表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
262/415

山脈を貫いた人狼

262話



 戴冠式の後も、俺は忙しかった。本来のミラルディア外交官としての役目が復活したからだ。

 だが今回は「エレオラ皇帝の協力者」という立場を得ていたので、待遇は最高だった。



 特筆すべきだったのは、輝陽教法王ミクリ三世との謁見が認められたことだ。

 西ロルムンドの宗教都市イオロ・ランゲにいる法王は、皇帝に匹敵する権力を持っている。

 謁見できただけで一生自慢できるぐらいに偉い人なので、もちろんミラルディア人としても魔族としても俺が最初だ。



 荘厳華麗な大神殿の謁見室で、法王ミクリ三世は笑顔を浮かべる。サンタクロースみたいな髭を生やした、穏やかな爺さんだ。

「ヴァイト卿、あなたの活躍は聞き及んでいます。輝陽教徒の安寧のため、国を越えて尽力なさっていると」

「いえ、輝陽教徒のためばかりでもありませんので、お褒めに預かれるようなものではありません」

 俺が緊張しながら応えると、法王はますます嬉しそうな顔をした。



「そのおかげで、輝陽教と他教との軋轢も和らいだと聞いています。またそれに関係して、教典の編纂にも貢献なされたそうですね」

 法王が軽く手を挙げると、侍従の神官がサッと近づいてきた。立派な装丁の書物を捧げ持っている。

「これは先日発見された、『続・聖ザハキト戦記』です。異教徒や魔物と戦い続けた聖ザハキトの、晩年の苦悩や後悔がつづられています」



 法王が開いたページは、例の俺が執筆したページだ。こんな立派な黒歴史ノートにされると、やはり結構な恥ずかしさがある。

「価値観の異なる者とも協力すれば、夜明けはより近くなりましょう。かつての輝陽教にその余裕はありませんでしたが、今なら何の問題もありません」



 にこにこと笑う法王猊下だが、たぶんこの人は裏の事情全部知ってるはずだよな。

 サンタクロースみたいに優しげな爺さんだけど、そう考えると怖いな……。

「そのお言葉、全ての異教徒たちへの恵みとなりましょう。不遜ながら彼らに代わりまして、深く感謝いたします」

 とりあえず頭下げとこう、頭。

 怖いから。



 すると法王はにこにこ笑ったまま、俺に質問してきた。

「ときにヴァイト卿」

「なんでしょうか?」

「我々は貴殿に感謝の意を示さねばなりません。何か望むものはありますか?」

 欲しいものは、その教典に全部盛り込んでおいたからな。

 何にもないな。

「いえ、何もございません」



 俺の言葉に法王はますます笑みを深めた、こう言う。

「私はあなたのその欲の無さが、狼の牙の何倍も恐ろしく感じます」

「どういうことでしょうか?」

「無私の心で奉仕する者は、どれほど位階の低い者であっても大変に強いものです。ましてや無私の心で統治する者ともなれば、どれほどの強さになるか想像もつきません」

 欲なら山ほどあるんですけどね。

 この世界じゃかなえられないものばかりなので、あきらめてるんですよ。

 クーラーとか、チョコアイスとか、インターネットとか。



 ふと気づくと、法王の目は笑っていなかった。何かを憂うような、そして値踏みするような、そんな冷静な目だった。

 血で染め上げられた歴史を持つ国教の、最高指導者のまなざしだ。

 怖い。

 だが彼はすぐに柔和なまなざしを取り戻し、にこにこと笑いかける。

「あなたが輝陽教と共に歩んでくださる方で、本当に良かったと思っています。どうかこれからも、手を携えて参りましょう」

「はい、猊下のお心のままに」

 怖かった……。



 ロルムンド輝陽教は異教徒や魔族との歩み寄りを進めていく方針に修正されたので、今後は血なまぐさい争いも減るだろう。

 歩み寄るといっても、輝陽教だって信徒は増やしたい。改宗のお誘いはしつこくするだろうし、教義ごと取り込んで乗っ取ってしまうなんてこともあるかもしれない。

 だがまあ、そこらへんは当事者同士で何とかしてもらいたい。

 これ以上の介入は外国人の俺には無理だ。



 俺は法王ミクリ三世から直々に「山脈を貫く者」という大層な称号を頂いて、ロルムンドでも聖人にされてしまった。

 聖人にしておけば俺が自重すると思ったのだろうが、実際その通りなのでうまくやられた気分だ。丁重に対応されると俺は弱い。

 なお、この称号はミラルディアとロルムンド、ふたつの文化圏をつないだことを指しているらしい。異教徒や魔族との橋渡しをしたことも、こっそり意味している。

 でもこれ、知らない人が聞いたらまた誤解しそうだな……。



 そしていよいよ、人狼隊はミラルディアへと撤収を開始することになった。

 俺たちは外交使節でもあったので、ここしばらくはロルムンドで様々な式典も開かれていた。現皇帝エレオラに精力的に協力してきたことで、かなり信頼も得られたようだ。

 おかげで出立がどんどん先送りにされ、俺は毎日憂鬱な思いで暦を眺めていたものだ。



 エレオラたちとも別れる日が来る。

 即位直後でエレオラは帝都を離れられない時期だったが、かなり無理をして東ロルムンドまで見送りに来てくれた。ここから坑道までは半日ほどだ。

 エレオラは俺を見つめ、穏やかに微笑む。

「ヴァイト卿、本当に色々と世話になったな。この恩は忘れぬよ」

