学院交流
デルゾゲード魔王学院、第二教練場。
ドアを開けて中へ入ると、俺たちはそれぞれの席に座った。
「ああ、そうだ、レイ。さっきの話だがな」
「ん?」
椅子にもたれかかり、寝そべるようにしてレイがこちらへ顔を向ける。
「放課後、時間があるならつき合え」
「どこか行くの?」
「秘密の場所だ。俺の魔剣をくれてやる」
「へえ。じゃ、楽しみにしてるよ」
すると、教室からこそこそ話し合う声が聞こえた。
ファンユニオンの連中だ。
「ねっ、ねえっ、今の聞いた?」
「どうしたの?」
「アノス様。放課後、秘密の場所で、レイ君に俺の魔剣をくれてやるって……!」
「つ、つまり……!?」
「アノス様の剣がっ、魔剣になっちゃってるんだよぉぉっ!!」
「魔剣って、きゃああぁぁっ!」
「お、お母様に報告した方がいいのかな……?」
「でも、いきなりじゃショックをお受けになるかもしれないし……」
「そう、かな、やっぱり。だけど……」
ふむ。どうにも、わけのわからぬ誤解をしているようだが、母さんに報告させるわけにはいかぬな。更に誤解が進みかねない。
「エレン、ジェシカ」
名を呼ぶと、びっくりしたように二人はこちらを向いた。
「は、はいっ。アノス様っ!」
「な、なんでしょうかっ!?」
俺は二人に言い聞かせるように優しく言った。
「母さんには秘密だ」
「……わ、わかりました」
「い、命に替えましても!」
これでいいだろう。誤解を解くのは手間がかかるが、要は話が伝わらなければいいわけだ。なにも知らなければ、勘違いしようもあるまい。
「どうしよう、口止めされちゃった……」
「やっぱり、そうなんだ……」
隣からサーシャが呆れたような視線を送ってくる。
「なんだ?」
「別に。どつぼにハマッてるんじゃないかしらって思っただけだわ」
フッとその台詞を俺は鼻で笑い飛ばした。
「なに、大したことじゃない。この程度じゃな」
「そうやって余裕ぶって、そのうちに取り返しのつかないことになっても知らないわよ」
「心配してくれてるのか?」
「……別に、心配するほどのことじゃないけど……」
ぼそぼそとサーシャが呟く。
そのとき、授業開始の鐘の音が鳴った。
だが、誰もやってこない。
「不思議」
隣の席でミーシャが呟く。
「エミリア先生はいつも時間通りに来る」
すると、サーシャはなにかに気がついたように言った。
「ねえ、そういえば魔剣大会の日にあなたのお母さんを襲ってきたのってエミリア先生だったんでしょ」
「ああ」
「……どうしたのよ?」
俺は笑った。
「どうしたと思う?」
サーシャは若干、引いたような反応を見せる。
「やめなさいよ、そんな魔王みたいに笑うの……」
普通に笑っただけなのだがな。
そもそも魔王なのだから、仕方があるまい。
「はーい、みんな席についてー」
教室に入ってきたのは、耳の長い女性だ。
エミリアと同じ黒い法衣を纏っているところを見ると、魔王学院の教員だろう。
「えーと、このクラスでは初めまして、かな。3回生1組の担任をしているメノウ・ヒーストリアよ。臨時なんだけど、しばらくはこのクラスを兼任することになるわ」
すると、教室がざわつく。
「先生ー、エミリア先生はどうしたんですかー?」
一人の女子生徒が手を挙げてそう尋ねた。
「うーん、詳しいことは私もあんまり聞かされてないんだけど、エミリア先生は魔王学院を辞めることになったみたいなのよね」
教室から今度はどよめきが溢れた。
「辞めるっ!?」
「……辞めるにしたって、急すぎるよな?」
「だよな、普通、挨拶ぐらいあるだろうし、怪我とか、病気か?」
「というか、エミリア先生がいなかったら、ますますあの不適合者にでかい顔をされるんじゃ……」
「はいはい、静かにしてっ」
メノウが手を打ち鳴らす。
「事情はよくわからないんだけど、とにかく挨拶もできないみたいなの。急だから、まだ代わりの教員の補充が間に合ってないみたいなんだけど、それまでは私が担任を務めることになるわ」
「でも、メノウ先生は、3回生の授業があるんじゃないですかー」
「一緒に授業をするのは無理ですよね?」
生徒たちの質問にメノウは答える。
「んー、それはもちろん無理なんだけど、でも本当に急だったから他に人がいないのよ。だから、3回生の方と交代で一日おきに自習になると思うわ。もちろん、顔は出すけどね。でも、それは一週間ぐらいの話よ」
「来週には新しい先生が来るんですか?」
「うぅん。実はね、エミリア先生のことがあったからってわけじゃないんだけど、デルゾゲードで学院交流をすることが決まったの」
教室中が疑問に包まれる。
どうやら皆、初耳のことらしい。
「先生、学院交流ってなんですか?」
「学院交流っていうのは、簡単に言えば、違う学院に行って、そこの生徒や先生と交流しながら、お互いの知らないことを教え合ったり、切磋琢磨するってことかしらね」
その説明に、生徒たちはまた疑問を覚えた様子だった。
「違う学院って……?」
「ディルヘイドじゃ魔王学院がトップだし、正直ここで学べないことなんてないよな……? 相手はともかく、うちに学院交流なんてするメリットがあるのか?」
生徒の疑問を拾い、メノウが答えた。
「そうね。だから、これまでデルゾゲードでは他の学院との交流がなかったんだけど、実は今回、ディルヘイド以外の学院と交流する機会が持てたのよ」
