前哨戦
翌日。
デルゾゲード魔王学院、魔樹の森。
2組の生徒たちはこれから始まる試験のため、全員この場所に集まっていた。
授業開始の鐘が鳴り、エミリアが言う。
「それでは、これからレイ班とアノス班による班別対抗試験を始めます」
レイが俺の方へ歩いてくる。
「昨日はよく眠れた?」
「ああ、寝つきは良い方だからな」
「僕はあまり眠れなかったよ」
「ふむ。面白い本でも見つけたか。夜更かしは体に毒だぞ」
「ほんとだよね。朝起きるのがしんどくて仕方がなかったよ」
ふわぁ、とレイは欠伸をする。
「ちょ、ちょっとちょっとちょっと!」
なにか文句でもあるのか、サーシャが口を挟んできた。
「どうした?」
「どうした、じゃないわよ。これから班別対抗試験をするのよ、班別対抗試験っ! なに、そのぬるい空気っ。遠足にでもいくつもりっ?」
やれやれ、なにも殺し合うわけではないのだ。もちろん、うっかり死ぬことはあるかもしれないが、無駄に殺伐とすることもないだろう。
「悪いな、俺の配下は少々口うるさい」
サーシャの頭に手を置いて、静かにしていろと暗に言い聞かせる。
「……あの……手、手っ……こんなことで黙らないわよ……」
そう言いながらも、サーシャは勢いが削がれ、大人しくなった。
「やきもち?」
サーシャの後ろから、ミーシャがひょっこり顔を出す。
「……な、なに言ってるのよ……?」
「アノスがサーシャのときと違うから」
俺のときと違う?
「ああ、なんだ、サーシャ。俺がお前のときと違い、レイと和やかに話しているから妬いているのか?」
「ば、馬鹿なのっ! 妬いてなんかないわっ……!」
「そうか?」
サーシャの顔を覗き込んでやると、彼女はぷいっと顔を背ける。
「………………妬いてないわ……」
独り言のような弱々しい呟きが漏れた。
「そもそも、前の班別対抗試験はお前の方から喧嘩をふっかけてきたんだろ」
サーシャは視線だけをこちらに向け、「うー……」と唸った。
「サーシャさん」
「なによっ!!」
サーシャの剣幕に声をかけたミサが若干怯む。
「……え、えーとですね。あたしたちも勝負をしませんか?」
「なによ、勝負って?」
「ほら、アノス様とレイさんは勝負の約束をしているじゃありませんか。二人の邪魔にならないように、あたしたちはあたしたちで力比べをしませんか?」
「呆れたわ。班別対抗試験は模擬戦争よ。どこの世界に、示し合わせて勝負なんてする戦争があるのよ?」
すげなくサーシャは言うも、ミサはにっこりと笑った。
「昨日の魔法写真、ずいぶんお気に入りだったみたいですね」
「……べ、別に。そうでもないわ」
サーシャの目は泳いでいる。
「ふふふー、あたしを倒したら、差し上げますよ?」
ミサが一瞬、懐から写真らしきものをちらりと覗かせる。
「……そ。言いたいことはそれだけ?」
「はい。お互い、健闘しましょうね」
そう言い残し、ミサはアノス・ファンユニオンの集団に戻っていく。
「ああ、そうだ。思い出したけど、昨日の勝負はアノス君の勝ちだったよね?」
「そうだな。なにかくれるのか?」
レイは涼しげな笑顔を見せる。
「じゃ、この班別対抗試験を楽しませる、とかどうかな?」
くつくつと腹の底から笑いが漏れる。
なかなかどうして、強い脅し文句を口にする奴らよりも、よほど一筋縄ではいきそうもない台詞ではないか。
「面白い。期待させてもらうぞ」
「陣地はどうしようか?」
「好きに選べ」
「じゃ、東側かな」
レイは踵を返し、ミサたちに声をかけた。
「行こうか。頼りないリーダーかもしれないけど、みんなの力を貸して欲しい」
すると、ミサは意外そうな表情を浮かべた。
「どうしたの?」
「いえ、レイさんは変わっていらっしゃいますね。白服のあたしたちに、そんな風に言うなんて」
「ああ、僕はそういうのは苦手なんだ。皇族とかなんとか、難しくてよくわからないからね」
飾らぬ口調でレイは言う。
