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人狼への転生、魔王の副官 作者:漂月

本編

330/415

鉄の海嘯

330話


「なんでこう、あいつの文章はイラッとさせられるんだ……」
 俺は眉をしかめつつも、兄弟子の要点を押さえた報告に感謝した。
 交渉事のできる魔術師というのは案外貴重で、パーカーはそういう意味でも頼りになる。
 おそらく死霊術も駆使したんだろうが、それにしても早くて正確だな。


 ただしパーカーは気候などについては何も触れていなかった。彼はもう暑さも寒さも感じないし、食事もできない。
 書こうにも書けなかったのだろう。
 少し同情する。
 半日でもいいから彼の味覚が戻るのなら、クウォールの砂糖菓子をたらふく食わせるんだけどな。


 アイリアはというと、相変わらずダウンしたままだ。つわりが軽い日と重い日があり、軽い日は普通に会話もできる。
 ときどき遠い目をして「焼肉が食べたい……」などとつぶやくことがあるが、肉を焼く匂いだけで吐いてしまうからすりおろしたリンゴとパン粥しか食べられない。
 最近はそのパン粥もダメになってしまい、リンゴだけ食べて生活している。
「もうリンゴは飽きましたが、リンゴしか食べられません……」


 俺は彼女を励まそうと思ったが、余計なことを言うと逆にアイリアを傷つけてしまうそうだ。「がんばって」も「わかるよ」も「もうしばらくの辛抱だよ」も禁句だと、侍女や産婆たちから言われている。
 猛烈な二日酔いみたいな症状が数週間耐え間なく続けば、そんな言葉をかけられても逆にイラッとするだけだ。男の俺でもなんとなくわかる。
 いや、わかるって言ったらダメなんだった。
 俺はどうすればいいんだ……。
 だから俺は静かにうなずくことしかできなかった。


 もう長いことこんな感じなので、甘い新婚生活が遠のいていくようでとても寂しい。アイリアとは仕事仲間としても付き合いが長いのでなおさらだ。
 しかし妊娠中の妻と生まれてくる我が子のためにも、俺は仕事をがんばらなければならない。
 そして二人分の公務をこなすのは、書類仕事に慣れた俺でも割と激務だった。


 魔王は最高責任者だから細かい報告を直接受ける必要はないはずだが、なんせまだできたての国家だ。システムが洗練されていない。
 だからトップの負担は重い。
「なんだこれ……メレーネ先輩の研究報告か? 操血術?」
 死霊術と治療術を融合させ、吸血鬼の食料である人血を増やす術を作ったという。これで人間への負担を減らせるとのこと。
 いや、それは凄いと思うんだけど、魔王に直接報告するような内容か?
 まあいいや、師匠とクルツェ技官長に回しておこう。


 それから次は、リューンハイト酒造組合と木工組合の仲裁か。樽の寸法ぐらいで喧嘩しないでくれないかな……。
 訴状を読む限りでは、どうも利権絡みっぽい。いったん商工会の長老たちに回そう。いきなりトップに直訴するのやめてください。
 こっちは迷宮都市ザリア太守シャティナからの補助金申請か。城壁作りの予算が不足してきたらしい。
 今こっちもお金がないんだよ、クウォールとの交易が滞ってるから。
 しょうがない、次の評議会でみんなに相談してみるか。
 こんなのばっかりだ。


 そんな俺にとって意外な救いとなっているのが、太守たちの集まる評議会だった。
 人間の太守たちはほとんどが既婚男性で、みんな子供がいる。
 例外はアラムとウォーロイ、それにシャティナだけだ。あとは魔族のメレーネ先輩とフィルニール。
 残りの十四人は全員が妻子持ちだ。
 みんな跡継ぎの問題があるから結婚は早めだし、子供の教育にも積極的に関わっている。後継者の育成も仕事のうちだからだ。


