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人狼への転生、魔王の副官 作者:漂月

本編

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吉報と凶報

327話


 俺が急いで帰宅すると、アイリアが師匠と一緒に俺を待っていた。
 彼女のはにかんだ笑顔を見た瞬間、俺は彼女の報告を理解する。
「ヴァイト、あなたに大事な報告があります」
「うん」
 俺は上着を脱いで腰掛け、次の言葉を待つ。
 アイリアはとても嬉しそうに、ちょっと頬を染めてこう言った。
「赤ちゃんができました」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中に安堵と不安が入り交じったような、不思議な気持ちが広がっていく。
 実を言うと、子供のことは半分以上あきらめていた。俺は人間だが、肉体は人狼だ。もともとは人間を捕食する怪物だ。人間との間に子供ができるとは思えなかった。
 だからとても意外で、そして嬉しかった。
 俺がぼんやりしていると、アイリアが少し不安そうに問いかけてくる。


「あの、どうかしましたか?」
「い、いや。うん。無理かなと思っていたから、とても嬉しいんだよ。……ありがとう、アイリア」
 俺は妻の手を、ぎゅっと握る。
 アイリアはますます頬を染めて、小さくうなずくとうつむいてしまった。照れくさいらしい。
 子供が……俺に子供ができるのか。
 すごいな。
 やっぱり転生して良かった。


 師匠がこれまた極上の笑顔で俺に言う。
「わしが診察しておるからの、まあそう心配するようなことは起きまい。魔術の研究のため、人体についてはそこらの医者より理解しておる。……骨以外もじゃよ?」
「そうでしたね」
 俺が修めた強化術も、師匠の医学的な知識あってのものだ。
 魔法を使っておおざっぱに治してしまうので忘れがちだが、師匠は名医でもある。


 しかし……。
 俺は心の中であれこれと思い返す。
 結婚してまだ三ヶ月ほどだが、少ない機会を見事にモノにしたものだ。
 人狼ってもしかして、人間と近縁種なんだろうか。
 この世界に進化があるのかわからないが、もしかすると人狼は狼からではなく類人猿から進化したのだろうか。
 興味深い。


 するとアイリアと師匠が何か言い出した。
「あの人がああいう顔をするときは、だいたい情緒のないことを考えているときなんです」
「そうじゃな。おおかた、学術的で下世話なことを考えておるのじゃろう」
 なんでバレてるの。
 生物学的というか医学的というか、ふと考えてしまうものだ。


 俺は咳払いをして、その場を取り繕う。
「アイリア、こんなにも早く子宝に恵まれたのは君のおかげだよ。ありがとう。公務はなるべく俺が肩代わりするから、休養をしっかり取ってくれ」
「ありがとうございます。でも魔王ですから。公務なら大丈夫ですよ」
「ダメだ。絶対に無理するな」
 俺は首を横に振り、師匠に頼む。


「師匠、この人が無茶しないように見張っておいてくれませんか?」
「無茶ばかりしておるおぬしが言うことかのう……」
 ぼやいてみせる師匠だが、嬉しそうな顔をしている。
 師匠にしてみれば、弟子の子供は孫みたいなものなんだろう。
「まあわしに任せておくがよい。人狼との間にできた子じゃ。人間の医者には任せておけぬ」
 頼もしいですよ師匠。


 俺は師匠に質問する。
「あの、それで、男の子ですか? 女の子ですか?」
「まだ指の先ほどの赤子じゃぞ。わかる訳がなかろう」
 さすがの師匠でもわからないか。
 ああ、しかし気になるな。
 そうだ、名前考えなきゃ。
「それなら両方の名前を用意しないといけませんね。アインドルフ家の跡取りらしい、格式のある名前がいい。それに呼びやすく親しみやすい名前にしよう」


 師匠が思わず苦笑する。
「おぬしも相当に気が早いのう。生まれるのはおそらく秋じゃぞ」
「秋ですか。じゃあ秋っぽい名前がいいですね」
 ミラルディアにはそういう風習はないが、俺は前世の感覚で名前に季節感を入れたくなる。
「人狼として生まれてくるのかな……それともハーフ? 人間かな?」
「おぬし、少し落ち着かんか。あと座れ」
 気づいたら立ち上がって部屋をうろうろしていた。
 自分で思っているよりも冷静さを失っているらしい。


