった。
 ライとの婚姻が御破算になった以上、他の婿入り相手を探さなければならない。

 彼女にはもともと、婿候補が何名がいたため、その中から改めて探すことになるが、魔物によって荒らされた国力を強めるためにも、国内有数の公爵家から婿を取ることになり、約一ヶ月後には公爵家長男との婚約披露宴が行われる運びになった。





 王宮に設けられた煌びやかな大広間で、ソフィアは国王と王妃、そして本日婚約者として発表されたクロードと並んで、披露宴の出席者たちから祝福の言葉を受けていた。

 優雅で落ち着いた時間が一貫して流れていたが、宴も中頃にさしかかったころ、場に似つかわしくない、乱暴な足取りで会場を歩く男が乱入する。

 誰にも気付かれず、突如として現れていたその男は、人混みをかき分けて、ある場所へと向かい一直線に突き進んでいた。

 「ソフィア様」

 呼びかけられた、ソフィアは振り返った。
 振り返った先には、見覚えのある男が立っていた。

 「――ライ、様?」

 彼がこの場にいることが信じられなくて、ソフィアは自分の目を疑ってしまう。
 だが、ソフィアの動揺とは裏腹に、ライは恐ろしいほど無表情だった。

 彼は、ソフィアの隣りで寄り添うように立っていた、クロードを視線を投げる。

 「その男は、誰ですか?」

 ライの不躾な態度に、不穏な空気の察したのか、クロードがソフィアを庇うように前へと出た。
 そのことが逆に、ライの神経に障ったようだった。

 無表情だった顔に、怒りの気色が浮かぶ。

 「――これは、いったい、何ですか? どういう事なんですか?」

 そう言い終わるが早いか、ライの身体から魔力の磁波がほとばしった。
 目に見えるほどの放出現象が周囲に走り、バリバリと音を立てる。

 空気が現実のものとしてぴりつた一瞬後、大広間は騒然となった。
 誰かの悲鳴と同時に、方々に控えていた兵士達が動く。

 何を置いても国王一家を、危険から遠ざけるべく走り寄ったが、彼らの守護の手は、ソフィア達にはとても届かない距離ではじかれた。

 ライの魔力から作られた、磁波の障壁に阻まれて近づけないようだった。

 「――ソフィア様」

 ぽつりとしたライのつぶやきが、ソフィアに届く。

 異常事態の元凶であろうライにも、兵士たちが群がるが、彼にもまた誰一人近づけないようで、兵士たちの顔が焦燥と苦悶に歪む。

 ソフィアは、クロードに庇われながらも、ライの様子をうかがった。

 何かに対して、並々ならぬ怒りを抱いているようにしか見えない。
 それでも怒りにまかせて、これ以上の事を起こす気配はどうしてか見られなかった。

 ソフィアには、彼が必死に理性を保とうとしているように思えた。

 「――ソフィア様、何故ですか」

 ライが再び語りかけてきたが、聞いてはなりませんとクロードによって諫められる。

 魔力によって障壁が張られているのなら、すぐに魔術師たちへ要請がかかるだろう。

 しかし、相手は魔王を討ち取った男である。彼と本格的な戦闘にでもなったら、双方共に計り知れない被害を被ることは目に見えていた。

 ソフィアは、彼がまだ理性を保とうとしていることにかけた。

 「お止めなさい」

 クロードの背から出て、前に出る。

 ソフィア、と国王と王妃の制止が入ったが、彼女は構わず、クロードの手すら振り払ってライの前へと進み出た。

 ソフィアが目の前に立つと、ライは幾分か怖じ気づくような様子を見せた。
 ライの身体を取り巻いていた、魔力の放出現象も見る間に小さくなってく。

 しかし、障壁が消滅することはなく、ライを取り囲む兵士たちが固唾を呑んで見守る中、ソフィアはできるだけ落ち着いた風を装って口を開いた。

 「お久しいぶりですね、ライ様。ラトレア大国の凱旋式でお会いした以来になります」
 「……はい」

 ライがきちんと応じてくれたことに安心しながら、ソフィアは続けた。

 「何が貴方をそのように苛ませているのか、うかがってもよろしいですか?」

 ライの表情がとたんに曇る。
 そんな質問をしたソフィアを責めるような素振りすらあった。

 彼の手が、おもむろに自らの胸部に伸びた。
 まるで、痛くてしょうがないものがそこにあるかのように、衣服を鷲づかみにする。

 「私は――私は何故、置いて行かれたのですか?」

 絶望のただ中にいるような声だった。
 それなのに、ソフィアはライの言っている事が何を差しているの分からない。

 問い返せば、逆に刺激してしまう気がして、先を促すようにライを見つめるが、彼はソフィアを見つめ返すことが出来ないのか、視線を避けるように俯いてしまう。

 「私は……ソフィア様と共に、ゼリア王国へ帰れるのだとばかり思っていました。それなのに、凱旋式が終わった後、ラトレア大国から出国できないと言われました。ゼリア王の命だからと。何度も貴女に手紙を書きました。しかし、返事はひとつも届きませんでした。それでも私は待ちました。ひたすら待って、ひと月近くも経ちました」

 事がここに至ってしまった経緯を、ライは俯いたまま告白していくが、その内容にソフィアは困惑せずにはいられなかった。

 「もう我慢の限界で、居ても立ってもいられなくなって、王の命を破り、こうしてゼリア王国まで帰ってきました。そうしたら、このような、このような……ソフィア様が他の男と、結婚されるのだという話を聞きました」

 ライの身体から、再び放出現象がはじまる。
 規模は小さかったが、ピリピリとした空気をソフィアは肌で感じた。

 「ゼリア王は、魔王討伐のあかつきには、ソフィア姫をくださると約束された。それなのに、王は――ソフィア様は、あの約束を違えるのですか」

 「お、お待ち下さい、ライ様。あの、貴方はラトレア大国の聖女様と、婚姻されるのではないのですか?」

 ライが顔を上げた。
 そこには、想像だにもしていなかった事を言われて、ひどく驚いているような顔があった。

 「私は、ライ様から直接そう聞かされたのですが……」
 「え? え、いや、待ってください。私はそんなこと言っていません」

 「ですが……ラトレア大国でお会いした時に、私事で話したいことがあるからと、挨拶にいらしたあと、聖女様と一緒においでになって……」

 「……? 私はソフィア様との挨拶を済ませたあと、自室から出ておりません。それに凱旋式が終わったあとも、ソフィア様はお忙しくされていて、もう一度お会いすることはできませんでした」