「三国に名を轟かせた黒狼卿も、奥方のつわりには勝てぬとみえますな」
 そう言って笑っているのは、北部の城塞都市ウォーンガングの太守ドネーヴァだ。
「私も妻の妊娠中はよく怒られましたよ。男親は無力なものです」
 彼の言葉にみんな苦笑している。
 そして海運都市ロッツォのペトーレ爺さんが、楽しそうにアラムに言う。
「おいアラム、しっかり見とくんじゃぞ。これが妻帯者の末路じゃ」
 交易都市シャルディールの若き太守アラムは、近日結婚予定だ。
「いや私はまだ、跡継ぎのことは……」
「早いほうがええぞ。早く作っとけば、それだけ長く一緒に過ごせるからのう……ま、全員嫁に行っちまったがの」


 ペトーレ爺さんとこは三人娘だが、全員嫁いだ後だ。ミュレの父親にあたる交易商が一応はペトーレの婿養子だが、この婿養子が気に入らないらしい。
「あいつはダメじゃ、目先の金儲けばかりで政治がわかっとらん。娘たちめ、わしが気に入らん男とばかり結婚しおって」
「おい、そりゃ俺も入ってんのか?」
 海賊都市ベルーザ太守ガーシュが、ぎろりと義父を睨む。彼もペトーレの娘を嫁にした一人だ。
「あったりまえじゃ! お前が一番気にいらんわい! 死んだグラスコに聞かれたら大笑いされるわい。よりにもよって、あいつの息子に娘をやるとはのう」
「んなこた知らねえよ!」
 でもなんだかんだ言って、本当は一番気に入ってるよね?


 評議会で討議が全部終わると、そのままおっさんばかりでこんな会話をするのがお決まりのコースだ。元老院時代から太守が集まるとこんな感じらしい。
 太守間の円滑な関係を築くために重要な時間だが、確かにこれは独身時代のアイリアには居心地が悪かっただろう。
 しかし俺が結婚してからというもの、太守のみんなが妙に優しい。アイリアの妊娠がわかってからは、さらに優しくなった気がする。
 人間は相違点があると対立しやすいが、共通点があると親近感を抱く。プライベートな共通点ならなおさらだ。
 どうやら俺は太守たちから、パパ友として受け入れられたらしい。


 俺がアイリアのつわりを心配し、クウォールの政情にもやきもきしている間に数週間が過ぎ、ミラルディアにも春がやってきた。
 アイリアのつわりもかなり落ち着いてきたので、俺はほっとする。
 アイリアはフミノが持参した餅がやけに気に入ったようで、最近はそればかり食べている。パン粥だと吐いてしまうが、餅ならいいらしい。よくわからない。
 しかしミラルディア人は餅の食感が苦手だから、餅米を栽培していない。
 愛する妻のため、フミノに頼んで餅を少し手配してもらう。
 また借りが増えてしまうな。


「餅はワの国でも特別な食べ物なんだ。稲は風で受粉するが、餅米と普通の米は交雑してしまう。そして餅米は普通の米より血統が弱いから、餅米の稲は隔離して育てないといけない」
「では貴重なものなのですね……。つわりが収まったら、フミノ殿には私から直接お礼を伝えておきます」
 俺は餅米についてもっと説明したかったが、侍女たちに目線で「もうやめろ」と訴えかけられたので、おとなしく黙る。
 アイリアは細かく切った焼き餅を何もつけずに食べているところだ。
 味がついているとダメなのだという。気の毒な話だ。


 俺が妻と餅など食べてのんびり仕事している間に、クウォールではますます政情が悪化していた。
 そしてついに、もっとも恐れていたものが来る。
「ヴァイト様、御報告がございます。ただちに執務室にお戻りくださいませ」
 俺が大学で交渉術の講義をしている最中に、フミノが駆け込んでくる。
 彼女の表情と匂いから、俺は事態を察する。どうやら来てしまったか。
「よし、残り時間は自習だ。二人一組で脅迫の仕方を練習しておくように。脅迫のコツは相手に逃げ場所を用意し、そこにうまく追い込むことだ。硬軟両面を使い分けろ」
 俺は生徒たちに自習を命じて、急いで戻る。