「それに、たまに思ったりもするんだよね」
「なにをですか?」
「始祖は本当にそんなことを言ったのかな?」
ミサが驚いたような表情でレイを見つめる。
「皇族が偉いなんて、本当にあの人が言うんだろうか?」
「……あの人?」
「ああ、別に、なんとなくの話だけどね。僕はずっと違和感を覚えてて。みんなが言う暴虐の魔王が、別人のように思えてならない。まあ、こんなことを言うと、混沌の世代なのにと白い目で見られるからね。内緒にしておいてもらえると助かるかな」
少し嬉しそうにミサは笑う。
「ふふふー、わかりました。ところで、レイさんは統一派の活動に興味はありませんか?」
レイの話を聞き勝算ありと踏んだのか、ここぞとばかりにミサは勧誘を始めた。
「いいや、まったく」
「そうですか。残念です。じゃ、アノス様のファンユニオンに興味はありませんか?」
和やかに会話をしながら、レイたちは東の陣地へ歩いていく。
俺たちも踵を返し、森の西へと向かった。
しばらく時間が経過した後、上空を飛ぶフクロウから、<思念通信>が送られてくる。
「それではレイ班、アノス班による班別対抗試験を開始します。始祖の名に恥じないよう、全力で敵を叩きのめしてくださいっ!!」
相変わらずの文句と共に、班別対抗試験の火蓋が切って落とされる。
「……作戦は……?」
「わたしはミサと残りの生徒を相手するわ」
ミーシャがじーっとサーシャの顔を見る。
「写真が欲しい?」
「ち、違うわよっ! わたしなら、なんとかなるって思ってるあの女に、目にものを見せてやりたいだけ」
模擬戦争がどうのこうのと言っておきながら、なんだかんだでうまく乗せられているな。
「サーシャ。一つ言っておくが」
「なによ?」
「多勢に無勢とはいえ、俺の配下なら、逃げ帰ってくるなよ」
彼女はツンとした態度で微笑する。
「当たり前だわ。見てなさい。全員、蹴散らしてやるわよ」
「ふむ。では、うまくいけば、褒美をやるぞ」
「なにをくれるの?」
「なんでもやる。好きなものを考えておくんだな」
すると、なにを考えたか、サーシャが照れたような表情を浮かべる。
「……な、なんでも……?」
「ああ」
サーシャはずいと身を寄せてくる。
「なんでもって、ほんとになんでも? なんでもいいの?」
「ああ、なにが欲しいんだ?」
途端に彼女は顔を真っ赤にして、ぷいっとそっぽを向いた。
「……別に。なにがってわけじゃないわ……か、考えとくから……」
どうやら欲しい物があるようだな。
「城を建てる?」
ミーシャが言う。
「そうだな。一応、建ててくれるか?」
こくり、とうなずき、ミーシャは祈るように左手を握る。
<蓮葉氷の指輪>から氷の結晶がいくつも現れたかと思うと、それらが魔法陣を構築し、キラキラと輝き始めた。
「氷の城」
ミーシャが<創造建築>の魔法を使う。
瞬く間に俺たちの足元が凍りついていき、氷の床と外壁が作られる。続いて、氷の玉座や、銅像、鏡などが現れた。その次の瞬間、体をぐっと持ち上げられるかのように氷の床がみるみる天へ上っていく。最後に空が氷の天井に閉ざされ、巨大な氷の魔王城が完成していた。
俺たちがいるのは、その玉座の間である。
「……ミーシャの<創造建築>って、こんなに早く完全な魔王城を建てられた?」
ミーシャは小首を捻った。
「<蓮葉氷の指輪>があるから?」
「まあ、それもあるだろうな」
そう口にすると、サーシャは不思議そうに訊いてきた。
「他になにがあるのよ?」
「自分の根源に聞いてみることだ」
不服そうに睨んでくるサーシャの視線を、俺はさらりと受け流す。
「どうする? 向こうが城を建てる前に打って出るか?」
「それぐらい待つわ。万全の状態で、ぐうの音も出ないぐらいに打ちのめしてやるから」
この間からなにかとミサと張り合っているようだが、仲が良くてなによりだな。
「なら、向こうの様子を探っておくか」