 「え?」

 あまりの食い違いに混乱しているのか、ライの放出現象が、ぷしゅりと音を立てて消えていく。

 ソフィアも同じくらい頭がこんがらがってしまい、しばらくの間、互いに首を捻ったまま固まっていたが、ふとすると、ライがソフィアの顔をまじまじと凝視していた。

 何かを探るような目で見られるが、真剣味を帯びた表情にソフィアはどうにも動きずらくなる。

 「――少しだけ、よろしいですか?」

 言いながらソフィアとの距離を詰めようとしたライに、兵士たちが反応するが、ソフィアは兵士の方を手で制した。

 腕を伸ばせば触れられる距離に、ソフィアは自らの体温が上がるのを感じながらライの行動を見守った。

 彼の手が、おもむろにソフィアの顔の高さまで上げられると、ゆっくりと空を切っていく。

 まるで、温か布が頭全体をぬぐい去っていくような感覚にソフィアは襲われた。

 「ソフィア様、もう一度思い出してみてください。ラトレアの聖女と結婚すると言ったのは、本当に私でしたか?」

 色々と問いたいことはあったが、ソフィはとりあえずライの言う通りにし、あの時の記憶をさかのぼるが、違和感は即座にやってきた。

 そこにライがいないのだ。思い出される記憶の中で、ライの台詞や仕草をそっくり真似ている人物は、ライとは似てもにつかない全くの別人だった。

 隣で寄り添う聖女その人はそのままなのに、ちぐはぐな記憶がソフィアの中にあった。

 「――違うのですね?」

 「……はい。あの、これはいったい?」
 「あちらの魔術師に幻術をかけられていたのです。ラトレアのあの女に謀られた」

 末尾を吐き捨てるように言うと、ライはきびすを返した。

 歩き出そうとした彼の腕を、ソフィアがとっさに掴む。嫌な予感が身体を動かしていた。彼の怒りの矛先が、別方向へ切り替わったことを瞬時に察していた。

 「お待ち下さい。どうちらに行かれるのですか?」

 「あの国に報復へ行って参ります。これはソフィア様への許し難い侮辱です。それ相応の報いを下しにいかねばなりません」

 「い、いけませんっ。そんなことっ」

 ソフィアに止められ、ライは不思議そうに首を傾げた。

 「……ダメなのですか。どうして?」

 「わたくしだけの問題に、とどまる話ではないからです。一国の王女を謀ったのは確かに許されることではありません。ですが、相手国に事実確認もせずに報復行っては、今度はあちらかの報復もまた、ただちに行われてしまうでしょう。そうなってはもはや、国と国の争いです」

 「……では、確認に行って参ります」

 「いけません。これは国同士の問題なのです。まずこちらから正式な使者を立て、段階的に詰めていく話しであり、あなた一個人で勝手にしていいことではありません」

 「そう、なのですか……? すみません。政治のことには明るくなくて……」

 ライは叱られた犬猫のように、しゅんと、肩を落とした。

 その様に、ソフィアはほっとしてしまう。
 ライの激情を、ひとまずなだめることが出来たように見えた。

 すると、ソフィアはライの腕を掴んでいたことに気付いた。
 慌てて手放そうとしたが、追いすがってきたライの手に捕らえられてしまう。

 ごつごつした二つの手のひらに優しく包み込まれるが、クロードの手を振り払った時のように、突き放すことできなくて、逃げられなくなる。

 ライはソフィアを見つめてから、自分たちを遠巻きにしていた周囲を見渡した。そして再びソフィアに視線を戻す。

 「私の早合点でこんな騒動を起こしてしまい、何とお詫びすればいいか……でも、ソフィア様。ソフィア様と私の結婚はどうなるのですか?」

 真っ直ぐと注がれる、ライの眼差しが熱くてソフィアはたじろんだ。

 「私は、ずっと貴方のことを想っておりました」

 愛の告白にしか聞こえない言葉に、ソフィアの動悸は激しくなる。

 「ずっと、ずっと……あの旅で、ソフィア様の手紙だけが心の拠り所でした。どれほど励まされてきたか……どうか約束を違わないで下さい。私はどうしても貴女様を褒美に賜りたい」

 きゃあっ、と歓声に近いどよめきが起こった。
 二人を取り囲む観衆、主に女性たちがにわかに色めきだっていた。

 話し合いの場所を変えるべきだったとソフィアは後悔したが、もう遅かった。

 「この身は、素性も確かでない卑しい生まれですが、それでも、いずれこの国の君主になられる貴女を支えて生きていきたい。どうか私を受け入れてください」

 「あ、あの……そ、それは、なんというか、わたくしの、一存では」
 「待って、ソフィア」

 良く知った声と共に、ソフィアの肩に手が置かれた。
 ソフィアの母、ゼリア王国の王妃だった。

 「救世という、全ての人類史に名を残す大業を成し遂げた勇者との盟約を違うことは、ゼリア王国の不義理を後の世にまで知らしめることと同義です。ゼリア王国の名誉にかけて、それだけは回避せねばなりません」

 王妃は、その場に集った全ての臣下に聞かせるように語った。

 「なおかつ、もし本当に他国からの不当な干渉があったのならば、しかるべき対処と処置に乗り出さねばなりません。そうですわよね、陛下?」

 「……う、うむ」

 王妃に促された国王は、しかし、いつになく表情を乱し、王妃から視線を泳がせていた。

 「此度の披露宴は、大変遺憾なことではありますか中断させるのが道理でしょう。先方の公爵家には無礼な仕打ちかと心得ますが、このような二重契約のまま、縁組みを進めてしまう方が、よほど礼儀知らずではないかしら。ねえ、クロード?」

 「はい。こちらとしても、そのように筋道を通すのが正道であるかと考えます。公爵家を代表して、王妃陛下の御言葉に賛同いたします」

 「ありがとう、クロード。その寛大な心に感謝します。そうですわね、陛下?」

 「……う、うむ」

 あからさまに様子のおかしい、父王のことはいったん脇に置かれ、こうして披露宴はお開きになった。

 ソフィアの側から離れたがらないライを連れて場所が移されると、国王と王妃、そしてクロードも交えた席で、王妃主導による父王の尋問会が開かれた。

 それほど時間を要さず、父王はあっさりと口を割り、ゼリア王とラトレア大国王とのあいだに密約があったことが判明した。

 しかし、それは大国からの脅しに近いものだった。

 救世の勇者を、ゼリア王国のような小さな国で腐らせておくのは勿体ないとして、彼の身柄を預かりたいと、主要貨幣を発行する大国の一つであるラトレアに頼まれては、断り切れなかったという。