 俺は改めて腰掛けると、またそわそわし始めた。
「師匠、魔王軍の病院に産科を設立しましょう。産婆たちに魔王軍の軍医たちの技術を教え、産科医に育て上げるんです」
「じゃから落ち着けというに。アイリア、おぬしからも少し言うてやってくれんか?」
 アイリアは頬に手を添えて、にこにこしている。
「ですが、この人がこんなにうろたえているのが、なぜかとても嬉しいものですから……」
「ええい、このお似合い夫婦め」
 師匠はガクリと肩を落とした。


 リューンハイトの産婆たちはほとんどが静月教徒で、静月教の指導者であるミーティが産婆たちを束ねている。占星術師のミーティは出生に立ち会うことも多く、自身も産婆の経験がある。
 後日ミーティに相談したところ、産前の指導も含めて全面的に協力すると即答してくれた。
 こまめに静月教に恩を売っておいてよかった。


 やれやれと俺が安堵していたところに、海の向こうからとんでもない報告がもたらされる。
「ヴァイト様、申し上げます! クウォール沿岸部のバッザ港が何者かの攻撃を受けました!」
「バッザ港にはミラルディアの軍船が停泊していただろう? 船員は無事か?」
 ここにきて内戦勃発なんて冗談じゃないぞ。


 だが直後に届いた詳報は、かなり悪いものだった。
 クウォール最大の港であるバッザは、聖なる大河メジレの河口に位置している。メジレ河から小舟で運び込まれる品物を海外に輸出するための、非常に重要な港だ。
 ここに何者かが攻撃を加えてきたという。
 輸送用の小舟に潜んだ兵士たちが港に火を放ったのだ。


 幸い、火災は早期に発見されて鎮火した。倉庫が少し焼けた程度で、致命的な事態にはなっていない。
 武装した兵士の襲撃もあったが、港の設備に対する攻撃が目的だったようで死傷者はほとんど出ていないという。
 だがこの港には、ミラルディアの軍船二隻が停泊していた。
 軍船に対しても火矢が放たれ、数名が負傷したという。
 だがここまでなら別にいい。
 問題はこの後の沿岸諸侯の対応だ。


「沿岸諸侯は激怒し、攻撃をクウォール王のものと断定しました。クウォール王に対し、連名で詰問状を送りつけたとのことです」
「まずいな」
 この攻撃は所属不明の部隊によるものだ。クウォール王や河川流域の諸侯によるものかは全くわからない。
 俺はおそらく違うだろうと睨んでいる。これは港湾施設へのゲリラ的な攻撃だ。襲撃者は夜陰に紛れて撤収したそうだが、軍事的に何も得るものがない作戦だ。
 だとすれば政治的な意味を帯びた作戦かもしれない。偶発的な交戦とも思えないしな。


「どうもおかしい。自重するよう沿岸諸侯に書状を送ろう。それとミラルディアの軍船は撤収させる。外交官や魔戦騎士も全てだ」
 すると報告を持ってきた評議会の文官は首を傾げる。
「よ、よろしいのですか? クウォール沿岸諸侯は、ミラルディアの名誉を守るために戦うと言っていますが……」
 やられた。
 まんまと利用された形だ。
 これはやっぱり、沿岸諸侯の誰かが仕組んだとみていいだろう。


 俺は緊急の評議会を召集し、評議員たちに相談することにした。
 そして案の定、評議会は紛糾した。
 北部の太守たちの厭戦気分が凄い。
「これは明らかに何者かの謀略です。今のうちに撤退しましょう」
 北部の城塞都市ウォーンガングのドネーヴァ太守が、温厚な顔立ちに苦悩を浮かべてそう訴える。
「戦は始めるときよりも、終わらせるときのほうがずっと難しいのです。他国の内戦など放っておくのが一番ですよ」
 俺もそう思うよ。


 しかし一方で、港を持つ二人の太守は退くに退けない状態だ。
「だがクウォールの連中は、ミラルディアの軍船を守るために必死で戦ってくれた。今も船の修理や乗員の手当をしてくれてるんだぜ」
 海賊都市ベルーザの太守ガーシュが腕組みすると、海運都市ロッツォの太守ペトーレもうなずいた。
「ヴァイトの言う通り、この襲撃は沿岸諸侯側の仕組んだものかもしれん。じゃがその策に乗ってやったほうが、後々都合がええじゃろう。なに、形だけの派兵でええんじゃ」
「それで軍船が狙われたのですぞ?」
 そう言ったのは北部の採掘都市クラウヘン太守のベルッケンだ。


