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「剣聖と人狼」

214話(剣聖と人狼)



 私はリューニエ様の歩みに合わせながら、一瞬だけ背後を振り返った。山中の木立は雪に覆われ、静まりかえっている。

 リューニエ様が私の様子に敏感に気づき、不安そうな表情を浮かべた。

「爺、どうしたの?」

 ごまかすと余計にリューニエ様を不安にさせてしまう。

 私は簡潔に、そして事実のみを告げた。



「後方から五人ばかり、つけてくる者がおります」

「エレオラ殿の追っ手?」

 気丈なリューニエ様は平静を保っておられるが、唇が震えている。

 無理もない。たった十二歳なのに一族は皆死に絶え、供といえばこの老いた剣士ただ一人だ。

 そして背後からは執拗な追跡者たち。



 恐怖で立ちすくんでもおかしくはないのに、リューニエ様は歩度を落とさない。

 ウォーロイ殿下が行軍の基礎を徹底的に叩き込んだのが、幸いしているようだ。

 私はリューニエ様になるべく穏やかに語りかける。

「いずれの手の者かはわかりません。この執拗で慎重な動きは、兵士というよりは狩人のそれです。おそらくは暗殺者でしょう」

「う、うん」



 私はマントの留め具をひとつ外し、戦いに備える。

「リューニエ様はフードで頭を隠し、『雪狐の姿勢』をなさってください。私が良いと申すまで、何があっても顔を上げてはいけません」

「わ……わかった」

 リューニエ様は木陰の真新しい雪の上に突っ伏して、小さく丸くなる。白いマントのおかげで、皇子の小さな体は遠目には見えにくくなった。

 矢も当たりにくいし、振り回される剣に当たる心配もない。



 私は剣の鞘を払い、リューニエ様と共に木陰に身を潜める。

 案の定、追っ手は五人だ。野外活動に適した装備で、特にブーツの前足には滑り止めが巻かれている。手慣れた感じがする。

 少し減らしておくか。



 私は鞘をベルトから外すと、懐から取り出したスリングを鞘に結びつけた。

 紐と革でできた簡単な投石具だが、棒の先に取り付ければ遠心力で威力は飛躍的に増す。

 専用の尖った石弾を装填し、私は踏み込みながら鞘を振った。



「ぐっ!?」

 先頭の男が頭蓋を割られ、雪の上に赤い斑点を散らして倒れる。私の腕が鈍っていなければ、研磨された鋭い石弾は脳の奥までめり込んだはずだ。

 残りは四人。

 クロスボウを携行しているようだが、矢をつがえる時間を与えるつもりはない。



 四人がほぼ同時に、私に斬りかかってきた。

「ふっ!」

 一人目を斬り、体当たりしてその背中を盾にする。敵の太刀を防ぎ、間髪入れずに二人目を斬り捨てた。

 だが三人目と四人目は、相当な手練れだった。



「はぁっ!」

「せいっ!」

 左右からほぼ同時に、首と左腰を狙った太刀筋が襲いかかってくる。

 この軌道を同時に防ぐ方法はない。

 ならば防がなければよい。



 私は半歩飛び退いて敵の太刀筋から逃れると、即座に踏み込んで三人目に斬りかかった。

 だが踏み込みが浅い。かわされてしまう。

 再び左右からの同時斬り込み。



 長引けば老いた私に勝機はない。私は懐から投げナイフを抜き、敵の眉間に投げつけた。

「うぉっ!?」

 敵はのけぞりながら剣でナイフを弾いたが、その一瞬は動きが止まる。

 投擲の反動を利用して身を翻し、私はもう片方の敵の喉を刺し貫いた。



「おのれ!」

 最後の敵が踏み込む。

 振り下ろされる剣を軽く払い、手首を叩き斬る。

 ドニエスク公から賜った魔剣「人喰らい」は、やすやすと手甲ごと腕を切断した。



「むおっ!?」

 驚愕の叫びを最後まであげさせず、返す刀で首を落とす。老いた私の膂力でも、人斬りに特化した魔剣ならばこの程度はたやすい。

 倒れている敵が全て絶命していることを確かめ、私はようやく緊張を解く。



「リューニエ様、もう大丈夫ですぞ」