 違約金を払うこと、二国間における貿易の優遇など、やたら金銭に関した取り引きをちらつかされれば、なおさら要求を呑むしかなかった。

 ゼリア王は、ソフィアとライの手紙を握りつぶし、ラトレア王はライを自国に留まらせ、聖女によってライを口説き落とす予定だったらしい。

 父王は王妃に叱られた。しかし、まさかライがソフィアを思慕していたとは思わなかったらしく、ラトレア大国で華々しく暮らす方が、彼の勲功に報いられるのではとも考えたという。

 後日、勇者ライの処遇に関して、ラトレア大国との再交渉が行われた。
 しかし、貴国との交渉は、驚くほどすんなりと上手く事は運び、ライの身柄は正式にゼリア王国の預かりとなった。

 交易等に関しても、嫌がらせめいたものはなく、勇者本人が望んでいないなら、仕方ないとして、あっさりと引き下がった。

 一国の王女を幻術で謀った件だが、ラトレア側に説明を求めるよりも早く、ラトレアの勇者一行が、勇者ライとは何の関係もなく、魔王討伐にも何ら関わっていない事が判明し、彼らは魔王討伐の報奨金の目当ての詐欺師だったことが国から発表され、ラトレアの勇者一行は罪人の焼き印を押されて、国外追放の処分を受けていた。

 さらに、その内の一人だったラトレアの聖女は、救世の勇者に横恋慕し、婚姻を約束されているゼリア王国の王女に狼藉を働いたとして、同じく焼き印を押されたのちは、獄舎へ送られ、終身刑が科せられたと布告された。

 彼らの刑罰があまりにも重いとソフィアは思った。何より、ラトレアが彼らに全ての罪をなすり付けたようにしか思えてならず、しかし、他国で刑罰に処せられてしまった他国の人間に、口を出すことはまず不可能だった。

 色々と思うところがあったが、ソフィアが心を砕くべきは自国の民である。
 ラトレア大国と、これからも付き合っていくならば、彼らのことは忘れべきだった。

 そして最後に、ライが披露宴に乗り込み、国王一家を危険に晒したことだが、勇者ライに対して、下手に処罰を下せば、国内外からの反発が凄まじいことになりかねないことと、あの場に居合わせた女性陣がライを擁護したため、結局うやむやになった。

 現在ライは、次期女王の王配として、彼女を補佐できるだけの勉学と教養の習得に勤しんでおり、何事も真面目に取り組むその姿勢が、周囲は好意的に受け入られている。

 しかし、人目のない場所では、ソフィアの側近くに寄ったり、膝枕といった気安いことをしたがる困った部分もあった。

 ソフィアはその都度、注意するのだが、捨てられた子犬のような目で見つめてくるため、次第に強く出られなくなっている。

 ソフィアにとっては、どうにも居たたまれない日々がはじまってしまったが、世界はおおむね平和になった。



*****



 彼にとって“魔王”という存在は、物心付く前からの既知だった。

 魔王を消滅させるだけの知識を持ち、魔王を消滅させるためだけの魔力を宿していた。

 しかし、生まれながらに備わっていた化け物染みた魔力に、彼の父は魔物の子を身籠もったのだと、彼の母をことあるごとに詰った。

 年を追うごとにその力は強くなり、村人たちも恐れられるようになり、そして彼が5つの年を数えた頃、母はついに耐えきれなくなって、彼を山中の奥深くに捨てた。

 魔王を消し去る力があったとはいえ、5つやそこらの人の子が弱肉強食の世界で生きていくのは、苛烈をきわめたが、それでも彼に、人里に降りるという選択肢はなかった。

 アレらは森に棲む獣より、よほど危険で自分を痛めつける生き物だと、本能に刻み込まれていた。

 だから彼が、自らを生かすためにまずしたことは、人間の姿を捨てることだった。

 逃走や狩りには向かない人間の四肢を捨て、四足獣、おもに狼の姿をとることによって食物連鎖の最上段に居続けた。

 そのまま本物の獣になれたら、どれほど楽だったか。

 まず間違いなく、自分の存在意義である魔王の破壊だけを目的として、何も考えずに生きていけただろう。

 なまじ人間であったために、その複雑な精神構造が彼を完全な獣にはしてくれず、むしろ、何故、という思考する感情が、心の中では降り積もり続けていた。

 そうして人間の感情を抱えながら、人間の姿を捨てたまま10年の歳月が流れる。

 彼は、魔物の数が増えていることを敏感に感じ取っていた。

 けれどそれは、魔王の出現が近いことを察知したというよりも、自分の生活圏内が脅かされはじめたことに対する危惧だった。

 魔物のは、魔力の澱みが生む生物の変異体である。魔王の出現が近ければ数を増し、必然とより凶悪な変質を生物にもたらす。

 そのため、決して油断したつもりはなくとも、力量差を見誤ることがどうしても発生し、手酷い傷を負わされることが、しばしばあった。

 その日も、魔物の襲撃によって負傷した彼は、通常よりも高い自然治癒力によって傷を癒すため、いつものように安全に休める場所へと向かっていた。

 そこは、彼が数年前に見付けた森林で、その中には魔物のほか、狼などを大型獣を寄せ付けない結界が張られており、だからこそ、彼はそこを隠れ場所にしている。

 もちろん狼のままでは入れないため、小型の獣でも牙と爪のある猫になって、木の陰に隠れるようにして身体を休ませていた。

 だが、不覚にも深い眠りに落ちてしまい、人間の子供に見付かった。

 やたら温かい魔力に驚いて目を覚ませば、自分に向けて手をかざす少女を視界に捉え、その一瞬後には弾かれるようにして逃げ出した。

 逃げた先は樹木の上。子供の背丈では、とうてい届かない高枝に登って、危険性の有無を確かめるべく、眼下の子供を見下ろした。

 子供の方も彼を仰ぎ見ており、目が合うと彼女は笑い、彼に向かって手を振った。
 やけにひらひらした格好の少女は、ひとしきり手を振ると去って行ってしまう。

 彼は自分の違和感に気付いていた。
 魔物に負わされたはずの傷が治っている。自然治癒にしては、いくらなんでも回復が早すぎるため、少女が発していた、あの温かな魔力が原因だと判じるのは難しくなかった。