「ありがとう。だが『冷たいミーチャ』の連鎖は、とうとう終わらせられなかった」



 ロルムンド人は計画性が高く、理詰めで考え、自己犠牲精神にあふれている。魔族でいえば竜人族に似ているが、自己犠牲精神の強さが桁違いだ。

 そのために過去幾度となく、悲劇が繰り返されてきた。

 俺はその悲劇の連鎖を終わらせてやろうと意気込んでやってきた一面もあったが、それに関しては失敗したと言わざるを得ない。



 なんせあの陰謀好きの愉快犯みたいに見えたボリシェヴィキ公ですら、自己犠牲精神の塊だったんだからな。

 唯一の例外といえたのが、この連鎖に異を唱えたディリエ皇女だった。しかし彼女とは妥協点を見いだすことすらできず、最後まで敵のままで終わっている。

 ロルムンドは相変わらず、無数の「冷たいミーチャ」でできている。

 やはりそう簡単に変わるほど、人間の世の中って単純じゃないよな。



 そういや俺は元老院のときも、カイトに「俺が元老院を潰してやる」とか約束した記憶がある。

 だが結局それをやってくれたのは、今目の前にいるエレオラだ。

 毎回大見得をきっては、そのたびに失敗している俺です。

 うまくいかないもんだな……。



 だがエレオラはそっと微笑む。

「何を言う。貴殿は約束通り、ちゃんと終わらせてくれたよ。ここからは私の仕事だ」

 彼女はそう言って、俺の肩に手を置いた。

「私が皇帝になったからには、もはやそのような自己犠牲などさせぬ。皆が皆、笑って暮らせるようにしてみせる」

 頼もしい皇帝陛下だ。

 だがそれは、言うほど簡単ではないぞ。そう言い掛けて、そっと胸の内にしまう。

 そんなことは彼女もわかっているはずだ。



「そうそう、これを渡しておく」

 俺は彼女に分厚いノートを手渡した。

「ヴァイト殿、これは?」

「魔王軍の極秘文書だ。現時点で最高水準の知識が記されている」

 先王フリーデンリヒター様の記した、日本語のノート。それをロルムンド語に翻訳したものだ。

 弾道学とかを伝えると今度どうなるか不安なので、範囲は農業や土木分野などに限定してある。

 一部は翻訳した俺にも高度すぎて持て余したが、エレオラならうまくやるだろう。



 エレオラは俺の肩から手を離して、それを受け取る。

「いいのか?」

「もちろんだ。治世に役立ててくれ」

「やれやれ、また借りが増えてしまったな」

 エレオラは苦笑してみせたが、こう続ける。



「礼と言ってはなんだが、ロルムンドの魔族の件については私が責任を持とう。領内には他に魔族がいるかもしれないが、うまく取り込もう」

「ああ、それも頼む。価値観の違う連中だから苦労すると思うが、うまくいけば心強い味方になるだろう」

「任せてくれ。ロルムンドを魔族や異教徒が安心して暮らせる、良い国にしてみせる」

 そう言って、エレオラは悪戯っぽく笑った。



「だがそうなると、貴殿の使命を横取りしてしまうことになるな?」

「どんどん横取りしてくれ。こっちはこっちで、ミラルディアで魔族が暮らせる国を作っていくからな」

「では競争という訳だな。今度は負けんぞ」

 ふふんと意地悪に笑うエレオラ。そういや以前は、いつもそんな笑い方してたよなあ。

 だがエレオラはすぐに優しい笑顔になり、こう続けた。



「ロルムンドを素晴らしい国にして、貴殿がここに残らなかったことを後悔させてやろう」

「そいつは楽しみだ」

 確かにちょっと愛着も出てきたが、俺はリューンハイトの人狼だからな。ミラルディアに帰らないと。

 そう思って、俺はふと寂しくなる。



「お互いに立場のある身だ、これが今生の別れになるかも知れないな」

「そうだな。政情はまだ安定していないし、皇帝が国を離れることはできない。貴殿にも役目がある」

 最初に会ったときはムカつく怖い女だと思ったが、今は別れが惜しい。

 だから俺は、最後にこう言った。

「……もし、もし仮にだが」

「うん?」

「貴殿が国を追われるようなことがあれば、ミラルディアに来てくれ。帝都で死んだりするなよ?」



 エレオラはきょとんしたが、やがて大きな声で笑った。

「ははは! それではロルムンドから皇族がいなくなってしまうな。……だがその言葉、これからの心の支えにさせてもらおう」

 エレオラはうなずき、俺に言う。

「さあ行け。貴殿が次にどんな無茶をするか、ロルムンドから見守らせてもらうぞ」

「いや待て、無茶なんか一度もしてないんだが……」

 微妙に誤解が残ったままの気がするが、いつかまた誤解を解く日もくるだろう。



 俺は名残惜しさを振り払って馬にまたがると、エレオラに手を振った。

「さらばだ、エレオラ殿! また会おう!」

「ああ、いつかきっとな」

 そして俺たちは皇帝陛下に見送られ、ロルムンドの地を後にするのだった。

 元気でいてくれよ、エレオラ。

 今のエレオラなら、きっといい皇帝になってくれるはずだ。



「よし、人狼隊! 最大戦速で帰還するぞ!」

「なんで戦速!?」

「いいから行くぞ、ほら急げ! パーカーたちも急いで! 忘れ物はないな!?」

 夏至まであと何日だ……。


※次回更新は4月22日(金)です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