 おそるおそる顔を上げたリューニエ様は、新雪の上に転がる骸に息を呑んだ。

「死んでいるの……?」

「はい、殺しました」

 リューニエ皇子は死体をまじまじと見つめた後、大きく息を吸ってから私にこう言う。



「ありがとう、爺。た、助かったよ」

 血塗れの骸を見てなお、私を労うだけの余裕をお持ちとは。気丈なお方だ。

「リューニエ様にお怪我がなくて何よりです。さ、急ぎましょう」

 私の故郷、北部の寒村ペトカはもうすぐだ。



 だが警戒のために周囲を見回した私は、脅威が去っていないことを知る。

「リューニエ様、今しばらくの御辛抱を。……まだいささか、追っ手がおります」

 今の五人はただの斥候、こちらの出方をみるための捨て駒だったようだ。

 足止めされている間に、すっかり包囲されている。

 二十人ほどか。



 戦況は良くない。

 今の体力では、せいぜい三、四人倒せれば上出来だろう。全盛期の私でも二十人は無理だ。

 だがそんなことは関係ない。

 敵は全て倒す。



 私が剣を抜くと、皇子は再び雪の上に伏せた。

 聡明なお方だ。

 ドニエスク公のためにも、イヴァン皇子のためにも、リューニエ様をお守りせねば。

 私は今、たった独りで主君ドニエスク家の未来を守っているのだ。

 騎士として何という名誉だろうか。

 これで奮い立たぬ者は騎士ではあるまい。



 私は息を整える。

 ここは斜面の上にある。敵は斜面を駆け上がる必要があり、息と歩調が乱れる。生い茂る木立と斜面のおかげで、矢も届かない。

 案の定、敵は隊列を乱した。

「うおおおお!」

 雄叫びをあげて襲いかかってくる最初の敵を、横薙ぎに斬り払う。

 最初の敵は一番脚が速い。

 逃げるためには、必ず殺しておかねばならない。



 そこから次々に斜面を駆け上ってくる敵たちを、斬り伏せ、突き刺し、薙ぎ払う。

 こちらも無傷という訳にはいかない。

 フードの下の鎖帷子に幾度も刃が当たり、火花を散らす。

 魔法で強化された鎖帷子を信じて、構わず敵を斬り捨てる。



 だが連戦のため、私の息が乱れてくる。

 太刀筋が鈍くなってきた。

 敵がこの地形に慣れてきているのを感じる。散開して包囲してきた。

 危険な状態だが、リューニエ様を守るため、この場を離れることはできない。



「ぐっ!」

 敵が捨て身で突きを繰り出し、私はそれを防ぐのが一瞬遅れた。

 鎖帷子が刃を防ぎきれず、左肩に激痛が走る。

「むうっ!」

 刃が敵の頭蓋を断ち割るが、切れ味が格段に落ちてきていた。魔力を使い果たしたか。



 それに出血が止まらない。今すぐ血止めが必要だ。四肢から力が失われていく。

 闘志は溢れてくるのに、体がいうことを聞かない。

 まだ敵が十数人も残っている。

 戦はこれからではないか。

 老骨よ、動いてくれ。

 戦で死ぬことは本望だが、私には守らねばならない命があるのだ。



 必死になって勝つための方策を考えていたとき、突如として凄まじい衝撃が周囲を薙ぎ払った。

 音だ。音の鎚だ。敵が吹き飛ぶ。

 もしかしてこの音は、狼の遠吠えなのか?

 これはもはや、闘気の爆発といってもいい。

 練りに練り上げられた達人の闘気は、触れることなく敵を倒すという。



 だが今はそんなことはどうでもいい。これは好機だ。

「うおおああぁ!」

 夢中になって剣を振るい、尻餅をついた敵の喉を貫く。返す刀で別の敵の頭を叩き割る。

 今この瞬間に、一人でも多く倒す。



 そう思っていたのだが、ふと気づくと敵は全滅していた。

 それも信じられないような死に方だ。

 胴がちぎれ、頭が消えてなくなり、四肢がバラバラになっている。

 熊に襲われたとしても、こうはなるまい。

 まさか私が二人倒す間に、十人以上を始末したのか?



 この殺戮を成し遂げた張本人は、すぐに見つかった。

 なんということだ。あれは人狼ではないか。

 まさか、まだ滅びていなかったのか。

 それとも私は死に際に幻でも見ているのか?