 彼はまだ、回復魔法というものを知らず、少女が使用した力に興味を引かれた。
 あれは、自分が生きていくために必要不可欠なもののような気がして、その正体を知りたいと思った。

 猫の姿のまま少女の跡を追うと、彼女はたくさんの人に囲まれていた。

 警戒しながら、彼女たちの様子を眺めていると、少女を取り囲む女性たちは、少女を連れて大きな建物の中へ入ってしまった。

 少女のあの力を、どうにも諦めきれなかった彼は、少女たちの入っていった建物へと向かうが、その中は人の気配が多すぎて、どうにも近寄り難かった。

 彼は、建物の中からではなく、壁の突起やテラスなどを伝って、少女のいる場所を探すことにし、透明なガラスの窓をひとつひとつ覗いてまわる。

 やがて少女の姿を見付けると、彼女の姿がよく見えるバルコニーの扉の前に座って、じっと少女を見つめた。

 少女はテーブルに向かい何かをしていたが、ふとした拍子に彼に気付いた。
 驚きに目を丸めるが、その顔はすぐに笑顔になった。

 周囲を見渡してから、バルコニーへと駆け寄ると扉を開ける。

 「さっきの猫さん? お礼を言いに来てくれたの?」

 質問されたが、彼は答えなかった。

 少女は、もう一度誰も見ていないことを確認してから彼に触ろうとした。
 しかし、人間に対する警戒心から、彼はそれを許さず、少女の手を避けた。

 あからさまに肩を落とした彼女は、それでも逃げはしない彼に、嬉しそうに笑いかけると、その場にしゃがみ込み、頬杖を付いて彼を見つめだした。

 しばらく見つめ合うだけの時間が流れたが、やがて、別の人間が部屋に入ってきたため、彼はその場を離れることにした。

 日を改め、今度は少女に気付かれないよう、彼は少女を眺めたが、彼女があの力を使う瞬間はいっこうにやってこず、彼はそれを何度も繰り返すはめになった。

 大きな建物というのは死角も多いようで、人目に付かない場所を何カ所か見付けて、そこを住処にして少女の元に通う。

 あの力を知るためにどうしても近くに寄るため、少女本人は時々気付かれるものの、彼女が一人でいる時にだけ現れるようにして、他の人間たちからはできるだけ隠れ続けた。

 そんな日々が数ヶ月ほど続いた頃、建物の中で忙しく動き回る人間たちのうわさ話で、100年前の予言通り、世界を滅ぼす魔王がとうとう出現したことを知った。

 世界各地で活性化した魔物たちの脅威が、人里にまで及び相当の被害を出している。自分たちの世界はどうなってしまうのかと、小さな声で囁き合う人たちで溢れていた。

 そんな声は聞き流し、彼は日々の日課になっている少女のもとへと向かった。

 少女はバルコニーにいた。手摺りに手をかけ、遠くを見つめていたが、隣のバルコリーに現れた彼を見付けると、いつものように笑いかけてくるが、いつもの笑顔とは全くの別物だった。

 笑うという形の顔を作ろうとして、失敗した顔。
 不格好な笑顔は、またたくまに崩れ去り、少女は手摺りへもたれ掛かるように、身体を小さく丸めてしまった。

 彼はうろたえた。まるで苦しんでいるようなその姿に、やけに胸が掻き乱され、少女の居るバルコニーに飛び移っていた。

 手摺りの上を歩き、そっと少女に忍び寄る。怪我でもしているのかと、鼻をひくつかせるが、血が出るような怪我はしてなかった。

 少女が顔を上げ、彼を見た。ぽろぽろと、温かな水滴が降ってきた。

 「――ありがとう」

 何だかよく分からない内に、礼を言われた。
 そして、何だかよく分からない内に、少女が自分に触れることを許していた。

 猫の姿をした彼の頭を撫でる少女の手は、温かかった。
 その温かさは、彼を不可解な感情に陥らせた。

 あの時、彼の傷を癒した温かな力。彼はそれを、生きていくうえで必要不可欠なものだと思った。けれど、何の魔力も感じられない少女の手に、同じ力を感じ取った。

 「お前は賢いから、きっと大丈夫よね。……でも、気を付けてね。城の近くは安全なはずだから、ずっとここに居るといいわ。死んではダメよ」

 唐突に、解を得る。

 積み重ねられた“何故”という心の中の塵芥を、少女の言葉が吹き払った。全ての鬱積を吹き上げて、心の底に落ちてくる“解”を、生まれてはじめて彼は与えられた。

 これだったのだと、これが欲しかったのだと、名前の分からない感情に彼は震えた。

 少女がくれた言葉通り、ここにずっと居ようと思った。
 けれど、その言葉を実現するのは、そうそう簡単ではなかった。

 まず、少女以外の人間に見付かった。
 人間の女たちは、汚いからと少女から彼を遠ざけようとしたが、少女からすがるようにお願いされると、彼を風呂に入れたらという条件で許可が下りた。

 フロとやらに入ることで、少女の側に寄れるのならと、彼も大人しく捕まることにしたが、フロとやらは想像以上に過酷だった。

 意味も分からず大量の湯を浴びせかけられ、体中をいじくりまわされる所業に、幾度となく反撃に出ようと思ったが、害意があるわけではなかったので、どうにか耐えた。

 体毛が乾くまで拭き回され、ようやく少女のもとへ戻ってこれた頃には、心身共にへとへとになっていたが、彼の苦行は、少女からの抱擁と愛撫ですぐさま報われた。

 彼は少女から“ライ”という名前をもらう。
 昔には、他の名前もあったが、彼は――ライは、とうに忘れていた。

 少女の名前も知った。ソフィアという名前だった。

 ソフィアの側にいて、ソフィアに撫でてもらうのが、ライにとっての幸福だったが、彼女の膝の上で、この世界のことを知るのも、それなりに面白かった。

 世界には国というものがあって、身分というものがあって、ソフィアはその中でも王女とされる、他の人間たちよりもずっと尊い存在だということを知った。

 人間の生活や習慣。文字やあらゆる学問、行儀作法から帝王学なども学んだ。ソフィアの側にいると、自然と膨大な知識に触れられた。

 まるで人間のように耳を傾けているライに、ソフィアは変わった猫ねと、あまり気にかけていないようだったが、彼女の周りの人間、側仕えの女たちはライを怪しむ目で見はじめた。