 執務室に戻った俺を待っていたのは、ワの忍者だった。
「ヴァイト様、クウォール沿岸諸侯が反乱を起こしました。沿岸諸侯軍八千と傭兵隊の精鋭三千が王都エンカラガに向けて進軍を開始しております」
 交易商に扮した忍者は、現地で見てきたことを俺に語った。


 国王に送った詰問状の返答が相当に険悪なものだったようで、沿岸諸侯はもはや一刻の猶予もないと判断したようだ。
 沿岸諸侯軍一万余りはメジレ河を逆流するような進軍ルートで、王都エンカラガに向かっているそうだ。その勢いは凄まじく、海嘯のようだという。
「まさか本気で国王と戦うつもりか?」


 クウォールにおいて国王は権威の象徴だ。と同時に、諸侯に統治権を与えている存在でもある。
 前世でいえば国王は朝廷であり、諸侯はそれぞれが小さな幕府みたいなものらしい。
 クウォール語で「王」を意味する言葉は「ディヤメジレ」で、「聖河メジレの所有者」が語源になっている。メジレ河は王の所有物で、諸侯はその流域を借りているに過ぎない。
 だから国王を排除することは、諸侯自身の権威を否定することに等しい。


 すると忍者は平伏し、俺に答える。
「いえ、さすがにそこまでは考えていない模様にございます。懇意にしている貴族の話によりますと、国王派の流域諸侯を降伏させ、国王を孤立させるが目的とのことでした」
 確かにそれなら「諸侯同士の内紛」という体裁にできるが、実態はもちろん力ずくで国王の考えを改めさせる気だ。
 国王直属の軍隊は直轄地を守る近衛隊だけだ。全部かき集めても四千そこらと推定されるので、反乱軍に包囲されたら勝ち目はない。


 後は流域諸侯たちがどう動くかだ。彼らが一致団結して反乱鎮圧に乗り出すのなら、十分な兵力を集められるだろう。
 もっともその場合、海に近い下流の都市は大損害を受けるはずだ。
「下流の流域諸侯の動向は?」


 クウォール帰りの忍者は即答する。
「件の貴族の話によれば、河口に近い諸侯とは全て不可侵の密約を結んでいるとのことにございます。表向きは沿岸諸侯の降伏勧告に応じる形を取り、今回は中立を保つとのこと」
「なるほどな」
 戦争はもっと上流でやってくれ、ということか。
 彼らは自分たちの畑と沿岸諸侯の港だけは絶対に守らなければならないから、沿岸諸侯と戦うなどありえないのだろう。


 俺はこれからどうなるか考え、溜息をついた。
「国王側が劣勢だな。だが身から出た錆だ、甘んじて受けてもらおう」
 クウォールの国王はミラルディアにとって重要ではない。押さえておきたいのは砂糖と港だけだ。
 ただし、国王の権威が弱まればクウォール国内でどんな動きが起きるかわからない。それが砂糖と港を危険に曝す可能性はあった。
 あとやっぱり同情心もある。こういうときに犠牲になるのは庶民だ。


「どのみち今から派兵したところで、今回の内乱には間に合わないだろうな。ベルーザ陸戦隊には待機を命じるよう、ガーシュ殿に頼んでおく」
「承知いたしました。では我が忍びたちも歩調を合わせます」
 現地では反乱発生から既に数日が経過している。慌てたところでどうにもならない。内乱が終わっている可能性すらある。
 俺が現地に行けたら何か手を打てるかもしれないんだが、それは無理だ。魔王の副官として、そしてアイリアの夫として、俺はここにいる責任がある。
 つらいところだ。


 そう思っていたら、翌日さらにつらい情報が飛び込んでくる。
「副官殿、大変です! パーカー殿が戦地にて行方不明とのことです!」
「なんだって!?」
※次回「義と疑」の更新は9月21日(水)の予定です。
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