魔眼を働かせ、この間と同じく<思念通信>を傍受する。ついでに、ミーシャとサーシャにも聞こえるようにしておいた。
「ああ、今聞かれてると思うよ」
「え? わかるんですか?」
<思念通信>からレイとミサの通信が聞こえてきた。
「やあ、アノス君。聞いてるでしょ?」
気がついたか。俺が<思念通信>を傍受できることはミサたちから聞いていたとしても、さすがだな。
「暇だったからな。そっちの魔王城の建設はどうだ?」
「もう少しかかりそうかな」
「それは退屈だ」
「じゃ、暇つぶしに、こっちの渓谷にある一番大きい滝で会わない?」
ほう。
「二人きりでか?」
「邪魔が入らない方がいいよね?」
逃げ隠れするタイプではないと思ったが、こうも堂々と俺に挑んでくるとは。
しかも、俺の力がわかっているというのだから面白い。
「すぐに行く」
「それじゃ、後で」
<思念通信>が切断される。ミサたちが魔法行使をやめたのだろう。
「というわけだ。少し遊んでくる」
「気をつけて」
ミーシャが言う。
「遊ぶのはいいけど、わたしがミサを負かすまでに決着つけないでよね」
班別対抗試験は班リーダーである魔王をとれば終わりだ。
「三○分は待つが、それ以上は保証できないな。頑張れよ」
そう言い残し、俺は<転移>の魔法を使った。
目の前が真っ白に染まり、すぐに色を取り戻す。
そこには三○○メートルほどの高所から水が激しく流れ落ちる滝があった。
さすがに、まだいないか。
俺は手頃な岩に腰かけ、そのまま待つ。
やがて、東の森の辺りに巨大な魔王城が出現した。
なかなか堅牢そうな作りである。
ぼんやりと魔王城の出来映えを確認していると、ザッと草を踏む足音が聞こえた。
視線を向ければ、そこにレイがいた。
「やあ、待ったかい?」
「なに、今来たところだ」
レイはこちらへ歩いてくる。
ちょうど剣の間合いの一歩外側で、彼は立ち止まった。
「いきなり始めるのも味気ないかな」
「別段それでも構わないが、他に面白い案でもあるのか?」
まるで悪戯を思いついたようにレイが微笑む。
「君の配下とファンユニオンの子たち、どちらが勝つと思う?」
なるほど。
「その顔、なにか仕込んできたというわけだ」
「ミサ、だったかな。彼女もアノス君の班に入りたいって言ってたからね。なにかの縁だろうし、ちょっとだけ協力してあげることにしたよ」
面白い。配下同士の前哨戦ということか。
「無論、俺の配下が勝つに決まっている」
俺は滝に魔法陣を展開し、そこに<遠隔透視>の魔法を使った。
巨大な滝をスクリーンにして、俺の班とレイの班、両陣営の姿が映し出される。
「聞いたか、サーシャ。朗報だ。お前とミサとの決着がつくまで待つことになった」
「そ。ありがと。じゃ、手っ取り早く終わらせるわ」
サーシャは<飛行>で空を飛び、まっすぐファンユニオンの連中が建てた魔王城へ向かっているところだ。
本来空から行くのは姿をさらすため望ましくないが、サーシャとミサたちの実力差を考えれば大したことではない。
「お望み通り来てやったわよ、ミサ・イリオローグ。出てきなさい。それとも、城内まで出向いた方がいいかしら?」
「ふふふー、ありがとうございます、サーシャさん。ご足労いただいたお礼に、面白いものを見せてあげますよ?」
ズ、ズズズ、ゴオオオオオオォォォと地響きが鳴る。
ファンユニオンの建てた魔王城から岩石の腕が伸びる。続いて足が起こされ、ゆっくりと立ち上がる。
それは城の姿を模した山ほどもある巨人兵だった。
「……<物体操躯>の魔法……だけど、まさか魔王城でだなんて……」
<物体操躯>は物体を生物のように操る魔法だ。物体の規模が大きければ大きいほど操作は難しく、魔力が必要となる。
恐らく操作はファンユニオンがそれぞれ分担して行っているのだろう。だが、全員を探知・操作魔法に魔法強化の恩恵がある呪術師のクラスにしたとしても、彼女たちでは魔力が足りない。