 「姫様、ライはもしかしたら、人間が化けているのかもしれませんよ」

 核心を突いた発言に、ソフィアは笑って答えた。

 「自分よりも小さな生き物に変身できる魔法なんて聞いたことがないわ。……でも、そうね。今度ルワン先生がいらした時に、いちおう聞いてみましょうか」

 ルワン先生とは、ゼリア王国一番の魔術師であり、ソフィアの魔法の先生をしている人だった。ライも間接的に魔法を習っていたようなものだから、ソフィアの言葉にはさすがに不安を覚えた。

 その日はすぐにやってきて、ルワン先生によってライは本当に猫なのかが確かめられた。
 結論は、あらゆる解呪の魔法をかけても、ライの姿は猫から変わらない、だった。

 ライの、魔王を消滅させるために与えられた魔力は、王国一の魔術師すら欺いた。

 こうしてライは、猫としてお墨付きをもらい、何の憂いもなくソフィアの側で暮らせるようになったが、彼の満ち足りた猫暮らしは、一年ほどで終わりを告げる。

 魔王を打ち倒すといわれる救世の勇者の探索が世界各地ではじまっており、ゼリア王国もついに勇者捜しに乗り出すことになったことを、ライは人のうわさ話で聞いた。

 もちろん、自分が魔王を討つべく存在であることは知っていたし、ソフィアが広がる魔物の被害を憂いているのも気付いていたが、ソフィアの側を離れてまでしなければいけないことだとは思えなかった。

 第一、ライがソフィアの側から離れているすきに、彼女が危険に晒される可能性だってある。ソフィアの足下にまで脅威が及んでいるならいざしらず、今すぐどうこうする気概は持てないまま、ライはソフィアの従順な猫でいた。

 それが一転したのは、それから間もなくのこと。
 ある日、魔王を倒したあかつきには、我が国の姫をやろうと国王が言った。

 ゼリア王国に姫は一人しかいない。
 つまり、魔王を討った者には、その褒美にソフィアを与えるという事だった。

 ソフィアに使える側仕えたちは、いきり立った。
 世界と王国のためとはいえ、どこの馬の骨とも知れない男を、ソフィア様の夫君に据えるなんて、姫様があまりにも不憫だと、口々に不満を述べ立てた。

 ライも同じ意見だった。ソフィアが得体の知れない男のものになるなど、認めらずはずがなく、彼は焦った。万が一にも、自分ではない誰か魔王を討つ可能性はあった。

 しかしライは、自分もまた彼女に相応しいとは思えない。

 ろくな学も教養もなく、獣のように生きてきた人間のできそこないである。ソフィアという、何ものにも代えがたい尊き存在と釣り合うはずもなかった。

 その時、自分を心配する側仕えたちへと、ソフィアが言った。

 女王になるのは自分であると、相手はあくまで王配として自分を支えてもらうことになると、将来の婿殿がやってきたら、彼に知識を叩き込む協力をしてほしいと、ソフィアは冗談めかしながら側仕えたちに語った。

 それは及びも付かないことで、必死にフタをしようとしたライの本心が暴れ出す。

 彼女が欲しい。
 彼女が欲しい。
 彼女が欲しい。

 狂喜とともに溢れ出した願望。

 ソフィアの言葉どおりだと思った。知識や教養が足りないなら、これから学べばいいだけだと。

 彼女のが女王になることを望むなら、自分は全身全霊で支えるだろうと、王配に相応しいと認めてもらえるまで、いかなる努力も惜しまない自信がライにはあった。

 なれば、やるべき事は一つだと、その日の夜からライは準備に取りかかる。

 ひっそりと寝静まった、城内を猫の足で駆け、長らく使われていない場所にもぐり込み、猫の姿を解いて、人の姿に戻った。

 もう10年以上四つ足で生きてきて、人間の形をすっかり忘れていたから、二本足で歩けるようになるまで時間がかかった。

 言葉の発し方も、喉が忘れていたし、指先の細やかな力加減にも四苦八苦した。何より、人間らしい振る舞い方が身体に馴染むまでに、ひと月ほどかかった。

 人間の衣服などは、城のものを使うしかなかったが、それでも再利用に出されたもの少しずつ拝借していった。

 勇者を捜そうとも、誰が本物なのかが分かない、という問題が世界各国で起きていた。

 そのため、多くの国では自国から代表となる人間を決めて、魔王討伐をへと送り出すようになっており、ゼリア王国もまた例にもれず、国の代表になる人間を決める選抜戦のようなものが行われ、ライはそれに参加することにした。

 人間の姿に慣れる訓練をはじめてから3ヶ月ほど経っており、四肢にはまだ、違和感があったものの、それほどの手間もなく勝ち抜いて、ゼリア王国の勇者として正式な命を受けた。

 旅に出るための荷や資金は、王国側で用意され、出立の数日前には、王女ソフィアとの謁見が許される。

 人の姿で会うと、彼女は以外と小さくてライは驚いてしまう。

 ただ、人との会話はほとんど経験がなく、何を話しても無礼な物言いになってしまう気がして、ライはほとんど口をきけなかった。

 ソフィアと手紙のやりとりをすることになり、そのための転送魔法が教えられ、ライは難なく習得した。ただし、ソフィアが直接手紙を受け取ることはできないらしく、ソフィア側は、自国の魔術師を通して手紙は受け取るのだと説明された。

 後ろ髪を引かれる思いで、ライは魔王討伐の旅へと旅立った。

 城の生活とはずいぶんと違う、荒っぽい大衆の町を旅するのは、それなりに戸惑ったが、それ以上に、ソフィアと約束した手紙の扱い方に困惑していた。

 文字の読み書きはかろうじて出来たが、書くべきことが分からない。

 なるべくソフィアの言うとおりに書きつづったが、文面で言葉を交わしていく内に、手紙の素晴らしを知った。ソフィアの言葉が、文字という形になって残ることに気付いて、ソフィアの膝の上で眠っていた日々を思い出しては、望郷の念に囚われていたライを幾度となく慰めた。