「ディルヘイド以外って、どこですか?」
「アゼシオンよ。王都ガイラディーテにある勇者学院とはけっこう前から、そういうことができないかっていう話をしててね。今回、勇者学院で受け入れの準備が調ったからって、急だけど学院交流を行うことになったの」
すると、生徒たちからは驚きの声が漏れた。
「アゼシオンって、つまり、人間の学院ってことか?」
「勇者って、なんだっけ? 聞いたことある?」
「うぅん、全然知らない」
「確か、暴虐の魔王と戦ってた陣営の一つに勇者っていうのがいるんじゃなかった? 昔、魔族と人間は対立してて、魔族を率いていたのが魔王で、人間を率いていたのが勇者だったような気がする」
「そうなんだ。でも、人間ってそんなに強くないんじゃなかった? 勇者は強いんだ?」
「たぶん、だけど……」
ふむ。勇者の記録は残っているようだが、ディルヘイドではあまり知名度がないようだな。
俺が作った壁により、人間との交流はなくなった。争い自体もなくなり、勇者との戦いは完全に過去のことになったわけだ。
二千年前の戦争など、せいぜい人間と戦ったという程度で、詳細を知らずとも仕方あるまい。
とはいえ、これまでのこともある。
勇者のことが魔族の中で小さな扱いになっているのも、急遽浮上したこの勇者学院との学院交流も、アヴォス・ディルヘヴィアの企みの一つかもしれない。
後でメルヘイスに確認しておくか。
「みんな勉強不足ね。確かにさらっとしかやってないけど、勇者のことは歴史の授業で触れたはずよ」
メノウは黒板に向かい、『<勇者部隊>』、『七つのクラス』と書いた。
「簡単におさらいしておくわね。勇者は大戦中に軍勢魔法を開発したと言われているわ。それが<勇者部隊>。基本的な仕組みは<魔王軍>と同じで、七つのクラスがあるんだけど」
メノウは生徒たちに視線を向ける。
「はい。じゃ、覚えている人いるかしら?」
誰の手も挙がらなかった。
不思議に思い、ミーシャの方を見ると、彼女は言った。
「まだ習ってない」
「……そうよね。これ、3回生が習うことじゃないかしら?」
ふむ。どうやら、うっかりしているようだな。
困ったものだ、と思いつつも俺は手を挙げた。
「勇者。賢者。魔法師。神官。召喚士。聖騎士。霊術師の七つのクラスを割り振るのが<勇者部隊>の魔法だ」
そう答えると、メノウは嬉しそうに言う。
「そうっ、正解よ。じゃ、<勇者部隊>と<魔王軍>の違いはなにか、ついでに答えてくれる?」
「<魔王軍>と同じく軍勢魔法だが、最大の違いは、魔王が配下に魔力を分け与える<魔王軍>に対して、<勇者部隊>は配下が勇者に魔力を分け与える。城を築き、防衛を主とした<魔王軍>に対して、<勇者部隊>はその城を攻め落とすために開発された魔法だ」
勇者一人に力を集め、魔王を打倒する。総力に劣る奴らが、魔族に勝つには頭を潰すしかなかったのだ。力で統率をとる魔族は、頭を失えばあっという間に烏合の衆と化すからな。
「だが、<勇者部隊>はそれだけではまだ真価を発揮しない。<聖域>を使い、仲間の心を魔力に変えることにより、強大な力を持った魔族と伍するだけの力を得られる」
「そうそうっ。ちゃんと勉強してるじゃない。<聖域>は祈願魔法って言って、魔王学院でも教えられない系統の魔法なのよ。そういう意味でも今回の学院交流は、デルゾゲードにも意味があるものになると思うわ」
奇妙なものだ。
お互いがお互いを倒すために開発した軍勢魔法を、二千年経った今、教え合おうとしているのだから。
「といっても、<勇者部隊>や<聖域>は勇者にしか使えない魔法だから、魔法そのものを学ぶっていうよりかは、術式を勉強して、より深淵を深く覗けるようになるのが目的ね。ゆくゆくは魔族に使えるように応用された魔法も開発されると思うし、今回の学院交流で学ぶべきことは……」
途中で言葉を切り、メノウは疑問を覚えたような顔になった。
「……あれ? みんなには<聖域>のこと、まだ教えてなかったわよね……?」
「先生ー、それどころか、<勇者部隊>の魔法も1回生はまだですよー。今、<魔王軍>の魔法の実践をしてるところですから」
指摘され、メノウは「あ……!」と気がついたように声を上げた。
「そっかそっか。ごめんね、3回生のクラスと勘違いしてたわ……!」
そう口にした後、またもしてもメノウは疑問を覚えた表情を浮かべる。
そして、マジマジと俺を見た。
「…………君、どうして<勇者部隊>の魔法を知ってたの? それに<聖域>の魔法は、まだ3回生にも教えてないのよ……」
「なに、昔、飽きるほど見たからな。それと、メノウ。お前の説明は間違っているぞ」
俺はその場に魔法陣を描き、ある魔法を行使した。
「え……?」
メノウの顔が驚愕に染まった。
「……嘘、よね……これ、<勇者部隊>の魔法……」
勇者学院で見せてもらったのだろう。
メノウは一目で俺が行使した魔法を見抜いた。
「別に勇者でなくともこの魔法は使える。まあ、魔族には<魔王軍>の方が効率がいいがな」
目の前で起きたことに頭がついていかないのか、メノウは言葉も発することができず、ただ呆然と<勇者部隊>の魔法を眺めるばかりだった。
いきなり勇者しか使えない魔法を使い出す魔王……。