 こうなると慎重で堅実な北部太守たちと、リスクを恐れず勝負に出る南部太守たちの違いが浮き彫りになる。
 まずいな、なんとかしないとまた喧嘩になるぞ。
 俺はどっちでもないので、仲裁案を一生懸命考える。
「あー、それならいっそ俺が……」
 あ、ダメだ。俺は臨席しているアイリアを見て即座に断念する。
 俺には妊娠初期の嫁さんを支える仕事が待っている。
 よその国のゴタゴタに首を突っ込んでいる暇はない。


「……やっぱり俺は無理だ」
 内戦が起きる寸前なのに、誰かに行けとは言いづらい。
「ヴァイト殿に行けなどと言う者はおりませんよ」
 南部の交易都市シャルディールの太守アラムが苦笑している。そういえばこいつも春に結婚だな。
 するとガーシュが発言した。
「なに、評議会として動く必要はねえ。当初の予定通り、うちの陸戦隊を送る。リューンハイトからいったん撤収させるぜ」
 ベルーザ陸戦隊は現在、リューンハイトに駐留している。
 もうすっかり街に溶け込んでいて、魔都に沿岸部の文化を定着させていた。


 ガーシュは続ける。
「あいつらは俺の私兵だから外交も評議会も関係ねえ。金は俺が出す。連中にも打診済みだ。おい、入ってきな」
 すると評議会の会議室に世紀末風モヒカンがヌッと入ってきた。陸戦隊長のグリズだ。
 ガーシュはこう言う。
「うちの陸戦隊はクウォール語も少し話せる。不信心だが一応はクウォール人と同じ静月教徒だし、傭兵より規律正しい。どうだ?」
「どうだと言われても……。おいグリズ、お前たちはそれでいいのか? 異国の戦場で戦うことになるかも知れないんだぞ?」
 するとグリズは愉快そうに笑った。


「ヴァイトの旦那、俺たちは親分の命令通りに戦うのが仕事だぜ!」
 そうは言っても、渡海しての遠征は本当に大変だぞ。医療や兵站が整っていないこの世界では特にそうだ。
 だがグリズは肩パッドを叩きながら、アイリアに向かって笑いかける。
「ベルーザには『女にモテたいヤツは、ガキとババアと身重の女に優しくしろ』って言葉もあるしな!」
 アイリアの妊娠は国の今後に関係することなので、評議会幹部ならみんな知っている。グリズも見た目はモヒカンだが、れっきとした部隊司令官だ。


 俺はどういう表情をすればいいのかわからなくなり、凶悪な面でにこにこ笑っている巨漢を見上げる。
「報告は密に行え。お前の字は読みにくいから丁寧に書け」
「おう、旦那」
「それと勝手な交戦はするな。駐留地点の防衛以外は本国の許可を得てからにしろ」
「わかったぜ、旦那」
 そうすればたいていの場合は戦闘に間に合わず、ベルーザ陸戦隊は戦わずに済む。


「また内陸部への進軍は許可しないので、そのつもりでいろ」
「俺のお袋より細けえな、旦那」
「まだあるぞ。現地の風習と法律を遵守しろ。贈り物はむやみに受け取るな。借りを作ると高くつくぞ」
 グリズがじりじりと後退を始めたので、俺はじわじわと彼を追いつめる。
 注意事項の伝達がまだ終わっていない。


「それと生水は飲むな、水質がこちらの川と全く違うそうだ。病気になるぞ。金は出させるからワインでも飲んでろ」
「まじかよ、話がわかるな旦那」
 俺はさらに続ける。
「あっちは穀物が豊富なようだが海魚はしっかり食え。お前たちなら言われなくても食うだろうが、念のためだ」


 するとグリズは大きくうなずき、豪快に笑った。
「つまり、ワインを飲みながらマグロのレアステーキでも食ってゴロゴロしてりゃいいんだろ?」
「おおむねその通りだな」
「よっしゃ、任せときな!」
 モヒカン大男は分厚い胸板をバンと叩く。


 あ、そうだ。
「もうひとつあった」
「まだあんのかよ!?」
「この派兵はあくまでも政治的なものだ。無理に戦う必要はないから、部下を一人でも多く無事に連れて帰れ。魔都で戦死した陸戦隊員たちも、ここでお前たちを待ってるぞ」
「……あいよ、旦那」
 巨漢はうなずき、俺に恭しく一礼した。
※次回「魔王の憂鬱」の更新は9月16日(金)の予定です。
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