 魔王本体の巣くうガレ島には、2ヶ月もあればたどり着ける距離だったが、魔力の供給源を断つため、世界各地を回らなければならず、ライの旅は3年にも及んだ。

 旅の道中、ゼリア王国からの支援ほか、出くわした魔物を倒して謝礼金や食事をもらう生活を、ずっと一人でこなしていた。

 時には、他国の勇者たちにも出会ったりもした。

 ライは、ゼリア王国の代表のようなものだから、下手な物言いをしてソフィアの恥にならないよう常に尊敬語、もしくは丁寧語でいることを心がけていたが、中にはライの言葉遣いが気に入らないという、わけの分からない難癖を付けてくる人間もいた。

 後になって知ったが、勇者同士の潰し合いというものがあったらしく、ライも知らぬ間に巻き込まれていたが、知らぬままに撃退していた。

 そして3年後、ようやく魔力の供給源を断ち終え、ライは本体の魔王を討伐に向かう。

 さすがに手こずったが、どうにか打ち倒し、ガレ島周辺で、魔王の動向を注視していた、各国の魔術師によって魔王の消滅が全世界に伝達された。

 ライには、魔王討伐後にもすることがまだあったが、ライは何を置いてもまずソフィアの膝元へ帰りたかった。

 ゼリア王国へ帰る途中、何故か馴れ馴れしくしてくる他国の勇者一行たちに出くわした。付いてくる彼らと共にラトレア大国へ入国すれば、そこで足止めをされる。

 勇者の凱旋式をするためだと説明されても、ライには迷惑以外の何ものでもなかったが、聞けば、ゼリア王国からの大使としてソフィアがラトレア大国まで来訪すると知って、ライは大人しく従った。

 ライがソフィアを待っている間に、ラトレアの勇者一行が、魔王を討つ一助を担ったと大々的に喧伝していたが、ライには何のことだか分からなかった。

 全滅しかけていた彼らを助けた覚えはあったが、助けられた覚えはなく、しかし、魔王を討伐した救世の勇者が、自分であることが変わらないならと放置した。

 ソフィアがラトレア大国に到着されたその日に、ライはお目通りを願う。

 3年ぶりに会うソフィアは、もう少女とは呼べず、その美しさは神々しいほどだった。

魔王討伐の労をねぎらって、お褒めの言葉をもらい、ライは至福の時を過ごすが、他国に到着したばかりのソフィアを気遣い、その日はそれで彼女の側を離れた。

 色々と引っ張り回された凱旋式の後も、ゼリア王国の大使として、多くの国々と会談を控えているソフィアにライが会うことは、なかなか叶わなかった。

 ソフィアが帰国する前日、一緒に帰れるものだとばかり思っていたライは、明日の出発時刻などを聞くために彼女の元を訪れたが、どうしてか面会は許されず、妙な胸騒ぎを覚えながら、ライは翌日を迎えた。

 ゼリア王国の馬車に乗り込むソフィアを、ライは窓越しに見ていたが、馬車が動き出してもライにお呼びがかかることはなく、ソフィアはライを置いて行ってしまう。

 ならば自力で帰ろうとしたが、ゼリア王の命でライはラトレア大国から出国できなくなっていた。

 きっと何か理由があるのだと、ライは自分に言い聞かせる。

 やむを得ぬ事情があって、それが解決すれば、すぐに迎えに来てくれるはずだと、ソフィアに手紙を出しながら待ったが、ひと月近く経っても手紙の返事はなく、迎えに来てもくれなかった。

 その一方では、毎日のように見知らぬ女がライの元を訪れていた。
 ラトレア勇者一行にいた聖女とやらがらしいが、盛りのついた雌犬のようなことをしてくるので不快でならなかった。

 とにかくもう、この国にいることが耐えられなくなって、ライはついに王命を破った。

 小癪にも、ラトレア王城にはライが出入りを監視する術が張られており、行く手を遮ってくる兵士たちをライは打ち払いながらラトレア大国を出奔した。





 ライはゼリア王国へ帰るために、転移魔法を使った。
 手紙のやりとりに使用していたものを、独自に改変したものだった。

 今までそれを使用しなかったのは、世界各国で取り決められた条約があるため、勝手に使ってはいけないと教えられ、特に人間の移動は厳しく規制され、転移魔法を使って、他国に侵入しただけで重罪となると聞かされいた。

 ライも以前ほどには無知ではないから、本来の移動距離を無視して、目的地に着いてしまえば、転移魔法の使用が明らかになってしまうため、それを使用しなかった。

 だが、以前よりも知恵を働かせることもできるようになっていため、たとえ条約違反だろうと、見付からなければいいという悪知恵に、すぐさま行き着いた。

 手紙が行き来する時と同じ符丁で擬装し、王城周辺の結界をかいくぐると、ライはまず、人間の姿に慣れるために使っていた無人の部屋に忍び込む。

 とにかくソフィアに事情を聞こうと、彼女の部屋に行く途中で、ライは聞き捨てならない話しを耳にした。

 ソフィア王女が公爵家の長男と婚約し、本日そのための披露宴が大広間で開かれているという信じがたいものだった。

 ライは後先考えず、大広間に転移していた。

 貴族と呼ばれる特権階級の人間たちで溢れかえったそこを一直線に突き進み、会場の一番奥で、皆からの祝福を受けている3人――否、4人へと歩み寄った。

 国王と王妃、そしてソフィアと、彼女の隣に立つ、見知らぬ男。

 「ソフィア様」

 まるで無警戒に、彼女は振り返る。

 「――ライ、様?」

 驚愕に見開かれた目がライを出迎えるが、そんなことよりも、彼女の隣りで寄り添うように立っている男の方が重要だった。

 「その男は、誰ですか?」

 ライの問いかけに、男がソフィアを庇うように前へと出る。

 それは、あたかもソフィアに害なす危険人物だと言われたようで、ライの中で今までにない感情が弾けた。

 「――これは、いったい、何ですか? どういう事なんですか?」

 抑えかたの分からない感情の嵐が、魔力の磁波となってライの身体からほとばしる。

 魔力の放出現象などはじめだった。
 バリバリと聞くからに危険な音を立てるそれに、周囲は瞬く間に騒然となり、悲鳴が聞こえ、兵士達が動いた。

 ライは必死だった。自分の魔力がソフィアを傷付けないよう、制御しようとしているのに、感情がそれを邪魔して全く逆のことをしようとしていた。

 傷付けたくないのに傷付けたいという、意味の分からない人間の感情にライは苛まれた。

 「――ソフィア様」

 彼女の名を呼ぶが、彼女から返事は返らない。

 ライの葛藤は、放出現象からソフィアを守る磁波の障壁を生んでいた。
 そのせいで、兵士たちまでが障壁に阻まれていたが、今ソフィアの側を引き離されたら、よほど悲惨な結果を生むのは目に見えていた。