 黒い人狼は返り血を浴びても、なお黒かった。

 白い雪を真っ赤に染めた人狼は、私に向き直る。

 人狼斬りがあれば……いや、勝てない。人間がどれほどの鍛錬を積んだとしても、この人狼には決して勝てない。

 人が剣の修行をして、雪崩や山津波に勝てるだろうか?

 そういった類の強さだ。



 ゆっくりと歩み寄ってくる人狼。無造作な歩みにも関わらず、どこにも隙がない。城壁が迫ってくるような威圧感だ。

 私は片手で剣を構え、この圧倒的な脅威を待ち受ける。

 しかし人狼はスイと私の間合いに踏み込み、鉤爪の生えた威圧的な手を伸ばした。

 見えている動きなのに、まるで反応できなかった。



 人狼の手が私の左肩に一瞬触れた瞬間、出血と痛みが止まった。傷が治りかけている。

 まさか、魔法で傷を治してくれたのか?

 この人狼は魔法まで使うのか?

 そんな人狼は、昔話でも聞いたことがない。



 黒い人狼はまるで敵意を示さず、私の前に堂々と立っている。

「私を……助けてくれたのか?」

 我ながら愚かな問いだと思ったが、人狼は無言のままうなずいた。

 そして人狼は背後を振り返り、麓の村を指さした。

 あそこは私の目的地ではないが、遠目に何かが見える。

 ミラルディアの軍旗のようだ。

 そんな情報は得ていないが、確かにあれはミラルディアの軍旗に見える。



「ミラルディア軍!? なぜここに!?」

 人狼は答えない。私を見つめ、ミラルディアの軍旗を指さすだけだ。

 ミラルディア軍の者なのか?

 まさか、これが噂に聞く魔族の軍隊では……。

「貴殿はもしや」



 そう問いかけようと視線を戻したとき、そこに人狼はいなかった。

 私に気配すら感じさせず、一瞬でこの場から立ち去ったのだ。

 信じられないことの連続で、夢でも見ているとしか思えない。

 だがこれは現実だ。



 そのときリューニエ様が、不安そうに声を発する。

「ね、ねえ、爺……。顔、上げてもいい?」

 私は我に返り、周囲を見回す。敵は一人残らず破壊し尽くされている。

「……もう良うございますぞ、リューニエ様」

 私の声に、リューニエ様がパッと顔を上げる。

 それから周囲を見回し、私を見上げてきた。



「何があったの!? これ、爺がやったの?」

「いいえ、私ではございません。どうやら我々は、人狼に助けられたようです」

「人狼!? あの人狼!?」

「私も信じられませんが、確かに見ました」

 誰かに話しても、誰も信じまい。

 私が一番信じられないのだ。



 だが今はそれよりも、なすべきことがある。

「リューニエ様、下山して麓の村に参りましょう。ミラルディア軍が来ているようです」

「ミラルディア軍は敵ではないの?」

「わかりません。ただ……」

 あの人狼が我々を殺すつもりなら、わざわざこんな手間のかかることはすまい。



 それに故郷にまで敵の手が及んでいるのなら、私の力ではリューニエ様をお守りできない。

 ミラルディア軍の指揮官は、あの決闘卿だ。彼なら話は通じるだろう。

 まさか今の人狼は……。

 いや、まさかな。



 いずれにせよ、ヴァイト卿にはロルムンドの法と統治は及ばない。彼は穏和な人物だし、最後の望みを託すのは悪くないように思われた。

「ミラルディア軍にはヴァイト卿がおられます。あの方なら、リューニエ様の味方になってくれるでしょう」

「そう……そうだね」

 確信は持てないが、今はそれにすがるしかない。



 リューニエ様は不安を押し隠すように笑顔を浮かべる。

「僕、ヴァイト卿のことは好きだよ。あの人は優しいから、きっと大丈夫だ。行こう、爺」

 気丈に振る舞うリューニエ様に、私は微笑みを浮かべて頭を垂れる。

「仰せのままに、我が主」


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[良い点] ヴァイトめちゃくちゃかっこいいやんけ!クールだ…! [一言] こんな陳腐な感想しか出てこない自分が恨めしい…
[一言] >最初の敵は一番脚が速い。 >逃げるためには、必ず殺しておかねばならない。 こういうのを書ける人って羨ましい。
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