「お前が魔力を融通しているのか?」
フッとレイは微笑んだ。
「僕は魔法がちょっと苦手だからね。使い道が少ないから、魔力は余っている方なんだ」
その分を<魔王軍>の魔法でファンユニオンの連中に回しているのだろう。
「いきますよ、サーシャさんっ!」
巨人兵が馬鹿でかい剣を振り上げ、サーシャめがけて斬り払った。
「くっ……このっ……!!」
図体に見合わず、巨人兵はなかなかに機敏だ。
巻き起こる風圧で、サーシャは思うように飛べず、その攻撃を避けるのがやっとの様子だった。
「図体があればいいってもんじゃないわっ!」
サーシャが<破滅の魔眼>で巨人兵を一睨みする。
バラバラと岩石の外壁が剥がれ落ちていくが、如何せん巨人兵は大きすぎる。サーシャの視界にも、その全体を映すことができないほどだ。一睨みで全壊というわけにはいくまい。
「少し力を貸してあげた方がいいんじゃないかな?」
レイが言う。
ミサたちの人数に加え、レイが魔力を融通している、サーシャの不利は否めないだろう。
しかし――
「俺の配下を甘く見るなよ」
俺は<思念通信>で話しかけた。
「サーシャ。手助けが必要か?」
「いらないわ。いくら多勢に無勢だからって、これぐらいで力を借りてるようじゃ、魔王の配下とは言えないでしょ」
「よく言った。なら、<獄炎殲滅砲>を使え」
思いもよらぬ提案だったのだろう。サーシャの返事が遅れた。
「……無理よ。あれは二○人がかりでやっとだったもの。いくら今のわたしのクラスが魔導士でも、全然魔力が足りないわ」
魔導士のクラスは、攻撃魔法に魔法強化の恩恵が付与され、また魔力が底上げされる。その反面、回復魔法に魔法弱化の効果を強制され、身体能力が減少する。
「ミーシャの力ぐらいは借りてもいいだろう」
「……でも、二人だけじゃ……」
「俺が信用できないのか?」
一瞬の沈黙の後、サーシャは言った。
「……わかったわ。ミーシャ、いい?」
襲いかかる巨人兵の剣を寸前でかわしながら、サーシャは<思念通信>に呼びかける。
「ん。立体魔法陣を展開。術者をサーシャに」
巨人兵から遙かに離れた場所、西の陣地にある氷の魔王城にキラキラと光る結晶が浮かび上がり、それらが魔法陣を構築していく。
城の前に一際大きな魔法陣が出現し、それが砲門のように変化した。
ミーシャの魔力とサーシャの魔力が、<魔王軍>の魔法線を通じて一つに重なる。
振り下ろされた巨人兵の剣にサーシャははりつき、照準を定めるかの如く、手をかざした。
「いっくわよぉぉ、<獄炎殲滅砲>!!!」
氷の魔王城に展開された魔法陣が砲塔のように変化し、そこに黒い太陽が出現する。
膨大な魔力を誇るそれは、弾き出されるように光の尾を引き、一直線に巨人兵へ放たれた。
「み、ミサッ、避けてっ!!」
「む、無理ですっ! この大きさじゃ――!!」
ゴオオオオオオオオオォォォ、と巨人兵が黒き太陽に包まれる。ガラガラと音を立て、腕が落ち、足が崩れ、外壁という外壁が剥がれ落ちていく。
たまらず、ファンユニオンの連中は悲鳴を上げた。
「きゃ、きゃああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「さ、さすが、アノス様の配下、こんな巨人兵を魔法一発で破壊するなんて、強すぎるぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!」
「ね、ねえっ! すごいこと気がついちゃった!」
「し、死にそうなときになによっ!?」
「これで死んだら、アノス様の命令で殺されたってことだから、間接殺されじゃないっ!?」
「こ、殺されたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいっっっ!」
ドッガアァァアンとけたたましい音が響き、巨人兵は頭から崩れ落ちた。
なぜか強くなっているミーシャとサーシャ。