 これでは本当に、ライはソフィアを傷付ける危険人物だった

 それでも、自分ではない他の男に庇われているソフィアを見ると、とめどない感情が吹き荒れる。

 自分が得られるはずだった、ソフィアの隣り立つ資格と、ソフィアを守る権利が、他の男に奪われたのだ。怒りと言っていい激情が、ひっきりなしにライを追い詰めていく。

 「――ソフィア様、何故ですか」

 何故、自分はラトレア大国に置いていかれたのか。
 このためだったのか。別の男と結婚するために、自分は置いていかれたのか。

 ―――捨て、られた? また。

 その“解”は、ライの足下で瓦解した。
 感情という人間の最たる深淵に呑まれようとしたその時、声がした。

 「お止めなさい」

 はっとして見れば、ソフィアが男の背から出て、ライへと進み出た。

 ゆっくりと自分を見据えて歩を進めるソフィアに、ライは怯む。
 絶対的な主人に、歯向かってしまった犬猫の気分だった。

 自分でも知らぬ内に、身体を取り巻いていた魔力の放出現象がおさまっていく。

 「お久しいぶりですね、ライ様。ラトレア大国の凱旋式でお会いした以来になります」
 「……はい」

 ソフィアの落ち着いた声に、ライはやはり若干の畏れを抱く。

 「何が貴方をそのように苛ませているのか、うかがってもよろしいですか?」

 ショックだった。自分を苛ませている原因は明白なのに、どうしてそんな意地の悪い質問をするのか。

 まるで弄ばれているようだと、そんなことあるはずがないのに、ライは締め付けられる胸を押さえた。

 「私は――私は何故、置いて行かれたのですか?」

 自分の胸の内を正しく知って欲しくて、これまでの経緯を吐露していく。

ソフィアと共にゼリア王国へ帰れるのだと思ってこと。
 ゼリア王の命で、ラトレア大国から出国できないと言われたこと。

 何度もソフィアに手紙を書いたこと。それでもひと月近く待ち続けたこと。

 ついに我慢できなくなって、王の命を破り、ゼリア王国まで帰ってきたこと。
 そして、ソフィア様が他の男と婚約したという信じがたい話を耳にしたこと。

 改めて言葉にしたせいで、ライの身の内は再び吹き荒れて入れる。
 身体から、再び放出現象がはじまった。

 「ゼリア王は、魔王討伐のあかつきには、ソフィア姫をくださると約束された。それなのに、王は――ソフィア様は、あの約束を違えるのですか」

 「お、お待ち下さい、ライ様。あの、貴方はラトレア大国の聖女様と、婚姻されるのではないのですか?」

 え、と聞き返すように、ソフィアの顔を見返す。
 ソフィアが何を言ったのか、すぐには理解できなかった。

 「私は、ライ様から直接そう聞かされたのですが……」
 「え? え、いや、待ってください。私はそんなこと言っていません」

 「ですが……ラトレア大国でお会いした時に、私事で話したいことがあるからと、挨拶にいらしたあと、聖女様と一緒においでになって……」

 「……? 私はソフィア様との挨拶を済ませたあと、自室から出ておりません。それに凱旋式が終わったあとも、ソフィア様はお忙しくされていて、もう一度お会いすることはできませんでした」

 「え?」

 そのあと、ライとソフィアの誤解が解けた。
 認識の差異を起こした全ての原因は、ラトレア大国の愚劣な策略によるものだった。

 ライは、即座にラトレア大国へ報復に行きたがったが、ソフィアに止められた。
 そこには高度に政治的な理由がはだかるのだと説明される。

 ソフィアが駄目というのなら、ライも従うことにやぶさかではない。

 そんなことよりも、ライにとって大事なことがあった。
 約束どおり、ソフィアを褒美にもらい受けることである。

 その数年来の思いを遂げるため、ライは、どうしてもソフィアが欲しいと告げた。

 どれだけ彼女を慕っているか思いの丈を告白し、さすがに猫だったことは言えなかったが、ソフィアとの手紙が心の拠り所だった事実を述べながら迫り寄れば、ソフィアは顔を真っ赤にしてしまった。

 自分の一人では決められないと、言い淀むソフィアに、彼女の母、王妃の助言が入り、ひとまずはクロードの婚約披露宴が中断される運びになった。

 詳しい事情の確認のため、国王一家とクロード、そして当事者であるライも同席した席が設けられ、そこでラトレア大国の悪事が明るみに出る。

 ライの処遇に関して、ラトレア大国と再交渉を行うと、ライに明言してくれたが、ラトレア大国との交渉はそう簡単にはいかないことは、彼らの雰囲気から充分すぎるほど察せられた。

 ソフィアたちと別れ、用意された客室で、ライは一人考える。

 ライが、魔王討伐の旅で学んだ最たるものは、口で言っても分からない人間は多いということだった。

 ソフィアの言いつけを、破るつもりはない。

 だが、ラトレア大国が国力差をいいことに、無理難題を突きつけて来ないとも限らない。何より、交渉とやらが長引いて、ソフィアとの縁談がまとまらないのが嫌だった。

 となると、やはり、ライはライになりの方法を取るしかない。
 国と国ではなく、個人的に口で言っても分からない人間を説得しに行くことにした。






 深夜、しんと寝静まった寝室に、ライは潜り込んだ。
 およそこの国で最も厳重に守られている場所へ、あらゆる警備と結界をかいくぐり、足を踏み入れる。

 豪奢な天蓋のある寝台の上には、壮年の男がやすらかな寝息を立てていた。

 ライは寝台の端まで忍び寄ると、一瞬の内に動く。
 声を上げられないよう口を塞ぎ、起き上がれないよう馬乗りになる。

 弾かれるように目を覚ました男に、短剣の刃先がよく見えるよう傾けた。

 「今晩は。ラトレアの国王様ですよね。覚えていますか? 少し前にお会いしたのですが……分かりやすく言うと、この間、魔王を討って勇者になった者です。本日は、お話しがあってうかがいました」

 寝起きに刃物をちらつかされながらも、一国の王の矜恃か、悲鳴を上げたりはしなかった。上げたところで、外に聞こえないよう、ライは準備していたが。

 「何でも貴方は、ゼリア王を脅して勝手な取り決めをされたそうで。その内容が、はなはだしく私の意に沿わないものだったので、こうして取り決めの無効をお願いしに参りました。私が何を言っているのか、わかりますよね?」

 男はわずかな逡巡のあと、重々しくうなずいた。

 「あと、貴方の国の勇者一行ですか、彼らの言っていることは大嘘です。私は彼らと共に戦ったことは一度もありません。特に、あの聖女とかいう女。アレは大変許しがたい狼藉を他国の姫に働いたのですが、貴方はご存じでしたか?」

 男は首を横に振った。
 しかし、知らない割には、答える速度が早い気がした。

 「……そうですか。でも、私は非常に不愉快なので、ちゃんとした処罰をお願いしたいです」

 男は頷いたが、とうてい信用できるはずもなかった。

 「ところで、魔物がどうして生まれるか知っていますか?」

 男からの反応は薄い。
 本当に分からないことを言われた人間の、正しい反応だとライは思った。

 「あれは澱んだ魔力に汚染された、生物の変異体なんです。そんなものが世界各地に点在していたら大変ですよね。ですから魔王がいるです。世界各地の澱みを集める、いわゆる自浄装置なんですが、さすがに限界があって、上限に達すると逆流し出します。そのせいで魔物たちも活性化してしまうんです」

 世界の仕組みを、ライはこともなげに語る。
 生まれる前からの既知を、人間の言葉に訳して語るのははじめてだった。

 「ですから、それをリセットする安全装置も必要で、その役目を託されたのが私です。魔王として噴出するその時代の澱み(せいぶん)を検出し、反作用を起こす分子で再構成した魔力でいっきに分解させてから、魔王の核を取り出すのですが――人間がその役目に選ばれたのは数千年ぶりでして。本当なら、忠実に遂行できるよう自意識の低い獣類が選ばれるのですが、まあ、きっと何かしらの手違いがあったのでしょう……それはさておき、これが世界の自浄装置である魔王の核です」

 短剣は一端ひっこめて、懐から青黒い艶を持つ球体を取り出し、男に見せた。

 「本来なら別の土地に埋めて、澱みが溜まる場所を新しく作らないといけないのですが……しばらく貴方にお預けします」

 男の顔が強ばる。この先に待ち受けている、己の末路を察したのかもしれない。

 「私の願いが聞き届けられたら取りに来ます。これは私の手中にある限り無害ですが、ただの常人があまり長くお持ちになってると、魔物に変貌してしまうので、そうなりたくなかったら死に物狂いで私のお願いを実現してください」

 男がうーうーと唸りだしたが、ライは構わず男の開いた胸元に球体を押し付ける。
 くずりと、嫌な感触を残して胸の下に埋まると、肌にはいびつな痣が浮かび上がった。

 それを見つめながら、ライは「ああ、なるほど」と独り言をこぼす。

 「たった今、分かった気がします。安全装置に人間が選ばれなくなった理由が。きっと私のように私利私欲に使ったんでしょうね……」

 自分のせいで、人間が選ばれる可能性が今後ついえたかもしれないとライは思った。
 そして、その方が世界の平和にはきっといいのだろう、とも。

 「それではラトレア王、今日はこの辺でお暇させてもらいます。お休みなさい」

 うるさく呻いている男を魔法で眠らせると、ライはラトレア王の寝室を静かに後にした。





 後日、ゼリア国から持ちかけられた交渉は、ラトレア大国が全面的に条件を呑むという異例の結果にて終了した。

 そののち、ラトレアの勇者一行は罪人の烙印を押され国外追放、内の聖女は牢獄送りになった。

 ライの願いを実現したラトレア王に、ライもまた彼との約束を果たすことにした。

 彼に埋め込んだ 魔王の核を取り出したが、ラトレア王はずいぶんと精神面に変調をきたしてしまっていた。

 そのうえ、ラトレア王の身体に引き寄せられて魔力の澱みが、川がのような流れを作っており、あの王がいる限り、ラトレア大国は当分、魔物たちを呼び込む魔の国になるだろうが、そんな些細なことはライの知ったことではない。

 ライはラトレア大国を出たその足で、ゼリア王国から最も遠い地に魔王の核を埋めた。
 数百年後、世界の自浄装置である魔王はまた出現するだろうが、その時の安全装置は人間ではないことをライは祈った。

 この世に生まれてから今に至るまで、結局のところ人間であり続けたライにとって、世界のことなど、どうでもよかった。

 ただ、世界を救ったら、この世で最も愛おしい人が手に入ると言うから、自らの願望を叶えるために、本来の存在意義を全うしたにすぎない。

 かつての予言者は、これを見越していたのかもしれないと、ふと思う。
 だからこそ、人間のあらゆる願望を世界各国が一丸となって叶えられるようにした。

 やはり人間は止めた方がいいと、その時だけは本当に世界のため思ってライは世界に祈る。

 そうして、全ての役目を終えた彼は、ただの人間になった。

 ただの人間であるライが、一国の王女の隣りに立つためには、並々ならぬ努力が必要だったが、ソフィアの膝の上で眠れる権利が得られるのならと、どんな労も惜しまなかった。

 若干の不満があるとすれば、王配教育にしゃしゃり出てきた、クロードとかいう男が気にくわなかった。

 特に、殺意のこもった視線を投げても、飄々としている様が勘に障ったが、あの男を越えなければ、未来の女王に相応しいとは言えないことが分かりやすく明示されていたのは、いい刺激になった。

 一日の課題を終えたご褒美に、ライはソフィアの膝枕を要求している。

 猫だった時のように、そうそう気軽にはできなかったが、触れてもいいかと尋ねて、それが許された時の幸福感は何ものにも代え難かった。

 ライにとって、毎日はめまぐるしく過ぎていく。それでも一日の終わりには、本当に欲しかったもが必ず得られるこの世界は、おおむね平和だった。




ヤンデレは、ちょくちょく読みたくなって、書きたくなるのです。

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